命短し、恋せよ乙女
いやー、昔の人はイイこと言うねえ……。
しみじみ思う今日此の頃。こんにちは。優美香です。
今朝、鏡を見てビビッちゃいました。白髪発見です(汗笑)。もうそんな歳なのかと。いやいやまだまだ頑張れる。うんうん、なんつって独り言を繰り返しておりますです。
タイトルに致しました名言「命短し、恋せよ乙女」。コレって真実だと思うんです。若いからこその純情のカタチがある。瑞々しい感性や、頑として折れない心、傷つきやすくてどうしようもない青さとかですね、そこから自然に任せてほとばしる生命力がなければ、感応しあえないゆらぎみたいなもの。
誰に問われるまでもなく愛しい人の名を語る。
そんな一瞬は、とても貴重です。
今思うと、そんな感受性が人生を支えているような気も致します。
話は少しズレてしまうかも分かりませんが、昨日の夜、裏口の扉を開けて山の方向の住宅街を眺めておりました。
色んな灯りが散らばっています。
私は小学校時代を青森県で過ごしたのですが、当時の修学旅行の行き先は、北海道の函館だったんですね。函館と言えば夜景です。おぼこい小学生ですから、朝早く市場に行って日本酒をちびちびやりながらウニやイクラで丼をたらふく食べたり、自由時間にラーメン食べ歩きとか無いんですけど(笑)。
函館山から見下ろす夜景は、まさに宝石をあちこちに撒き散らしたような美しさです。
子供心に、その光景は脳裏に焼きついて離れないものですね。
昨日の夜、小高い山の頂に向かって伸びる灯りの束は「思い出補正」がある函館の夜景に比べたら、確かにスケールはショボイ(笑)。
でも私は、いいな、と思って眺める。その時間がとても好きです。
もう多分、二度と戻ることはない下北半島の地から見える海の色や、カラッとした風の冷たさや、寂れかけた町の夜景が何故か心に引っ掛かってくる。そんな季節が、自分にとっては今頃です。
どんな方にとっても、どんな街の夜景でも、心を癒すものなのではないでしょうか。
街の灯り。一軒一軒、迫って行ったら、その下では色んな景色があると思います。
家族や恋人と。ひとりで。様々な過ごし方もあると思います。激しい憎しみもあるだろうし、諦めや絶望もあるかもしれませんよね。泣いたり笑ったりも当然。ささやかで滅びかけそうな心を震わせてくれる、こまやかな優しさも愛もあるでしょう。
一軒一軒、灯りの下の風景は違うけれども、それを俯瞰で視たら「綺麗だな……」と思うのは人の本能であるかもしれません。
劇場で観た香港映画、アンドリュー・ラウ監督の「傷城」で、何気ないカットではありますが「監督は何故に私のツボ所を知っているのん?」と思った箇所があります。
だだっ広いフローリングの部屋には電気が点いていません。暗い部屋の壁際にあるパイプベッドに、ぽつんと腰掛けて俯いている俳優がいます。
ちょうど頭の方向の壁面にあたる部分が、全面、おそらくベランダの設定なんです。大きな窓ガラスとサッシを隔てた向こうには、一面に広がる香港の夜景。本当に、ごく一瞬のカットです。そこに広がる沢山の街の灯と、俳優の演じる孤独な役柄がピタリと当てはまっていました。
痺れました。
(ああ、そうそう! これなのよコレ……!)
なんてね。
まあ、恋に限らず。(アレ?)こういう感受性を、持ち寄って温めあえる人を、男女問わず自分の周りに置いておきたいですね。