鯉は恋をした-23-
「よし、これで最後だ!」
ブチッと、最後の糸が切れる。
「やった!雫、もう動けるよ!よかった…本当に、よか……た……」
「海渡っ!」
雫がワイヤーから解放され安心したのか海渡の意識はプツリと消え、体が湖の中へと沈んで行く。
雫はワイヤーから抜け出ると慌てて湖の中に潜り、沈み続ける海渡を抱きしてる。
「しっかりして、海渡!」
しかし、海渡の返事は返って来なかった。
海渡は雫の腕の中でもたれるように倒れている。血を流し過ぎたせいで顔色も青白くなっていた。
体温も下がり、体は冷たくなっていた。
「……沖に上げなきゃっ!」
雫は海渡を腕に抱え泳ぐ。ワイヤーで切った傷があちこちあり、動く度に激痛が走った。
「うっ……っ……!」
痛みに小さく呻く。自分より体が大きい海渡を抱えて泳ぐのは、雫にはキツかった。
そして、海渡の服が水を吸い重量は更に重くなっていた。
それでも、雫は諦めなかった。
「今度は、私が海渡を助ける……!」
すると突然、海渡の体が軽くなったのを感じた。
「え?」
雫は海渡を見る。てっきり意識が戻ったのかと思ったが、そうではなかった。
雫を助ける手伝いをしてくれた魚達が、今度は海渡の体を浮かし助けようとしていたのだ。
「雫、頑張って!」
「俺達もついてるからなっ!」
雫は、魚達の言葉が嬉しくて涙目になる。
「皆、本当に有り難う…」
そして、雫は魚達の協力もあり海渡を沖に上げることに成功した。
雫は海渡の名前を呼ぶ。
「海渡!海渡!!」
しかし、海渡は瞳を閉じたままで返事が返ってくることはなかった。雫は海渡が茂に撃たれたことを思い出す。
「そうだわ……傷口!」
雫は赤くなった海渡の服を破き、撃たれた傷口を見る。海渡の肩には丸い穴が空き血が垂れ流れていた。
「――っ!?海渡!ねぇ、海渡!!」
破った服で自分なりに止血を試みるが血は止まらなかった。それでも雫は海渡の名前を呼び続けた。
「海渡、お願い…目を開けて。私を一人にしないで!」
海渡の傷だらけの手に触れ、自分の頬にそっと当てる。血の気がないせいなのか、それとも湖の中に長時間入っていたせいなのか、海渡の手は氷のように冷たかった。
「海渡…私…貴方にまだ、この気持ちを伝えてないの…私は、貴方が好き…愛してる…だから、お願い。海渡、目を開けて…私の名前を、もう一度呼んで…?ねぇ、お願い……お願いよ、海渡」
雫の瞳から一滴の涙が溢れる。溢れ落ちた涙は白い真珠になり、海渡の胸に転げ落ちた。
そして、真珠はまるで染み込むように海渡の中へと消えていった。
真珠が海渡の体の中に入っていたことを知らない雫は、海渡の名前を呼び続けていた。
湖にいる魚達は、不安げな様子で雫と海渡のことを見ている。
――すると、奇跡が起きた。
頬に当てている海渡の手が微かに動いたのだ。
海渡はゆっくりと目を開く。青かった顔色も段々元の顔色へと戻っていた。
「ん……雫……?」
「――っ!!海渡……う、うわぁぁぁん!海渡ー!!」
海渡が目を覚ますと雫は海渡に抱き着き、子供のように大きな声を上げて泣いた。
「い、いたたっ!し、雫、痛いよ!」
「うっ…うぅっ……!こ、このまま…目を覚まさないのかと思った!」
「雫……」
雫は声を上げて泣く。海渡はそんな雫を抱き締め返し、ゆっくりと身体を起こした。
そして、雫の泣いている顔を親指ですくうように拭った。
「声が聞こえたんだ。雫の声が…。雫、その…こんなこと言うの可笑しいかもしれないんだけど……」
「……?」
海渡は気恥ずかしそうに頬を掻く。雫は濡れた瞳で海渡を見つめ首を傾げた。
海渡は二・三度深呼吸すると、意を決したように涙で濡れた雫の大きな瞳を真っ直ぐに見つめる。
「僕は、雫のことが好きだ」
「え………」
「ずっと、この気持ちは何だろう?って考えてた。でも、やっと今わかったんだ。僕は雫が好き。一人の女性として、これからも…ずっと、僕の傍に居てほしい」
雫はその言葉を聞くと、折角泣き止んだ涙が、またポロポロと溢れ落ちた。
「わ、私も、海渡が好き…!ずっと、ずっと前から好きなのっ…好きだったの…うっ…っ」
「あははっ、また泣いてる。もう、仕方がないなぁ」
「だ、だってっ……う、嬉しくて…っ……」
海渡はクスリと笑い雫の頬に触れ、長い髪を梳くように指で撫でる。
「僕も雫が好きだって言ってくれて凄く嬉しい…」
雫と海渡はお互い見つめ合い、微笑み合う。
「雫よ」
二人はハッとなり湖を見る。そこには大鯰が雫と海渡のことを見ていた。
海渡は、大鯰の大きさと人語を喋ったことに口が開き呆然となる。
「鯰が……喋った……」
「主様…」
「え?!」
「この方は、湖の主なの。主様、あの、私――」
「――わかっておる。言うでない」
雫はその場でションボリと項垂れる。まるで、親に置いてけぼりにされた子供みたいだった。
鯰は、そんな雫に聞き分けの聞かない子供に言い聞かせるように話す。
「雫よ。わかったじゃろう?所詮、人魚と人間は相容れぬものと。時には仲間も犠牲にする。ここにいる者達も怪我をした……」
「はい……」
「しかし。ここの者は皆、不思議とお前を好いておる。臆病なのに、ひたむきで純粋な心を持つお前のことを…」
鯰は小さな溜め息を吐くと、例の小瓶を雫に見せた。
「雫。これを受け取りなさい」
雫は鯰から小瓶を受け取る。
「これは……?」
「魔女が置いて行った物じゃ。……きっと、最後の願いを叶えてくれる物じゃろう」
「私の…最後の願い……」
小さく呟くと、雫は隣を見る。隣には心配そうな顔をして雫を見つめている海渡が居た。
(私の願いは……)




