第29話 カイン様
黒い霧がすっかり晴れたし、多分、これでクリスさんは大丈夫……
という感覚があった。
ただ、それ以上に私の虚脱感がひどい……
詠唱中は気にならなかったけれど、すべての生気を吸い取られたようにフラフラになっていた。
「よくやった……しばし休め……」
魔王は私を抱きしめて耳許で囁いてくれた……
心地良い魔王の胸元で意識を手放してしまおうと思ったとき、聞き慣れた声が聞こえた。
「レイチェル! 大丈夫か!」
「お父さん!」
父がなぜここに?
母も一緒だ。
夏至祭では、我が家は見栄をはって、自宅でご馳走を振る舞うはずなのに……
ビックリして魔王から離れてしまった。
「大丈夫なようだな。カサンドラ、レイチェルを頼む。」
カサンドラとは母の名前だ。呼び捨てなんかにしたら、また喧嘩が始まるぞ……
……だが、喧嘩は始まらなかった。父は意気揚々と大広間の中央に向かって行く。
「見ていなさい。こういうとき、あの人は本当に格好いいのよ」
自慢気に母が言う。母が父を褒めるなんて初めてだ。
父が大広間の中央に陣取り、大きな声を出した。
「皆様、お鎮まりください。この方は魔王ではなく、カイン様、その人です」
カイン様?
誰だ?
「ご存じない方も多いとは思います。この方は、初代ドラフォレス王の弟君にして、ドラフォレスの行く末を案じ、魔法により不老不死になられた方……」
あれ?
私が幼い頃、父が話してくれた童話の主人公ではないか。あれは実話だったのか。
「バレてしまったか……もう少し遊ぼうと思っていたのだがな……」
面白そうに魔王……ではなくてカイン様が言う。
父はカイン様に向き直り、
「お戯れが過ぎます。カイン様が目覚められたということは国難が迫っているということ。遊ぶ暇なぞありますまい」
「確かにな。余が目覚めるだけなら、まだしも、聖女まで転生してきたのは数百年ぶりだな」
「ならば、一刻の猶予もありません。カイン様と力を合わせ、国難に立ち向かいましょうぞ」
父が皆に呼びかける。
臣下の1人が疑問を投げかける。
「しかしな、その者がアルベルト様を襲ったは事実なのだぞ。信じて良いものか?」
「殺してはおりますまい。カイン様が本気を出せば、このドラフォレスを滅ぼす程度のこと、容易いはず。明らかに手加減をなさったということです」
父は臣下の方に反論する。
「そう過大評価してくれるな。余は魔の法に従い力を振るうのみ。ドラフォレスを滅ぼすような法外のことはできぬ」
「であればこそ、なおさら、今すぐに準備を始めねばなりますまい」
「して、国難とは?」
もう1人の臣下が問いただす。
「今までカイン様が解決なさってきた問題は多岐に渡りますが、聖女様が誕生するほどの国難というと数は自ずと絞られます」
父は自信満々で答えている。なるほどカッコいい。
これが、いつも母と夫婦喧嘩をしている父だとは、到底思えなかった。




