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才能なんて言葉、だいきらいっ。

 タイトル通りの心境です(泣笑)。

 

 なので、少し前の自分のブログから記事を引っ張り出してきて、自分なりに編集して載せてみることにします。

 ちょうど「文章の作り方」を、あれこれと考えることが増えてきたので、いいキッカケになるやもしれない、というささやかな抵抗にも似た気持ちが(笑)。

 

 時々、「正統派文学! と感じる文章が読みたい」そう思う時があります。

 先日、ネットであちこち見ていたところ。世の中には、私の想像を遥かに上回る志水辰夫・通称シミタツのファンの皆さんが居てくださってて。

 

 どっさり

 

 ネットの中にシミタツ・センテンスを載せていてくれるではないですか!

 ラッキーあたし。

 

 ちなみに私個人的には、なぜか少し前に“恋愛小説”として急に売れた「行きずりの街」は初版で読みましたが、全然面白くないです。志水辰夫らしさがほとんどない。無理矢理に、今っぽくなんかしなくてもいいのに! とプンスカしたのを憶えています。

 

 ただ、やはりそこには商業作家の宿命があると思います。

 商業作家であれば

「自分の好きなカテゴリのものしか書きたくない! 今、どんなものがウケているのか知らないし興味ない、嫌いだから分析も不要」

 これでは、突出した人気は出ない。それはすなわち、「身内以外には」「他人に名前を覚えてもらえない」。結果、誰にも名前を知られずに埋もれて行く、という図式。ただ、「身内」が次々とファンを作ってくれる、ということはあるでしょう。しかしながらそれは決して、一気に千人・万人単位ではないですね。

 

 

 “多くの人にウケよう”“多くの人の好みに合わせて作品を書こう”と思うと、志水独特の癖のある言い回しが減らざるを得ない。

「行きずりの街」よりも前の「情事」でもそうでした。改訂しない方が良かったのに。改訂して、ますます「うーむ」と唸ったワタクシでございました。その辺りから、なんとなく志水辰夫の本を読むのが辛くなって行きました。

 

 頑固親父世代の方なら、頑固にそのまま、私のようなコアなファンと共にいて頂きたかった。こう思うのは勝手なファン心理なのかもしれません。

 けど、昔からの志水ファンなら「あんたのすることには、とことん付いて行くぜ! 心配すんな!」なんて思うのかもしれないですね。

 

 私は最近、また志水辰夫の本が色々と読みたくなってきました。鮭の産卵みたいな感じ?

 

 

 志水辰夫自身は、公務員や新聞記者の職を経て、四十歳半ばの時に「飢えて狼」が文壇の表舞台に出た作家です。

 遅咲きの部類であるかもしれませんね。(思うんですけど、今の時代だったら五十歳を過ぎてからの表舞台デビューでも、決して遅くはないんじゃないかと)

 

 プロの作家になりたいと願った頑固なオッサン(オッサンとは失礼な言い方ですが、愛情表現でもあると受け止めてくださったら幸いです)が、渾身の力を込めた「裂けて海峡」が、冒険小説の世界で受け入れられ、そこから徐々に、志水独特の表現が確立されていきます。それに酔いしれたファンは、私一人だけではないでしょう。

 

 

 いわゆる「志水節」。以下、この段落は、ほとんどネット(http://www.kyotosanga.org/blog/)から拾ったコピペになりますが、このブログ主の方は、本当によくまとめていらっしゃいました……。

 

 ※志水節の3大特徴 「背いて故郷より」

 

 

 1)語尾を少しずつ変えたり、短い体言止めの文章を混ぜたりしながら、緩急の取れたリズミカルな文章を整えていく。

 2)客観的な描写のあとに、主観的な描写を唐突に効果的に混ぜ、文章にたるみをつくらない。

 3)盛り上がるシーンでは、リズミカルに体言止めを繰り返す<詩的な文章>に変わる。

 

 

 1)の例文 

 

 山裾へ段丘上に築かれた墓地が早くから見えていた。成瀬家の墓地が最上段に位置している。墓地全体が切り石の垣で囲ってあった。墓石は十ばかり。中にまだ新しい白木の墓標がひとつあって、それが成瀬恵司の墓だった。

 

 

 2)の例文

 

 

1、

窓辺へ立ってガラス戸を開けた。辛うじての雪である。降るとも見せずにわずかに舞っている。掌に受けると触覚も残さず消えていった。風が殆ど動いていなかった。

 

 空に見えない星を感じた。

 

 

2、

「また(電話が)かかってくるかもしれません。しばらくわたしのことは伏せておいていただきたいんです。たとえ誰からの問い合わせであれ、知らない、来ていないと」なるべくさりげなく言ったつもりだが少し力みが出た。寿美子がちらと瞼を上げてわたしを見た。彼女は首を振ってうなずいただけだった。

「気をつけて行ってらっしゃい」

 

 彼女が好きだ。

 

 

 3)の例文

 

 

 言葉を返せなかった。笑みすら返してやれない。ひきつらせた顔でただ頭を下げるのみ。うつむき、会釈、身震いをして。背を曲げ、わたしは逃げ出す。行く当てもないひとり影。冬の巡礼、道、その果ての旅。

 

 夜道の向うに明かりがあった。門があって竹垣があり、笹と椿の生垣(いけがき)があった。庭から松が枝を外へ延ばし、門柱に取り付けて雪洞(ぼんぼり)型の門灯。雪に埋もれた小さな門松。

 

 路上にひとり女性が立ちすくんでいた。差し伸べてきて、白い二本の手。

 

 通り抜けた。声もなく、目もなく。

 

 わたしを許すな。その罪を今生償わせてなお許すな。無限の苦しみを課さんがため、永劫わたしを生かしめよ。生きて地獄、果ててなお地獄。貶め、裁き、死してさらにその死体を苔打て。

 

 夜行列車の音が聞こえた。街の光りがほの白く空へ照射している。漂って鐘の音。凍てついて冬の道。冷たい、どこまでも冷たい雪の肌。夜の残影。

 

 音がする。わたしの傍らを歩いている足音がする。

 

 早季子が黙って歩いてくる。

 

 

 ……以上、引用終わり。

 

 

 私の超個人的な好みで言わせて頂ければ、真冬の札幌、小樽を舞台に描いた「尋ねて雪か」が痺れるほどに愛おしい一冊です。

 しんしんと降り積もる水気を含んだ雪の、かすかな音まで聴こえてきそうな文章に憧れます。雪が降ってくる、どんよりした空を見上げると、視界の隅々まで、重たい灰色の世界に閉じ込められる錯覚に襲われたことを鮮やかに思い出します。

 

「尋ねて雪か」この作品を貫く一言は「おにいちゃん、いっしょにおうちへかえろうよ」! コレ一択! べらぼうに涙ダダ漏れします。

 当時の会社の後輩に進めたところ、やはり泣いたと言ってました(笑)。

 

 重苦しく心に迫る雪景色と共に、主人公がどうしても捨てられない「かじかんだままの、小さな優しい思い出」「憎んでも憎んでも癒されない記憶」の心象風景の描写が、主人公の動作の隙間にバスバスッと入って来るんです。この入れ方が憎い。

 

 昭和臭いと言いたきゃ言いなさい(笑)、人の心が美しいと感じ取るものなんて普遍なもんです。

 以下「尋ねて雪か」より七箇所を抜粋。


 

 

 いつだって故郷を捨てる者は後ろめたい勝利感がある。

 

 

 

 雪がまた舞いはじめている。

 雪しか見えない。

 いつもそうだ。

 重く、果てしなく、すべてを呑みつくして雪があった。白と黒、野と山、人と家、単純化された心象の世界。それで表現できない風景があった。それを語りおおせない心があった。

 

 

 

 人、それぞれの孤独、それぞれの記憶、ばらばらの生と死。思い出の冬。

 雪しか見えなかった。

 雪しかなかった。

 雪の声しか聞いたことがなかった。

 

 

 

 雪が舞う。

 いつだって人の心の、荒野に雪が降る。吹き荒れて風だ。ひれ伏して憎悪。さむざむと記憶、過去、なにも生み出さない心象風景。

 

 


 雪が降る。

 黒ずんだ雲を妖しく垂れ下がらせ、空を切り刻んで雪片が頭上に振りかかってくる。雪の言葉はいつだってかぼぞいつぶやき。

 色をほふり、音を沈ませ、人の温もりをかすめ取って雪が降る。広がるのは冬の荒野、人の孤独、海鳴りの轟く闇の呪い。

 聞こえてくる。遠く去りゆく木枯らしのような、かぼそい、きれぎれの、泣くような少女の声が聞こえてくる。

「おにいちゃんおうちへかえろうよ」

「みんなでいっしょにくらそうよ」

 雲が流れる。影が落ちる。

 闇がどこまでも広がってくる。

 

 


 雪の底にひとり道に迷うていた。

 寒さにふるえ、孤独に怒り、こみ上げてくる力にむなしくなりながら、おまえはいつでもおまえでしかなかった。なにを恐れ、なにを力んでいるのか。恥辱にまみれぬ人生など、未だなかった例しはなかった。

 闇をふさぎ、雪を蹴散らし、遠くおどろおどろこだましてくるものがある。

 いつかの海鳴りか、それとも荒野を彷徨う物の怪か。

 聞こえて言葉。祈っても言葉だ。いつだって残された者の声が追ってくる。

「おにいちゃんおうちへかえろうよ」

「みんなでいっしょにくらそうよ」

 帰るところがなかった。

 行くところがなかった。

 どこにもわが身を置くところがなかった。

 

 


 未だかつて明けない夜はなかった。

 未だかつて人の帰らない家はなかった。

 

 

 

 テンプレ展開なラブシーン・いつも二行で終わっちゃう志水辰夫にしては、以下のラブシーンは、珍しいパターンかもしれない。……何という清冽なラブシーンなのかと思った一節。


「青に候」より

 

 

 

「たえ殿」

「たえと言ってください」

「たえ殿。それはいけない。聞いてください。わたしは侍になれなかった人間なんです。かといって百姓にもなれなかった。一人前の顔をして、えらそうなことをしゃべったり振る舞ったりしてきましたが、自分では一文の金すら稼いだことがない人間なのです。ひたいに汗して働いたことがない。手や腕がかさかさになったり、あかぎれだらけになったりするほど働いたことは 一度としてない人間なんです。今日限り侍をやめました。(略)これまでの自分を捨てて、生まれ変わってしまいたいんです。生まれ変わって、それからあなたの前に出てきたいんです」

 たえがかぶりを振った。その笑みがはっきり見えた。

 佐平はわななきながらそこへうずくまった。たえの手がほほを包み込んできた。

 佐平はその夜から生まれ変わるための努力をはじめた。

 

 

 いいっすねえ、いい! 一所懸命に勇気を振り絞って自分の汚点を話し、赦しを請う若い男。そしてそれを包む女性の姿。ううん。そして!

 

 やっぱり志水辰夫と言えばコレですよコレ!「裂けて海峡」より。ラストシーン。ちなみに講談社版。

 

 

 そばに行くのが少し遅れる。

 まだ、し残していることがある。

 すませてからそこへ行く。

 おまえのために祈っている。

 天に星。

 地に憎悪。

 南溟。八月。わたしの死。




 

 

 志水節は、一歩間違えると、非常にあざとく古臭い。だが、ちょっと待てと。普通に生活していて、悔しいと思うこと、嬉しいと思うことってヒトとしても、ごくごく当たり前の「泥臭い」感情なんじゃないだろうか。

 

 そこの辺り、迷わずにズバッと踏み込んでくれる心地よさが好き。


 

 

 


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