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作者=主人公 ではないので、予めご了承ください。
昨日から接近していた台風の派手な踊りによって、敷地内にはいつの間にか、そこらに植えられている木々の枝や枯れ葉などが、道に沿って、絨毯のように敷かれてあった。
深夜の真木公園。人気のないその場所で、青いジャージの姿の少年は、自分の身長よりも大きな木の断片を避けながら、眠そうな顔で園内の中心へと歩を進めていた。
傍から見ると、その少年の振る舞いは、右へ左へおぼつかない足取りのまま揺れながら歩いているので、酒に酔ってさすらう中年男のようだ。しかし、彼はちゃんと目的を持って園内を歩いている。それは彼を注意深く観察していれば判るだろう。
苦しそうに息をしながらも、転ばないように、表面から苔の生えている大木に手を付き、少し歩いては別の木に寄りかかりを繰り返しているが、ゆっくりと、確実に少年はブランコの傍の薄汚れた木製のベンチへと近付いている。
少年の目的は白い電灯の袂、件のベンチに座っている同い歳の少女に会うことだ。
十分程前、自宅の薄暗い部屋の中、ベッドの上で、少年が眠れず、何となく天井を見つめていると、彼の携帯電話にメールが届いた。
こんな時間に誰だよ。
少年は初め、着信を無視しようとも思ったが、それによって後々厄介事に巻き込まれては面倒だと思い、枕元に置いてある携帯電話へと手を伸ばした。
メールの送り主は同級生の夢野奈穂からだった。内容は『今から真木公園に来てください』というもの。
いつものように要件だけ伝えて、中身を記述しない奈穂に、少年は微量の苛立ちを覚えたが、彼女とは付き合い始めて彼此一年。なんだかんだで支え合って生きているので、彼女の頼みを断ることは、少年にはできなかった。
布団の中でようやく温まり始めた体の上に、青いジャージを纏い、少年は冷たい夜気が流れる外へと躊躇うことなく飛び出した。
秋夜の冷たい風に身を震わせながら、走って走って走り続けて、約五分。真木公園に到着し、遠目からベンチに座る奈穂の姿を発見すると、少年はようやく走るのを止めた。
園内で、少年がふらふらしながら歩いているのは、眠気によるものもあるが、自宅から公園まで疾走した為に現れた、疲労が大部分を占めている。
ただでさえ彼は十五歳という年齢であるにも関わらず、身長は138㎝、体重は40㎏未満。ほんの数ヶ月後には高校生になる時分とは思えないほどの華奢な体の持ち主だ。自分の体を立って支えているだけでも苦しそうに見える。
右へ左へ傾きながら、少年がやっとのことで奈穂との距離をあと6mまで近付けると、俯きがちの彼女は、ようやくぜいぜい喘ぐ彼の姿に気付いた。
「山中君、早かったね」
少年、山中千春と同じくらい華奢な、ピンクのパジャマ姿の奈穂は、彼を認めると、笑みを浮かべて手招きをする。
「走って来たの?大丈夫?」
「走って来たけど大丈夫。大したことないよ」
腰を上げ、歩み寄ろうとする奈穂を手で制し、千春は静かに、大きな溜め息を吐いてから、彼女の横に、微妙に距離を置いて、腰を下ろす。
「それで、こんな時間にどうしたの?」
「ん?ううんとね、ちょっと山中君と話がしたくて……」
「ふぅん。ちなみに何の話?家出したいとか?」
「違うよ。そんなんじゃなくって……」
なら何だよ。
はっきりしない奈穂の態度に苛立ち、千春は彼女に軽く睨むような視線を送る。と、奈穂の唇の端が切れて赤黒くなっているのが目に入った。
平生、奈穂は父親から受けた暴行の痕を隠す為、学校でも外でも、家にいる時以外は顔にマスクを付けていた。なので、自ら望んで見ようとさえしなければ、彼女の痛々しい傷を目にする機会があるのは、父親と彼女自身しかいない。
また殴られたみたいだな……。
奈穂と誰よりも親しい千春であっても、彼女に刻まれた暴力の記録を目にするのは久しぶりだった。が、だからといって千春は、奈穂に優しい励ましの言葉を投げかけることはない。その理由は単純だ。
千春は幼い頃から、奈穂と同じように片親で、今も親から虐待を受けている。しかし、奈穂とは受けている暴力の種類に違いがあった。
奈穂はあくまでも父親に暴力を振るわれるだけだ。一方、千春が母親から受けているのは、暴力ではなく性暴力。
二人が受けているのは同じ暴力とはいえ、肉体を傷付けられた時の特有の苦しみを知らない千春は、無駄に真面目な性格な為、生半可な気持で肉体的な暴力を批難することはなかった。とはいえ、それは奈穂も同じことだった。
千春と違い、近親かんを強いられたことのない奈穂は、彼に好意を抱いていても、彼の苦しみに対して、解ったようなことを口にすることはなく、お互い我関せずを通していた。
痛々しい爪痕が残っていても、そのことで二人が助け合ったことは一度もない。なので、今日奈穂がマスクを外して公園に来たのは、自分に虐待のことで相談しに来た訳ではなく、何か別の用事があって呼び出したのだろうと千春は判断した。しかし、黙って俯く奈穂が、何を考えているのかまでは、千春には見当もつかなかった。