人格形成
遅筆ですが第二話です。
そして、身寄りの無くなった俺は父親の妹夫婦に引き取られて行ったのだが、この妹夫婦、特に旦那の方がどうしようもないクズだった。
旦那である義理の弟は、一応会社勤めをしていたのだが、俺を引き取ることとなった途端、会社を退職。
両親の遺産を当てにしていたのだろうが、死の直前に祖母が懇意にしていた弁護士を法定代理人とし、自分の死後の遺産運用を任せており、俺が18歳になるまでの生活費・学費その他諸々については、弁護士の許可無く手をつけることが出来ない様に設定されていた。
その事実を知ったのが、会社に退職願を出した次の日であったことも叔父のミスなのだが、多分会社でもその程度の評価であったのだろう。退職願の撤回を申し出たらしいのだが、いったん受理したものは撤回は出来ないと会社から申し伝えられ、あえなく自主退職ということになった。
そのせいなのか、最初は腫れ物に触れるかの如く俺に接していたが、遺産を勝手に使えない事と、自分のミスで職を失ったことへの苛立ちから、手のひらを返した様に俺に辛く当たるようになった。
ただこの男の狡猾な所は、そんな俺でも「生活費」の名目で金を引っ張れなくなることだけは避けるように俺に当たっていたことだった。
つまり、生かさず殺さずの程度で俺を虐待し始めたのだった。
俺は法定代理人など意識もしていなかった為、与えられた環境で必死に生きるしかないと思っていた。事実、小学校を出てすぐにアルバイトを始め、家族として認められる為にアルバイトで稼いだ金はほぼ全額といっていいほど家に入れていた。
父の実の妹である叔母は、そんなクズの旦那の傀儡のような人であった。
元々、主体性の無い人だったのだろう。旦那の言うことに疑問を感じつつも、虐待を重ねる事に対して何も言わなかった。
ただ、本人も良心の呵責があったのだろう。俺が家事の最中にグラスを割って、2日メシ抜きにされた時には、夜中にそっと「ごめんね、何もしてあげられなくて」とおにぎりを3つばかり俺の部屋へ持ってきた。
俺は、なぜこの人は旦那の言いなりになるのだろうと不思議であったのだが、後々判ったことで、実は叔母さんは過去に1度浮気をして、それからは旦那の言うことやることには何も言えなくなっていたらしい。
その浮気とやらも、どうやらネトゲで出会った男だったらしく雰囲気に流されてちょっと火遊びをしてしまった程度の認識だったらしいが、この人の主体性の無さを象徴するようなエピソードではあった。
まあこんなどうしようもない夫婦の下で、俺は生きるために必死であった。生活費は、俺の遺産から出る金と、俺のアルバイトで稼いだ金。
叔父はその金で毎晩飲み歩き、叔母は趣味であるネトゲに毎日没頭し、家事は最低限。足らない部分の家事は俺が全て行い、何とか家庭の体をなしていたと言っても過言ではない。
今となって思えば、俺はこの時期に一人暮らしの素養を身につけたのだろう。必要最低限の家事は全て一人で出来るようになっていた。
だからと言って、学業は疎かにしたりしなかった。早くこのクソみたいな生活から脱却したかったからだ。その為には、自分で自活できるだけの地盤を作るしかないと思っていたからだ。
元々研究者だった両親の才能を受け継いだ部分もあったのだろう、学業に割く時間は他の同級生と比べたらかなり短かったとは思うが、大体学年で1位か2位であった。学校では家事に割いた時間の為に、授業中寝ていることもしばしばあったが、それでもその成績を落とすことはなかった。
同級生からいつ勉強してんだと不思議がられたが、自分の置かれている環境を話すと、8割がた「そんな環境でよく勉強する気が起きるね・・・・」と言われ、中には涙を流して「何かあったら何でも言ってくれ。協力は惜しまない!」とまで言い出す奴すらいた。
友達ってのは有難いもんだなと思いながらも、俺は誰の助けを受けることも無く、一人で全てをこなし、受け入れていた。
そして、中学を卒業する頃には、クラスメイトから「この中学一の苦労人」という不名誉な称号を頂いていたのだった。