カグラナシ
冷たい夜風にすこしだけ目が覚めた。窓辺の椅子で寝てしまっていたらしい。遠目に祭りの大篝火が揺れているのがとてもきれいだ。台所の方からヴーンと音がする。開けた窓から虫が入ってきていた。掃除はしているから大丈夫。
暗闇のなか端末室へと渡り、装着機器から記録をとりだす。忘れないうちに投稿をまとめておこう。端末の近くはザァァとざわざわしている。うーん、まだいるのか。バグられると面倒なのに。
しかしさっきの電動窓の開きっぱなしはバグではなくて、空気を入れ替えて御掃除するためだ。おそうじ? なにそれって、先日は窓を閉めていたところに外からコンコンとご挨拶があったのだった。街の廃神社からはるばると。
「狐んこん、筆者さん」
「なんで玄関から来ずに窓を叩く。筆者が窓辺にいるときがわかるのか?」
「神通力ですよ、こんこん。いよいよ『無神楽』ですから、窓は開けて頂かねば」
伸びた指狐が頬に触れた。開けっ放しでは保安があぶないが、寒気の祭礼とあれば仕方ない。
「仰る通り、家々の穢れを祓う換気と清浄の祭ですよ。閉じたままでは御掃除もままなりますまい」
「窓を開けると虫やらなにやらいろいろ這入ってきそうでね。視界の端に透明な影が走るようで怖いんだ」
「幣社のご祈祷、御布施は応相談ですよ」
狐宮司の御祈祷が、いつのまにか入ってくる幻想種に効くかは不明だ。筆者はどちらかというと『無神楽』の行事に興味がある。清浄の儀式というだけあって、神社で箒をつくる催しがあると聞いた。
「箒草の御持ちよりは神社で干して箒にします。筆者さんもぜひどうぞ。お好きですよね、お掃除」
「庭から良さそうなのを選んでもっていくつもりだよ。どれにしようか迷いそうだが」
「無神楽には種々の声が聴こゆと言ひ伝へられて居ります。御参考までに」
目を細める狐宮司の向こうには、紅葉を迎えた箒草が景色を彩っている。黄金や橙、深紅の草葉があちらこちらで揺らいでいる。燃えるような紅葉が美しい。
長い神社の石段を登っていく。登っていく。どんどん登っていくとやがて、境内の広場に色とりどりの箒草が輝きはじめた。高く組まれた稲架掛けの上で、月明かりと下からの大篝火に干されてさわり揺らいでいる。
「とてもきれいだ」
「風流だねぇ、祭礼の大篝火を肴に話をするのは。キャンプファイアーみたいで実にエモい。楠木はエルフだけど巨きい火の良さだってわかるよ。筆者の好きなものは楠木も好きだものね。そういえば箒草が大陸から渡ってきたのは平安時代だったかな? 仏の渡来と同じ頃だったろう確か。稲荷を祀る神社も激動の時候だよ。古くは豊穣の善き信仰だったのが、妖狐だのなんだのと途端に悪者扱い。まあ地方ではこう脈々たるから趣深いものだね。筆者も知っての通り、無神楽の候なれば旧暦は神無月。妖怪や精霊は神の居ぬ間になんとやら。祀り神が廃れた後にも続く願いなのか、廃れた後に祭りし願いなのか、もはや定かではなかろうが、―――とかく風舟は空をよく流れそうだ。筆者は種に何を願う?」
「秘密」
椅子に座ったまま箒草のこぼれ種を風舟にくくりつけて手のひらから流す。風舟は大篝火の生む上昇気流でふわり舞い上がり、願いの種は風の赴くままに夜空を渡ってどこかで芽吹くのだろう。たくさんの願いが空を渡っていく。北東へと流れていく。意識の隅でざわざわと燃える薪火の声が聞こえた。
境内から北東、昼前から屋台が出始めている神社参道は、なにやら煙でモクついていた。流れを辿った先では、吊るされた大量のとうもろこしを妖怪アパートに住む鳶職が燃え盛る火で炙っている。
「よぉ筆者。アタシらの焼き玉蜀黍食ってかないか。まだ生っぽいのかちと硬いんだけどな。……おらおら、もっと気張って扇げよアホ天狗!」
「誰に偉そうな口効いてやがんだテメェ! このもろこしは俺が安く仕入れてやってんだぞ」
ヤツデ紋の団扇がブンブン振られて柱火がめらめら立つ。橙のとうもろこしはまだまだ堅そうだ。だいだい色? 炎に照った色かと思ったらそもそも赤みが強い。
「スイートコーンにしては黄色が弱いような。もしかしてポップコーン用の」
「横文字で言われてもアタシらわかんねぇよ。赤っぽくなってんのは箒草と同じだろたぶん……ってうわぁぁぁ!!」
「もろこしが! 俺のもろこしがぁ!! ちきしょう騙しやがったなあの狸ジジイ!!」
「ポンポン飛んでんだから火ぃ抑えろよ! ひ、筆者も手ぇ貸してくれ! 後でその箒草、稲荷掛けの一等良いとこに干してやっから!」
盛大に白く散った『爆裂種』の掃除を手伝う。この種の清浄化は祭りの趣旨とは異なるが、屋台の良い宣伝にはなるだろう。無神楽は当地区では異例の観光イベントで、集客のためか役場もフライヤーを発行していた。
閉鎖的な田舎にある幻想重点保護区にはゆったりとした時が流れているが、11月の声をきくと無神楽の準備でにわかに盛り上がる。
「あのあの、そのチラシですので」
「わざわざ筆者の家まで、大変だな」
「いえ……あのぅ、露天のお風呂にあれもしましたですから」
庭先には水精霊の号令で作られた露天風呂がある。妖怪アパートの職工達(主に河童)が隙あらばと増築を重ねるものだから、数奇者が入りに来る程度には立派になってきた。良い湯なんだってさ。
「それとあのあの、フルーツにゅうにゅうをそれ、あったかいので」
「毎度どうも」
「そのぅ、筆者さんはその屋台……、あれしないですか」
「他の屋台にあちこち呼ばれていてね」
台所の窓越しに行政職員が出す小銭が乳々に変わる。くぴりとひとくち。ほぅと吐く息が白く午後に浮かぶ。仲良しさんです。まさにその通りで、参道を外れた人気のない通りで、呼ばれた屋台にはかなり歓迎された。
悪食屋(とんでもない名前だ)はタチノリをおすそ分けされてから付き合いのある馴鹿の料理家が出していた。味を見る筆者に卑下たような声が届く。
「筆者ぁ、虫焼きのお味はどうっすかぁ~、鹿乃がんばって作ったんすよぉ」
「見た目はともかく美味い。森千足の外骨格をここまで柔らかくするのは凄いな。いったいどうやって……」
「ぇへ、うれしいっすねぇ。半ナマくらいの方が美味いんすけどねぇ」
「ヒトの身体では細菌や寄生虫が怖いんだよ」
鉄板で焼く虫をひょいひょいとつまみ食いする鹿乃。植物を主食としつつも食道楽の癖がやたら強い。かつて人工肉を食べたいんすよぅと調達を打診された時は耳を疑った。すごい。
「筆者のための特別めにゅぅもあるんすよぉ~」
「ほう! ぜひごちそうになろうか」
「ぅひひ、ではどうぞぉ」
頭の角が筆者側にかたむく。それで?
「鹿乃の角、切って食べてくだちい。えへへ、鹿乃とひとつになりましょうよぉ~」
「禁忌だ」
「バレなきゃいいんすよッ! よくみると筆者もうまそうっすねぇ、―...―じゅるり」
「禁忌だ」
角を押し返した筆者をいろいろな角度から鹿乃の瞳がじっとり見つめる。常に水平に広がり筆者の味を眺める端では箒草がサアァ…と揺れている。実に広大な眺望が晩秋に染まっている。
この通り、さいきん幻創の方々に変に好かれている。仲良しさんですので。こんなことを言うとおかしいと思われるが、紛れもなく真実だ。屋台通りを歩く筆者の後ろにはいつのまにか狼家族がくっついていた。
「筆者殿、我ら戌上一家!」「一宿一飯の!」「恩義であります!」「あります!」
前にあったことは? ……ないな、初対面だ。
「一夜の屋根と施しに報いねば」「我ら戌上の恥であります!」「御用あらばご命令を!」「ごめーれーを!」
さぁさぁと詰め寄る戌上一家には存在しない記憶がある。本当に? 本当にあったことはないか? 記録を走査し声を探す。ザァー…ザァー…。寄せては返す波のように、服につけていたカグラナシの実が微かにザァァと揺れた。
「無神楽には、おようふくにこれをその……、してくださいですから」
「カグラナシの実が地元住人の目印か」
「物知りの筆者さんに、あのこの、カグラナシが喚起をその…、届けるですので。あのあの、みんな筆者さんを歓迎のあれ、しているですから」
記憶に聞こえる透き通った歓喜の声は、服装端末の音声記録にはない。ザァー…ザァー…。前にあったことはバグ音、ただそれだけだ。
筆者の着ている賢人服は、心拍やら呼吸数やらを記録する装着機器の一種だ。筆者の身体情報は微細検出部から導電性繊維を通じてチップに送られる。漆号回線でクラウドを介せば身体情報から映像記録を詳細に再現することもできるが、幻想保護条例下なので高度機能はあまり使っていない。
「ここのとこ、そのヒトたちはすぐ電波を渡らせますので。筆者さんはあの波が…その、凪いでいてよいですから」
「筆者は掃除しているからな」
「あのぅ、おそうじですか?」
野生の電波源(例:パラボラフラワー)が家に入ってきたりするのが現代の田舎だ。バグっているのかバグられているのか、筆者の端末たちは何も言わずよくわからないがとにかく入ってくる。自動清掃機をものともしない豪の者も多くて毎日が脅威だ。家にいる透明な影たちが怖くて悩んでいる。
無神楽でつくった箒があれば、筆者も少しは安心できるだろうか。神社で稲架掛けの最上段に干してもらった箒草の日かげで、家内清浄の御守りを物色する。狐巫女の手作りらしい味に趣を感じる。
「ほほぅ、霊障で困っておるようじゃのう。仕方なしに今狐が退散しに赴いてやろう。とくと感謝しろ♡ 初穂料は筆者の気持ちでよいぞ♡」
「無神楽の日に神職が出払うのは不味いだろう。遠慮しておくよ」
「よいよい♡ とと様ぁ、しばし出祓ってくるからの」
「夜行にはゆめゆめ遅れぬようにな」
「安心めされよ! 無神楽の前座に除霊はいしんで登録数もわんさか、今狐の美しさに皆おののくのじゃ」
「は、配信するって!?」
筆者は既に慄いている。ほんとうに大丈夫? 神主は指狐を結んで、こんこん、今狐のやりたいようにやらせてみますよ。という調子だ。そもそもどう配信する? 神通力にも頼れないんじゃ……。
「おやおや、はいしんの術がわからぬか? “ひかりび”でするのじゃ。優しく教えてやるから今弧にまかせるがよいぞ♡ ほれ、こうやって指ですいとな」
「すごいな。携帯端末で撮影できるのか」
狐の神職が旧式とはいえ板状端末を使いこなすのだから、現代はわからない。ただ操作方法をご教示賜る必要はもちろんなく、懐に入り込んで筆者の手を取る今狐を抱えてどける。
「でものぅ、せっかく今狐が“ひかりび”でしてやっておるのというのにだーれも見に来ん! こめんとも絶無とは由々しきことこの上なしじゃ! ここらでひとつ梃子入れが要り様じゃ!」」
「広報関係は行政職員に相談してくれ」
動画をいくら撮影しても無通信状態ではどうにもならない。ただ技術論を言えば、ほぉう、では筆者の家からはいしんしようかのぅであるから、道すがら精霊印のヨーヨー釣りで遊ばせておく。
「精霊指定湖沼の掃除は大丈夫か? 人手が足りなかったらまた呼んでくれ」
「そう言ってしてくれるのは筆者だけです。水精霊はいつもありがたく思っています。誇ってもいいのですよ」
「そんな事より、ぜんぜん釣れんではないか! むぅぅ、水精霊がインチキしているのじゃ! そうに決まっておるっ!」
「はて? 水精霊はしていませんが。釣るならこちらの水風船を選ぶ栄誉を授けましょう。涙を拭いて再挑戦しても良いのですよ」
「こ、今狐は泣いてないもん!」
西の空は町と同じように紅く染まり始めている。風に吹かれる箒草に合わせてカグラナシの実も服の上で揺れる。小さい水ヨーヨーを釣りあげた今狐が、ざぁぽんと上機嫌に遊んでいた。
暮れなずむ筆者宅の玄関、指狐を結ぶ今狐を“ひかりび”で撮る。
「狐んこん皆の衆♡ 今狐ちゃんねるはいま、曰くつき物件の除霊に来ておるぞ。どれどれ、開けて参ろうか」
扉を開ければ、球状に広がる居間が別段変わらない景色を浮かべている。狐巫女は水ヨーヨーから祓い串に持ち替えた手を振る。
「……退屈な家じゃのぅ。霊などおらぬではないか。まあよい、“ひかりび“をよぉく構えておれよ♡」
祓い串の先端で菱形の白い紙が揺れている。紙垂が揺れている。サアァと揺れている。揺れいでいる。ゆうれいでいたり、いなかったり。稲狩ったり、稲架掛けたり、なりかけたり、鳴りかけたり。ザァー…ザァー…。遠くの市民ラジオから声が聴こえる。ザァァ……、ァ……、ァァァアア…! 無神楽の歓喜がある。寒気を取り込む窓実はカグラナシが揺れている。ザアァと揺れている。ゆうれいでいたり、いなかったり。稲荷いたり揺れていたり、搖れて至り、夕陽はあたり、辺りは隔たり夕陽は暮れたり、夜になりかけたり、鳴りかけたり、成りかけたり。
家の中に透明な影たちがいる。
なんだ、この花は。なんで筆者の家でこんな、動植物の声が。聴こえる。木が育っている。机から芽が出ている。虫たちがこちらを見ている。服装端末がバグられているのか? いくら幻想保護区だって、こんな。
あのあの、みんな筆者さんを歓迎のあれ、しているですから。
あり得ない。よぉ筆者。アタシらの焼き玉蜀黍食ってかないか。えへへ、鹿乃とひとつになりましょうよぉ~。初穂料は筆者の気持ちでよいぞ♡
あり得ない。ヒトには歓迎されない理由がある。どんな?
自然を開拓してきたヒトが、あのぅ、おそうじですか? 仰る通り、家々の穢れを祓う換気と清浄の祭ですよ。カグラナシの実が地元住人の目印か。そう言ってしてくれるのは筆者だけです。違う。そうではなくて。
いつのこと?
昔の話になる。あれはそういえば箒草が大陸から渡ってきたのは平安時代だったかな? 仏の渡来と同じ頃だったろう確か。違う、いま考えるのは。
ここであったの?
ここはわからない。でもどこかで。我ら戌上一家! 一宿一飯の! 恩義であります! あります! どこかでいつか必ずあったはずだ。
筆者はいつどこのだれ?
筆者は、筆者は……誰だ?
家の住所はどこ? 何年の11月にいる? 筆者の名前は? わからない? こんなに簡単なことが……!? 動揺してはだめだ。揺らいではいけない。ここは筆者の家の端末室だ。端末の中に情報がある。服につけていたカグラナシの実がザァァと揺れた。
端末のパスワードは。パスワードは、――あいとこばはらぶらぶふぇありぃ。はとぁ♡ 筆者は妖精ちゃんがだいすき! みんなでしわあせにくらそうね!
みんな筆者さんを歓迎のあれ、しているですから。




