鯉は恋をした-9-
◇ft.海渡
海渡はいつもの時間にいつもの場所へと向かった。そして、そこで待っている――自分の大切な友達を。
しかし、いつも来てくれる小さな友人は、最近何故だか来なくなっていた。
「どうしたんだろう」
海渡は湖に足をつけてボンヤリと考える。
(もう来ないのかな…それとも、来れない理由があるとか?)
海渡は、ふと昔の事を思い出す。
「そういえば、雫はいつも僕の傍にいてくれたっけ」
海渡はクスリと笑う。雫は気づいていないだろうが海渡は気づいていた。
毎日湖に来ると、遠くの方で赤い斑点の持つ魚がいつもこちらを窺っていたことに。
しかし、海渡はそれを見て見ぬフリをしていたのだ。
理由は、何だか可愛く思えて様子を見てみようと思ったから。けれど、その壁はある日を境に無くなった。
「母さんが亡くなった日……泣いている時に傍に来てくれたんだよね」
魚は人間を警戒する生き物だ。しかし雫は、泣いている自分の傍に来てくれた。
それはとても不思議な出来事だった。
変な動きをする魚に海渡は泣いていたことを忘れ、いつの間にか笑っていた。
雫はそれからも、まるで人間の言葉がわかるみたいに跳ねたり、泳いだり、足にすり寄って来たりした。
海渡はその姿を見ると微笑ましくなり、その魚のことが愛おしくなった。愛着が湧いたのだ。
「本当に人間の言葉がわかるのかな?ふふっ」
海渡は笑う。そして、自分の足元を見る。雫はまだ来ていない。
もう空も暗くなっているので、今日も諦めて帰ろうとその場を立った瞬間――――声が聞こえた。
「いつも話してくれた物語♪一緒に過ごした日々♪何よりも大切で愛おしい♪」
「え?これは、歌……?」
海渡は辺りを見回す。空はもう暗いが人の気配は無かった。
しかし、歌は何処からか聞こえて来ていた。
「一体、何処から?」
海渡は瞳を閉じ耳を澄ます。鈴のように細く優しい声は儚く、今にも消えてしまいそうだった。
そして、その歌詞には不思議と心が惹かれるような感じがした。
「とても綺麗な声だな。何だろう…不思議と心が落ち着くのは……まるで子守唄を聞いているみたい……」
海渡は、ゆっくりと目を開く。
(あれは、誰が歌っているんだろう?)




