たとえ薄っぺらい希望でも
十七年前の午前五時四十五分。阪神大震災に遭遇しました。
あれから自分の人生が大きく変わる機縁になったと思っています。
パッと目が覚めて、地震が来る! と思った直後に、ドン! という音がして大きく縦に揺れたことを覚えています。
それから長く横に揺れていました。布団をかぶって
「キャー!」
と叫んでいた記憶があります。あれは二度と体験できないものだと思います。
私にとって、阪神大震災は「人の有難さも、醜さも」全部見せてもらった経験になりました。
知人で亡くなった方はいない自分が、あの日を語るのはおこがましいように思います。
ただ、被災地域の人間は「関西に地震は起きないと思っていた」と思います。
だから地震保険の加入者は全国に比べて少なかったはずです。都市計画としては勿論、建っていた住宅なども大半は地震が起きることを考えて造られてはいなかったはずです。
この日が来ると「辛いことを『語らなければならない』」という雰囲気になるのが、個人的にはイヤだなあと思います。
私にとっては忘れたいことが詰まっている日々が、あの日から始まったということもあります。
(ご親族や、お友達を亡くされた方々の痛みは、一日も早く癒されて頂きたいと切に願います。その為にも生き延びた側の人間が、するべきことは沢山あると感じます)
阪神大震災を遥かに凌駕する東日本大震災の被災者の方々を思うと、余計にそう思います。
でも、自分を振り返る物差しにはなりますよね。
十七年という月日って。
この十七年間の日々の積み重ねは、ちっぽけな夢を見ることの繰り返しでした。
他の方々も私と境遇は違っても、おそらくそうなのではないでしょうか。それでいいじゃありませんか。人が一人、育ってしまうほどの長くて重たい時間です。
たったお一人でもいい、今日から笑って過ごされる方が増えることを願ってやみません。