終、この町(故郷)で私は……
この町に来てから、早くも五ヶ月が過ぎようとしている。
麗らかな春を終え、新緑の季節から、夏を象徴する入道雲が空に雄大にそびえ立ち、眩しくて暑い陽射しが深緑の絨毯に降り注ぐ季節へと時間は進む。
「わぁああっ!ヤバイっ!!」
私は携帯のディスプレイを見つめ、慌ててベッドから飛びだし階段を駆け降りる。
「おはよう、美桜。朝ご飯は?」
私の凄まじい足音に些か驚きながらも、いつも通りのお母さんの声に私は、
「食べたい!でも時間がないっ!!」
台所で足踏みしながらダイニングテーブルの上の茄子と胡瓜の糠漬けをひょいひょいと手でつまみ食いして、食器棚からグラスを手にとり、蛇口を捻る。
「お母さんは何度も起こしたわよ…。」
やれやれと苦笑いする。
「起きるまでしつこく起こしてくれればいいじゃんっ!!」
膨れっ面しながらも私も苦笑いした後、グラスをシンクに置き、
「お婆ちゃ〜〜んっ!!浴衣の着付けお願いっ!」
居間の横の縁側で瓶の中のメダカに餌をやっている祖母を大声で呼ぶ。
「全くせわしない子だよ…。小さい頃の菫によく似てる。」
祖母はやれやれと笑みを浮かべて、私のいる仏間へと歩き寄る。
「へえー、お母さんも昔はせわしない子供だったんだ。」
「もー、男勝りで毎日ぎゃんぎゃんとうるさい娘だったさ。私もじい様も、男と女と間違えて産んだと、毎日ため息ばっかりついてたよ。」
浴衣を着付けながら、懐かしみ笑う祖母。
私は意外なお母さんの過去話にけらけらと笑い声を上げる。
「孫に娘の恥ずかしい過去を話さないでよ!」
襖の向こう側から、お母さんの明るい声。
その声は昔、私がまだ小さい頃のお母さんの声だった。
母の苦労は全てわかったわけじゃない。
でも、今までずっと辛かった。その気持ちは何となくだけど解る、ううん、解ってあげたいと思えるようになった。
だからね、もう意地を張るのはやめたんだ。
素直にお母さんと向き合った。
そして、今はこの家全部がとても好きだよ。
じい様も、婆ちゃんも、お母さんも私を愛してくれる大切な家族だ。
そう思えるようになったのは………
全部、孝之のお陰。
学校にすんなり溶けこめたのも、この町に楽しく馴染めたのも、私の隣に孝之がいてくれたから。
都会とは違い、素朴で優しい友達。
周りに何もなくても、たわいもない事を友達みんなで沢山喋って、けらけらと笑っている今の私がとても好きだ。
たまにバスに乗り、出かける街もやっぱり楽しい。
一人じゃなく、孝之と。
もちろん、友達ともね。
◇
「じゃあ、行ってきます♪」
私は玄関で婆ちゃんとお母さんに挨拶をする。
「あんまりはしゃいで浴衣、ぐしゃぐしゃにしないようにね。なるべくおしとやかに。」
母は心配そうに笑う。
「まあ、年に一度の夏祭りだから、楽しんでおいで。」
婆ちゃんは笑う。
「うんっ!」
私はひとつ大きく返事をして玄関を開けた。
玄関から出ると数メートル先の家の敷地の入口に、少々待ちくたびれた孝之が自転車を支えにして立っていた。
「ごめーんっ!お待たせーっ!」
浴衣を気にして、控え目に手を挙げて、小走りに孝之に駆け寄る。
私に気付いた孝之は、ぼーっと私を見つめて顔を赤らめた。
浴衣の魔力は想像以上に効力を発揮してるみたいだなと私は小さく笑った。
「どう?似合う?」
私は浴衣の袖を掴み、モデルのようにポーズを決める。
「馬子にも衣装……なんてな。うん、可愛い浴衣だ。」
孝之はクスッと笑うけど赤らめた顔を見れば照れてる事は一目瞭然だ。
「さ、早く後ろ乗ってくれ。みんな待ってるから。」
私は孝之の自転車の後ろに横座りする。
目的地は夏祭りが開かれている、孝之の暮らす商店街。
「祭が終わったら、約束通り、二人で蛍見に行こうね。」
私は自転車をこぐ孝之にしがみつき声を弾ませた。
「ああ、二人で行こうな。」
顔は見えないけど、声でわかる。
孝之は笑ってる。
「よーし、イケイケ〜孝之!もっとスピード出せっ♪」
もちろん私もこの上ない程、笑ってる。