ダンジョン.34
――数十分前。
「アスタさん!」「メイ、何が起きてるの!?」
キノとアイカが再びジヴェルの屋敷へ駆けつけた。予想だにしない訪問にアスタは困惑しつつ、これは好機かもしれないと思考を巡らせる。
「キノさん、アイカさん、何故ここへ!?」
「町に魔物が溢れかえっていて、きっとジヴェル様が狙われているんじゃないかなって!」「このタイミングで襲ってくるなんてそれ以外考えられないわ!......って、あれ?シオンは?」
「アイカちゃん、シオンは......多分、侵入者のところに」
「はあ!?なんで......」
と、メイに視線を向けたアイカが彼女の涙にそれ以上言葉がでなかった。
「あの、キノさん、アイカさん.......そしてメイさん。お三人にお願いがあります」
アスタは冷静に、冷酷に、冷徹に天秤を揺らした。
この状況での優先すべきこと。それは、ジヴェルの命、次にシオン。ジヴェルが殺されれば抑止力がなくなり、再び世界が戦禍に陥る危険性が高く、シオンには【魔女の魂】の問題がある。
奪われれば、血族間でのパワーバランスが崩れ、いずれ大きな脅威となる。
(......だから)
「アスタさん?なんですか、お願いって......」
キノがそう聞くと、アスタは暗い面持ちで言う。
「このお願いは、かなりの危険が伴う物です。断っていただいても構いませんし、引き止めもしない......よく考えてくださると幸いです」
時間も余裕もない。すぐにシオンの元へ駆けつけるよう、三人に言えば良い話。だけれど、今のアスタは彼らもシオンと同じく愛してしまっている。
行かせたくないという気持ちが思いの外強いことに自分自身が驚く。
しかし、彼らは違った。
「シオンを助けに行けっていうんですよね?そんなの言われるまでもないわ!」
アイカが言い放つ。
「と、止めれれても行きますから、アスタさん.......」
メイが覚悟を決めた目でこちらを見る。
「シオンは、僕らの仲間だから」
キノが震える声で呟く。
「皆さん......」
行かせればどれだけの確率で生還できるのか。この屋敷からでもわかる敵の脅威、強さを考えればそれは限りなく低い事は明確だろう。
けれど、助けに行けるのはこの子らしか居ない。
(......あの侵入者は強すぎる。私でもこの屋敷の縛りが無ければ勝てない。それにここを離れ、万一眠りについているジヴェル様を討たれれば全てが終わる)
――それは愛しい我が子を戦地に向かわせる母のような、身を引き裂かれる想いだった。
「よろしくお願いいたします。この屋敷まで、なんとか逃げてきてください.......皆さん、くれぐれも無理はしないように。生きて帰ってきてください」
「はいっ!」「ええ、勿論!」「......はい!」
裏山へ飛び出て走り出す三人。
「この気配......シオン、かなり離れた場所に居る」
「まずいわね」
「シオンに動きがない。敵と会話しているのかも」
メイがいうとキノが口を開く。
「話が通じるってこと?じゃあ、平和的に解決できるのかな」
「んなわけないじゃない!町は既に襲われているのよ?問答無用で襲ってくるような奴がこちらの要望に答えてくれるわけないでしょーが!」
メイが次いで言う。
「でも、話が出来るなら逃げるチャンスはあるのかも」
「そうね。というか、キノ、あんたハッキリ言っとくわ」
「え?なに?」
ふいっと、キノから視線を外すアイカ。
「......敵のレベルが違いすぎる。あんたは居ても足手まといよ」
それはアイカなりの優しさだった。キノは戦闘力が決して高くない。囮として使うならば有りだが、それだと必ず殺される。
「あんたは屋敷の側にいなさい。シオンはあたしたちが連れて帰るから」
自分の命にかえてでも、とこの時アイカは密かに思っていた。シオンの為なら、この二人の為ならそれもいとわない程に、彼女は三人に好意を抱いていた。
「いやだ」
「......あんたねえ、今度は鬼喰植物やこれまで戦った魔獣とはワケが違うのよ?」
「僕も、シオンの助けになりたい」
力強く見つめる瞳に、アイカの心が折れた。
「ヤバイと思ったらすぐ逃げなさい。今回は間違いなく助けられないから」
「うん、わかった。ありがとう、アイカ」
「ふん」
しかし、現実は甘くはなかった。
敵を目視した瞬間、いやな汗がぶわっと噴き出す。
初めて見る圧倒的な存在。勿論、ジヴェルの方が強いはずだが、本気の殺意をもって現れた敵を目の当たりにするのはこれが初めてだった。
逃げたい。いや、逃げよう。アイカの言う通りだった。
(こんなの相手に.......僕には何も出来ない。足手まといだ.......怖い、怖すぎる!)
思わず足を止めるメイとキノ。しかし、アイカはいとも容易く突っ込んでいった。
(な......こ、怖くないの!?アイカ!!)
空を駆けるように、稲妻を全身から放出しシオンと敵の間に躍り出たアイカ。
(くそ、脚が.......震えて、情けない)
その時、アイカが蹴り飛ばされた。瞬間、メイが走り出そうとする。それをキノが制止した。
「殺される!間違いなく!!ダメだよ!!」
「!......それでも、私は行く」
「なんで......メイは、こ、怖くないの!?」
ふと見ればメイの手が震えていた。
「......怖いよ、当たり前だよ」
「じゃあ、なんで」
出ていけば必ず間違いなく殺される。自分の命を差し出してもおそらくは二人を逃がすことすら不可能。それほどの強大な相手。
それなのに、何故......行こうとするのか?
その答えを彼女が口にした。
「死ぬより、何もできないで二人を殺される方が怖い.......あんな思いはもうしたくないの。だから、行く」
そう言い残し、メイが走り出した。シオンの元へ、殺されに。
(......二人を殺されるほうが、怖い)
――それはまだキノが小さな頃の話だった。
アグラムの習わしで、一族の人間は幼少期に人殺しを経験させられる。
戦地より連れ帰った奴隷を的に括り付け、弓を射り、命の重みに耐えられるよう心と精神を育てられる。
敵の命を奪うのは当然の事で、食事をしたら片付ける。トイレをしたら流す。人に会ったら挨拶をするように。
しかし、キノはどうしてもそれが無理だった。
なんのために殺さなきゃならないのか。
命をこうして奪うのは正しいのか。
何よりそれが恐ろしく、やがて弓を生きている物へ向けたとき手が震えだすようになった。
だから、努力をした。人並み外れたその練習量、異様な執着心が相まって弓を射る事自体の技術は長いアグラムの歴史でも最高と言っていいほどのモノになる。
しかし生きている相手には当てられないというおおよそ実用的ではないキノのその力に一族は憤り、彼を責め立てる。
けれどキノには誰かを傷つけるに足る理由が無い。だから当てられない。傷つけるのが怖い。覚悟が出来ない。
(そうか......)
けれど、今。それがわかった。
......僕も二人を、あの三人を失うのが、怖い。嫌だ。
握りしめた弓。
迷いは晴れ、あるのは静寂と覚悟。
――僕は、全てを護れなくてもいい
でも
シオン、メイ、アイカ
三人だけは、必ず――
キノの集中力が極限に達し
「......僕が護る」
(ただ、それだけで......良い)
誰かを護るため。彼の思いを乗せ、アグラムの矢が闇夜を切り裂いた。