寒いのは君のせい?
寒いのは冬のせい
朝早く、家を出ると今年何回目かの雪がちらついて、私の薄茶色のダッフルコートに溶けていって。
辺りはまだ暗く、耳が千切れそうなぐらい冷たく凍りついて。
ここに霧吹きなんかかけたらすぐに固まってガラガラとこの硬いコンクリートに割れていくんだろうな、とか、そんな気がした。
それから、まだ起きてなんていないだろう私の彼に一言だけ、
≪おはよう。今日も頑張ろうね≫
なんてメールを送った。
AM7:00
やっと私の長い長い1日がはじまる。
「おはようございまーす」
「おはよっ鈴」
挨拶をしてくれたのは大学時代からの同級生。私を追いかけてこの仕事まで始めた男。鈴という呼び方は大学時代から変わらない。
「おはよ。池田くん」
彼はまた優しく微笑んだ。
PM17:30
やっと帰宅。
今日は夜勤だという私の彼は、今やっと家を出たようだ。それを知らせるように使い古した白い携帯が私を呼ぶ。鞄の奥底まで逃げ込んだそいつはなかなか姿を現さない。
♪〜
「はいはい」
やっとのことで見つけ出したそれを開き通話ボタンを押す。
「もしもし。おはよう」
<仕事お疲れ様。おはよう>
少し笑って力の抜けた低音が耳に残って少しの安らぎを与えてくれる。ありがとう、と小さく微笑むと電話越しの彼も微笑んだような気がした。いつものたった30分のこの会話。唯一の彼との接点。遠距離の二人には少しの安らぎであり、それはまた寂しさでもあった。寒いね、なんて他愛ない会話をしていたら、着替えるのも忘れて部屋の前で座り込んでしまっていた事に気がついた。
<もーすぐバイトやぁ…>
「大変だね…今日も頑張るんだよ!」
<うん、ありがと。あとさー、あの、えと>
珍しくどもりながら、何かを言いたげに向こうで唾を飲み込んだ。
それからしばらく、息を整えたような音が聞こえてから、探り探りの様子でこう切り出した。
<こっちこおへん?>
突然の言葉、驚きのせいか電話越しの声が遠く聞こえた。
「…え?」
<俺は、鈴と一緒におりたい。毎日おはようって直接言い合いたいねん。>
「…」
<俺なんか仕事とかほんま今からやし、まだまだバイトやらなやってけへん。迷惑もめっちゃかけると思う。それに鈴にも仕事あるし、ずっとおった場所離れるとかなかなか出来ひんと思う。やから、ゆっくりでええから、そのこと考えてくれへん?>
彼とは大学生の時にたまたま知り合って、たまたま連絡を取るようになって、たまたま4年半ほど付き合ってるだけ。結婚なんて考えてないし、25の私と23の彼で生活がうまくいくとも考えてない。
でも、なぜか、どきどきして。少し涙が出た。
「ありがとう。もう少し考えさせて?バイト頑張ってね?」
<うん。いってきます>
その時の私は結婚のことばかりを考えていたけど、彼と一緒に住むことや、子供のことを考えるところが、私もいいおばさんになったんだなーとか思った。
それから、なにより彼と一緒に笑う私を想像できなかった。
その夜少し眠って、いつもより早めに目がさめる。彼へのメールは送れなかった。
AM 6:45
「おはようございます…」
少し伏せ目がちに扉を開けると池田くんがいて驚いたように笑う。
「あれ?いつもよりちょっと早い!おはよう!」
なんだかホッとしてにこりと笑うと「なんか変だなー」って茶化された。それを笑って流してから、仕事に就いた。
PM 17:30
いつも通り家に着く。
いつもなら彼からの電話。今日は私からの電話。彼はすぐに出た。
<もしもし!!そっちから電話くれたんや!ありがとー!>
嬉しそうな声に少し切なくなる。
<もしかして答え聞かせてくれるん?>
期待しているような声。目を輝かせる姿が目に浮かぶ。
「…ごめんなさい。」
息を吸い込んでつづける。
「やっぱりあなたと結婚はできない。それにこれから先、私はここを離れられないし、きっとあなたにも迷惑をかける…」
私の答えに彼は息を飲む。
<そんなことない!それやったら俺がそっちに…「無理だよ。あなたには家族もまだいるし、これから掴もうとしてる仕事もある。
それに…たっくんは若いんだから。」……鈴…俺のこと捨てんといてや…>
たっくんは捨て犬みたい。ちっちゃいなあ。
「ごめんなさい。捨てるとかじゃないの…だけど私、あなたとの未来はどうしても想像できなかった…ごめんねたっくん幸せになるんだよ?」
<…鈴っ!!>
「さよなら。」
彼の呼びとめを無視して、私は携帯を閉じた。
それからしばらくが経った。彼からの連絡は全てを無視した。1ヶ月が経とうとしていた頃、彼からの連絡は無くなった。
池田くんは相変わらずで、私に積極的に話しかけた。
「最近元気ないけど、彼とうまくいってないの?」
池田くんは、人のことをよく見ている。
こんな時嘘をつく必要もなかった。
「彼とは別れたの。私の自分勝手な理由で。」
池田くんは驚いていた。大人らしい彼の
「…そうなんだ。でも遠距離は難しいよね。気を落とさないで」
「全然落ち込んでなんていないんだけどね、でもなんだか…」
「冬って寒いね」
彼はいきなり私の手をぎゅっと握り、冷たいねって笑った。
「ごめんね。昔から寒がりで…」
普段なら振り払うその手も暖かくてどうしても振り払えなかった。
「冷たい手でもいいよ。俺のぬくもりあげるから…」
キザな台詞…。
似合わない彼は だから… と言葉を繋ぐ。
「俺じゃダメかな」
きちんと目を見て目の前の人にそう言われた。4年の間ではなかった。近くのヒト。でも全く、ドキドキなんてしなかった。私はやっぱり歳をとっちゃったみたい。
「ごめんなさい。」
寒いのは冬のせい。だから冬が終われば暖かくなるよ。きっとこの冷たい頬もまた赤く火照る日々が…
「冬が終わる…」