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麗しき青年


 いい感じに日が当たって灰青の目を細める。気持ち良さげな狼の首を撫で、彼女は寝台を降りた。扉の横に備えつけられたキャビネットに向かう。

 キャビネットの上には呼び鈴があって、鳴らせば使用人たちの部屋で音が響く仕組みになっている。弟が魔力を込めて作ってくれたものだ。

 着替えのためクロシェットは呼び鈴を鳴らしたかったのだが。


「ひゃ!」


 狼に背を向け、立ち上がった直後。足が止まった。背後から伸びてきた何者かの腕が、華奢な身体を抱きすくめたのだ。驚きで声も出ず、肩がびくりと弾む。


 人間と思しき相手の吐息が、頭を掠めた。多分、背はかなり高い。足元で伸びる人影が、クロシェットの影をすっかり覆い隠している。

 彼女の首回りと腹部に絡みつく腕は細身ながらもたくましく、胸板も厚い。密着しているのは男性で間違いない。それも、成人した。


 誰?


 クロシェットが見知っている男性は、使用人を含めて数えるほどしかいない。そして、その誰もが部屋にいないはず。いるのは彼女と、狼――――


 ……………狼?


「怖がらせてすまない。ただ、礼を言いたかった」


 初めて男が口を開いた。耳に注がれる声はそれほど高くなく、硬直していた彼女の心を柔らかにほぐす。


 右肩から左肩にかけて巻きついていた手が娘の頬を捉え、ゆっくりと後ろへ回らせた。男の横顔も迫る。


 上体を少し屈めた男と視線が合う。クロシェットは息を呑んだ。


 クロシェットより年上に違いないが、それでも男は若そうだった。

 二十歳(はたち)前後だろうか。すらりと均整の取れた体格を手触りの良い燕尾服で包み、立っている姿はさながら貴公子だ。

 逆光で黒っぽく(かげ)る、さらさらとした赤褐色の髪。白磁のような混じりけのない肌に整えられた目鼻立ちは、繊細すぎてむしろ冷たい印象を与える。


 青年は、そのあまりの美しさから謎めいた存在にも見えた。人間ではない、ただ人の姿を取っているだけの存在に。


 真っ白の肌に1つの彩りを与える鋭い瞳。その虹彩が灰青だと分かった時、憶測が確信に変わった。クロシェットは掠れた声を絞り出す。


「貴方は、あの、狼………?」

「ウルフィアスだ」


 低く、優しく。喉で転がすように囁いて、青年はクロシェットの長い髪を細長い指にくるりと絡ませる。絹糸を思わせるそれは蜂蜜色で、舐めたら甘い味がしそうだった。


 見ず知らずの、それも呼吸すら忘れてしまいそうなほど秀麗な男性に節操なく触れられ、クロシェットは首まで肌が紅潮するのを感じる。


「あ、あ、あの、ちょっとっ」


 ひぐっとクロシェットの喉が上擦った。

 タイミング悪く誰かが扉の取っ手をひねったのだ。ノックもなしに扉を開ける者は、クロシェットの知る限り、たった1人。


「姉上。例の狼の件で、す、」


 室内の様子を目にしたためか、言葉尻がぎこちなくなる。少年の蒼い瞳は丸々と見開かれ、じっと2人を凝視する。


「が………」


 次の瞬間。

 事情をすべて察したのか、迷いなく少年は腰に下げていた短剣を引き抜いた。鋭利に輝く尖端を、姉に密着する男へ突き出す。


「その女性から離れろ、くせ者」


 普段のあどけない様子からは考えられないほど張りつめた声が、弟の口から響いた。


 聞こえなかったのか、あるいは居直ったつもりか、青年は平然と姉の肩に顎を乗せる。自然と頬がすり合い、姉の唇から恥ずかしそうな声が漏れた。

 見たいものじゃない姉のそんな反応を見せつけられ、ロザリオは歯ぎしりする。


「やっぱり助けてやるんじゃなかった。恩を仇で返すなんてよく言ったもんだね。汚らわしい異族(いぞく)の分際で」


 ――――え?


 クロシェットはほぼ無意識に青年の横顔を見直した。


 人ならざる者。魔力でできた異形の存在。魔術師と対極にある種族。魔術を操り、力の強い者は自分の姿を変えられる。


 はっきりした定義があるわけではないが、『異族』はそういう風に形容される。多くの異族は人間と敵対し、殺し殺される関係を築いてきた。身に宿す魔力は個体ごとに差があって、力に恵まれた異族は一度に何人もの命を奪うという。


 この青年も、その仲間だというのか。


 確かに狼はいなくなっている。そして狼と同じ瞳の青年が現れたのだから、彼が異族とみて間違いない。


 初めてクロシェットは弟が狼を殺したがっていた本当の理由を知った。

 異族は肉食獣よりもずっと危険だ。魔術で気配なく人を殺せるのだから。


 だが――――ほんの少し、違和感がある。


 抱き締められてはいるけれどそれだけで、クロシェットに危害を加えるそぶりはない。表情も優しげだ。それに。

 彼女を見つめた灰青の、透明な瞳。異族は紅い系統の色彩を持つはず。ロザリオの目が蒼いように。


 異族だというには、彼はクロシェットが聞かされた話とは遠すぎていた。


「姉上。逃げて下さい」


 短剣を持っていない手に光を凝集させるロザリオ。青年が口の端を吊り上げた。



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