第一話~始まりの出会い~
本編です。
「‥‥‥‥シエルさん」
「‥‥‥‥‥‥‥」
「シエルさん?シエルさんっ!」
「‥‥‥‥そんな怒鳴らなくても聞こえてるよ。どうしたの、ルルシェ? 」
「お鍋!お鍋吹きこぼれてますよ!!」
「‥‥‥‥え、うわ、大変だ!」
慌てて火を消して鍋を覗き見る。
吹きこぼれたお湯は見るも無惨に減っていて、明らかに必要量まで達していなかった。
「あちゃ~。お湯、足りるかなぁ。」
この程度のミスは仕方ないからと、とりあえずこぼれたお湯を拭いて小さく隣にいたルルシェに詫びをいれておく。
「ごめんね、お湯なくなっちゃった」
「もう、どうしたんですか?ぼーっとしてるのはいつものことですけど」
「‥‥‥ずいぶん手厳しいね」
まあ、自分のせいだから仕方ないかなと無理やり自分を納得させる。
当然、料理に必要な鍋の中身は必要量の半分にまで減っていて、このままでは一人分のスープしか作れない状態になっている。
「‥‥‥‥まあいいや。僕の分のスープが無くなったと思えば、何も問題ない。ああ、問題ないさ」
「半分こしてあげますから、意地張らないで下さい。それより‥‥‥‥」
突然、前屈みになって顔を覗き込んでくるルルシェ。慌てて飛び退いたせいで残り半分のお湯さえもこぼしかけてしまう。
どんな男でも、いきなり目の前に綺麗な銀髪に優しく見つめる蒼い瞳、すらりとした体型に整った顔立ちの女の子が現れたら飛び退いてしまうのは致し方ないことだと思う。
「大丈夫ですか?あそこまでぼーっとしていると、風邪でもひいてしまったかと心配なんですから」
心の底から心配してくれているような表情。本気でいたわってくれている優しさ。ちょっとしたところから気遣ってくれているのは嬉しいけど、ほんとに何もないので断らないと罪悪感でいっぱいになりそうだ。
「大丈夫、大丈夫。風邪ひいたってルルシェが看病してくれるから。むしろ役得だと思えば」
「看病はしてあげますけど‥‥‥‥」
それでもその目から心配の色は消えない。
昔から、こう言うときには誤魔化して来たのでルルシェも学習してしまったようだ。
まあ大したことでもないかな、と大袈裟に嘆息して教えることにした。
「大丈夫。ちょっと変な夢を見ただけだから」
「変な夢‥‥‥‥ですか?」
「そう、変な夢。多分、幼い頃の夢だと思うんだけど‥‥‥‥‥」
確証はないけど、多分小さい頃の夢だろう。
「それは本当ですか!?」
突然ルルシェが食いついてくる。
おしとやかで優しいルルシェからはあまり見たことのない食いつきに驚いてしまう。
その瞳は、戸惑い半分喜び半分というよくわからない色をしていた。
「うん。といっても、あまりよく思い出せないんだけどね」
「そうなんですか‥‥‥ちなみに、覚えている所だけ教えてもらってもいいですか?」
「構わないけど、ほとんど覚えてないよ?」
「大丈夫です」
どうしてこんなにも食いつくのだろう。
疑問に思いつつも、覚えている部分だけを端的に話すことにした。
「綺麗なところだった。これ以上は思い浮かばないってくらい完成された世界の中だった」
「‥‥‥‥‥‥」
「その真ん中で‥‥‥‥少女かな。真っ白な髪の子が僕の方に歩いてきて‥‥‥」
そこからが思い出せない。
そうルルシェに告げると、ため息をついて強ばっていた力を抜いた。
「ありがとうございます。‥‥‥‥あまりいい思い出じゃないですね」
「そんなことないよ。どんなことだって、僕に起きたことなら大切な記憶だ」
「‥‥‥‥‥思い出すのは怖くないですか?」
この少年──シエルは、2年ほど前までの記憶が失われている。
それ以前の記憶を知るものは何故か一人もいなくて、行き当たりで彼女―――ルルシェがこの家で匿ってくれたらしい。
とはいえ、記憶を失って困るほど人間関係は出来上がっていないみたいなので、とくに悩みもなく生活しているのだが。
「べつに、そんなに怖くはないけど‥‥‥‥まあ、思い出そうとするほどでもないかな」
「もう‥‥思い出は大事ですよ?」
「そうだけど‥‥‥ここにいる僕は僕だから、その事について変わりはないし」
「記憶とはその人の体験。その体験は人を育み、造り上げ、形作る為に必要なものなんです。造られた過程を知らずに生活していくのはあぶないことなんですからね?」
「‥‥‥そうだと思うよ。でも、」
「でもじゃないですよ、もう!シエルさんはそういう―――」
ぐぅ~~~~。
大切な講義の最中にずいぶんとまあ間抜けな音が響き渡る。
音を聴く限り‥‥‥というかもう音だけでお腹がなってしまった物だと判別できる。
この家には二人しか住んでおらず、かつ自分で自分が鳴らしてしまった音ではないとわかっているから自ずと犯人は絞られるわけで‥‥‥‥‥‥
「‥‥‥‥‥‥‥弁明を聞こうか」
「‥‥‥‥‥‥‥お腹がすきました」
「どうしてこうなったと思う?」
「シエルさんが夢の話を持ち出したからだと思いますよ」
「‥‥‥‥‥ほんとに?」
「ごめんなさい。私が掘り下げたからです」
素直に仰りましたこのお方。
相変わらずの素直さに少し微笑ましさを感じながら、先程までの仕返しをするべく、少しだけからかってみることにする。
「それじゃ、講義の続きを始めましょうか」
「‥‥‥‥‥え?」
「シエルさんはそういう‥‥‥何かな、先生?」
「や、やめてください。あ!さ、さては、からかってますね!」
ほっぺたを膨らまして抗議をするルルシェ。そうやって感情豊かに表情を変えるから実際の年よりも幼く見られるんだと思う。
このまえ買い物に行って飴玉をもらったこと を怒りながら報告されたが こちらとしてはどうすればいいかわからないので苦笑いを浮かべるしかなかったな 。
「そんなことないですよ先生。先生のお話はいつもいつも為になることばかりで」
「やめてください!ご、ご飯にしましょう、お腹すきました!」
「だから、あんな大きな音が出たんだね」
「もう!」
変なところで素直な所に苦笑しつつ、お鍋をつかんで水を足しながら提案することにした。
「料理‥‥‥再開しよっか」
「‥‥‥‥はぃ」
羞恥心からか語尾が弱々しくなってしまったルルシェにまた苦笑してしまい、ぷんすかとそっぽを向いて逃げてしまったルルシェに精一杯の料理でご機嫌をとるべく、うでまくりをしてキッチンと対面する。
‥‥‥‥‥‥‥少し豪華になった料理に子供のようにはしゃいでいたルルシェが、必死に体裁を保とうとして出来なかったのは、内緒の話。
――――――――――――――――――――――
「お皿、洗っておきます。洗い場の方へ運んでおいてもらえますか?」
「わかったよ。手を滑らせてお皿落とさないようにね」
「大丈夫ですよ。少なくともシエルさんよりはお皿を壊した数は少ないです」
「あ、あはは」
わりと冷たい言葉をかけられながら、シエルは外の流し場へと食器を運んでいく。
外に出て、ふと空を見上げると、相変わらずの晴天。視界の端にある小さな雲がここ
にあるぞと自己主張をしている気がして軽く微笑んでしまう。
視界を下に落とすと、あたり一面は木々で覆われた森のなか。ぽっかりと空いた小さな平原の中心にぽつりと小さな小屋が建っている状態だ。
そして、シエルはこの景色しか見たことがなかった。
ルルシェに禁じられていた訳でも、外に出るのが怖いとかでもなく、ただ単純に外へ出る機会が無かっただけだけど。
「どうかしたんですか?シエルさん」
流し場の隣にある窓からひょこっと顔を出すルルシェ。
これから洗い物をするためか、うでまくりをしていてその目はやる気に満ちている。
「いや、改めてこの空間は平和だなぁ~って。ルルシェも一緒に日向ぼっこしない?」
「いいですね。洗い物が終わったら、一緒にお昼寝でもしましょう」
「じゃあ、今のうちに洗濯物取り込んでおくね」
「あ、ありがとうございます」
お互いにやるべきことを確認して(狭い家の中だけど)別行動を始める。
二階建てのこの家は、二階に洗濯物を干す場所があるので、ミシミシと軋む階段を登って二階へと上がっていく。
外の世界―――見たことがないのでシエルはそう呼んでいる―――に憧れたことは多々あった。何があるんだろう。何をしているんだろう。たくさんの人達の中に混ざっている自分を想像したことは何度もあった。
ただ、いまのルルシェとの穏やかな毎日と天秤にかけたら、当然今の方が大事に決まっていた。
階段を上りきると、乾かしてある洗濯物が目に留まる。
「洗濯物は‥‥‥あ、何枚か飛んでるな」
洗濯物の枚数を確認して呆れたように嘆息する。数日に一度あるかないかだが、強い風の日に洗濯物の一部が飛ばされてしまうことがあるのだ。
まあ、これまでは森のどこかで見つかっているので、とくに焦るということもないがやはり飛ばされてしまうのは如何ともし難い気分になってしまう。
とりあえず飛ばされた洗濯物を取りに行くべく、下の階に降りて外へ出る。
すると、洗い物をしていたルルシェがそのままこちらに報告をしてきた。
「あ、シエルさん。先程、マリーさんからお手紙が届いていましたよ」
「うん、あとで読んでおくよ。ちょっと、洗濯物が飛ばされたみたいだから取ってくるね」
「はい。‥‥‥‥あ、そうです!」
何かを思い出したようにルルシェはこちらを向く。
手元を見ずにお皿を洗うなんてことが出来ないルルシェなので、一旦洗い物は中断している。それほど、大切なことらしい。
「気をつけて下さいシエルさん。今朝から、とても嫌な予感がします」
「‥‥‥‥そうか。ルルシェの嫌な予感はよく当たるからね。気を付けるよ」
「はい。日向ぼっこ、屋根の上で待ってますね」
「ほんとにあの場所が好きだね、ルルシェは」
じゃあ行ってくるよ、と告げて風下の方へと歩いて行く。
ルルシェにはああ言われたけど‥‥‥自分でも多少は感づいていた。
自分自身の過去の夢を見るときは、決まって何かが起こる。
「うーん、遠くまで飛ばされたかな?」
森のなかに入って見渡してみるが、これといってめぼしいものは見当たらない。
森の奥まで飛ばされたのかもしれない。取りに行こうと考えて、あることに気がついた。
「あ‥‥‥‥」
いつも護身用に持っている武器を持ってくるのを忘れていたのだ。何も持っていない状態では、何が起こるかわからない森の奥に進むには少々心細い。
「‥‥‥‥諦めようかな」
いつものごとくシエルの怠け癖が発動しかけた時だった。
「―――っ!」
どこか遠くで、人が鳴らした音を聴いた。
―――――誰かいる!
そう感じた瞬間、自身のなかでスイッチが切り替わった。
辺りに対する警戒心を最大に、全ての感覚は些細な現象も逃さないように余分な情報は全て遮断する。
―――戦闘する際の基本は、どんな些細な現象も逃さないこと。
多少の護身術として、ルルシェから教わった際に聞かされたことだ。
張りつめた緊張感のなか、どこから襲われても対応できるように集中。
その瞬間、ガサッと何処からか草を鳴らした音がする。
―――まずい、後ろだ!
そう思って振り向いた瞬間、下腹部へと思ったより軽い――それでも倒されるには十分な――タックルが襲ってきて、後ろへ尻餅をついてしまう。
「うぐっ!」
「きゃあぁっ!」
重なる二つの悲鳴。ただのタックルなので幸い怪我は無かったが、目の前で腰にしがみついている少女の姿はあまりにも奇妙なものだった。
攻撃してくるつもりは全くない。むしろ、わざとタックルを仕掛けたわけではなく、走っていたら、たまたまぶつかってしまったような感じだった。
「いてて‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥っ!!」
シエルの声に驚いた少女が顔をあげる。
その双膀には驚きと焦り、そして警戒心が透けて見える。
このままでは大変なこと───いわゆる命の危機が待ち構えていると悟ったシエルは最大限に自分自身の危機回避能力を発揮し、導きだした。
「‥‥‥えっと、大丈夫かな?」
その結果がこの様である、
もっといい台詞なかったのかよバカ!、と自分を責めると同時に、少女からの攻撃を食らわないよう必死に手をわたわたと振るシエル。
しかし、予想していた攻撃は全く飛んではこなかった。
恐る恐る目を開けると、そこあったのは予想外の光景だった。
先程まで警戒心を露にしていた双膀は緩み、何かを求めてすがるような視線でこちらのことを見ていたのだ。
そして視線が合った瞬間、まるで耐えられなくなったようにその瞳から涙が零れ落ち、その涙を隠すようにシエルの胸に頭を押し付けて、どこからそんな声が出るのかと思うほどに大声で叫んだ。
「お願いです。私を‥‥‥‥私達の国を、皆を助けてください!!」
その叫びは切実で。
その叫びは悲痛で。
どうしようもなく必死だった。
果たしてこれが「悪い予感」だったのか否かは誰にもわからない。
しかしこの出会いが、彼を世界に巻き込む要因になってしまったことは、言うまでもないだろう。