第19話 奴隷
イーサンは、どこにもぶつけられない焦りと不安で燻っていた。
北の役人の側付きの任をどうにか勝ち取り、南のメージ王国の特区に同行し、生まれて初めて本当の故郷――南の地に足を着けた。
特区とは、南北の許可を得た者達が貿易や政治的なやり取りをすることの出来る隔絶された城塞都市だ。
高い城壁でぐるりと囲まれたその場所は、やけに雑多な市が中央に配置され、そこで行われる南北の商人達の賑やかさが、赤羅様に平和で妙な気持ち悪さを放つのだ。
そこを、北の役人の一団が、見せつけるように、僕達三名の奴隷を引き連れ練り歩く。
許可を得た遣り手の商人ばかりなのだろう。
彼等は、僕等を見るが、その表情を崩さない。
だけれども、遠目に……人目に付かない場所で、肩を震わせ目を潤ませ、僕等を悲痛な面持ちで見やる黒髪黒目の人は一人二人でない事に、僕の方こそ胸に込み上げるものがあった。
……嗚呼、同胞達は、僕等を忘れてはいないのだ、と。
隔離場で、若者を中心に、自ら率先して北の新たな黄金人に仕える一種族になろう、と言う馬鹿げた活動の中心人物として台頭した幼馴染のアイクと、そう洗脳した憎き首魁であるルキウス・ムカディエ。
この二年の間、表向き彼等の従順な駒として過ごすことは、幼馴染を救えない不甲斐なさに苛まれる苦痛の日々だった。
ルキウス・ムカディエを盲信するアイクは、取り憑かれたように馬鹿な考えを、さも唯一の“救い”であるように風潮して回る。それだけなら、その馬鹿げた考えに染まる者はいなかっただろう。
だが、違った。
ルキウス・ムカディエと言うお貴族様は、一手も二手も上手であり、蜘蛛のように糸を張り、あっと言う間に餌となる若者を絡め取っていったのだ。
北の平民よりは粗末で、奴隷よりは豪華で温かな食事。清潔な衣服。澄んだ水を使える行水。
そういった飴を餌に、取り込みやすい若者層を中心に、態々奴隷を接待したのだ。
賛同すれば、忠誠を誓えば、人として扱われるのだ……と。
更に、ルキウス・ムカディエは、南の故郷に住まう同胞を悪く言うことを決してしないし、そういった態度も一切見せない。
逆に、自分達を救う力のなさや、軍事力の低さ、果たされない救援を……南の故郷に住まう同胞を糾弾するのは、決まってアイクだ。
そして、その横で憤慨しながら盲目的に演説するアイクを窘め、あろうことか「ほらほらアイク。そうは言っても、南の人々も同じ“人”ではないですか。そんなに悪く言うものではないですよ」などとほざくのだ。
アイクとルキウス・ムカディエの対比は、一つの甘い蜜のような理想的な幻想で、現実を夢見る若者中心に、この馬鹿げた喜劇の演者へと一人ひとり落として行く。
僕は、そんな中で道化を演じ、糞尿係の父を中心に、各地の奴隷の情報網から、一体僕等が何に巻き込まれようとしているのかを必死に探ってきた。
そうして、判明したいくつかの事実は、僕等の新しい希望であり、アイクが惑わされている偽りの幻想ではない、手が届く可能性のある未来かもしれなかった。
二年前、アイクが三ヶ月ルキウス・ムカディエに囚われる少し前……南の同胞が、戦線を脅かす程の大打撃を与え、北に大敗北を与えた。
しかも、膨大な力を持つたった一人の勇者によって。
各地の奴隷の情報網から繋ぎ合わせた結果、その勇者は幼く、成長を待って本格的に北に侵攻するのだろうと。
今の北の軍事力では、勇者に勝つことはかなり厳しいのだと。
だから、北は正面からではなく、内側から手を打つことにした。
それが、あの馬鹿げた、自ら率先して北の新たな黄金人に仕える一種族になろうなどと言う思想の普及。
これも、所詮は情報を繋ぎ合わせた推測でしかない。
だけれども、情報の僅かな一片を寄せ集めれば、そうであると確信せざる得ない事実だ。
だからこそ、僕は蝙蝠になり、機会を伺った。
「ムカディエ様、どうか僕を特区へ赴かれる方々の側付きとして下さい。きっとあなた様の忠誠に応え、南からムカディエ様の求める情報を引き出して参ります。彼の地に行けば、彼等は同胞である僕に接触してくるでしょう。やり遂げてみせます。どうか、僕に機会をお与え下さい」
一瞬見せた愉悦をすぐに隠したルキウス・ムカディエは、厳かに、危険だと僕を案ずる素振りを見せながら……最終的に僕の嘆願を呑んだ。
そうして掴んだ、絶好の機会。順調に進み思った以上の好機を得た。
特区に滞在一日目の深夜、待ち望んだ来訪者の接触。
僕は、同じ黒髪黒目の同胞に短い時間ではあったが精一杯惨状を訴え、縋った。
奴隷の置かれている状況を、同行した他二名のように馬鹿げた思想が広がりつつあることを。
そして、ルキウス・ムカディエと言う首魁の情報を与え、間者としてルキウス・ムカディエが望む、ルキウス・ムカディエ満足するだけの情報の提供を懇願した。
来訪者は言った。
「絶対に救ってみせる。君の立場は理解した。どうかもうしばらく耐えてくれ。私は、この情報を持ち帰り、上の判断を仰ぐ。必ず滞在中にもう一度ここに戻ってくるから……信じて待っていてくれ」
待ち続ける時間は、思った以上に僕の心をこれ以上ない程に心細く不安にさせた。
夜が来る度に、息を潜め耳を澄ます。
頭の中でぐるぐると同じ事を考えては後悔と期待を繰り返す。
一緒に来た二人は、あの馬鹿な考えを盲信しているから、自分達は大丈夫だとでも言っているだろう。
たった一人だけ、二人と違う事を訴える僕を、こっちの同胞はどう思う?
信じてくれるのか?
騙されていると疑われるのかも知れない。
だから、まだ来てくれないの?
もう明日には、特区を去らなければいけないのにっ……。
「やあ」
暗闇に、この場に似合わぬ軽々しい言葉。だが、聞き惚れるような美声。
恐る恐る寝台から体を起こし、顔を向ける。
そこには、月明かりに輝らされ……この世のものとは思えない程の……美しく煌めく女神様が、この世に顕現していた。
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