筆者だよ!
きょうも良い調子のみんなぁ! らぶらぶふぇありい、筆者だよ!
まいにちがたのくして、みんなでなかよく過ごてしいます。ここらへんで糸がからまってるいんだけど、お絵きかはやっぱりむつかしいね。はやく番いになりいたなぁ。
妖精ちゃん!
筆者は妖精ちゃんがだいすき! あちそちにおよぐときのなみがたかなるとか、愛てしるおはなしをかいたりも! とかも!
………このへんにしとこう。
さて、本稿は筆者による。前にも似た雰囲気の妖精投稿『妖精ちゃんだいすき! 愛てしるぅ!』があったように、怯烈な違和感が目を引く書出しかと思う。他投稿と明異な文体に加えて、以前の投稿に追記されいてる通り、タイポグリセミア、文節内の音素を入え替れても意味が保れたる錯覚が特徴的である。
さらり読流すと意味不明な投稿だ。しかしながら、改めてじっくり吟味すると気づきがある。当該文章が、投稿者の秩序ある思考を反映していると。それは構造的なまとまりとして表れている。引用して具体的に見ていこう。
1. 投稿者
------
良い子のみんなぁ! 筆者だよ!!
あいとこばはラブラブふぇありぃ。
------
始めに自己紹介と投稿の主題が述べられ、
------
妖精ちゃんコスチューム♡に手を掛け「からだはしょうじだきな」、そぼ濡たヒミツの(きなにる つづきは 有料ちゃんねるで!)
------
官能(?)段落の末尾に引きの文を配置して投稿を結んでいる。
内容はともかく、投稿題の『妖精ちゃんだいすき! 愛てしるぅ!』を示す上で、きわめて構成的だ。投稿者の思考のまとまりが、執筆された文章の構造に反映されているといえる。言語学的な切り口として、文章の多重分節性から説明を試みよう。
◯多重分節性
あいうえお、かきくけこ、さしすせそ…
本邦言語はいわゆる五十音の組み合わせで表現できる。それぞれの音素に必ずしも意味がなくても、うまい組み合わせによって意味のある単語が生まれる。例語は――
だ/い/す/き
音のまとまりが語を成すわけだ。そして次の段階として、語のまとまりが文を成す。組み合わせで生まれる豊かな表現は、単語より複雑な意味を文として伝える。例文は――
筆者/は/妖精/ちゃん/が/だい/すき/!
文(言語)が語と音の二段階にわけられる性質を二重分節性という。これはシジュウカラなど鳥類言語でも確認されている性質だ。しかし、我々の言語にはさらなる多重分節性がある! 上文を単語ではなく文節で区切ってみよう。
筆者は/妖精ちゃんが/だいすき!
「筆者は」「妖精ちゃんが」「だいすき!」それぞれが意味を持つまとまりだが、全体の文の意味は、それぞれ単独では表現できない。意味のある文節をまとめて初めて、ひとつの意味を持つ文が生まれる。
文節のまとまりが文を生むように、意味のある文をうまく組み合わせれば、更に豊かな表現が生まれることが予想される。これが文章である。ひとつの文だけでは成し得ない複雑な意味を、文章によって生むことができる。
音のまとまりが語を成し、語のまとまりが意味のある文を成す。これを二重文節とするならば、文のまとまりが意味のある文章を成すことを、三重分節といえるだろう。さらには文章のまとまりが、より複雑な意味を成すことだって期待できる(四重分節!)。
つまり、文章には多重分節性がある。そして、ただいたずらに五十音を並べただけでは、文章は執筆できない。秩序ある思考でまとめあげて初めて、意味のある文章が構成できる。
翻って、前の妖精投稿には、文の組み立て方、いわゆる文章構成にまとまりが感じられた。ただ文を並べただけでは構成できない『文章』が執筆されている。すなわち、投稿者の思考のまとまりを反映している。
一方、文単独あるいは文同士のつながりひとつひとつには乱れがあるのも事実だ。せっかく言語学的なアプローチで来ているので、言語の超越性に注目してみよう。
◯超越性
我々は過去や未来、あるいは遠い場所など、いまここにない事象を言語により表現できる。これを言語の超越性という。超越的事象を表現するときには、時間や場所が異なることを認知した上で内容を組み立てる。言語の使用者はふつう、ここにあるものと、ここにないものを区別して認知しているものだ。
では、超越性の認知が変調するとどうなるのか、実例から入ろう。妖精投稿に次の記載がある。
------
きょうはもーほとんに ぽかぽかだね、お家で思わずラジヲをみちゃう筆者あでった。うんうん。みんなのこえがざぁざぁだね。
へー、おとといの雨のおげかで、お外のそんなことろに妖精ちゃんコスチューム♡があんるだね。いまラジヲで調べてよみうかな。ザーザー…雨がざぁざぁ……くんくんぺろぺろ……、あっ、ぁっ、ホワアァァァァ!!!!!
------
家内のラジヲが示唆する過去の外場所を、投稿者は嗅覚と味覚で感覚している。時間と場所の区別があやふやだ。ここにないものを、ここにあるものだと認知する思考様式には障りがある。
文章全体の構造的なまとまりとは相反する特徴だ。寄せては返す波のように、あるいはまどろむ夢のように認知がたゆたっている。この超越性認知の変調は、ここのとこの投稿にも見られている。
さっきの年新会でもあちこちみせて回っていた動画を、今狐がオフライン再生するので、鹿乃の角をかわしながら画面をのぞきこむ。仄昏く凍静な針葉樹界がうつっている。
雪化粧した裏山は、昼でも底冷えしてふるえるほどだ。かなり深登りしてきている。馴鹿の言う大丈夫を真にうけて好奇心まかせの軽装でやってきたのは甘考だった。
筆者にくっついて暖めてくれる鹿乃にささえられ、立ち枯れた樹上のキノコを高摘むと、夏草冬虫の一種であるタケテントウたちが寄りそいあっていた。
タケテントウをつまんで筆者の口に運ぶ。作業中のつまみにサクサクと心地よい。味を見るまでの心配をよそに、鹿乃のレシピは、ほろ苦い韻律と甘冬の爽やかな香調をほんやりと筆者に溶けこませた。
いまここにないできごとを、いまここにあるできごとのように認知している可能性。そのような筆者の変調を踏まえると、一連の投稿にひそむ隠しページ『パラボラフラワー』への入口が深淵な意味を帯びてくる。
〇 私はヒトです
幻創の村に住む筆者は、チェックしていいだろうか。
2. 生態
筆者は自らの変調を感じたことはあっても、筆者がヒトであるという認知を疑ったことはなかった。だって、ふつうそんなの疑わない。読者諸賢は自分の種属を疑った経験はあるだろうか? 筆者は、疑う余地のない確かな事実と認知してきた。自分自身がヒトであると。
妄想ではないと信じるが、しかし……。
筆者がヒトであることを、いまここで、どのように示せるだろうか。手始めに、どこぞで聞きかじったヒト科ヒト属の特徴を挙げて、筆者に当てはまるか考察してみよう。
ひとつ断っておくと、ヒトの特徴を述べた良い文献は手元にない。そのへんに図書館はないし、いまここはインターネット圏外だ。有線通信網は村隣の町の先でトラブったようで復旧時期はわからない。なお本稿は、晴夜の町歩きのときに赤外線レーザーで人工衛星を介して投稿する予定だ。
〇言語的な会話、意思疎通
筆者は可能であるが、幻創の方々にも当てはまる。エルフの楠木は会話だけでなく音楽もたしなむ(筆者は楽器も歌もできない)。
〇調理
筆者は可能であるが、幻創の方々にも当てはまる。馴鹿の鹿乃は素晴らしい調理技術を有している。
〇機械や電子機器の使用
筆者は可能であり、幻創の方々にはできないとされている
「筆者~~っ、水精霊がお風呂をピッピするついでに水渡路をぴかぴかにしといてやりました。光栄に思ってもいいのですよ」
「ありがとう、いつも助かってる」
……のだが、水精霊は給湯設備の管理を手伝ってくれるし、村神社の狐巫女である今狐は板状端末“ひかりび”での撮影もお手のもの。このあたりでは定説は当てはまらない。
〇電波通信
行政職員が市民ラジヲで連絡することがあり、村のみんなと通信しているとの解釈が可能だ。特定の振動数帯(0.3~300GHz)の電波通信はヒトに特有であるものの、幻想保護条例で禁制されている。もちろん筆者もいまここで使うことはできない。
〇陸上での長距離移動
筆者は歩いて村から隣町まで行ける。ただ、村のみんなの移動距離や速度など記録しているわけもなく、うーんという感じだ。正直なところ、いろいろと仕入れてくれる卸問屋の狸爺の方が外に出ているような気はする(筆者は月に一回村から出るかどうか)。
〇投擲
「戌上一家でぼーる投げであります!」「投げても届かなさそうだ」「ならばこちらから」「取りにいくであります!」「あります!」
筆者の肩は相対的に弱い。コントロールも、筆者宅の工事で道具の投げ渡しなどやっていた妖怪職工達の方が上手い気もする(筆者はゴミ箱狙いをよく外す腕前)。定量的な比較はできないので、よくわかんないといったところだ。
〇直立二足歩行
筆者は可能……と思っているのだが、あいにく筆者の骨格図は提示できない(直立二足歩行は、脊椎と脚の骨格で示す必要がある)。見かけだけなら、直立二足歩行できてそうな幻創の方々もわりといる印象だ。
……自分がヒトであることを論理的に説明するのはなかなか難しい。
3. 筆者
読者諸賢もお気づきかもしれないが、前項のヒト検証では生写真や身体データの開示は避けてきた。いまここで筆者が幻創である可能性があるなら、不思議の解明から保護すべきだからだ。
幻想保護条例の原典は音絵で表され多義的である。がんばって翻訳文にすれば『知られる状態の禁制』といったところ。第三者が再現性よく解析できる一次データは開示できない。筆者の投稿で、視憶や聴憶をDVR(直接仮想現実)規格のデータ形式でなく、あんなこんなの文や画に起こして備忘録としているのには、そういった幽微な配慮がある。
本稿でも引き続き、客観的な測定データではなく、興味や偏見に基づく主観的な情報記録から考察していく。これにかけては筆者の右に出る者はいないだろう。何を隠そう、筆者は備忘録と称して、身の回りの情報を主観的に投稿してきている!
◯筆者はいつどこにいる?
備忘録の投稿を始めた頃に、居住区域の行政方針で生活に自然が増えてきたとの記述がある[1]。2040年までの気候変動[2]への対応に幻創の方々からの意見を取り入れた、いわゆる田園計画の波及だろう。施行年との前後関係から、投稿開始は2040年代中盤以降と推定できる。
居住地は幻想重点保護区に指定されるくらいの田舎だ[3]。有線通信網を除いて、村の電力網や水道等のインフラは生きている。筆者宅の構えは村の中ではかなり街よりで村境近く。もともと人気のない町はずれにあったものが、重点保護区指定で村に組み込まれたためだ。
植生から地域を推定できればいいのだが、よく知らない植物が多く、よくわからない。裏山にいるような地域性に富む種[4]なのか、いつしか幻想動植物に囲まれたのか。筆者宅内でみられる草木花虫の生物相[5][6]も、手持ちの『本邦植物図説総覧』に未載のためよくわからない。
◯筆者はだれ?
ロ級電気工事士[6]、イ級ボイラー技士[7]の有資格者で、自宅および地域のエネルギープラントへの整備能がある。また全滅工業の製品を好んで運用しており[8]、どことなくヒトっぽい。生物的な特徴ではなくて、こう、文化的なかんじで。
文化的といえば、道民の知人に民芸品の情報聴取を試みた[9]のも筆者がヒトであることを支持するし、本邦の喫酒文化から年齢下限が推定できる。クーラーボックスに缶ビールを詰込む[10]子どもはさすがにいないだろう。
細かい記述はさておくとしても、過去投稿から総じて読み取れる科学への興味関心、延いてはこういった備忘録を情報の海に游ぎ渡らせている行為自体が、ヒトっぽいキモさにあふれている。
こういった備忘録……、そう、つまり、備忘録を投稿するために文章を執筆しているわけだ。
筆者の知る限りにおいて、幻創の方々が執筆した文章は存在しない。音絵だけでなく短文をかけるとしても、どれだけ長く会話を続けられるとしてもだ。
一方、ヒトは明らかに文章を執筆する生物である。語や文をでたらめに配置した羅列ではない、秩序ある思考により組み立てた文章を執筆する生物である。よって本稿では、筆者がヒトであると結論する。
そして、投稿した文章の乱れが筆者の変調を示唆しようとも、文章を書いた記憶がなかったとしても、文章は文章であり、筆者が筆者であることには変わりない。
自然と、妖精投稿[11]もまた本稿筆者が執筆した文章であり、本稿筆者には妖精ちゃんだいすきな一面があることが認められる。書いた記憶のあるなしにかかわらず、『妖精ちゃんだいすき! 愛てしるぅ!』は執筆時の筆者の、秩序ある思考の表現である。
ここまでつらつらと書いておいて、ヒト用隠しページ[12]の中身が音絵だったり、他の短文投稿[13]のような形式だったりしたら恰好がつかないが……、その結果は読者諸賢にゆだねることにしよう。
[1] M. Chikafuji, 空想動植物のメモ帳,
https://ncode.syosetu.com/n4659ie/
[2] M. Chikafuji, クロハクセン,
https://ncode.syosetu.com/n4659ie/11/
[3] M. Chikafuji, ヒトホオズキ,
https://ncode.syosetu.com/n4659ie/8/
[4] M. Chikafuji, タケテントウ,
https://ncode.syosetu.com/n4659ie/12/
[5] M. Chikafuji, カグラナシ,
https://ncode.syosetu.com/n4659ie/10/
[6] M. Chikafuji, デンキブクロ,
https://ncode.syosetu.com/n4659ie/9/
[7] M. Chikafuji, タチノリ,
https://ncode.syosetu.com/n4659ie/4/
[8] M. Chikafuji, グンダンバナ,
https://ncode.syosetu.com/n4659ie/1/
[9] M. Chikafuji, ランプモドキ,
https://ncode.syosetu.com/n4659ie/3/
[10] M. Chikafuji, フウセンウキクサ,
https://ncode.syosetu.com/n4659ie/2/
[11] M. Chikafuji, 妖精ちゃんだいすき! 愛てしるぅ!,
https://ncode.syosetu.com/n4659ie/5/
[12] M. Chikafuji, パラボラフラワー,
https://ncode.syosetu.com/n4659ie/7/
[13] M. Chikafuji, 【注意】かならずお読みください,
https://ncode.syosetu.com/n4659ie/6/
4. 終わりに
本稿では筆者の種属をヒトと結論した。ただし、超越性認知のあいまいさを例示したように、特にさいきんの投稿からは言語的な違和感が少なからず読み取れるから、筆者に思考の変調があるのは事実と認める。
そして変調は筆者だけの話とは限らず、村住みの幻創の方々にもおよぶ。仲を深めれば相互に影響しあうのは当然だ。筆者への態度の変化や、あるいは機器の使用もその表れかもしれないし、変調が進行した先には危障りがあるかもしれない。
ヒトの場合、思考の変調は脳の変調とつながり得る。AI受診が可能なインターネット安定圏に移住し、様子をみるのも妥当な道選びだ(村隣の町医者は血中濃度測定をせずにリチウムを処方する、なぞの波動療法を推奨してくるなどで信頼関係が築けていない)。
変調をおそれてヒトの圏内に移住するか、それとも幻創の圏内に継住するか。筆者はいまその境界にいる。このさきいったいどちらに住進むべきか……じつはとってもいい考えが(きなにる つづきは つぎの投稿で! ぜったいみてね!)




