第1話 星間商人の悲運
ようやく、手枷だけは外された。電磁ロックの、甲高い作動音が耳に届く。と同時に、腕が軽くなり、手首も冷たい圧迫感から解放された。
「ふうっ」
漏らした溜息とともに、ゴドバンが気を緩められたのは、しかし、束の間だった。
バタン、と背後で轟いた、ドアの閉まる低くて重々しい音が、彼をすかさず暗澹と緊迫に連れ戻す。
「ふんっ」
と鼻で笑う、厭味ったらしい自衛軍兵士の侮蔑を含んだ声も、背後の音には混ざっていたかもしれない。
(閉じ込めやがった・・・クソったれっ!)
2百平方mはあろうかという広々とした部屋が、ゴドバンの目の前にはあった。ホテルの客室ならばスイートクラスだろうか。置かれている家具や調度品も装飾たっぷりで、広さに見合う豪華さだ。
かつては連邦から派遣された高級役人が、賓客をもてなす際にでも使っていた部屋かもしれない。
窓から見える景色も、宇宙に浮かぶ円筒形建造物の中に作り込まれているものとは思えないほどのスケールで、爽快なことこの上もないものだ。水面の乱反射がキラキラと眩しい湖を、深緑の豊かな森が鬱然と取り囲んでいる。ゴドバンには似たものを目にした経験もない、開放感の溢れる絶景だ。
巨大なガスの塊である「ラバジェハ」星系4惑星の衛星軌道上を、彼が連行され、押し込められた円筒形の人工建造物が周回しているのだが、内部の容積は彼を驚かせるほどのものだった。
巨大で爽快な円筒形宙空建造物の内側において、外周壁面を大地として建てられた城館の一角に、ゴドバンの軟禁された部屋はあった。
自由に出入りできる条件下で、1人もしくは親しい者たちでここに宿泊するのだったら、さぞかし快適な気分を味わえただろう。だが、室内には、猛者苦しい男たちが20人余りもいて、どれもが不愉快な気分をあらわに、眉間に皺を寄せたりなんかしている。
ガチャンと扉に、外から鍵がかけられる音まで聞こえ、出入りの自由を奪われたのが確定してしまうと、部屋の広さも爽快な景色も家具の豪華さも、何の喜びも与えるはずがなかった。
男たちのしかめっ面が、全て自分の方を向いているのにも、ゴドバンはうんざりさせられていた。その部屋で過ごす時間の居心地の悪さや、前途への希望の乏しさが、ゴドバンに寄せられる彼らの視線にありありと表れているのだから。
「お前も捕まったのか?どうせ、胸クソの悪くなるようなやり口で、抑え込まれたんだろうな。」
一番近くで、ゴドバンを頭の先から爪先まで眺めまわした男が、抑揚のない声で問いかけた。
「みんな、そうなんだろうな、ここにいる連中は。詳しい事情は分からねえけど、期待してた楽しい商取り引きなんて、どこにも無くなっちまったんだろうな。」
ゴドバンがそう応じると、20人余りの男たちが見せていたしかめ面に、一様に苦笑いが広がった。ほとんど同じ境遇に、この部屋の全員が置かれているものと見て、間違いなさそうだ。
「楽しい商取り引きどころか、絶望の退屈しかねえさ、ここには。今日明日にも命を取られるかもしれねえし、何年もここに缶詰のままで、衰弱していくままにされるのかもしれねえ。いきなり放り出されて、宇宙を漂流した挙句の餓死や凍死なんて可能性だって、捨て切れねえんだぜ。」
それを苦笑混じりに語る男にも、苦笑しつつ黙って聞いている周囲の男達にも、易々とは恐れおののいたりしない胆力や、わずかの可能性に命運をかけて諦めないしたたかさが、うっすらと見て取れる。
ここで殺さてしまうなら、それはそれで仕方が無い。だが、チャンスは絶対に見逃さない。どんな小さなものでも、微かなものでも、見つけたなら、そのチャンスに全力を注ぎ込んでやる。ゴドバンと同じ決意を、そこにいる全員が秘めているのを確信できた。
「濡れ衣を着せられて、盗人にでも仕立て上げられちまったか?」
最初に話しかけてきたのとは、別の男が口を開いた。
「あんたは、そうなのか?俺の場合は、似たようなもんだが、ちょっと違ってな」
答えようとして思い出した記憶が、彼を苛立たせた。「盗賊が襲って来た、と思って迎撃行動に出たら、それが『セロラルゴ管区』自衛軍だったって茶番だ。で、軍に対し先制攻撃をした、なんて言いがかりをつけられて、武力制圧されちまった。たっぷりの商材を積んで来てたんだが、残らず没収されちまう有様だ。」
「ほほう、正規の軍隊が、恥知らずにも盗賊に成りすましたのか。それで、ちょっかいをかけて、わざと武力を使わせた上で、軍への先制攻撃って罪をでっち上げて、身ぐるみ剝ぎやがったか。汚ねえ手口だ。」
「全くだぜ、あいつら。ジャジリの信頼を裏切りやがって、許せねえ。自衛軍のヤツら!」
「すまねえ、ゴドバン。俺の判断の甘さが、お前を、とんでもねえ危険に巻き込んじまった。」
丸1日も前に耳にした、ジャジリの声を反芻する。「まさか自衛軍が、こんな仕打ちを食らわせやがるとは。新任統括官のエドリー・ヴェルビルスが、これほどの食わせ者だとは、想像もできなかった。父親のエドレッド・ヴェルビルスが、長年にわたる誠実な施政で築き上げた信頼を、根底からぶち壊すマネをしやがるなんて・・」
法の支配と人権尊重という銀河連邦の基本原則に則った施政を、「セロラルゴ」管区の前任統括官であるエドレッド・ヴェルビルスは、忠実にかつ意欲的に施行して来た。それだけではなく、「モスタルダス」星団に外部から侵入して来た航宙民族と言われる数々の野蛮な集団からも、エドレッドはずっと人々を守り抜いていた。「セロラルゴ」管区を拠点として、星団防衛の任務を着実に履行して来たのだ。
20年ほど前には、最大の脅威である「北ホッサム」族による怒涛の大規模侵攻を、味方に大した損害を出しもせずに、あっさりと撃退して見せた。伝説と呼べるくらいの手腕と熱意だったと、彼の活躍は星団内で語り草となっている。
武人としての勲功だけでなく、民政におけるそれらによっても、エドレッド・ヴェルビルスと彼の施政下にある「セロラルゴ」管区は、「モスタルダス」星団に暮らす全ての人々の信頼を集めていたのだ。
「世襲の統括官なんて、当てにできないのは分かってるつもりだったんだ。エドレッドの息子が、エドレッドと同等の施政をする保障なんか、どこにも無いってな。けど、ここまで下劣な悪行を、父の仕事ぶりを見て来たはずのエドリーが・・ここまで卑劣な・・・」
自責と後悔が刻み込まれた、ジャジリの苦悩の表情を思い出す。
温厚な人柄を印象付けるモジャモジャの髭が、口の周りにたっぷりと蓄えられ、その上に、ゴマ粒かと思わせる小さな2つの目が付いている好々爺、それがジャジリだ。
その愛嬌たっぷりだった両目の間に、見たこともないような深刻な皺がよっていた。思い出すのも苦しいくらいに、悲壮で哀れな顔だった。
(ジャジリに、あんな思いをさせやがって。エドリーのヤツ、「セロラルゴ」管区自衛軍のヤツら、許せねえ!)
電子手錠による拘束も、この部屋での軟禁も、それに比べれば取るに足りない。ジャジリを苦しめたことが、何よりも腹立たしい。ゴドバンの内心で、憤怒が静かに燃え盛っていた。
(ジャジリは、連れ出してくれたんだ。「トラウィ」第3分王国での、退屈で単調な毎日から。何らの成長も、その可能性すらも見つけられない、ただ同じ作業を繰り返すばかりの日々から。)
年に数回、ゴドバンの仕事場に姿を見せ、その度に広い世界について教えてくれた。宇宙を巡る貿易商人としての体験を、面白おかしく語ってくれた。幼いころから、ジャジリの語る広い世界での体験談や冒険譚こそが、ゴドバンの一番の楽しみだった。
そして17歳の誕生日を迎えた彼を、ジャジリは商旅行の伴にと誘ってくれたのだ。
安全な商旅行だと説明されてはいたが、たとえどんな危険を予期していたとしても、きっとゴドバンは連れ出して欲しいと願っただろう。退屈な日々から抜け出し、遠くの広い世界に身を躍らせる機会というのは、ゴドバンのような年頃の青年ならば、どれほどのリスクを冒してでも得たいと思うものだろう。
(連れ出してくれただけで、感謝しかないんだジャジリ、俺には。危険に巻き込んだなんてことで、後悔しなくて良いんだ。安全な旅になるなんて、約束なんかじゃねえ。とりあえずの見通しにすぎねえだろ。エドリーの、予想外の卑劣な凶行が原因なんだから、ジャジリが自責の念に苦しむ必要なんか、ないじゃないか。)
伝える機会もなかった言葉を、ゴドバンは心中にかみしめた。突如として戦闘艦に取り囲まれ、圧倒的武力で行動を抑圧され、商用であるジャジリの宇宙船は、「セロラルゴ」管区自衛軍の武装兵に突入された。
拘束され、バラバラに連行されるまでがあっという間だったから、ジャジリの自責と後悔に満ちた言葉に、返事すらもできなかった。
(ベンバレクたち3人の「トラウィ」兵士も、ジャジリと同じくらいの自責や後悔を、今頃は抱えているんだろうな。)
国王ガラケルの直轄軍団から派遣され、この商旅行に護衛として同行してくれた「トラウィ」第3分王国軍兵士たちの心情を思うことも、ゴドバンの気持ちを暗くした。
急接近してくるのが盗賊の戦闘艇だと判断するや否や、彼らは勇敢に出撃して行った。ゴドバンたちを守り抜くという、使命感に燃えて。
彼らの駆る3隻の戦闘艇は、数に勝る盗賊どものそれらを圧倒する機動性を発揮した。瞬く間に追い散らし、安全を確保できた、と思った次の瞬間、小惑星の陰から「セロラルゴ」管区自衛軍の戦闘艦が現れた。それも、4艦も。
速力も火力も、商用であるジャジリの宇宙船では、足元にも及ばない。降参し、命じられるがままに動力停止をするしかなかった。ベンバレクたち「トラウィ」兵も、投降以外に取る道はなかっただろう。
筋骨隆々の体躯と、ジャガイモみたいないかつい顔をした3人の「トラウィ」兵に、初対面の時こそ身構えたゴドバンだったが、いつでも人懐こい笑顔で接してくれ、すぐに打ち解けることができた。
ジャジリと同じくらいに、色々なことを親身に教えてくれたし、仕事を手伝わせてくれて、様々な技術を習得させてもくれた。そんな彼らも、今は虜囚の身なのだ。
ジャジリやベンバレクたちが、どこに連れて行かれたかも分からない。どんな扱いを受けているかも、確かめられない。自分への扱いとそれほど大差があるとも思えないから、命までは奪われていないだろうが、拘束や軟禁という扱いであるのも、同じだと考えざるを得ない。
(安全だと言って連れ出した俺を、危険に晒してしまった後悔に苦しんでいるだろうジャジリと、俺たちを守り抜くという使命を果たせずに、無力感に打ちひしがれているだろう「トラウィ」兵の3人。同じ軟禁状態でも、俺なんかよりあいつらの方が、ずっと辛い気持ちでいるはずだ。)
エドリー・ヴェルビルスへの憤怒も、生き残るのを諦めない決意も、ジャジリや「トラウィ」兵士を思うことで更なる熱意を帯びて行く。
(俺が生き残ってみせなければ、ジャジリやベンバレクたちは、もっと苦しむことになってしまう。といっても、よほどの幸運に恵まれなければ、生き残るチャンスは無さそうだが。でも、もしチャンスが生じたなら、絶対に見逃してはいけない。ここに軟禁されてる男たちも、皆同じ気持ちでいるらしいんだから、どんな小さなチャンスも、絶対に逃さないはずだ。)
徹底的に訓練された正規の軍隊に軟禁されている、という絶望的な身の上だが、ゴドバンは、気持ちだけは前向きであろうと努めた。
(とりあえず、状況は、できる限り正確に把握しておかないとな。把握すればするほど、絶望的だって現実が思い知らされるだけだろうけど、知らないままじゃ、チャンスを見逃してしまう。)
「それにしても、でかい建造物だな。こんなものが、宇宙空間で創り上げられて、惑星の衛星軌道を周回しているなんてな。驚きだな。」
情報を引き出すべく、最初に声をかけて来た男に、ゴドバンは世間話を持ち掛けた。
「直径も全長も、約10㎞って大きさの筒だ。昔はこんなのが、この『モスタルダス』星団のあちこちに、10基も20基もあったってんだから、それこそ驚きだぜ。」
「そうなんだってな」
ゴドバンには、ジャジリから得て間もない知識だった。「今ではそのほとんどが、回転を止めてしまっていて、遠心力で疑似重力を発生させることも、なくなっちまってるんだろ。しかも、従来の軌道からも外れちまってて、無意味な場所をただ彷徨うばかりなんだってな。」
「ああ。これだけ立派なものは、建造するだけでなく維持して行くのにも、とんでもねえ技術力や財力や動員力が必要だ。こいつを保持し続けているのは、今じゃあここ『セロラルゴ』管区の中枢、『ラバジェハ』星系くらいのものさ。『モスタルダス』星団が漂流によって、銀河連邦から遠く離れ、繋がりが薄れちまったもんだからな。」
「詳しくは、俺は最近知ったばかりなんだが、百年くらい前に起こった無数の航宙民族どもによる大規模侵攻の際の破壊行為で、ほとんどの円筒形宙空建造物は、使い物にならなくなっちまったんだよな。」
「その通りだ。銀河連邦からの定期的な軍隊や技術者集団の派遣は、百年と少し前に途絶えちまった。直後に、航宙民族どもによる一大侵攻が勃発し、略奪と暴力の嵐が星団内を、ハチャメチャに吹き荒れたってわけさ。
壊滅的な惨禍を経ることで、ようやく『モスタルダス』星団の住民にも自衛の意識が目覚め、この『セロラルゴ』管区を中心として、星団内の各集団が結束して迎撃に当たる態勢ができた。エドレッドも派遣されてきたから、近頃じゃ、ある程度は航宙民族を追い払えるようになって来たんだ。だが、円筒形宙空建造物を維持できるほどの力は、完全に失われちまっているのさ。」
「ようやく自衛に目覚め、って言うけどさ、何で最初から自衛の意識を持っていなかったんだ、この星団の住民は?」
ゴドバンは、やや呆れた口ぶりで問いかけた。「自分で自分を守る意識もねえような奴は、蹂躙されるのがあたりまえだって、分からなかったのかな?」
「そりゃあ、無理もねえんじゃねえか?・・なあ?」
手近にいた別の男に、話が向けられた。
今回の投稿は、ここまでです。次回の投稿は、 2020/10/3 です。
「円筒形宙空建造物」とやらが出てきましたが、従来のSF作品など(ガンダムとか)に出て来た「スペースコロニー」ってのと、ほとんど同じです。ただ当シリーズにおいては、こんな宙空建造物がいくつか集まってできたものを「コロニー(=集落)」と呼んでいる場面のある都合上、「スペースコロニー」の呼称は使いづらく、「円筒形宙空建造物」と呼ぶことにしました。「宙空建造物」の表記から、「内部が空洞になっている」というイメージを浮かべる読者様も、おられるでしょうか?言語学的には、そういう意味になってしまうのでしょうか?「中空」だったらそうなるけど、「宙空」だったら「宇宙に浮かんでいる」という意味になると、作者が自己都合で勝手に解釈しているのですが、問題ありでしょうか?
宙空建造物にも、円筒形やリング状や棒状など、いろんなタイプをシリーズ内に登場させていて、それぞれ時代や場所や貴賎貧富などの差を表現しているつもりなのですが、伝え切れているでしょうか?相変わらず、こんなのを後書きで説明している時点で、力不足を認めているようなものですが。
本作にも宇宙の居住施設については、色々と登場するので、よかったら注目してやって頂きたいと願っております。よろしくお願いします。