第15話 エドリーの刑死
優しい光に照らされて、目覚めた瞬間のゴドバンはとても気分が良かった、のだが、宇宙を駆ける人工物の中だから、昼と夜を分ける自然な明暗の変化など、あるわけはない。ただ、彼の寝かされていた部屋が、手ごろなタイミングで照明を明るくした。それが、ゴドバンに快適な目覚めを促したようだった。
ジャジリを殺された怒り、エドリーへの恨み、それらはこの時にも、確固としてゴドバンの胸にあった。しかし、居ても立ってもいられぬほどの熱量は、もうなかった。軍の総大将が追撃しないと決めたのだから仕方ない、といったあきらめが、ストンの腑に落ちてしまった。そんな感じがしていた。
彼が寝かされている部屋はトラベルシン座上の旗艦ではなく、そこから元の艦に戻るシャトルの中に設えられたものだった。往路で使ったものより上等なシャトルを「ザキ」族にもらったから、そこに設えられたベッドの心地よすぎる感触に、ゴドバンは驚かされたのだった。
そしてシャトルは、ゴドバンが寝ている間に、ティミムの操縦によって帰路についていた。
「よう、目が覚めたか。」
起き上がったゴドバンに、声がかけられた。「あと一時間で、俺たちの艦に帰着する。で、あと更に3日ほどここで休息した後、俺たちの艦は、『ザキ』族の軍勢と共に『ラバジェハ』星系へと帰還の途に着く予定だ。」
彼に何の断りもなく、話は終わったと告げた覚えもないのに、トラベルシンのもとを辞したティミムだったが、そのことにはまるで頓着しないらしい。
淡々とした説明に、ゴドバンも淡々と答えた。
「なんか俺、よく考えると、とんでもなく無礼な態度だったな。命の恩人であり、『ザキ』族の長という地位にもある、トラベルシンに。一方的にまくしたてて、食い散らして、寝てしまうなんて。」
「ははは、気にするな、ゴドバン。我らの長は、器がでかいのさ。」
「そうか・・で、俺たちは艦に帰って『セロラルゴ』管区の中枢にも帰るのか。その後には、『トラウィ』王国の『ヨウング』領域にある故郷にまでも、帰るのかな。帰る予定のオンパレードだな。何もかも、終わっちまったって感じだな。」
戦争という野蛮な行為であっても、熱心に取り組んだ活動が終結に向かうのは、何とも寂しさの伴うものだった。それに、ジャジリの死という現実とも、深刻に向き合わなければならなくなるだろう。
仇を討つという、気持ちに整理をつけるための術が、完全に奪われてしまった。それに対する抗議をしたら、命の恩人に向かって失礼な振る舞いに及んでしまった。2つのわだかまりみたいなものが、彼の心を圧迫している。だから、喜ぶべきはずの戦争の終わりは、ゴドバンには、気の重いものにしか感じられなかった。
帰還の途に着き、数日の航行を経た後の「セロラルゴ」管区を目前にしたあたりで、ゴドバンたちはエドリー・ヴェルビルスが死んだという報を受け取った。
「エドリーの奴は、逃げた先で支援を募ることで、リベンジのための軍を起こすつもりだったようだがな。けれども『北ホッサム』族は、支援要請を断るどころか、奴を処刑してしまったらしいぜ。で、その遺体を、トラベルシンのもとに届けさせたらしい。遺体の到着はだいぶ後になるだろうが、奴の死は、きちんと確認できているらしい。」
「なぜだ?」
ティミムの説明に、ゴドバンが疑問の声を上げた。「そんな友好的な行動をとるなんて。『北ホッサム』族は『ザキ』族とは、敵対関係にあるものだと俺は思っていたのだけど。」
「まあ、敵と言えば敵だな。『モスタルダス』星団に侵攻しての略奪を企てた『北ホッサム』族を、『ザキ』族は何度も打ち負かしている。 20年前の戦いでもエドリーと協力して、壊滅的な打撃を与えて追い返してやったしな。」
彼の親世代が参加したのであろう戦いの結果を、ティミムは誇らしげな表情で語った。
「だったらエドリーの要請通りに、リベンジの軍を提供しそうなものなのに、逆のことをするなんて。」
「前の戦いで、とどめを刺そうと思えば簡単にできた『北ホッサム』族に含まれる1つの支族の首魁を、当時のわれらの族長が見逃してやったからな。それに、戦闘の結果として得た捕虜たちも、一人残らず安全に送り返してやったし。その借りや恩に報いたのだろうな、『北ホッサム』の連中は。」
トラベルシンだけでなく、先代以前の族長を語る時にも、ティミムは誇らし気な顔になるらしい。
「前の戦いで敵を許したことが、新たな敵の出現を、未然に防いだってことか。敵を許して生かしておいたら、新たな脅威の種になってしまうものだと、俺は思っていたけど。」
「そういうリスクは、当然あるさ。20年前に許された『北ホッサム』族が、未だに『モスタルダス』侵略を目論み巨大戦力を築き上げつつある現状を見ても、許したことが脅威を残す結末になった現実を告げている。
だけどトラベルシン始め歴代の『ザキ』族の長は、そんなのは覚悟した上で、寛容な措置に徹するのさ。それで痛い目にあったことも、死の瀬戸際に追い詰められたことも、少なからずある。けど、何度裏切られようが、どんな手ひどいしっぺ返しを食らおうが、その姿勢は変えなかったんだ。
だから、たまにはこんなラッキーな結果だって、あって然るべきだぜ。」
「仲間を殺した奴を許してやることに、そんな効果があるものなのか。じゃあ『セロラルゴ』管区自衛軍の他の残党どもを探し出して処罰するなんてことも、トラベルシンはやらないんだろうな。そいつらだって、ジャジリの仇であることは変わらないし、いつ敵として再襲撃して来るかも分からないのだから、一人残らず見つけ出して確実に掃討しておくのが、『ザキ』族の長がやるべき仕事なんじゃないかと、俺には思えるんだけどな。」
エドリーの逃亡を知った後に「セロラルゴ」管区自衛軍の兵士たちが、「モスタルダス」星団のあちこちに散り散りになって逃げ去って行ったことは、戦闘後の情報収集によって確認されていた。
「ジャジリの仇を討てなかったことが、まだそんなにも悔しいのか、ゴドバンは?だけどジャジリだって、仇を討ってもらうより、お前に無事に故郷に帰りついてもらった方が、喜ぶんじゃないのか?」
ありきたりのセリフでも、それは、ゴドバンの胸に強く響いた。あんなにも自分の無事を喜んでくれたジャジリのために、ゴドバンがやるべきことは、仇討ちではなく安全な帰還だった。
理屈では分かる。無事でいることや、寛容に徹することの効果や意味は。でもゴドバンには、エドリーを許せない気持ち、その手で仇を討ちたかった気持ちが、いつまでも消せなかった。
それを認めてくれなかったトラベルシンに対する、苛立つような歯痒いような気持ちも、絶えることなく胸の内で渦を巻き続けた。自衛軍の残党をそのままにしている彼の措置にも、不満や不安を抱かずにはいられない。
(トラベルシンにも、エドリーに対する怒りや恨みは、無いはずはない。「ザキ」族の仲間が殺されたり、捕虜にされて強制労働に就かされたりしたのだから。なのに、どうしてそんなに寛容になれるんだ?いつ復讐戦に挑んで来るかもしれない残党どもにしてった、どうして生かしたままになんて、していられるんだ?無敵とも思える戦闘の能力を、どうして怒りや恨みを晴らすためや、危害をもたらし得る者を根絶やしにするために、使おうとしないんだ?)
トラベルシン軍団は、当分の間は「セロラルゴ」管区にとどまることになった。自衛軍が崩壊した今、彼ら以外にここを航宙民族たちの略奪から守る勢力はいない。星団内で最も栄えている場所だけに、最も狙われやすい場所でもあるから、防衛は極めて重要なのだ。トラベルシン軍団にとっての補給や休息といった都合以上に、「セロラルゴ」管区側に、彼らに駐留してもらいたい事情があるのだった。
トラベルシンの手配によって、自衛軍に捕らえられて「セロラルゴ」内に監禁されていた者たちの、本来の居場所への帰還も準備されたのだが、そんなすぐには実現しそうになかった。
どこの宙域出身者がどのくらいの人数捕らえられていたか、などといった状況を把握するだけでも、何日もかかりそうだった。
そもそも、出身とか本来の居場所というものが、自衛軍の壊滅によって不確定になる者たちだって、少なからずいたのだ。
「俺たちの一族は、銀河連邦から委託を取り付け、『セロラルゴ』管区の監修のもとで、故郷の宙域を所領として経営して来たんだ。自衛軍が壊滅した今、これまでの居場所を所領とし続けられるのか、全く分からない。俺が帰るべき場所は、あの故郷で良いのだろうか?」
「自衛軍との同盟契約に基づいて、俺たちは『セロラルゴ』に近い宙域に集落を築いていたんだ。自衛軍が壊滅したのなら、そこを故郷とし続ける意味はなくなるのだが。」
「我が一族も、『セロラルゴ』で傭兵をやるために、管区内に生活の基盤を置き続けて来た。この管区が今後どうなるかで、どこを故郷とするかは考え直さなくてはならない。」
こんな戸惑いの数々を、ゴドバンもあちこちで耳にした。
「怒りや憎しみを抑えきれない自衛軍だが、『モスタルダス』星団における統治の実績や保有権益の実態を考えると、奴らを探し出して奴らに頼った方が、今後の暮らしが成り立つんじゃないかと思うぞ、俺は。」
そんな意見を述べ、残党が立ち寄りそうな心当たりのある場所を目指して、「セロラルゴ」を後にする者もいた。彼には残党の居場所が、新たな故郷となるのだろうか。
真っすぐに故郷だった場所に帰ると決めている者の中にも、今後の暮らしの立て方には、悩まずにはいられぬ者が多くいた。
「自衛軍が壊滅した今、いずれ必ず、この星団は『北ホッサム』族に蹂躙されるに決まっている。あれほどの巨大戦力を星団のすぐ外に築き上げているあいつらに、この様では対抗し切れるわけがないからな。それを生き延びるには、『北ホッサム』の分派で星団内に定住している連中と、懇意にしておいた方が良いんじゃないか?」
という意見の者もいるが、
「いや、20年前の『北ホッサム』の侵略では、あいつらの分派である星団内定住民だって略奪の餌食になったんだ。昔は同族だった奴にだって、あいつらは情け容赦がないんだ。あいつらの分派にすり寄っても、得るところはないぜ。」
と反論されると、考え直さざるを得ないようだ。
「この星団のすぐ外に、最近では『ハグイ』族とかいう航宙民族が、大きな拠点を創り上げつつあるらしいんだが、奴らは頼りにできないだろうか?」
と言い出した者は、
「馬鹿かお前は。『ハグイ』族なぞ、『北ホッサム』族以上に野蛮で獰猛な連中だぞ。頼るなんてとんでもない。むしろ、警戒しなきゃならない航宙民族が、増えただけだ。近寄っただけで襲撃され、身ぐるみはがされた上に、命まで取られてしまうぞ。」
と一蹴される始末だった。
「では、星団内に定住して久しい『ワハブ』族の支配領域に、移住するっていうのはどうだ?『セロラルゴ』管区からは少し遠いが、早くから意欲的に銀河連邦の技術を導入して、生産性が高い豊かな委任統治領だと聞くぞ。」
そんな意見も出たが、
「いやいや、あそこは、生産性は高くても、独裁制の強い専制支配型の統治領だ。恐怖政治と言っても良いくらいだ。少し前までは、エドレッド・ヴェルビルスが積極関与しての銀河連邦流の指導で、人権意識が改善しつつあったんだが、エドリーの代になるや否や指導は行き届かなくなった。今となっちゃ、領民全員が圧政のもとに苦しんでいるって、もっぱらのうわさだぜ。」
と教えられると、すぐさま引っ込んだ。
「自衛軍が壊滅した今、この星団全体をまとめられる勢力は、存在しない。こうなったからには、もう、自分の所属する集団だけを守り抜いて、その集団だけで暮らしを完結させるしかない。他の集団が何をやろうが、どんな目に合っていようが、構ってなどいられない。自分の集団のことだけを考えよう。」
という考えの者には
「1つの集団だけで『北ホッサム』族などの襲来から、身を守り切れると思うのか?孤立してしまったら最後だぞ。まとめ役となる存在がいなくなったからといっても、『モスタルダス』星団内にいる集団どうしでの連携や協力は、決しておろそかにしちゃいけねえ。自分たちのことだけ考えようなんて身勝手言ってる奴は、真っ先に航宙民族の餌食になるぞ。」
と非難が浴びせられる。
エドリー・ヴェルビルスの暴挙と自衛軍の壊滅は、これほどに、この星団の住民を戸惑わせていた。自衛軍を保有する「セロラルゴ」管区を中核として団結することで、数百年もの間「モスタルダス」星団は暮らしを成り立たせてきたのだから、こうなってしまうのも当然だった。
多くの意見や主張が錯綜したのだが、その中で、やはり最も多かったのは、
「今や、この星団において最大の戦力を持つ集団は『ザキ』族だぜ。やつらを頼るしか、ないじゃないか。」
というものだった。
その意見には、
「そうだ、自衛軍を壊滅させたのだって『ザキ』族なのだから、その責任をとって、やつらが『セロラルゴ』管区が果たしてきた役割を、肩代わりしてくれなくっちゃ。」
「銀河連邦との繋がりだって、長くて深いのが『ザキ』族なのだから、連邦流の統治を『セロラルゴ』管区に代わってやってくれることだって、やつらに期待できるのじゃないのかな。」
「あいつらの直轄領における生産性の高さや、行政組織の充実ぶりも、俺は聞いている。銀河連邦によって開発された収益の大きい星系を継承し、それを直轄領に組み込んでいたりもするのだからな。直轄領の大きさや抱えている人口も、星団の中ではトップクラスなのだし。それらを考えると『セロラルゴ』管区の肩代わりも、何とかやってもらえるんじゃないか?」
と賛同する者も多かったが、
「しかし、2百か3百年前には航宙民族だった連中に、いきなり『セロラルゴ』管区の肩代わりと言っても、荷が重すぎるだろう。連邦からも、軍事的な技術や規模の小さな集団を運営するための行政手法は、しっかりと教わって来ただろうが、星団規模の大きな集団の運営については何も教わっていないさ。そのための経験もノウハウも、全く持ってないだろうし、人材もそろっているはずがない。防衛の方はある程度は当てにできても、民政的なことは、自分たちの直轄領以外には手が回らないはずだぜ、『ザキ』族の連中は。」
との否定的な見方も多いのだった。
今回の投稿は、 ここまでです。次回の投稿は、 2021/1/9 です。
後半には、自衛軍崩壊で混乱する「モスタルダス」星団住民の様子を描きましたが、読者様の頭も混乱させてしまったかもしれません。「セロラルゴ」管区やエドレッド・ヴェルビルスの、星団における位置づけを、分かりやすく説明できていないのではないか、と危惧しています。
エドレッドが統治していたのは「セロラルゴ」管区のみであり、星団全域に対する支配権限を持っていたわけではありません。東京都知事をイメージして頂ければ、近いかなと思います。日本で一番大きな勢力を誇る自治体ですので、日本の他の46道府県に対して強い影響力はあるでしょうが、直接行政に口出しできるわけではありません。東京都に支援や協力をしてもらわなければ実行できない事業、継続できない行政サービスなどが他の道府県にはあり(と作者は思っている)、東京都の行政が崩壊してしまったら、日本中が混乱するでしょうが、東京都知事が直接管理できるのは東京都だけ、というのと同じ状況が、「セロラルゴ」管区と「モスタルダス」星団全体の関係性でもあるのだと、ご理解ください。東京に出荷することを前提に農場や工場を営んでいる人は、もし東京が崩壊したら、そこに住む意味も無くなり、故郷とし続けることすらできなくなるかもしれません。そんな事態が、自衛軍崩壊によって「モスタルダス」星団に巻き起こっているわけです。
星団内には土着系の集団も、元航宙民族の集団もあり、それぞれが「自治体」的な組織を形成していて、独裁制が強かったり民主的な要素を取り入れていたりと内情もバラバラです。「トラウィ」王国も「ザキ」族の直轄領も、それらの中の一つですが、各集団は日本の各都道府県相互よりはるかにそりが合わない、噛み合わない関係でもあります。コロナ対応における各都道府県知事の噛み合わなさ加減を十倍くらいにしてイメージして頂ければ、適当かと思います。そんな状況で、「モスタルダス」星団はコロナではなく「北ホッサム」族の脅威に対抗しなければならないのです。日本には日本政府という全体のまとめ役がいますが、「モスタルダス」星団にはそれがないので、本当に大変な状況なのです。




