第二話
辺境のエドゥ王国国境を護る貴族家――マギュロ家の三男、リア・マギュロとして僕は生まれた。
三歳になった頃、なんとなく、そう言えば‥‥みたいなふわっとした感じで、自分は所謂、転生者なのだと気が付いた。
特段驚くこともなく、前世の記憶を思い返してみる。
個人的な事が上手く思い出せないけれど、なんとなく学生だった気がする。
ぼんやりした記憶は、現世の三歳の知力に引っ張られるように、ぼんやりとしか思い出せない。
別に今思い出さなくても良いか。
それよりも、今の僕には大事な事があるのだから。
両手で握るのは、水が目一杯入った木製のコップ。
三歳だと頭が大きくバランスが悪いのだろう。ちょっと早く歩いたり走ったりすればすぐに転んでしまう。
だから、ソロリソロリと、一歩ずつゆっくりと、水を零さないように僕は歩く。
昨日は、目的地に着いた頃には、コップの水は半分以下に減ってしまっていた。
当然泣いた。ギャン泣きだ。
今日こそは、お水をいっぱいのまま運ぶのだ。
「おっ、リア!もしかして今日も水を持って来てくれたのか?」
すぐ上の兄、次男のルーク・マギュロが、三歳児でも惚れてしまいそうな程の輝き煌めく笑顔で僕に機嫌良く声を掛ける。
「うん!」
嬉しくて、頭を勢いよく前に振りながら答えた事で、転んでもいないのに昨日に続く悲劇が起こる。
そう、顔の動きと共に、コップを揺らしてしまい、水が少しだが零れたのだ。
お水が零れちゃった‥‥。
「びえーーーーーん」
今日も当然ギャン泣きだ。
何故なら、絶望したから。
三歳児は、絶望の沸点が恐ろしく低いのだ。
直ぐ様、ルークは、コップを僕の手から優しく剥がし取り、泣く僕の目の前で一気に水を飲み干した。
「美味い!リア、有難う!」
「びえーーーーーん」
「この水、世界一美味いよ!」
「びえーーーーーん」
「沢山入っていたからお腹いっぱいだ!きっともっと多く飲んでいたらお腹を壊していたかも知れない。丁度良い水の量をコップに入れてあるとは、リアは天才じゃないか!凄いよ!」
「びえん‥‥‥ぼくぅ‥しゅ‥すごいの?ひっく‥」
「ああ、大天才だ!俺の弟は凄い弟だ!」
「へへっ‥、えへへ」
三歳児。すぐ絶望し泣くが、すぐに幸せハッピー!嬉しくもなれる。幸福沸点も素晴らしく低い。
まぁ、こんな感じで、僕リアはすぐに泣くマギュロ家の末っ子だった。
次男のルークはこの時、十歳。
ルークは、天賦の才を、一つどころじゃなく、数多く持ち得た神に選ばれし超人だ。
生後三月で二足歩行をし、四月目には歯がなく舌っ足らずではあったが、言葉を理解し単語らしきものを発音。一歳を迎える頃には文章を話す。
こんなのは序の口で、三歳には魔法を大人顔負けに操り、五歳には剣を歴戦の剣士並みに扱うように。
八歳には、単独で中型のドラゴンを討伐。
十歳の今は、既にエドゥ王国最強と言われるようになっている。
正しく神に選ばれし超人。
だが、それだけではない。
まず顔の造形だ。神が、丹精込めて天上の美を余すことなく集めて創り給うたと生まれた時には言われていたと言うくらい完璧なのだ。
艶めくサラサラの長くも短くもない御髪は、黒髪なのに、太陽も出ていない場所でも、夜空に星が瞬くように煌めく。黒目は、吸い込まれそうな神秘的なひとつの壮大な宇宙の様。
誰もが、初対面で意識を飛ばしかねない程の完成度。
毎日見慣れており、三歳児で、弟であるリアですら、毎回見惚れそうなほどの完成品。
誰もが言う。
神々しく光って見えるのだ‥‥と。
僕もそう思う。毎回、キラキラエフェクトが見えているんだもの。妄想じゃないよ。
次は頭脳だ。
生まれて四月目には、言葉を理解し単語らしきものを発音し、一歳を迎える頃には文章を話したのだ。常人とはそもそも脳の構造が違う。
書物を読めば、完全に覚え理解する。
人との会話の一文一句どころか、たまたますれ違っただけの人物の人相、身体的特徴まで瞬時に記憶してしまうのだ。その辺りに転がる石ころですら、見分けがつくのではないかと密かに言われている。
ルークの教育係など、早々に方針を変え、ルークが剣の素振りをしている横で、書物を朗読する置物になることを決めた。ルークが一度聞けば全て覚えるからだ。目標は、この世界の書物全てを朗読し、全ての知識をルークに詰め込む事らしい。教育係は、これこそ天命、崇高な使命だと誇りを持って朗読機となっている。
長男でルークの兄である跡取りマルス・マギュロや、三男でルークの弟である僕リア。
普通のご家庭なら、大小あるだろうが、完璧な次男と比較され多少なりとも兄弟が傷付くような経験をするだろう。
だが、我が家は‥と言うか、ルークの兄弟の場合は異なる。
そもそも、比べるなどそれこそ烏滸がましいのだ。
神への冒涜だと、誰もそんな畏れ多い事などしないのである。
そんな感じで、人という種族の頂点であるルークが、殊の外可愛がる末っ子三男唯一の弟の僕。
どう考えても主人公な兄の弟。人生勝ち組で間違いない最強の立ち位置で、ゆるゆるふわふわと甘やかされ、平和にすくすくと育っている。幸せだ。
僕リアは、至って普通の、まだ『さ行』の呪縛から完全に解放されてはいない三歳児。
『な』を『にゃ』と言ってしまう事もあるので『な行』の呪いも、あ、『ら行』もかな?まぁ、いくつかの呪いは、まだ払いきれていないかもしれない生粋の幼児だ。
「お、二人共ここに居たのか?リア、ルークに遊んでもらっていたのかな?」
ルーク兄ちゃんに、天才だと褒められ照れ照れしていたら、長男マルス兄さんがやって来た。
ちなみに、次男は『ルーク兄ちゃん』で長男は『マルス兄さん』と心の中で呼んでいる。
何故、心の中で‥‥と言うのは、『りゅーくにいちゃん』『まりゅしゅにいしゃん』と、現実は例の呪いに苛まされているからだ。
「ううん、あしょ‥遊んでたのじゃにゃいの。お水あげてたの」
「そうそう。リアが俺に、コップでお水を運んでくれたんだよな!世界一美味い水!」
「うん!えへへ」
「そうか!リアは凄いな!今度兄さんにもお水を運んでくれるか?」
「うん!運んであげりゅ‥る!」
長男マルスは十五歳。人基準での天才だ。
真面目で正義感が強く、努力家で頭が良い。ついでに、剣も魔法も跡取りとして申し分なく、家族愛にも溢れ、家臣にも領民達にも気を配れる頼もしい男。
それに、顔も滅茶苦茶かっこいい。短髪で整えられた黒髪に、理知的に見える黒目が、キリッとした表情を彩り、いつも人目を引く。人基準での超絶イケメンだ。
そして、末っ子の僕リアをこれでもかと可愛がってくれている。
だが――ひとつだけ、欠点と言うか‥‥マルス兄さんには行き過ぎているところがある。
それは‥‥隣地に住んでいるマルスの二歳年上の婚約者マリア・キュジラが大好き過ぎると言う点だ。
一目惚れしたマルス兄さんは、ひと目見たその瞬間に「結婚してくれ」と土下座。
ドン引きされ、言葉を濁して逃げられると‥‥次の日から毎朝夜が明ける前から一人馬を駆け、キュジラ家の屋敷に恋文と一本の薔薇――花言葉は一目惚れ――を添えて日参。
その勢いに恐れ慄いたマリアは、都度断るも、三年それが続き、最期には‥‥折れた。
『あなたは私以外は無理だとまだ仰るのね‥‥。あなたのせいで私の縁組み話も皆無となりました。隣国との国境を護るマギュロ家の跡取りがこのまま独り身となるのは由々しき事。毎度の人目を憚らぬ土下座も見苦しい‥‥。国の未来が危ぶまれるくらいなら私が身を捧げるしかないでしょう‥‥』
そう言って、婚約と相成った。
しつこく付き纏い、よくマリア姉さんに頬を全力で叩かれ赤くしているが、マルス兄さんはいつも幸せそうにしている。
そんな兄達の弟が、僕リアである。
マギュロ家(鮪、マグロ)
キュジラ家(鯨、クジラ)




