【第1話】:「これが未来を変える、わたしの始まり!」
──うう……寒っ。え? どこここ?
目を覚ました瞬間、私はふかふかのベッドの上で困惑していた。
暖炉はあるけれど、朝の空気は冷たい。そしてなにより……部屋がやたら豪華。
金の刺繍入りカーテンに、天蓋つきのベッド。どう見ても貴族の子女の部屋。
「……ちっちゃ!?」
手も体も、声までもが明らかに子ども。しかもお嬢様ルックの寝巻き姿。
鏡に映るのは、淡い銀色の髪をふわりと波打たせた少女。まだ幼いその髪は、ハーフアップにまとめられ、寝癖が跳ねているのがちょっと恥ずかしい。
間違いない。クラリ・エルベール、その人だ。
「え、まって、転生とかじゃなくて……幼少期スタート!?」
推しに転生するなら、せめて学園入学前がよかったのに。
これはもう、完全に“六歳”くらいじゃない!?
なのに思考だけは大人な私(中の人)である。
でも、同時にチャンスでもあった。
ここからなら、クラリがあの運命に巻き込まれる前に“準備”ができる。
「……まずは、体を動かさなきゃ!」
というわけで、私はお嬢様ライフの第一歩を踏み出した。
だが、すぐに壁にぶち当たる。
「クラリお嬢様! またお一人でお着替えを!? ダメでございます! ドレスが……その、逆です!」
騒がしく駆け寄ってくる侍女の声を背に、私はぐいっとリボンを結び直した。
「うるさいわね! わたしは、わたしのやり方でやるのよ!」
背中のリボンはどうしても結べなかったけれど、それくらいで諦めると思った?
だってこれは、私の訓練なんだから。
──転生してしまったのは、乙女ゲーム『聖と魔のグラン・リュミエール』の世界。
どのルートでも、悪役令嬢クラリ・エルベールとセレヴィア王国の王子レオナールは、卒業と同時に“処刑ダンジョン”に落とされる。
冤罪で、無実で、それでも誰も助けてくれない。
私は何十回もプレイして、その結末を変えようとした。
そして今、私は──そのクラリ本人になってしまったのだ。
(なら、やるべきことは一つよね)
未来を変えるために。まずは、自分のことくらい、自分でできるようにならなくちゃ。
「今日より明日、もーっと強いクラリになるんだから!」
そう口にしたとき、侍女のエミリアさんが、ぽろりと涙をこぼした。
「……まぁ。クラリお嬢様が、自分から“強くなる”なんて」
この世界のクラリは体が弱く、泣き虫で、すぐにお姫様抱っこされていたらしい。
急な変化に、周囲はびっくりしていた。
けれど、私は──思うように魔法が使えなかった。
毎朝、魔導書を開いて詠唱を試してみても、火のひとつも灯らない。
炎も風も、光も出ない。子どもでも使える初級魔法すら失敗する。
(どうして……?)
鏡の前で、そっと自分の手を見つめた。
(転生したっていうのに……私には、やっぱり何もないの?)
魔法が使えないなら、貴族の世界では“落ちこぼれ”扱いされる。
そしてこのゲームのクラリも、まさにそうだった。
そんなときだった。
「クラリ? まだ起きていたのかい?」
優しい声とともに、ドアがそっと開かれる。
入ってきたのは、少し年上の少年――兄、ルーファス・エルベール。
銀に近いプラチナ色の髪、端正な顔立ち、そして何よりその穏やかなまなざし。
この国の名門貴族の後継ぎにして、クラリにとって唯一無二の兄だ。
「また魔法の練習をしてたの?」
「……別に。失敗しただけよ」
「そうか。だけど、クラリが努力してること、僕はちゃんと知ってるよ」
ふわりと毛布をかけられた。
その温もりに、少しだけ目頭が熱くなる。
「クラリ。魔法がすべてじゃない。君の中には、君にしかない力がきっとある」
「……そんなの、どこにあるっていうのよ」
「偶然も、積み重ねれば奇跡になるよ」
そう言って、ルーファスはやさしく頭をなでてくれた。
その手のひらの感触が、ぽん、と心に灯をともしてくれるようだった。
「……ありがと」
「うん。おやすみ、クラリ。いい夢を」
ぱたんと扉が閉まり、静寂が戻る。
(……でも、やっぱり悔しい)
(私だって……魔法を使いたい。みんなの役に立ちたいのに)
唇を噛みしめて、私は何度も挑戦を繰り返した。
だけど、魔力の気配すら感じない日々が続いた。
そんなある日。
夜の廊下で、かさりと音がする。
「……っ、クモ?」
床にいたのは、ピンポン玉ほどの大きさの魔物のクモ。
最近、屋敷の周辺でよく出ると噂になっていたけれど、
「危害はないから」と誰も本気で退治していなかった。
(放っておいたら、いずれ人に害を及ぼすかもしれない)
そう思った私は、周囲を見回し──壁際に飾ってあった装飾用の槍っぽい置物に手を伸ばした。
「わたしが……退治する!」
ちびっこクラリ、全力で突撃!
……でも、床で足を滑らせてすっ転んだ。
クモは逃げようとしたけれど、私は転がりながらも槍の柄で叩きつけた。
「逃がさないわよ! わたしが……この手で!」
何度か殴ったあと、クモはぱたりと動かなくなった。
その瞬間だった。
「……えっ?」
私の胸の奥が、ふわりと熱を帯びた。
小さな光が、手のひらから舞い上がる。
そして、部屋の片隅に置いてあった魔力測定水晶が――ふっと、微かに光った。
「魔力……!?」
私は驚き、震える手でそれに触れてみる。確かに、微弱な魔力の反応。
(まさか……)
私は気づいてしまった。
クラリは、生まれつき魔法が使えなかったわけじゃない。
魔物を倒すことで、魔力を“吸収する”体質だったのだ。
(これなら、きっと……あのダンジョンでも、生き残れる)
私はぎゅっと拳を握った。
「これが……わたしの始まり。未来を変える、第一歩!」
処刑ダンジョン? 上等よ。
今度こそ、生き抜いてみせる。
あの人と一緒に、この世界を――救ってみせるんだから!