地下坑道への準備
王都バンデルセンのカフェ『サンバリア』。テーブルの上には、クレー商会と魔術ギルドから提供された地図や資料が広げられている。『始まりの戦線』の面々は、真剣な表情でそれらを囲んでいた。議題はただ一つ、氷河の滝へ向かうための新たなルート選定だ。
『枯れ葉峠の関所跡』は『鷹の目』幹部の占拠により正面突破が不可能となった。残る主な候補は、『影森』、『古の獣道』、そして情報が極めて少ない『封印されし地下坑道』。
「『影森』はモンスターの目撃情報が多い。広大で迷いやすい上に、強力な個体がいる可能性も高いわ。」
ソフィアが地図を指しながら言う。
「『古の獣道』は情報が少なすぎる。本当に氷河の滝まで繋がっているのかも不確かだし、何が潜んでいるか全く分からない。」
ラインズが険しい表情をする。
クローディアが『封印されし地下坑道』に関する資料をめくる。
「この地下坑道は、かつて大規模な採掘が行われていたらしいけど…とある事件で封印されたとあるわ。それ以来、人が入らなくなった結果、魔物たちの巣窟になったようね。」
「魔物の巣窟か…」
カノンが静かに呟く。
「資料によると、内部は複雑な迷路のようになっていて、過去に通ろうとした者たちの亡骸も多いらしいわ。難易度は他のルートより格段に上だと推測される。」
クローディアはそう付け加える。
しかし、クローディアは別の資料に目を落とす。
「ただ…知られていない情報として、内部には珍しい鉱石や、過去の冒険者の遺品が豊富にある可能性が示唆されている。それに、長い年月を経てダンジョンの性質を得て、宝箱のようなものまで存在する可能性があるそうよ。そして…広大すぎて知られていないだけかもしれないけど、安全な休憩ポイントやキャンプができる場所もあると…」
「宝箱に休憩ポイントだと?」
ラインズが目を丸くする。
「そんな情報、どこにも載ってなかったぜ!」
「極秘の情報よ。魔術ギルドの古い文献に、断片的に記されていただけ。」
クローディアが答える。
「そして、このルートの最大の利点は…『鷹の目』に見つかる可能性が最も低いこと。」
彼女は地図上の『枯れ葉峠』と王都周辺に点在する地下坑道の入り口を示した。
「『枯れ葉峠』は地上にある要衝。彼らは地上での警戒網を敷いているはずよ。でも、地下坑道は入り口が複数あり、内部は広大で複雑。彼らが全ての入り口を見張り、内部まで完全に掌握している可能性は低い。」
「つまり…難易度は高いが、奴らを完全に回避できる可能性がある、と。」
ロンが静かに言う。
「ええ。地上ルートで待ち伏せされるリスクを考えれば…地下から進むのは、最も安全に氷河の滝へ近づける方法かもしれないわ。」
クローディアが頷く。
難易度は高い。未知の危険も多い。しかし、『鷹の目』幹部との正面衝突を避けるという最優先事項を考えれば、『封印されし地下坑道』は最も理にかなった選択肢だった。
ロンは全員の顔を見渡す。ラインズは困難に挑む冒険者らしい顔つき、ソフィアは少し不安げだがロンの判断を待っている、クローディアは冷静に分析している、カノンは無言だが決意の光を宿している。
「…よし、決めた。」
ロンが口を開く。
「『封印されし地下坑道』を通る。」
ロンの決断に、誰も異論は唱えなかった。全員が、それが最も困難だが、最も確実な道だと理解していたからだ。
「ただし、準備は徹底的に行う。」
ロンは続ける。
「地下は地上とは違う。照明、食料、水…そして、どんな魔物がいるか分からない。対策は幅広く行う必要がある。」
彼らは早速、王都で地下坑道探索に必要な物資を調達し始めた。強力な魔物を想定した武器や防具のメンテナンス、暗闇を照らす魔導具やランタン、食料や水の確保、そして万が一のための解毒剤や回復薬の補充。
魔術ギルドで、地下環境に適した魔法や、迷宮脱出の知識についても改めて確認した。
(…そういえば…)
ロンは、ふと魔術ギルドでアルドノア賢者から聞いた言葉を思い出した。『封印されし地下坑道』について、情報を持っている人物が王都にいると。
「クローディア、アルドノア賢者が言ってた、地下坑道の情報を持ってる人物のことなんだが…」
ロンがクローディアに問いかける。
「どこの所属か不明って話だったが…」
クローディアは頷く。
「ええ。アルドノア賢者も、その人物が誰なのか、正確な所属や居場所までは把握していないようだったわ。ただ、王都にいるとだけ。」
「情報がほとんどない地下坑道に、万全の準備で行くと言っても…あまりにも危険すぎる。」
ロンは険しい表情をする。
「手探りで進むのは、自殺行為と変わらない。」
ラインズも同意する。
「ああ。どんな魔物がいるか、どんな罠があるか、全く分からないんじゃ、いくら準備しても足りねえ。」
ソフィアが不安げに言う。
「もし、途中で行き止まりだったり、想定外の危険があったりしたら…」
カノンは静かに銃を握りしめる。彼女もまた、情報がないまま未知の場所に踏み込むことの危険性を理解していた。
「その人物を探そう。」
ロンは決断する。
「地下坑道に関する情報を持っているなら、どんな些細なことでも、俺たちの生存確率を大きく上げるはずだ。」
クローディアが資料を広げる。
「アルドノア賢者によると、その人物は特定の組織に属しているわけではないようだけど…王都の裏の情報網では、その存在が囁かれているらしいわ。古い知識や、忘れられた場所に関する情報に詳しい人物だと。」
「王都の裏の情報網か…」
ラインズが顎に手を当てる。
「そういうのは、ギルドの受付じゃ分からないな。」
「情報屋に当たるのが一番早いかもしれないわね。」
ソフィアが提案する。
「あるいは、王都の古株の冒険者や、歴史に詳しい学者などに聞いて回るか…」
ロンたちは、地下坑道への突入を一時保留し、その情報を持つ人物を王都で探し出すことにした。手掛かりは少ない。王都という広大な迷宮の中で、所属不明の人物を見つけ出すのは容易ではないだろう。
彼らは早速、情報収集を開始した。冒険者ギルドの掲示板や、酒場で古株の冒険者に聞き込みをする。図書館で古い記録を漁る。そして、王都の裏路地に潜む情報屋に接触を試みる。
しかし、「封印されし地下坑道」という、忘れ去られた場所に関する情報を持つ人物は、そう簡単に見つかるものではなかった。多くの者は首を横に振り、あるいは怪訝な顔をする。情報屋も、明確な手掛かりは持っていないようだった。
「なかなか見つからないわね…」
ソフィアがため息をつく。
「所属不明ってのが厄介だな。」
ラインズが壁に寄りかかる。
「どこにいるか、どんな奴かも分からねえんじゃ、手当たり次第に探すしかないか。」
クローディアが資料を睨む。
「何か、手がかりになることはないかしら…『封印されし地下坑道』…とある事件…」
カノンは静かに、人々の流れや、街の細部を観察している。彼女の鋭い視線は、何か見落としているものはないかと探っているようだった。
捜索は難航した。しかし、ロンたちは諦めなかった。地下坑道への旅を成功させるためには、この情報を持つ人物を見つけ出すことが、何よりも重要な鍵となる。
彼らは、王都の協力組織に改めて協力を仰ぐことも検討した。クレー商会のアンドリュー総会長なら、王都の裏の情報網にも詳しいかもしれない。
魔術ギルドのアルドノア賢者なら、その人物の学術的な関心から、居場所を推測できるかもしれない。
ロンは、今回の捜索が、単に情報収集のためだけでなく、王都の協力組織との連携をさらに深める機会にもなるかもしれないと考えた。
捜索が続く中、彼らは一つの小さな噂を耳にする。王都の片隅に、古びた道具屋を営む、変わり者の老人がいるという。彼は滅多に店を開けず、人付き合いも悪いが、古代の遺物や、忘れ去られた歴史に関する奇妙な知識を持っていると囁かれているらしい。
「変わり者の道具屋…?」
ラインズが首を傾げる。
「古代の遺物や、忘れ去られた歴史に詳しい…」
クローディアが資料と噂を結びつけようとする。
「もしかしたら…」
その老人が、『封印されし地下坑道』に関する情報を持っている人物ではないか? 手掛かりはまだ曖昧だが、ロンたちはその噂を追うことにした。王都の片隅にあるという、その古びた道具屋を目指して。




