タケテントウ
年明けは初縁日で神社へと。山水庭園が美しい裏参道にかんたんな飲食処が設けられ、御神酒がふるまわれる。また、村中からおせち、パイナップルタルト、スモロク、レンズ豆やささげ豆の煮込みといった正月料理がもちよられる。
筆者も設営から片づけまで手伝っていた。洗いの木器やらコップを台車に乗す。冬山水は筆者の手が赤冷えしてしびれるほどだ。
「うー、冷たいなやっぱり」
「鹿乃であたたまるといいっすよぉ~」
物洗い友をしていた鹿乃が、筆者の両手を引きよせてじぶんの胸元にもふとした。馴鹿の白毛のおくに対向流でめぐる血があたたかい。戻りの手感覚がずっともふもふしていたいほどだが、がんばって名残離する。
「ありがとう、じゅうぶん温まった」
「筆者は鹿乃であったまったんすねぇ。ぅへへ、このあとヒマっすよねぇ~。鹿乃と虫捕りいきましょうよぉ~」
「この寒いのに虫捕り?」
地水平な瞳がじとじと筆者を見つめている。水事後の確暖はありがたくも、どこかぞくりとする誘いだ。
「冬虫がいるみたいなんすよぉ、裏山のほうに」
「裏山って、あそこは禁足地だろう」
禁足地から靴底でもちかえった菌が、菌息地のそとで問題になった事例はあちこちである(タチノリに感染し変異したL͟i͟g͟n͟o͟s͟o͟s͟p͟h͟á͟é͟r͟ą͟は筆者稿でも触れたと思う)。よって立ち入りは虞だ。社殿からのびる裏参道の下りは、注連縄で封塞された裏山に通じている。
「ちゃんと除菌するっすからぁ~」
「狐んこん、どうぞご自由に。氏子の方々に禁忌はありますまい。ましてや初縁日ともあらば」
社務所へ洗いの返器をした折、狐宮司からたやすく釈しがでるのでびっくりした。横聞きの狐巫女が鹿乃のふところにもぐりこむ。手には板状端末の“ひかりび”が横長におさまっている。
「裏山へ赴くとな? 今狐ちゃんねるのまーけっちんぐの効じゃな♡」
「夏草冬虫がいたから気になってたんすよねぇ~」
「夏草冬虫? 動画のどのあたりだ?」
さっきの年新会でもあちこちみせて回っていた動画を、今狐がオフライン再生するので、鹿乃の角をかわしながら画面をのぞきこむ。仄昏く凍静な針葉樹界がうつっている。
雪化粧した裏山は、昼でも底冷えしてふるえるほどだ。かなり深登りしてきている。馴鹿の言う大丈夫を真にうけて好奇心まかせの軽装でやってきたのは甘考だった。
筆者にくっついて暖めてくれる鹿乃にささえられ、立ち枯れた樹上のキノコを高摘むと、夏草冬虫の一種であるタケテントウたちが寄りそいあっていた。
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1. タケテントウ
冬虫夏草とよばれる真菌類がいる。昆虫に寄生するめずらしいキノコで、冬季に虫の姿をして夏にキノコになるという伝説が由名だ。ニイニイゼミの幼虫にとりつくセミタケ、アリを寄生操るアリタケなどが良く知られている。大陸中央の高山でとれるセミタケは、少なくとも11世紀後半には漢方として重宝されていた。
夏草冬虫は、逆に真菌類を利用する昆虫の総称だ。キノコを栽培するハキリアリが著名である。鹿乃と捕りにきたタケテントウは示名で、つまりテントウムシだ。テントウムシの仲間は食性が多様で、植物性、動物性、菌食性にわけられる。
タケテントウは菌食性で、真菌(主にキノコ)を食べることで、それらの特性を獲得する。菌息地ごとに異なる生態が地学的な宝報をもたらすので、地方で珍重されるようになった。
この裏山深くには、磁性菌や磁性真菌が分布している。磁性の示名で、緋緋色金鉱床へ祖なマグネトソームという生物磁石をもち、タケテントウもこれを食得している。驚くべきことに、磁気単極子として。
真確には疑似モノポールである。タケテントウでは有機スピンアイス構造の生む束縛によってd軌道電子のスピン量子数が分数値を取ることができ、正負のモノポール挙動を実現する。
…かんたんにいって? そうしようか。
村のタケテントウはS極かN極だけの磁石をもつ。
とんでもない生態だ。
ふつうの棒磁石を半切っても、SN|SNのように、半大の磁石が2つできるだけで、どんなに微切ってもS極だけ(N極だけ)はとりだせない。ところがどういうわけか、裏山のタケテントウのオスはS極を、メスはN極だけの磁石をもっている。
これら磁気単極子の磁力をたよりに、離れた相手を探すのだという。ふつうの磁気双極子の磁石では、S極からでた磁束線は逆側のN極にもどって発散0の閉ループになるところ、逆側がないモノポールでは磁束線が閉じずに遠届くそうだ[1]。
なお、常圧常温での磁気単極子の単離は人類未踏である! こうして蔓編みの網籠にわさわさ捕れるてんとう虫がもつ神秘の磁力は、筆者の好奇心さえを惹引してやまない。
[1] M. Chikafuji, タケテントウ, https://ncode.syosetu.com/n4659ie/12/
「筆者ぁ~、そろそろ山おりて料理しましょうかぁ」
「鹿乃、てんとう虫はマズいらしいぞ。赤白斑は警戒色だと」
「だから料理なんすよぉ~。ぇへ、毒抜きはとくいっすからねぇ、じゅるり...」
〇 食用
一部地域では、タケテントウは珍味とされる。
2. 菌断
針葉樹界の枝間を抜降る陽が、白光の仄かな網を筆者たちになげかける。虫捕りを終えての裏山口、入りとおなじく禁足地からの出靴の裏を滅菌剤で洗い、普段履にかえた。
「筆者ぁ、鹿乃もじょきんしてくれないっすかぁ」
「ああ、除菌は大切だからな。足を出してくれ」
「ぅひひ、料理のまえに、おねがいするっすよぉ」
じめっぽい卑下たような声で角がかたむけられた。あの、角頭をむけられても。足裏を除菌しようというのだが。惑う筆者のリュックから、鹿乃が枝切りをとりだす。筆者に持ち手をにぎらせ、セラミック刃をしゃきと空鋏む。樹上の茸はよく切れた。
「鹿の若い角のことを、鹿茸っていうんすよねぇ~。菌は、じょきんしないとっすよねぇ...」
「たしかに茸は真菌だが、馴鹿の角に除菌というのは」
「じょきんは大切っすよねぇ、筆者ぁ...」
鹿乃にあやつられる手が枝切りを空鋏む。支えられながらじょきん、じょきん、と樹上の茸を切りはなした感触がのこっている。
「鹿乃の鹿茸、筆者にじょきんしてほしいんすよぉ」
「その角は若い鹿茸じゃないし、それは、それは禁忌だ。その菌切りは、それは」
「筆者ははじめってすかぁ? ぇへ、だいじょうぶ、こわくないっすからねぇ~」
鹿乃は筆者のひだりてをじぶんの首のうしろに引きよせる。たがいの息づかいがきこえるくらいの近所、未感覚の汗をかく筆者の頬がべろりとなめとられる。つたわった熱っぽい雫がすぐに冷たくひいていった。
「鹿乃は筆者のことだいすきっすからぁ、右手をぎゅっとにぎるだけっすよぉ」
枝切りが角の根元にあてられる。
「それを、筆者がそれを、するのは……」
こもれびが揺らぐ。風が山下り樹林をザァァとゆらした。ふるえる白光の網がからみつく。網籠にとらえれらたタケテントウがざあざあ動いた。
「筆者と鹿乃は食べあいする仲じゃないっすかぁ~。はやくじょきんして料理しちゃいましょうよぉ」
「あ、ああ」
ドキンどきんと心揺が止まならい。
鋏をにぎる手がまだふるえている。
目をとじ「あ、目をそらしちゃだめっすよぉ、こっちこっち」
られない。甘く湿った静笑の上に枝切りの刃がゆらいでいる。
蒼白な雪化粧が風にゆれている。
深く呼吸。する息が白く。ふるえる。息が白い。
じょきん。
すべり枝切りが手から落ちた。意外な柔らかさが残響して。右手を鹿乃が角切面にふれさせては、胸元にもふとうめる。対向流でながれる血があたたかく。おくに赤い血がながれている。蒼白な熱が交換するまで。確暖がありがたい。
「除菌。除菌はたいせつだからな。じょきんは大切だから」
「ぅひ、よくがんばったっすねぇ~。鹿乃は筆者のことだいすきっすからぁ、だいじょうぶっすよぉ~」
ぬくもりから一歩離れた今も、片側だけの角を有する鹿乃のだいすきは、筆者に遠届いてくるようだ。網籠にいるタケテントウのような磁気単極子の持ち合わせはないが、たしかに筆者を惹引している。
「ぇへへ、鹿乃の角でぇ、タケテントウをおいしく料理してやるっすからねぇ。筆者もたのしみにしとくといいっすよぉ」
「その角、たべるって……?」
「初縁日に禁忌はありますまいっすよぉ~。筆者と鹿乃は料理を食べあいする仲じゃないっすかぁ」
鹿乃が熱っぽくこたえる。筆者たちは、注連縄で封塞された禁足地の奥深くまで踏みこんでいたのだった。
3. 禁断
鹿乃の角を切ったことで思いたち、筆者も髪を切ることにしたのだった。そういった近店舗はないので、筆者は隣住みエルフの楠木に頼むようになった。経緯は正直覚えていないが、数ある話会のどこかにきっかけがあったはずだ。
楠木は、いつものリュートではなく鋏を手にしている。
「筆者がみんなに好かれていると、楠木マズマイマにもうれしみがあるな。食べ愛の仲……、トレビアンだ。激甚あはれだよ。馴鹿の角切りをするなんて素晴しい好意だね。筆者もこうして楠木に髪や爪の剪定をたのむときは、全幅の信頼をおいていてくれるだろう。自身の生殺与奪をすべて預けられる相手がいてこそできる、尊すぎてつらたんな愛の行為だとおもうしだいだよ。おもい出せば、楠木もこうやって金鋏をにぎるのは初め勇気が要ったものだ。ハサミが輪っかのハンドルつきのじゃなくてU字型のものばっかりだったとかじゃなくて、――頃は楠木まだ新芽、旧は菜々草郡奥山に住まいを致すエルフでありまして。奥山といっても、緋緋色金がとれる村の裏山ではないよもちろん。裏山では、筆者が角切りをしたのだったね。筆者の髪や爪は楠木マズマイマが剪定しているけれども、筆者の切落としを馴鹿にプレゼントしたらよろこばれるんじゃないかな。羨ましくも食べ愛の仲だそうじゃないか」
とんでもないことを言われているきがするが、筆者の髪にしょきしょき鋏を入れる楠木のしゃべりに口を挟み込むのは難しい。
「楠木は、切落としは食べざるけれどね。筆者と楠木は知りあいの仲だから。切なるは、筆者には楠木の全てを知っていてほしいという思いさ。知ってはならない禁忌など、知り愛の仲にはなにもありはしない。楠木はこうして話しているだけでもう尊さ激マックスで、はぁ~~って感じなんだけれど、筆者はもっと知りたければ楠木のこと好きにしていいんだよ。本当だ。たとえばそうだな、エルフらしくいこうか。馴鹿の角切りのように、楠木の枝を切ってみてくれ。どれだけ傷つけてもらっても、調べてもらってもいいんだ。楠木は楠木の全部で、筆者と知りあいたい。楠木の愛を、筆者は受け止めてくれるよね。幻想保護条例なんてのは心配いらないよ。あれは告げ口でしょっぴかれるものだろう。どんなことをしたって、知っているのは楠木だけ。楠木はいつでも筆者の味方だよ」
「ああ、ありがとう」
本気なのか? エルフの枝を切って調査する域越えは禁断だ。許される罪責を負えるほどに、ずいぶんと、深奥部へと住み進めてきたらしい。互いに引き惹かれあい、幻創の方々と大きく踏み込んだ関係を築いている筆者は、いったいどういった性質を有しているというのだろう。
4. 終わりに
近隣住民に好かれるようになった肌感は確かだ。
村の菌域に定着するタケテントウが緋緋色金鉱床へ祖な磁気単極子を獲得したように、筆者も村住みで地域特性を身得したのかもしれない。
記憶は定かではないため、装着機器の生活記録を詳辿ることにした。ところが、解析用の想織を積んだ端末と連携できない。認証エラーだ。おかしいな。
どうやっても生体認証のパスキーがエラーになってしまう。ひみつのあいことばでログインしてはみたものの、簡易認証の権限では筆者の情報はほとんど保護されていて、よくわからなかった。
パスキー認証不合のなぜを業者に照会しようにも、近ごろはインターネットへの接続も不安定だ。筆者の端末が言うには、障害りがないのは一週間に数分程らしい。本投稿については、自動クエリを設定したからそのうち掲載はされるだろう。
……迷った末、もうひとつだけ備忘録を残す。
ある考えがある。生体認証ができなくなるほどに筆者自体が変化している。そんな考えがずっと思巡っている。いや、さすがにありえない変話なのだが。ネットワーク環境の整備をして、記録を読み解けば考えも変わるだろう。しかし、どうにも気になっている。




