婚約破棄!?つぶします。指輪の精霊と令嬢の話
勢いで書きました。
ふんわりラブ&コメ風味、ゆるくお楽しみください。
その夜、私は自室でこっそり魔道具を取り出していた。
──昼間、言われたことがずっと引っかかっていたのだ。
「その指輪、呪われてるみたいだ。外した方がいいよ」
そう言ったのは、学院に来たばかりの隣国の留学生だった。穏やかな口調だったけれど、目は真剣で、心配そうに私を見ていたのが印象に残っている。
でもこれは、婚約者である殿下──ロイズ様が私の誕生日にくださったもの。
簡単に外せるわけがない。
けれど、もし、……万が一ということもある。だから今、こうして魔道具で確認しているのだけれど──
「……反応なし、ね」
私は小さく息を吐いて、指輪をもう一度指にはめ直した。
魔力を流したまま。その瞬間。
光がぱっと弾けて、空中に何かが浮かび上がった。
ふわふわと宙に浮くのは、私と同じくらいの年の女の子──
ただし、胸から上しかない。柔らかい丸顔に、やや吊り気味の黒い瞳、髪はやや赤みのある栗色のショートボブ。服は見慣れない形で。
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん!!!!!!」
……え?
「やっと喋れた〜!リリ、リリでしょ!?わー本物だぁ〜っ!」
「……え、あの……あなた、どなた?」
「私は心海っていうの。よろしくね!ひゃー本物もやっぱり可愛い~~~!」
「……有難う。あの、あなた、一体…」
「あ!そうだよね!あたしはスマホの画面から話してるんだ~!」
彼女は嬉しそうに笑う。すまほ?
「あの、あなた指輪の中から出てきているけれど…」
「え!?そうなの!?“話しますか?”ボタンが急にスマホに出てきて、最初は何も起きなかったけど、“充電がたまりました。どうぞ”って通知が来て。慌てて押したら、やっと話せた!!って感じ!なんだよね。」
「???急に話せるようになったという事かしら?」
「そうそう!でねリリ、このままだとあなた、婚約破棄されて国外追放されちゃうの!!」
「はい?」
「だから何とかストーリーを変えたくって、ずっとずっと念じてたんだけど。叶うもんだね!」
「…国外追放――そんなことが、どうしてわかるのです??」
「うん、あたし、何回も(ゲームして)あなたの未来を見てきたから……」
「未来……?」
その言葉に、私は言葉を失った。
指輪から出てきて、未来が分かるなんて…そんな不思議な話、聞いた事がなかった。
「あなたは指輪に閉じ込められた精霊か何かなのですか?」
「へ??」
「今日、この指輪が呪われていると聞かされました。気になって魔道具を使って調べてみたのですが、私自身が呪われているわけでもなかったので、もしかするとあなたが指輪に閉じ込められているせいで、呪いのように見えているのかもしれません」
「え~~~そうなの!?そっか~……念じてはいたけど、呪ってはない……と思う……(私が日本の女子大生って言っても、わからないよね。ここは……指輪の精霊ってことにしとこ)」
「そうそう、閉じ込められてたの!」
「やはり精霊なのですね……」
私がつぶやくと、彼女――精霊は「えっへん!」とでも言いたげに胸のあたりを張った。いや、胸から上しか見えないのだけれど。
「うんうん、精霊ってことで。オッケーだよ!」
……精霊はこんなに軽い感じなのかしら。
「それで、精霊さん。ココミさんだったかしら?私はどうすれば――」
「ココで良いよ~~~!そうだね、まず明日から制服で登校して!」
「……はい?」
また思わず問い返してしまった。
「制服、ですか?あの、貴族の生徒はドレスでも許されているのですが」
「知ってる!でもね、あの制服はリリのナイスバディにぴったりで、そのけしからんスタイルを際立たせるのよ!!みんなドキドキしちゃうから!!」
「……けしからん?」
ますますわからない。けれど、彼女の目は本気そのものだった。
どうやら、彼女なりに“私のため”に言っているらしい。
「――制服で登校すれば、何かが変わると、そうお考えなのですね?」
「うんうん、絶対いい方向に行くから!イメージチェンジって大事なの!」
私は静かに息を吐いた。
正直、制服で登校する理由はさっぱり理解できない。
けれど――。
(この状況、どう考えても普通ではないのだから)
精霊だという少女が、私の未来を変えようとしている。
その行動の第一歩が「制服」だというのなら
「……わかりました。明日は、制服で登校してみます」
「やったー!!ありがとうリリ!!私の推し!!」
……“おし”とは、一体……?
翌朝。
鏡の前で、私は改めて自分の姿を見つめた。
(これが、“精霊”の言っていた、イメージチェンジ……)
白のブラウスに細めのリボンタイ。胸の下あたりから身体を包み込むようにフィットするタイトな紺のワンピースは、膝下まで伸びている。
その裾からのぞく黒いタイツの足は、ほっそりとした足のラインを引き立て、キュッとしまった足首のくびれがいっそう際立って見えた。
着丈の短いブレザーはウエストの細さを強調し、ヒップラインを自然と引き上げて見せてくれる。
鏡の中の自分は、普段の学院用の控えめな昼のドレスとは違い――
どこか、大人びて見えた。
登校時。
門をくぐった瞬間、周囲の空気が一瞬止まった気がした。そこかしこで、ざわ…という小さなざわめきが生まれていた。
「え、あれって……リリアン様じゃない……?」
「まさか、制服……?貴族生徒はドレスでもいいはずなのに」
「ていうか、見てあのスタイル……!すごっ」
視線が刺さる。けれど嫌なものではなかった。
ただ、制服というだけでこんなにも周囲の反応が変わるのだと、不思議な気持ちになった。
──胸元のブラウスは控えめなはずなのに、なぜか自然と胸のふくらみが目を引いてしまう。
歩くたび、すらりと伸びた脚とキュッと上がったヒップラインに、男子たちは目を奪われ、思わず見とれてしまっているようだった。
(これが“けしからん”という意味……?)
「……おはよう、リリアン嬢。今日は制服なんだね」
ふと、穏やかな声が背後から届いた。
振り返ると、そこにいたのは──隣国からの留学生。
やわらかな微笑を浮かべていたが、その瞳はどこか鋭く、私の左手を見ていた。
「……まだ、その指輪外してないの?」
その一言に、私はそっと左手を胸元に引き寄せた。
そこには、変わらずロイズ様から贈られた指輪が、静かに光っていた。
「おはようございます。これは…」
留学生の問いに、返答を探していると――。
「リリアン」
遮るように、低く落ち着いた声が割って入った。
振り向けば、婚約者の第二王子、ロイズ様が立っている。
ロイズ様は留学生に一瞬だけ視線を投げ、すぐに私へと目を向けた。
「ロイズ様……おはようございます」
挨拶をすると、ロイズ様はふいに私の左手に目を落とし、微かに目を細めた。
そして、私の姿をゆっくりと見下ろした。
制服姿の私を。まるで何かを測るように。
「……どうか、なさいましたか?」
「いや。ただ……珍しいと思ってね」
その声音は落ち着いているのに。
ロイズ様が若干動揺している――?
「……似合っている。目を奪われたよ」
瞬間、鼓動が跳ねた。
その場にいた生徒たちが、わずかにどよめく。
ロイズ様は、そのまま私に手を差し出した。
「一緒に行こう。……教室まで、送るよ」
一瞬、留学生の視線を感じた気がした。けれどロイズ様は意にも介さず、私の腰に手を添えるようにして、そのまま歩き出した。
「……はい、ありがとうございます」
促されるままに歩きながら、私は思う。
制服姿ひとつで、こんなにも周囲が変わるなんて。
そしてロイズ様が、こんなにも分かりやすく動揺するなんて。
(“イメチェン”、意外と効果があるのかもしれないわね……)
帰宅すると、私はすぐに指輪に魔力を流し、現れたココに話しかけた。
「ねえ、ココ。今日、制服で登校してみたんだけど……思ったよりも周りの反応が大きかったわ」
ココは目を輝かせて答えた。
「おお!それは良かったじゃん!制服姿、絶対みんなの心に刺さるって思ってたんだよね~!」
私は少し照れくさそうに肩をすくめる。
「ロイズ様がちょっと動揺してた気がするわ」
「いいじゃんいいじゃん!それ、まさにギャップ萌えの予兆だよ!」
「ぎゃっぷ……もえ?」
慣れない言葉に、思わず口ごもる。
「うん、つまり普段と違う一面を見せて相手の心を掴むやつ!次はもっとそれに挑戦しようよ!」
私は首をかしげながらも、ココの提案を聞き入れる。
左手の指輪に目をやると、もともと白翡翠のはずの色が、中央にかけて淡い青色に染まっていることに気づいた。
(これ、何か変化が起きているのかも……)
「明日、放課後にロイズ様と茶会があるわ。ギャップもえはよく分からないのだけど、指輪のことも確かめたいし、何かご存じじゃないか聞いてみようかと思ってるの」
ココはうなずく。
「うん、それがいいよ!」
私は指輪をじっと見つめながら、不安と期待を胸に抱いて、明日のことを思った。
リリアン、急に制服を着てどうしたの?
すごく…すごく似合っているけど。
放課後、二人きりの茶会でロイズ様がふと尋ねた。
私は少し照れくさそうに答える。
「せっかくの学生生活ですし……学生の間しか着られない服を着てみたかったんです」
ロイズ様は興味深げに眉を上げたが、ココのことはまだ話題にできず、私は言葉を濁す。
「最近、隣国の留学生、アレックスとよく話しているよね?」
お茶の香りが漂う静かな空間で、彼は少しだけ笑みを浮かべながら問いかける。
私は少し間を置いてから、図書館での出来事を話し始めた。
「ええ、指輪を外すように言われました」
「は?」
「誤解があったようです。そちらは日を改めて、アレックス様へきちんと説明いたしますから」
しかし、ロイズ様は隠そうともせず不機嫌そうな表情を見せた。
私は少し焦りながら、話題を変えようと試みる。
「そういえば、この指輪はどちらでお求めになられたのですか?」
彼は静かに微笑んで答えた。
「これは祖母のものでね。祖父が祖母に贈った指輪で、祖母が亡くなったとき、祖父から譲り受けた。『いつか、お前も大切な人に贈りなさい』と」
その言葉に、私は胸の奥が少し熱くなるのを感じた。
「祖父の髪は、この指輪の石のような色をしていてね。雪のような銀髪だった。きっと、自分の色を身に着けてもらいたかったんだろう」
ロイズ様の言葉は穏やかで、でもどこか温かい意味が含まれていた。
「私は祖父と同じ髪の色だから譲ってくれたんだと思う」
私はその言葉を聞くと、自然と視線を落とし、頬が熱を帯びるのを感じた。
その反応に気づいたのか、普段は公爵令嬢としての落ち着きを崩さない私が、ふと見せた色に、ロイズ様はどこか嬉しそうに目を細めた。
「あの、そういえば……」
私が少し慌てて口を開く。
「指輪の色が最近、少し変わってきたんです」
「指輪の色……?」
彼は興味深げに身を乗り出しながら、言った。
その瞳には、優しさとともに少しの好奇心が輝いていた。
「少し青みがかってきたというか……まるで……」
指輪のはまった手をそっと差し出しながら、私はふと向かいにいるロイズ様の瞳を見つめた。
そこに映る深い青色は、指輪の中心に宿った淡い青と不思議なほど重なって見えた。
その瞬間、気づけば頬が熱くなっていて、私は思わず視線をそらしてしまった。
そんな私のわずかな動揺を、彼は楽しげに、けれど優しく笑いながら。
私の差し出した手をそっと取り、指輪へ視線を落とした。
「私の目の色かな?そうか……それは、いい兆しだな」
彼の言葉に、胸の内がじんわりと温かく満たされていくのを感じた。
帰宅して、指輪に魔力を流すとココが現れた。
「ねえ、ココ。今日はロイズ様と茶会があって、指輪のことも少し聞いてみたんだけど」
「ほうほう。どうだった?何か知ってた?」
「指輪は殿下の御爺様、先の陛下から賜ったものだそうよ。色が変わったのも珍しそうに見ていらっしゃったけど、不思議そうにはしてなかったわ」
「へぇ〜、じゃあもともと変わる石なのかもしれないね」
「不思議ね」
「そうそう!それよりね、もう少ししたら特待生のヒロインが編入してくるよ!」
「特待生のヒロイン?」
「そう!希少な光魔法の才能があってね。第二王子も光魔法の使い手でしょう?面倒見ることになるんだよね」
「光魔法……素晴らしいですね」
「うん。ヒロインはね、天真爛漫でガッツで何でも乗り切るタイプなんだけど、そんな今までにいなかったタイプにみんなコロリとやられちゃうんだよね」
「コロリ……」
「そうそう。で、リリは焦っていじわるをしだす…というストーリーなんだよ」
「いじわるなんて……!」
「未来のリリは婚約者の座が危ぶまれて、いろいろ暴走しちゃうんだ。”悪役令嬢”ってポジションでね」
「………」
言葉が出なかった。
婚約者の座を危ぶまれて、暴走して――そんな自分が?
……悪役令嬢。
その言葉だけが、耳の奥で何度もこだましていた。
「でも!でも!ココがいるからね!安心して!婚約破棄も国外追放も絶対に阻止するから!ちゃんとリリを守るから!!!全力でバックアップするよ!!」
その言葉に少しだけ心が軽くなったけれど、――それでも、不安は完全には消えてくれなかった。
「もともとリリは悪くないんだよ~。周りの噂とかで、リリの不安がどんどん増幅して、悪役令嬢になっちゃうの。何度、“そうじゃない~~!”って叫んだか!」
「……私は、これからどうすればいいのかしら……」
私は小さく息をついて、そっと呟いた。
すると、ココはにっこりと笑みを浮かべて、元気よく答えた。
「大丈夫!イメチェン、ギャップ萌え、ときたら次は…」
「次は……?」
翌朝、私はいつものように学院の門をくぐった。
「おはよう、リリアン嬢」
隣国からの留学生、アレックス様の声が聞こえた。彼は軽く頭を傾けて、にこやかに微笑みながら、
「制服、今日もとても似合ってるよ」
「おはようございます。アレックス様。有難うございます」
私は静かに一礼して挨拶を返す。
アレックス様は楽しげに頷くと、続けた。
「で、まだ指輪を外さないの?」
「それについてですが、おそらく誤解なのです」
「誤解…?」
「はい。この指輪は呪いなどではないようでして」
「そうなの?誰かに見てもらった?」
「いえ、魔道具でも確認しましたし、この石そのものが不思議な力を宿しているようなのです。特に呪いのような事はないようですし」
「ふ~~ん」
「気にかけてくださって有難うございます」
「いや、指輪外さないってことだよね」
「はい」
「う~~ん。じゃあ、まぁ何かあったらいつでも言って」
「有難うございます」
「うん。じゃあね」
アレックス様が去った後、私は教室へと足を進めた。
彼の言葉は優しかったけれど、どこか心配そうな響きが含まれていた。
(本当に、これで大丈夫なのかしら…)
私は左手の指輪をそっと見つめる。
白翡翠の石は昨日よりも、さらに少しだけ青みを帯びているように感じられた。
(光魔法の特待生…)
もうすぐ編入してくる。そしたら私は婚約破棄される未来が待っているとココは言っていた。
彼女は絶対に阻止する、と言っていたけれど。
不思議な“指輪の精霊”……アレックスには呪いに見えていた、ということなのだろう。
だが、このまま私に決まってしまっている未来が来るのであれば、
ココの言葉を信じてみるしかない。
(光魔法の特待生の面倒を、殿下が見る…)
その未来が来るのが怖かった。
午後の陽射しが静かに差し込む図書館の一角。
私は分厚い魔導書を一枚一枚めくっていた。
「光魔法……」
静かに呟いた声が、本の間に吸い込まれていく。
ロイズ様が使う魔法。希少で美しく、けれど扱いの難しい力。
(少しでも、知っておきたい。)
そう思った。
特待生のヒロインが光魔法の才能を持っていると聞かされてから、胸の奥にひそやかな、もやもやしたものを感じていた。
でも、それだけじゃない。
ロイズ様のそばにいるために、彼の世界を少しでも理解したい――そんな願いが、私の中に確実に芽生えていた。
ページの中の魔法陣や術式の記述を丁寧に目で追いながら、私は思った。
(私はまだ、何も知らないのね)
そう思えば思うほど、指輪の中に現れたココの言葉が胸に響く。
「大丈夫、ちゃんと守るから」
(……でも、私自身も、できることをしなければ)
そっと指輪を撫でながら、私は本に向き直った。
学院の奥、南棟の最上階。
陽光の差し込む広々とした一室――「金緑の応接間」と呼ばれるその部屋は、高位の貴族や皇族のみが使用を許された特別な空間だった。
壁には絵画が飾られ、磨き抜かれた大理石のテーブルがひとつ。
その窓際に、ロイズ様と私は並んで座り、二人だけの昼食をとっていた。
テーブルの上には、温かいまま供された食事と、香り高い紅茶。
今は私たちだけ。
部屋の扉も内側からそっと閉じられている。
ロイズ様は窓の外に広がる庭を眺めながら、ぽつりと呟いた。
「……光魔法の特待生、来週には正式に編入してくるそうだよ」
私はそっとカップを持ち上げながら、静かに頷く。
「はい。存じております」
「うん。そして、彼女の指導役を、私が務めることになった」
少しだけ胸がざわついた。けれど、それを気取られないように、私はカップを口元へ運んだ。
ロイズ様は私の横顔を見て、
「だから、今日はこうして君と過ごしたかった。……しばらくは、あまりゆっくり会えなくなるかもしれないから」
その声は思っていたよりも静かで、けれどまっすぐで。
私は手の中のティーカップをそっとソーサーに戻す。
「……そうでしたのね。でしたら、その……その、今のうちに、できるだけ……こうして、ご一緒していたいな、って」
ほんの少しだけ俯き、頬をほんのり染めながら、少しだけ勇気を振り絞って、
いつもの私らしくない声でそう言った。
ロイズ様は目を見開いて、そして――ふっと、どこか照れたように微笑んだ。
「……リリアンがそんなこと言うなんて。かわいいな」
「か、かわ……っ!」
思わず驚きの声が漏れ、頬が一気に熱くなって慌てて顔をそらす。
その様子にロイズ様は、優しく微笑みながらそっと私の肩に手を置いた。
「ありがとう。君がそう言ってくれると、すごく嬉しい」
私はうつむきながらも、その言葉が胸の奥に温かく沁みていくのを感じていた。
そしてとうとう、学院に新たな特待生が編入してくる。
彼女は元気いっぱいで、天真爛漫。光魔法の才能を持ち、すぐに周囲の注目を集めた。
ロイズ様は彼女の面倒を見るため、徐々に彼女との時間が増えていく。
私はそれを見て焦り、複雑な思いに駆られていった。
(ココの言っていた未来が、少しずつ現実になっていく……)
中庭の一角、光を受けてきらめく彼女の髪が風に舞っている。その隣には、光魔法を丁寧に教えるロイズ様の姿。距離は近く、自然に笑みを交わし合っている。
「……」
私は思わず、胸元をきゅっと押さえていた。
ふとココの言っていた”攻略対象”を思い出す。
『攻略対象……?』
『そう。第二王子ロイズ様、他にも攻略対象は三人いるの。誰を選ぶかでエンディングが変わるんだよ』
『え……他にも?』
『うん。二人目は、隣国からの留学生、アレックス』
『……あの方も?』
『うん。そして三人目は、同じ教室の熱血タイプの平民出身男子、努力家だね』
『熱血……』
『そして四人目は……魔法学の天才肌、ちょっと変人な上級生。無愛想だけど』
『……ちょっと変人な上級生……?』
『まあ、普通の乙女ゲームだったら、選ばれるのはヒロイン、って展開になるんだけど――でも、今回は違うよ。リリアンの未来を変えるんだから』
私はまだ、窓の外で並ぶ二人の背中から視線を外せなかった。
放課後、私は人の少ない図書館で再び魔導書が並ぶ棚の前に立っていた。
背表紙に目を落としながら光魔法の本を探していると、あの二人の姿がふと頭をよぎった。
気づけば、いつの間にか目に力が込められていた。
「集中しすぎて眉間にしわが寄ってるよ、リリアン嬢」
「……アレックス様?」
振り返ると、あの飄々とした笑みがそこにあった。
「何をしているのかと思ったら……光魔法?」
「はい、少し興味がありまして」
「なるほど。実はね、僕も光魔法を扱えるんだ」
「え……?」
「僕の家は光属性の家系でね、まぁ、殿下ほどじゃないけど、一通りはできるよ」
「そう、だったのですね……!」
驚きに思わず声が上ずる。
「よかったら、少し教えようか?」
「それは……ぜひ、お願いしたいです」
アレックスは笑みを深め、書架の一角から魔力練習用の古書を数冊抜き取ってくる。
「じゃあまずは、光の属性魔力を『溜める』ことから――」
彼は私の隣に立ち、古書を示しがらゆっくりと手本を見せる。
自然体で、彼の一挙手一投足が落ち着きをもたらし、安心感を与えてくれた。
淡い光の粒がゆっくりと彼の身体から立ち上り、静かに流動している。
(ああ、なんて綺麗……)
ふと、気配に気づいて視線を横にやる。
窓ガラスの向こう、中庭に立つロイズ様の姿があった。
彼は表情を変えず、じっとこちらを見ている。
ただ静かに、――。
私は思わず背筋を伸ばした。
(……ロイズ様)
思わず視線をそらし、胸の奥でざわめく気配を押し込める。
(どうして、あんな風に見ていたの……)
けれど、それを確かめるすべもないまま、私は再び光の粒へと意識を戻した。
目の前の光は柔らかく、それでいて芯が通っていて――なんとも不思議な魅力を放っていた。
アレックスは光をほどくように手を下ろしながら、少し笑って言った。
「ロイズ殿下も、たぶん似た感じ。」
「っ……」
私がなぜ光魔法を勉強しようとしているのか、察しているかのような、彼の言葉に胸がつまる。
そんな私の様子には気づかないふりをして、彼は続けた。
「でも、見る目を持っているだけでも十分さ。使えることだけが価値じゃない」
「見る目?」
「そう。光魔法は使い手も希少なんだけど、そもそも見える人が少ないからね」
「!そうなんですね」
「そうそう。だから大多数の人からすれば、僕たちはただ手を広げて立ってるだけに見える」
「それは……」
「つまり、あの二人も周りからは、仲睦まじくしているようにしか見えない」
「!!」
それはつまり…
確かに、外からは二人の距離はそう見えるのだろう。
未来でリリアンは焦ってヒロインに意地悪をし、婚約が危ぶまれ、さらに暴走する…とココは言っていた。
光魔法を練習している姿が“見える”ということは、
もし本当に見えているなら、二人の関係や様子を自分の目で確かめられる……?
(――ココの言っていた未来は変えられる……?)
その思いに、胸の内は不安でいっぱいだったけれど、
ふと、光の粒がほのかに心の中に温かく灯ったのを感じた。
「リリアン、ちょっといいか?」
振り返ると、ロイズ様が厳しい表情で立っていた。
「なぜアレックスに光魔法を見せてもらっていたんだ?教えてくれ」
その声には詰問に似た強さがあった。
私は一瞬ためらった。だが先ほど見せてもらった光の粒がまだ胸の中に灯っていて…
すんなりと口から素直な言葉が出ていた。
「殿下のために、少しでも光魔法のことを知っておきたくて……」
言葉を続ける。
「いつか、殿下のお役に立てるように。だから、教えてもらっていたんです」
ロイズ様の瞳が、一瞬大きく見開かれた。
しばらく沈黙が続く。彼は私をじっと見つめていた。
その瞳の奥には、驚きだけでなく、どこか深い感情が揺れているのが感じられた。
「リリアン……」
低く囁くように呼ばれた声に、私は胸が高鳴った。
「君がそんな気持ちでいてくれたとは……嬉しいよ」
彼は少し顔を傾け、でもその視線は以前よりも柔らかくなっていた。
「私も、リリアンの力になりたいと思っている」
その言葉に、私はほっと息をついた。
「ありがとうございます」
小さく頷くと、ふっと笑みを浮かべた。
「これからも、私と一緒に歩んでほしい」
私はゆっくりとうなずき、心の奥の光の粒がふわりと膨らんだ気がした。
ロイズ様の目が、いつもよりずっと優しく、そして熱を帯びているように見えた。
そのまま視線が合い、彼はそっと近づいてきた。
肩が触れそうな距離。彼の息遣いがかすかに伝わってくる。
「リリアン」
私はつい顔を上げて…
「…っ」
彼の瞳がまっすぐに私を見つめていて、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「会えない時間も、私の心は君のそばにある」
その言葉に、私は内側から光の粒があふれ出すように微笑みを浮かべてしまった。
ロイズ様の目が見開かれる。
私は嬉しくて…身体がふっと温かくなった。心から安心できる温もりを感じる。
まるで二人だけの世界に包まれたような、不思議な静けさが辺りを満たしていた。
「やったじゃーーーーん!!リリ!!」
部屋に、元気いっぱいの声が響き渡り、私は思わず笑ってしまった。
そこにはいつもの無邪気な笑顔のココがいた。
「もう最高だよ!」
彼女の声に照れくささがこみ上げるけれど、同時に心がほっと温かくなるのを感じた。
「しかし光魔法は見れる人が少ないのか~そんな設定あったかな?」
「設定?」
私は少し首をかしげると、ココは顔をひょいと傾け、目を細めて考え込む仕草をした。
「う~~~ん?バグ?いや、しかしこれは逃せない。イメチェン、ギャップ萌え、デレと来てる…良い感じに来てる…」
ココが一人でブツブツとつぶやいているのを見て、私は不安になって思わず聞いた。
「未来は大丈夫かしら?」
ココはぱっと顔を上げ、満面の笑みでガッツポーズをした。
「うん!今までのストーリーにはない感じだよ!」
「あとはヒロインだよね」
「ヒロイン?」
「そう、だれを選んでいるのか…で、多分リリに対する対応が変わってくると思う」
「どういうことかしら?」
ココは指を一本立て、真剣な顔をしながら続ける。
「殿下とリリは今までとは違う、最高に良い感じだよね。ヒロインが殿下を選ぶならきっと接触してくるか、何か手を打ってくるよ。でも、違う相手を選んでいるなら…」
「選んでいるなら…?」
彼女は少し間を置いて、くすっと微笑んだ。
「たぶん絡んでこないと思う」
「そう…」
私はそれを聞き、少しほっと息をついた。
「どちらにせよ、もう少し気を付けてみよう!殿下との距離はそのままでね!」
「わかったわ…頑張ってみる。諦めたくないから」
陽の光に散っている白い花々が透け、噴水の水音が穏やかに響いていた。
私は一人、涼やかな木陰のベンチで本を読んでいた。
穏やかな時間――になるはずだった。
「……リリアナ様って、あなたですか?」
顔を上げると、制服姿の少女が立っていた。
肩で揃えられた髪が風に揺れ、茶色の瞳がまっすぐ私を射抜いてくる。
制服の袖がやや長く、細い手首が少しのぞいていた。
「ええ、何かご用かしら?」
そう答えると、彼女は一瞬目をそらし、そしてゆっくりとこちらへ歩み寄った。
「私、特待生として入学した者です。……指導係として、殿下に光魔法の個人訓練を受けています」
「ええ。伺っているわ」
彼女の眉がわずかに動いた。けれどその瞳には、感謝ではなく焦りのような色がにじんでいる。
「殿下の…殿下のご指導はいつも丁寧で、優しくて」
「ええ。殿下は、誰に対しても誠実な方よ」
私が穏やかに言うと、彼女の表情が一瞬だけ強張った。
「…皆が言うんです。殿下が“誰か”を溺愛しているって……それがあなた、リリアナ様だって」
花の香りの中で、彼女の声だけが少し震えていた。
「私は、噂だろうと思っていました。でも……」
「でも?」
「最近、周りの人たちから“気の毒に”って言われるようになったんです」
彼女は手をぎゅっと握りしめる。
「『君では、リリアナ様には勝てないよ』って――!」
彼女の視線が私をにらんだように見えた。
私がただ静かに立ち上がり、日差しの中に歩み出たその瞬間。
彼女の目が見開き、肩がわずかに上がった。
「……こんな、こんな! ひどい!!!」
突然の叫び。
予想もしていなかった彼女の反応に、私はただその場に立ち尽くす。
「……っ!女神様のように美人なのにっ!!!ボンキュッボンなんてっっ……勝てるわけないじゃない~~~!!!!」
「……え?」
「失礼しました!もう来ません!!!!」
そう言って勢いよく頭を下げると、彼女は赤くなった顔を隠すように走り去った。
その背を、私はただ茫然と見送るしかなかった。
「ココ…絡んできたけど……何でしょう?あれは…?」
風に散る白い花びらを見上げながら、私はそっと呟いた。
その時。私の左手の指輪が、ほのかに光を放った。
「いやもう――っっ、リリ完ッ全勝利!!」
指輪からココが現れた。
「まっじで笑った、あれは反則級でしょ!?登場してから五秒で『敗北宣言』って!」
彼女は腹を抱えながら、転がる勢いで笑っている。
「もう、ココ大声ださないで。びっくりするから」
呆れ混じりに言うと、ココはにやりとこちらを見た。
「だって、出ずにいられる?あんな名場面!勢い良くライバル登場→秒で大惨敗→怒涛の撤退!」
「……名場面なのかしら?」
ココは指を立てて得意げに続けた。
「まず、光魔法って希少でしょ?で、その使い手が特待生っていう強ポジ設定で登場してるわけ」
「ええ…」
「でもその子、リリの美貌と存在感だけで撃沈。しかも“ボンキュッボン”って!!くぅー、口に出すワードじゃないでしょ、面白すぎる!」
「……ボンキュッボンって何?どんな意味なの?」
「褒め言葉だよ!言い方アレだけど!」
「なんだか、褒められてる気がしないのだけれど……」
私はそっと指輪を撫でた。
あの少女の叫びが、ほんの少し胸に残っている気がして。
「とにかく、あの子は今日から“リリアナ様を越えるのは無理”って学園中に宣言したようなものだね!」
ココは笑いながら、二本の指で空を指さすようなジェスチャーをしている。
「光魔法の練習に差支えなければ良いのだけれど…」
「うーん……大丈夫じゃない?リリは堂々としてればいいんだよ。だってもう、勝ったんだから!」
昼下がり――「金緑の応接間」
陽射しは柔らかく、白いカーテン越しに金糸のような光が揺れていた。
「今日は珍しく、お時間があるのですね」
そう言いながら、私は紅茶のカップをそっと揺らす。
対面に座る殿下――ロイズ様は、微笑みを浮かべながら私を見つめていた。
その視線が少し熱を帯びている気がして、私は思わず目をそらす。
「アレックスが“指導係”になってくれてね」
ロイズ様は紅茶を口に運びながら、穏やかに続けた。
「推薦した甲斐があったよ。助かっている」
「でも、殿下がせっかく手をかけていらしたのに…」
言ってから、ちょっと口をつぐむ。
けれどロイズ様は、ほんのりと目元をゆるめる。
「確かに希少な使い手だからね。貴重だけれども。まだまだ子供だから。アレックスは下に四人も兄弟がいるから、子供の相手は慣れてるみたいでね。任せることにした。」
「子供…」
「リリアナ。私は君と過ごす時間の為なら、許される限りなんでもするよ」
「……ロイズ様」
頬が熱くなるのを感じながら、私はそっと紅茶に目を落とす。
そのとき――。
左手の薬指が、ふとぬくもりを感じた。
見ると、指輪がほんの一瞬だけ、淡く光ったように見えた。
ロイズ様も、それに気づいたらしい。
「その指輪――最近、妙なことは起きていないか?」
私は心臓が跳ねる音を聞いた気がした。
「……いえ。特には」
とっさにそう答えたが、あの“妙にうるさい声”が今にも聞こえてきそうな気がした。
けれど、それを今この時間に持ち出すのは違う気がして、私は微笑みでごまかした。
「特にはありません。気にしすぎですわ」
ロイズ様はじっと私を見つめていたが、やがてふっと表情をやわらげた。
「ならいい。」
そして、彼は私の手の上に、自分の手を重ねた。
――その指が、そっと薬指へと触れようとしたとき。
《やばっ!?触られる!やばばばばば!!》
突然、頭の奥で響いたのは、聞き慣れたココの声だった。
《魔力、魔力引っ込めて!!今すぐ、全力で――》
パッ、と。
指輪が微かにきらめき、そしてまるで何事もなかったかのように沈黙する。
ロイズ様はそれに気づいたようだったが、何も言わず、指をそっと引いた。
「……この指輪…本当に、大丈夫なのか?」
「…ええ。少し、…時折反応することがあるのです。ご心配には及びませんわ」
微笑みながら答える私を他所に、指輪の向こうでココが絶賛大混乱中だった。
《あっっぶな!!あのままだったら、最悪“あたしの顔”うっすら浮き出たかもってやつだよ!?》
「……ココ、静かにして」
小さくつぶやくと、ロイズ様が不思議そうに首を傾げた。
「何か言ったかい?」
「いいえ、なんでも。お紅茶が、とても美味しいですね」
そうしてまた、午後の光に包まれながら、二人だけの静かな時間が流れはじめた。
……気づけば、指輪の色はすっかり、深い青に染まっていたけれど。
たぶん、中の精霊はまだ騒いでいた。
今だけは――聞こえないふりをして…。
私は、ロイズ様との時間を楽しむことにした。