甘党なんです
このみは軽自動車のドアをしめて鍵をかけ、二三度腰を左右にまわして運転のストレスを緩和させると、屋内駐車場から店舗の入口をめざし歩きだした。
ひっそりとした薄暗い道にたちまち安心してまわりをろくに確かめもせず急ぎ足に渡ろうとすると、いきなり目の前を白いヘッドライトが遮った。
びっくりして立ち止まったまま、通り過ぎるのを待っていると、白のセダンはすでに音もたてずに停車したまま動かないので、このみは譲ってくれた運転手にぺこりと頭をさげていそいそと横断するうち、危うく轢かれそうになったことも忘れて、危険もなく明かりの灯る場所へとたどりついた。
ショッピングモールの自動ドアをぬけて人足のまばらなエスカレーターに乗り、おなじく駐車場のある三階をゆっくりくだってさらに下へゆくと、ショップが階を埋め尽くす二階が見えてきてすぐと心惹かれたのを抑えるうち、当初の目的をふんわり思い出した。
今日は好物のデニッシュ食パンを買うためにやって来たので、ほかの店に用はない。ぶらぶら洋服屋さんに寄ったところで、どうせ手に取るだけで購入まではいかないのは分かっているし、それにお店を冷やかすだけで十分に楽しめた時期もいつからだろう、もう過ぎ去ったような気がする。このみは今ふとそれに心づいてみると、ちょっと寂しいような気持ちと、急に大人びたような心持ちになった。
そのまま二階をすぎて一階に降り立ち、パン屋の場所はうろ覚えだけれど、エレベーター脇の案内図はみずに左へ曲がって進み、もう一度折れるとずっと先に食品館が見えるや否やたちまち口が潤ってくる。
このみはこれから家に帰って夕飯の支度をするのが億劫なので、隣接する食品館でなにか総菜を買うつもりで、ただしそれとは別にデニッシュ食パンを一斤買って、一枚か、もしかしたら二枚いくかもしれないけれど、それで炭水化物と甘味を兼ねてしまう。一石二鳥というよりも、これを食べると、白いご飯や、週に一二度自分に許しているスイーツやチョコレート菓子のたぐいを、きっぱり我慢しなければいけない気がするのだ。
高校まで一緒だった友達のひとりに、毎日寝床につく少し前に欠かさず甘いものを食べるつわものがいて、それもそんなに食べたら体型はさぞかしぶくぶくしているのかと思うと、すらりとしていてあの頃と何も変わっていない。周りには太ったり痩せたり、せわしない子もいるなか、その子は全く変わりないので、このみは不審に思いつつもひどく羨ましくなったものの、その後ふたたび集まって食事をしたとき、いつもに似ずのっけからビールではなく烏龍茶をたのんだお友達は、短大卒業後に就職した子供服を取りあつかうお店の健康診断でみごとに引っ掛かり、主治医に病院へ呼びだされて大目玉を食らったという逸話を披露して皆に驚きの目を見張らせた。
医師によると、外見にあらわれていないだけで、あなたのこの数値はお酒を毎日摂取する中年男性とまったく同等であると宣告されて食生活を難詰され、その数字の異常さに驚愕するとともに、まだ二十二の女なのに、おじさんと一緒にされたことですっかり憔悴した彼女は、医者の忠告通り今では生活をきっちり改めて、健康に留意するようになったのだと言う。
「それでもう全然食べないようにしてるの?」と、別のお友達がそうとは信じていないらしい目つきを隠すことなく訊ねると、
「……週二回に減らしたの」と、その子は恥じらいに自信を綯い交ぜた表情で答えた。
叱られてすくんだ子供のようなその声に、心配な目を互いに配りつつも、誰一人、きっぱりやめなさいと表立って注意することはできず、唯々かわいそうになって、その日は皆お酒の量も重ねずに差し控えて、いつともなくこのみもカクテルを烏龍茶にかえた。
歩きながら一年前のその出来事を回想するうち、あの子のおかげで食事に気をつけるようになったところもあるかもしれない、と複雑な想いにとらわれつつ、このみは店に入ると寄り道せずに目当てのデニッシュ食パンの前まで進んで足をとめ、残り三斤のうちから律儀に一番手前のものをえらんでトレイに載せ、ほかに用もないのでそのままレジへ行くと、
「六枚切りと八枚切り、どちらになさいますか」
慣れたように訊ねる声に顔をむけると、襟のないシャツの首もとが見えて、そのまま仰向くや否や、ぴったり瞳が合った涼しげで背の高いお兄さんに見覚えがないので、このみはぽっと頬を赤らめて伏し目になりながら、この人いつから働いているんだろう、わたしと同じくらいかな、ひょっとすると年下かしら、などとたちまちあらぬ想いを展開するうち、
「あの」
とすこし高くて優しいことばが重ねて飛んで来たので、目は伏せたまま、しかし言うべき台詞はすぐさま整え、
「えっと、六枚でお願いします」とこのみはなるべく品よく、それでいて若さを繕った声でこたえた。
それからレジ隣の受取場でパンを待つうち、
「お待たせしました」
という声にこのみは振り向くと、若い女性があらわれ、害のないにこやかな笑顔で品物を渡しながら、
「ありがとうございました」
と送り出してくれるのに、このみは頭を下げつつ、すぐと不満を覚えかけた頭を振り払うように袋を提げてすたすたエスカレーターへむかううち、ふと心づいて踵を巡らし、ぎゅっと袋をにぎりしめながら総菜をもとめて隣接する食品館へ立ち戻った。
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