エピローグ
終わらない平和が訪れたのかどうかなど、永遠の命を持たぬ人には、確かめることなどできはしない。だが、恒久平和が訪れたとは、エリス少年の時代には考えられていた。政治家の喧伝を、鵜呑みにすればの話だが。
銀河には、単一の軍隊しかなくなった。第3次銀河連邦だけに戦力は独占され、その他の勢力には、一定以上の武装は認められていない。
厳格なルールと全加盟勢力の合意のもとに、銀河連邦軍は運用されているし、各勢力間の利害や意見の対立は、話し合いによって解決が図られる仕組みが整えられている。
永遠にかどうかは誰にも分からないが、とりあえず戦争の勃発しそうな兆候は、今のところ、銀河のどこにも認められない。少なくとも、表面上は。それが、恒久平和と呼ばれるものの、実態だ。
「友好関係を築きつつあった『南ホッサム』族は」
銅像を見つめながら、少年は想いを巡らせる。「彼の時代のすぐ後に、あっけなく内部崩壊から滅亡してしまった。共存共栄への期待は水の泡になったけど、心配の種が1つ消えたとも考えられる出来事だったね。だけど、もう1つの心配は的中して、『モスタルダス』星団王国は分裂しちゃったんだよな。」
この星団の外に存在し、現在では第3次銀河連邦に加盟しているいくつかの独立国も、一時は彼の王国の一部だった。分裂し、その状態が定着し、かつての「モスタルダス」星団王国は、今では複数の共和国として並立しているというわけだ。
銅像に宿る過日の英雄は、とっくにご存知かもしれないが、少年は改めて報告してあげたい気分なのだ。
「分裂後の各王国どうしによる闘争を始めとして、数多くの戦乱が、あなたの時代の後にも『モスタルダス』星団の人々を苦しめたんだよ。もっと時代が進めば、銀河にある、はるか遠くの国や勢力とも、様々な諍いを経験したし、第1次から第5次の銀河大戦や、第1次銀河連邦の崩壊による混乱、銀河帝国による恐怖政治のもとでの銀河暗黒時代などにも巻き込まれてしまった。次から次へと、苦難は訪れたんだ。」
銅像に宿る英霊にとっては、きっと胸が痛むであろう報せを告げるのは、少年にも心安からぬところがある。
「だけど、第2次銀河連邦の軍隊が銀河帝国をやっつけて、第3次の銀河連邦が発足するに至って以来2百年余り、銀河は大きな戦争を経験していない。『モスタルダス』星団にも、平和な時代が続いているよ。君主制の独裁国家から民主制の共和国へも変貌を遂げ、国民のだれもが豊かで安定した暮らしを享受しているのが、あなたの樹立した星団王国の、現在の姿なんだよ。」
ここからは見えないし、聞こえもしないカーニバルの賑わいは、彼の命がけの戦いが長い時間の果てに実を結んだことを、大音声で宣言している。肉体に縛られるエリス少年には見えも聞こえもしなくても、銅像に宿る彼には、きっと、見えているし聞こえているはずだ。
満足気にほほ笑む気配が、少年には感じられた。カーニバルに自分の人形が、あまり登場しないことに、もしかしたら少し拗ねているかもしれないが。
「きっと、何千年もの間、気を揉みながらこの国の行く末を見つめてきたんだろうね。戦乱や恐怖政治に苦しむ、自分が創った国の民を見るのは、辛かっただろうね。
でも、今のこの国の豊かさを見れば、安心どころか、うらやましいとか、ずるいとかって気持ちにさえ、させられてしまいそうだよね。おいしい名物料理も、この国にはたくさんあるんだよ。」
創始者の時代の庶民には一般的だった、ケミカルプロセスやバイオプロセスの食べ物は、少年の時代にはこの国どころか、銀河連邦の全ての加盟勢力から消え去っていた。かつてはバイオオリジンと呼ばれ貴重だった食べ物ばかりが、今の銀河には溢れている。
何万光年も離れた銀河のどこかで採れた魚介類が、ワームホールジャンプなどを駆使することで鮮度を保ったまま、この国の庶民の食卓に届けられている。この星団国家の中でも、数え切れないくらいの農作物や畜産物が生産されていて、この国では消費し切れずに国外へと輸出されている。
生産技術や輸送技術の向上が、あらゆるバイオオリジンの食材を宇宙で造り出し、銀河の隅々にまで行き渡らせることを可能としているのだ。
「きっと目を丸くして、見ているんだろうね。ものすごく色んな食べ物が、ものすごくたくさん国中にあふれている、今という時代を。
僕も、この国に着いてから丸一日くらいしか経ってないのに、色々と口にしたよ。古くからこの国にある食材を使った伝統料理も食べたし、最近手に入るようになったもので作られた、創作料理も楽しんだよ。そのどれもが、あなたの時代には、無かったものなのだからね。」
古くからというのも、トラベルシンの時代よりは未来から、というものがほとんどだ。最近手に入るようになったと言っても、エリスが生まれるよりずっと以前の話だ。2mくらいしか離れていない銅像と少年の間に、それだけ巨大な時間の壁があるということだ。2つの時代の食糧事情の差が、絶大なものになるのは当然だ。
「あなたにも、食べさせてあげたくなっちゃうな。国の創始者なんていう偉大な人が食べられなかったおいしい料理を、たった1日しかここで過ごしていない僕が食べてるなんて、何だか申し訳ない気がしちゃうもんね。ほんとうに、おいしかったよぉ。ガレットとか、エスカルゴとか、あと・・えっと、なんて言ったっけな、なんか・・鴨の内臓とかいう・・・ふぉあ・・なんとかってやつ。後ねえ、それからね、ええっとお・・・・」
「エリス、ホットドック食べるー?」
「そうそう、ホットドックも、ここで食べると格別の味わいが・・・って、か・・母さん!?」
慌てて振り返るエリス少年。銅像に話しかけていたのを聞かれたのではと、気まずいやら気恥ずかしいやらの感情が噴出する。
「せっかくカーニバルがあんなに盛り上がっているのに、こんな誰もいない丘の上をウロウロしているのだもの。あなたの歴史好きには、ほとほと感心させられるわね。」
我が子の焦りなどどこ吹く風の母は、感心というより呆れている顔で周囲を見回しつつ、片手に持ったホットドックを突き出してきた。
「うわーっ、おいしそうっ!・・うーん、香草と肉の焦げた香りが、絶妙のハーモニーだね。」
食欲が、銅像への報告も気恥ずかしい感情も、全て押し流した。嬉しい気持ちだけに満たされて、ホットドックにかぶりつく。せっかく盛り上がっているカーニバルを後にして、ホットドックを届けるためだけに丘の上までやって来た母に、少年の方でもほとほと感心しつつ、一方では、嬉しい気持ちが止まらない。
「この銅像が、何とかっていう名前の、この国を創った人なのね。」
「何とかじゃなくて、トラベルシンだよ、母さん。百回以上も話したはずなのに、まだ覚えないんだね。こんなにもおいしいものを食べられなかったのに、ものすごい偉業を成し遂げた人なんだから、名前くらい覚えてあげないと。」
「食べ物の問題になるわけ?変な考え方する子ね。でも、ホットドックくらい、食べたでしょ。いくら昔の人でも。」
(あ、そうか。そう言えば、例の手記にも、捕虜になっている時にホットドックを食べたって記述が、あったよな。)
口の中で、大昔の誰かとの因縁めいた繋がりを味わいながら、しかし、エリスは母に反論を繰り出した。ホットドックを咀嚼して、飲み込むまでの沈黙を経た後で。
「ホットドックは食べただろうけど、豚は飼育されていないし、小麦も栽培されていない状況で、無理矢理作った感じのホットドックだったはずだよ、その時代に食べられていたのは。」
「なあに、それ?豚肉も小麦粉も手に入らないのに、どうやってホットドックが出来上がるっていうのよ。」
「だからあ、何回も教えてあげたことがあったでしょ。昔は、ケミカルプロセスフードやバイオプロセスフードっていう、宇宙で採取した資源から化学合・・・」
「はいはい、そういう歴史談義は、父さんとだけやってちょうだい。私はパスよ。パスっ。」
「もー、ははは・・仕方ないなあー。歴史学者と結婚しておいて、どうしてそんなに、歴史に興味ないかなー、あはははは・・」
「歴史学者だって気づいた時には、色々手遅れだったのよ、ふふふっ」
笑い声を重ねながら、母と子は丘を下り始めた。
「父さんは、銅像を見に来ないのかな?」
「いっぱいお酒飲んで、歩けないくらいにベロンベロンよ。」
「えー!そうなの、ダメだなあ、歴史学者のくせに。」
「だから、しばらくは歴史なんて忘れて、グルメを堪能しないと。旅行と言ったら、やっぱりグルメなんだからね。」
「まあ、そうだよね。で、次は何を食べるの?」
母に話を合わせて、すっかり過日の英雄を忘れたかに見える少年だったが、心の中では、背後で彼らを見つめているはずの銅像に、誓いの言葉を贈っていた。
(戦いは、まだ終わってないよ。戦闘艦には乗らないし、武器も手にしないけど、平和を創る戦いを、僕もあなたから受け継ぐんだ。恒久平和っていうのは、平和を誰かにもらうことじゃなく、自分たちで毎日、平和を創り出す戦いを続けて行くことなんだと、僕は思っているから。だから、見ていてね、トラベルシン。)
少年の視線から解放されれば、銅像に留まる必要もなくなった。宇宙に溶けている彼には、カーニバルを間近で楽しむことだって、いつでもできる。
自分が登場しないとしても、人形たちは、どれも彼にはファミリーみたいなものだ。実際に、彼と愛妻の血脈を引いている者たちの人形もあるし、血縁関係が無くたって、彼が創った国を支えた者たちばかりが、人形として登場している。それが、このカーニバルの趣旨なのだから。
不満に思うことなど、彼には、だから、あるはずがない。
グルメを堪能する少年とその家族を見ている彼も、1人ではなかった。愛する妻も、頼もしい参謀も、歴戦の戦友も、使者として繁く彼のもとに通い詰めた親友も、ずっと彼と共にある。戦乱に苦しむ彼の国の民を見つめる、辛い時間も分かち合ってきたのだ。
――美味そうなものを、たらふく頬張りやがって、あれで戦ってるつもりなのか、あの少年は?――
言葉にしなくても伝わる疑問に、言葉にしない答えが、いくつも返される。
――腹が減ってたら感情が高ぶって、冷静な判断ができないって、あんたが俺に言ったことじゃないか。戦うためには、しっかり食べるのは、大切なことだよ――
――そうよ、あなた。笑顔で楽しみながら繰り広げる戦いだって、あるものなのですわ――
――あんたを総大将として繰り広げた戦いでも、合間にはたっぷりのメシに、ありついたものだったじゃないか――
――あなた様の寛容によって、あんな喜びを与えられた者たちも、我らの時代には沢山いたではないですか、我らが王よ――
――そうか、そうだったな――
こんな会話を、肉体を失ってからも彼らは、数千年の長きに渡って、ずっと続けてきた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・気配について、記しただけなのだけれど。
今回の投稿は、ここまでです。そしてこの物語も、今回で完結です。
読了下さった読者様、お疲れさまでした。そして、有難う御座いました。
毎回最終話の後書きでは、次回作の宣伝をさせて頂いていますが、今回も来週から新たな作品の連載を始めますので、お知らせさせて頂きます。
10作品目で、ついに2ケタに突入です。これだけ数が増えてくると、シリーズ全体の世界観というのもかなり表現できつつあるのではないか、半分以上の作品を読了下さってる方がおられるならば、「銀河戦國史」という世界での1万年にわたる歴史の大雑把な変転が、なんとなく分かりかけておられるのでは、という期待を作者は持っています。
全面核戦争で多くの人々が地球を飛び出してから、全銀河系を治下に覚める統一政体が樹立され恒久平和が実現するまでの1万年の間にいかなる紆余曲折を経たのか。こういったテーマへと読者様の関心を向かわせるのが本シリーズの目標です。もし、これまでの作品すべてを読了頂いているのにそうなっていない読者様がおられるようなら、作者の力不足は致命的です。
本来なら後書きで説明しなくても伝わっていなくちゃいけないことなのですが、致命的に力不足な場合を考慮して、恥を忍んで後書きで説明しているわけですが、このシリーズの作品は全て一つの「未来宇宙の架空の世界史」の中の史実であることを、是非心に留めて頂きたいです。
その歴史の中で、「銀河連邦」なるものが重要なファクターとなっていることに、作者が致命的に力不足でないならば気づいて頂けている読者様が少なくない筈なのです。次回作では、この「銀河連邦」のエージェントという人々にスポットを当てています。
第1次の銀河連邦が成立する前の時代にも、その前身というべき組織はありますし、第2・第3と生まれ変わり、エリス少年の時代にまで存続するのが銀河連邦で、それぞれの物語に脇役的に登場している組織でありますが、シリーズ全体で見れば主役級なのです。
この銀河連邦のエージェントを主役に据えた次回作も、是非ご一読頂きたいわけです。短編です。「ゴドバン」の物語の半分以下です。軍記モノではなく、戦闘シーンはほんの少ししかありません。が、シリーズ全体の流れが随所に垣間見れる感じにはなっている、と作者は思っています。
では、一人でも多くの読者様が次回作にも目を向けて下さることを祈りつつ、改めて、本作品を最後までご覧下さった読者様に御礼申し上げます。本当に、有難う御座いました!




