【第8話】:セレヴィア王家の王子と、小さな決意
それは、学院生活に少し慣れてきた頃のことだった。
「ねえクラリちゃん、森ってどこまで行っていいのかな?」
昼休み、木陰のベンチに座っていたクラリに、ノアがきらきらした目で問いかけてくる。
「寮から出ちゃだめとは言われてないけど……あまり奥には入らないほうがいいって、注意されたわね」
「でもさ、地図に“観察区”ってあったよ? そこって見に行ってもいいってことじゃないのかな!」
地図を広げながらわくわくしているノアの隣で、リリエルが小さく首を傾げた。
「観察区って……森の中にあるんですの? あの、魔物って出たりしますの?」
「そうね、小型の魔物が出るって聞いたことあるわ。……でも、大丈夫よ。もし何かあったら、私が守るから」
クラリは言いながら、自分の手のひらを見つめた。
(たくさん修行してきた私たちなら、きっと大丈夫なはず)
「じゃあ、行ってみようよ! 観察ってことは、お勉強の一環かも!」
ノアの勢いに押される形で、三人は学院の裏手に広がる森へ足を踏み入れることになった。
◆ ◆ ◆
森の中は静かで、ところどころに鳥の声が響いていた。
「わあ……葉っぱ、きらきらしてる……」
リリエルがそっと枝を撫でながら、目を細める。
「音、しないね。魔物、いないのかな?」
「むしろ静かすぎるわ。足元、気をつけて」
クラリが周囲を見回してそう言ったその時。
──カサッ。
茂みの奥から、鈍い足音。
次の瞬間、紫がかった体毛のイノシシのような魔物が、鼻を鳴らして姿を現した。
「……出たっ!」
「下がってて! ノア、こっちに回って!」
「うんっ!」
クラリはすばやく手を掲げ、魔力の流れを探る。だが、距離がある。
ノアが素早く接近し、足元に滑り込みながら魔物の脚を蹴った。
「クラリちゃん、いまだよっ!」
「──吸収する……っ!」
掌を向けた瞬間、魔物の体から黒いもやが引き寄せられ、クラリの腕に流れ込む。
重たかった空気が、ふっと軽くなった。
「やった……? 倒したの?」
魔物はよろけ、そのまま地に崩れ落ちた。
「クラリちゃん、すごい……」
リリエルが呆然としたように呟いたそのとき。
「そこの三人、危ないから森の奥には行くなって、教わらなかったのかい?」
低く、朗らかな声。
三人が振り向くと、そこには一人の少年が立っていた。
肩まで伸びたブラウンの髪、優しげな紫の瞳。そして、胸元に刻まれたセレヴィア王家の紋章──
「……レオナール・セレヴィス」
クラリがその名を呟いた。
(やっと……会えた)
(ゲームの中で何度も見た姿。でも、今目の前にいるのは──現実)
(……なんでだろう、胸が……ちょっと、苦しい)
「リリエルの、お兄様……?」
「うん。ボクが案内するから、戻ろう。君たちだけでここまで来たのかい? ちょっと驚いたよ」
少年ながらもどこか包容力のある佇まいに、リリエルがほっとしたように近づく。
「にいさま……こわかった、けど……クラリさまが、すごかったの……!」
「そうかい? ふふ……君たち、立派だったね。でも、怪我がないならよかった」
レオナールは微笑みながら、クラリの方を見て一礼する。
「クラリ・エルベール嬢。妹を守ってくれて、ありがとう」
「……いえ。私がしたいと思ってやっただけですわ」
その瞳がまっすぐにクラリを見つめていた。
この人もまた、リリエルの未来を大きく左右する人物のひとり。
(けれど今は、ただ優しい兄。なら、守るべきものを増やせばいい)
「さ、行こうか。森の出口は、あっちだよ」
三人と一人は、静かに森をあとにした。
──その日、レオナールとの出会いで、クラリの胸に灯った想いは、確かな輪郭を持ち始めていた。




