第6話 「先生」
急ぎ足で教室に入ると室内は騒がしかった。
時計を見ると5分の遅刻だったが、
まだ先生は来てなかった。
一通り室内を見回してから、
俺は空いていた廊下側の一番後ろの席に座った。
隣の席の色の白いおかっぱ頭の少女の
「おはよう」
という挨拶に俺も「おはよう」と返した。
俺の席はここで間違いないようだ。
彼女の名前を思い出そうと
記憶の糸を手繰ったが、
残念ながらその先はぷつりと切れていた。
名札に書かれていた
「水上あすみ」
という文字を見ても、
彼女のことは思い出せなかった。
その時、
ドアが開いて一人の女性が入ってきた。
その顔を見て俺は懐かしさに口元が緩んだ。
畑中麻衣
中ノ島小学校6年3組の担任である。
子供達からは
「ナカマイ先生」
と呼ばれ慕われていた。
元気で優しくいつも笑顔で、
俺もそんな彼女が大好きだった。
この時たしか彼女は23歳。
今、こうして改めて彼女を見ると、
ツインテールに結んだ髪に
丸い眼鏡と化粧っけのない顔は、
若干、
女性としての魅力に欠けているように思えた。
20年後は、
小学生でも化粧をしている子がいるのだ。
どちらが正常なのか。
その判断は時代と共に変わる。
そして、
ナカマイ先生のトレードマークといえば
赤のジャージだった。
年頃の女性として
もう少しお洒落に気を使うべきだと思うが、
小学生相手にお洒落をしたところで
彼女には何のメリットもないことを考えれば
これは仕方のないことかもしれない。
しかしこういった飾らないところも
彼女の魅力の1つだった。
ただ、そんな彼女にも欠点があった。
それは男を見る目がないということだった。
というのも
彼女は俺達が小学校を卒業してから3年後に
結婚する。
問題はその結婚相手だった。
猿田権造
6年2組の担任である。
猿田権造は体育会系出身の筋肉馬鹿で、
歳は30代半ばでナカマイ先生よりも
一回りほど上だった。
太い眉毛の下にある目は
常に何かを睨みつけていて、
大きい鷲鼻に
口周りに生えた針金のような髭が特徴的な
見るからに男性ホルモンが多すぎる男だった。
そして時代遅れの軍国主義を思い起こさせる
旧日本陸軍のような服をいつも着ていた。
ちょっとしたことで怒鳴り散らし、
男子生徒には容赦なく手を挙げた。
20年後であれば
暴力教師として懲戒免職は免れないだろう。
この時代。
教師は聖職者と崇められていた。
「先生の言うことは絶対」
そして国中の子を持つ親達が
その狂信者でもあった。
しかし。
時の経過がその正体を暴き出す。
教師の不祥事が報道されるにつれて、
聖職者というメッキは剥がれ始める。
教師とてただの人間なのだと。
得てして「先生」と呼ばれる人間は、
その本質に問題があると俺は考えている。
ナカマイ先生が猿田権造と結婚したことを
当時風の噂で知った俺は、
激しい怒りと共に強い失望を感じたのだった。
ナカマイ先生は遅れたことを詫びると
すぐに出席を取り始めた。
俺の記憶の中にある何気ない朝の風景だった。