ミスター・ジプシー・ソウル
ブルースマン、というタイトルのWEBサイトを見つけた
ブルースマンとして生きた人々の逸話が書かれたサイト
ああ、そうだよな、ブルースマンって聴いて
普通の人が連想する世界は差別と暴力が蔓延る無法世界だよな
などと思いながら、しばし見てみる
田舎町の綿花農場で働く作業員の子供が
大都会シカゴに出たら、何とかなるのかもと浅はかな考えを抱え
無法都市な歓楽街で働く人々の世界に迷い込んで
毎週土曜の夜から日曜の朝にかけて歓楽街で
無法者だらけの日常の中でブルースマンとして働く物語
といったような
皮肉な結末や破滅へ向かった哀れで可愛そうな人々を描いた
獣性あふれる物語が書かれている
こういった自分以外の誰かの気の毒な日常を
冷たく嘲笑うのが楽しいって感覚な人間が
ある程度の人数はいるという事なのだろう。
ふと思った。自分の頭の中にもあるのかな? と。
これは、そんなブルースマン物語の内のひとつ
・・・・
1960年代に20代をロンドン・パブロック・サーキット
と呼ばれる流浪のバンドマン生活で過ごした
イングランド人のフィンガースというアダナの男がいた。
毎週週末の夜に酔っ払いが語りあう店で
毎晩、生演奏をするパブバンドを解散後に渡米
ニューヨークの芸術家が集まるSOHOで
ロンドンで稼いだ金で何もせずに遊んで過ごしていた。
パブバンドのマネージャーをしていて
フィンガースと一緒に渡米し
ロック音楽制作会社を立ち上げて経営者となった男は
共同経営者・出資者のフィンガースに作詞作曲を続け、
ニューヨークのオフィス近くにあったスペースで
新しく、アメリカン・ロックバンドを結成するための
メンバー探しリハーサルをする仕事をセッティングした。
ニューヨークでのセッションで鍛えられたキーボーディスト
ブルックリンの馴染みの店でプレイしていたベーシスト
つきあいが良く顔が広くて性格が才能なドラマー
その三人がセッションに加わり固定メンバーとなった。
社長が探してきた仕事の内の一つに
アメリカ東部限定で人気のある歌手のアルバム制作現場での
スタジオ・ワークがあった。そこでフィンガースは、
ジプシーと呼ばれる男と出会った。
世界的大ヒットアルバムを発表したバンドに在籍していたが
そのバンドを抜けた後に発表した全曲自作曲アルバムは酷評
今は、ギターなどの弦楽器、サックスなどの管楽器を演奏できる
マルチ・インストゥルメンタリストとして、
一人で何役もこなす便利屋としてスタジオ・ワークの日々
そんな自己紹介を聞いた後、新バンド構想を
一緒に作り上げるためのセッションに誘った。
しかし、バンドの声とも言えるボーカリストは
なかなか見つからなかった
約40人か50人の歌手をオーディションした後、
ある日、フィンガースは
解散したアメリカ東海岸クラブ・サーキット・バンドの
一枚のアルバムを耳にした。そこで歌っているシンガーが
バンド解散後、故郷に戻っていた事を知り
連絡先を聞き出して電話をかけ、参加意思を確認
ニューヨークへの飛行機のチケットを送られ
ビックマウスというニックネームのボーカリストが
バンドに加入して新バンドが結成された。
出会った時から別れる事へと向かっていく人間関係があるというが
それは彼らについても言える事だった
デビューアルバム製作中にベーシストが、
器用なスタジオ・ミュージシャンに交代した。
フィンガースは交代理由を次のように説明した。
「奴は頑固だった。というか
同じような8ビートのリズムパターンしか弾けなかった
曲の構成を磨き上げ完成させるためにではなく
奴が演奏したいように演奏するだけ
曲の構成を理解させるために
セッションを頻繁に中断する時間の無駄が増えた
しばらくすると、リズム・パターン作成作業が
想うように進まなくなるほどに
レコーディング作業に支障が出てコストが嵩んだ
当然、リズム録り後のミドル・エイトやギターリフ
などにも影響が出るレベルだったので交代した
奴については、がっかりしている
やりたがるだけの色んな事が下手な男と関わった
不運な女にでもなったような気分になった
無駄な作業を繰り返している内に時間が無くなり
仕方なくリリースした未完成な曲すらある
それも抜けた奴とかがセッションの繰り返しで
製作過程を無駄に長引かせたせいだ
最後は奴の存在自体がイラつくだけで嫌で
とにかく視界から消えて欲しかった
あんな、つまらない試行錯誤は
時間の無駄だった二度と御免だ」
デビューアルバムは成功といえる売上を残し
ツアーは会場を満員にするくらいになって
サード・アルバムまでを製作して成功した。
そしてバンド結成から4年後、4枚目アルバム製作前
バンド・ミーティングでジプシーが解雇された。
理由の 1 つは、フィンガースが、
ビックマウスが担当する作詞以外の要素・・・
作曲、編曲、マスタリングなどのスタジオワークを全て
自分の構想通りにしたいと主張するようになった事であり
もう一つの理由は、音源権利やバンド名の使用権などを
フィンガースの名前にする事を宣言した時に
不満を抱えて言ったジプシーの言葉。
それらの理由によりジプシーのバンドからの追放が
決まったようだった。
フィンガースは権利関係についての
正式な契約書にサインをする日となった
バンド・ミーティングの開催日時や場所を
ジプシーに連絡するのをやめ、
自分に任せると言った残りのメンバーだけに日時を連絡
マネージャーを通して、
「バンドの決定権は全てフィンガースにあるので
不満を言うだけなジプシーは必要が無くなった
代わりのプレイヤーならいるから」
というような言葉をジプシーに伝えた。
この時期について三者三様に語っている
まず、ビックマウス。
「何で、こんな混乱を感じているかが不思議だった
サウンドレビューでの誰かの意見が痛いだけのものに聞こえ
とにかく黙らせたいだけで
バンド・ミーティングでの議論も苦痛なだけだった
色んな利害関係や、巨額の金が絡んだ権利が発生して
それについて、誰が所有するかを法的に整理する弁護士や
経費や税金の処理をする税理士や会計士などが仕事に入ってくる事が
どういった展開を招くのかは
誰かが知っていて、なんとかしてくれるのだと想っていた
権利関係の所有権などについても・・・
曲の構成ひとつをとってみても衝突した
成功が各自が抱える信念を膨らまして、ぶつかったんだ結果
多くの事に関して不満が発生して沸騰点に達した
アメリカ東海岸の上流階級英語を話す
弁護士や会計士が仲間として増えて
”そんな事は、どうでもいいだろう。
馬鹿な労働者階級のガキじゃあるまいし
保守支配層の仲間に成れたんだ
紳士とまではいかなくても、大人になれ”
というような事しか言わない。
そう言われれば言われるほど
”ガキみたいな下品な労働者階級で結構だよ”
と言い返したくなるが
奴らのパーティに参加するようになったんだから
そんな事は今さら言いだせない
奴らと関わるようになってから知った事の多くは
今だに理解できない事が俺にとっては多いけれど
理解できなくても反感を買わないような態度は
とれるようになった。
ジプシーは、それが出来なくて反感を買った
それだけの事と言えば、それだけだ。」
次にフィンガース。
「ジプシーの才能は、初期3枚のアルバムに与えた
立体的で創造的なイメージで感じ取れるような編曲能力にあった
それは初期バンド サウンドの重要な部分だった
彼はソングライティングについても力量を上げて
自作曲を発表したい意欲を抱えていたのかもしれないが
それを無視していたから、あんな結果を招いたのかもしれない
でも大手レコード会社と契約を継続できる資格を所有するからには
売れる曲を作れる事が、契約を継続するために必要だった
アメリカじゃ売れない前衛芸術音楽を演奏しても
インディーズでしかリリースできないからね
数人の人間が集まり、バンドスタイルが固まっていく過程においては
ジプシーのバンドへの貢献は非常に重要なものだった
でもバンド内の音楽的主導権について対立が生じてきて
主導権や決定権を誰が持つかを明確にしないと
音楽製作以外の人間関係の調整に無駄な時間がかかるだけで
無意味な時間の無駄が増えるだけだった
なので時間の無駄を削る必要があると感じたので
不満を抱えて批判的な事を言うだけになりそうな
ジプシーを解雇してバンド構成を変えた。
それで音楽事務所の社長やマネージャーも納得した
文句を言って、もっと分け前を寄こせと言うだけになった
無駄飯食いの役立たずは手切れ金を払ったて
やっかい払いしたいとでも思ったんだろう
奴等のような、音楽産業で長年働いてきたビジネスマンは」
最後に、ジプシー、
「そうだね、君等が聞きたがっている
バンド内の人間関係についてだけ語ってみようか
あの時期、フィンガースとビックマウスは
自分達だけがバンドの中心になる事を決めたのだと思う
フィンガースは、バンドが自分のグループであることを
より明確にしたがって、そうすることにした。
それが彼の結論だ
創設したバンドに愛着を感じていたが
バンドは私の考えた通りに操作できるオモチャなわけでも
面倒みていれば懐いてくれるペットなわけでも無かった。
バンドでの作業には、多くの創造的な妥協があるものだ
作詞作曲者の自己主張と
バンドの他メンバーの客観的な見解とを調整する
サウンド・レビューという作業があった
職人と親方しかいなくて、
どちらが親方になるかという世界
言い争いに負けたら職人になってしまい
親方に従って言いなりになる
だから誰もが負けるのを嫌がるという
過酷な内輪のルールで運営されるものだった
関係者やメンバーが現在イメージしている事を
超える創作イメージを作り上げるために
それまで誰もやっていなかった事などを試した
その中には上手くいった事も、あるし
今、なんで、あんな馬鹿げた事をしたんだ?
と思うだけな無意味な結果を招く事もあった
できる限り、様々な事に挑戦して、
世の中に挑戦結果を発表できるグループに属して
アイデアが音になって世に出る体験は楽しかった
しかし客観的に見ていたマネージャーとかからすれば、
多くのことに関与しているようには見えなかったんだろう
”たった、この程度の事しか
実際には形となって残していない
いても、いなくても、どうでもいい存在だ
奴に払う分け前を無くしても大丈夫だ
代わりは、いくらでもいるだろう”
そうアルバム・レビューで批評だけをしている
背広を着ている仲間に言われる程度の
存在にしか成れなかったからかもしれない
やるべきことが、たくさんあった。
そして、できる事も、もっとあったように思える
グループにも...そして...もちろん...フィンガースにも
そして当時の関係者全員に功績を認めて欲しくて
こういったインタビューで語っているわけじゃない
あの時、あの場所に
創造作業をする人々の中にいた時の感覚は
いわば魔法使いが魔法を使って
何も無い所から何かを作り出すかのように感覚だった
そう、ゲスな言い方で言えば、甘美な瞬間を過ごした後
この後の数年を刑務所のような住宅街で
子育てだけで過ごせてもいいと感じた女のような感覚
とでも言えるのかな。いや違うか・・・
あの時に過ごせた魔法の時間と言えるような時間
それを言葉にして表現するのは難しい
確かに存在していて永遠に続くんじゃないか
と感じていた魔法の時間は短く
魔法使いは「御前等とは二度と会いたくない」
と言って出て行ったかのように消え去り
素晴らしい創造作業を可能にしてくれた
魔法のような素晴らしい感触が全て消え
ただ乾いて干上がった
何も無い砂漠のようなイメージだけが目前に現れ
後には、いなくなった魔法使いの遺産を
奪い合う言い争いだけが残り
それまで素晴らしい感じていた何かを
失ってしまう皮肉な結末を迎えた
というわけかな
それらも過ぎた事と言えば、過ぎた事
今さら何を言おうが何をしようが
失った何かを取り戻せるわけでも無い
フィンガースとかは取り戻せると信じて
まだバンドを続けているみたいだけれども
”せいぜい頑張ってくれ”
というような冷たい言葉しか
今の俺の心からは出てこない
でも新しいアルバムを製作させてくれる会社や
ワールドツアーをやらせてくれる会社が
今だに、あるのだから
アルバム製作もツアーもさせてもらえなくなった
俺とかにしてみたら羨ましい存在だよ」
・・・・
ジプシーは稼いだ金で新しい楽器を買って、
その音に慣れて飽きると楽器を買い替えるかのように
一緒に過ごす女を次から次へと変え、
一夫多妻制の国の男のように多く子供がいる父親になった
ウェールズ系アメリカ人というキーワードで検索すると
一番、最初にヒットする有名なハリウッド俳優のような顔
他にも色んな事が上手だったから
物心うちた時から日常生活に女がいなくなる事は無かった
15歳の晩夏、ガールフレンドであるチェルトナムの女子高生が妊娠
中絶を勧めたが彼女は中絶を拒否、赤ん坊を養子に出した
両親にとって不名誉なことである学校中退者になったジプシーは
家を出て夏の間、北ヨーロッパを旅した。
ボヘミアンなライフスタイルを送り、路上でギターを弾いてお金を稼ぎ、
地域慈善活動での援助にも頼ってジプシー生活を送ったが
結局、金が無くなって、ウェールズの両親の元に戻った。
この時期の生活を自己紹介で語る内、
ジプシーというニックネームがついた。
16歳の感謝祭シーズンに、ホテルにバンドの演奏を見に行った夜
ジプシーは若い人妻と出会い、一夜限りの関係を築き人妻は妊娠
人妻と彼女の夫は、翌年に生まれたジプシーの子供を育てた
ジプシーは人妻の妊娠や出産について知らなかったが、
後に未亡人となった人妻による訴訟とDNA鑑定で知った。
18歳になったジプシーはアート カレッジに奨学金を申請した。
最初プログラムに受け入れられたが、数日後、正体不明の人物が
彼の無責任な生活について大学に手紙を書いた後、取り下げられた
その年の10月、新ガールフレンドは
ジプシーの3人目の子供を出産した。
彼らと一緒に暮らし、ジプシーは働くようになって
彼女のために花を、新生児のために服を買った。
後に彼女はテレビのインタビューで、当時の生活を
食べ物や家賃を払う以外に何かを買うお金が
あまりない日常だったと語った
最初のバンドでのデビューアルバムが成功を収め
有名人になったジプシーは3人目の子供と、その母親と別れ、
ツアーの合間に関わった美人モデルと関係した。
翌年の7月、彼女はジプシー4人目の子供を出産したが
セックス・ドラッグ・ロックンロール生活をする
ウェールズ人を嫌いになった美人モデルは
「あんたが、この子の良い父親になるとは思えない」
と言い残し、もう一人の恋人で
良い父親で家庭を大事にする亭主となりそうな
フォーク/ポップシンガーと結婚した。
その後、ジプシーは情熱的な同じミュージシャンの女と出会い、
過激で自己破滅的にすら見える退廃的な日常を過ごすようになった
SM嗜好となった彼は非常にサディスティックになった。
彼女はジプシーが在籍していた最初のバンドのバンドメイトと関係して
その男に乗換え、バンド人間関係の緊張を高めた
それも彼女にとっては刺激的な精神的SMプレイだったのかもしれない。
そのバンドからジプシーが脱退後、退廃的な日常は終わり
その後、毎年のように違う女との噂がゴシップ紙に書かれた
若い頃からジプシーは、結婚観に関しては同じような事を語った
「自分は同じ相手と一か所に定住して
結婚生活をする生活には向いていない
たぶん誰とも結婚はしないで、
世間で流行している美的感覚で
美人と評価されている女の中から
その時の自分が関われて、つきあいきれる女を探して
人生の一時期を一緒に過ごし、結局は分かれて
次の相手を互いに探す事になるのだと想う。
縁が切れた後、相手に未練を持たせるのは、どちらか?
完全には縁が切れない部分というのは何か?
不思議な催眠術か呪術のような
マインド・コントロールのようにも視える
男女二人で構築していく常識や習慣とは?
いつしか二人にとって当たり前な日常を作って
どちらかが嫌気が指して日常を壊したくなって
今までの日常の終焉を宣言するという繰り返し。
今の自分には、そんな同じ事の
繰り返しをするのは無意味にしか想えないけれども
その内、誰かと出会って気が変わって
結婚というものをするのかもしれない
未来の事だから、今は、わからないけれどね」
結局、ジプシーは、その宣言通りに
死ぬまで結婚生活を抱える事は無かった。