第二十九話
そしてそれは口内に初めての感触を引き連れてきた。
え? 何これ? 舌?
ワドワーレが唇を離してくれるまで、俺は目覚めているのに自分の意識を手放していた。正しく混乱状態だ。
「なら『ワドルドーベ家』には入らなくていいから、オレと付き合おうよ」
頭がすっからかんで、禄に返事も出来なかった。
「今は息を潜めてるけど、そのうちにみんなが猛アピールしてくるぜ」
「…あれで息を潜めてんの?」
「あ、そっか。もう五、六人と部屋で二人きりになってんだ、何かしらはされてきたか?」
「まあ…ね」
露骨だったり、無理をしていたりと色々あったけど、全員が俺にアピール染みた事をしてきたのは確かだ。だからこそ、余計な詮索をしたくなったのだけど。ただ、やはりそうであってほしくはないという思いも強い。
「やっぱり色仕掛けとかで、俺をどうにかしようとしてんの?」
「…気付いてたのか?」
「そうなのかなあっては思ってた。いくらなんでも十個のギルドから派遣されてくるのが全員女の人じゃねぇ…」
「そりゃそうだ…で、分かってんだったら話が早い。オレと付き合おうぜ。絶対に後悔させないから」
「いや付き合わないよ」
「メリットの方がでかいと思うんだけどね」
「デメリットも大きいじゃん。他の九人のギルドを敵に回すんだろ?」
「その九人は少なくとも命までは狙わないんじゃない?」
命、という単語に俺はハッとした。そして彼女が無邪気に吐き出す殺気に思わず唾を飲み込んだ。
「…脅してんの?」
「良かった。少々鈍いみたいだからちゃんと伝わってるか心配だったんだ」
「…」
「色でも金でも動かなそうだからよ。あとは命くらいしか思いつかねえんだ」
「もう一つあるよ」
「あん? もう一つ? なんだいそりゃ?」
「うまく言葉にできないけど…誠意とか?」
「舐めてんのか…と少し前なら思ってたが、大真面目に言ってるな。」
だって本当にうまく言えないんだもの。
そう言えば、何で俺はこんなにまで頑なにギルドに入りたくないんだろうか。
自由がなくなるから?
誰かの下に付きたくないから?
集団行動が苦手だから?
どれも当てはまると言えば当てはまるけど、決定的な理由じゃない。
多分それこそが俺が学生時代や中立の家にいる周りの人との間に感じる、溝や壁の正体なんだろう。みんなは何のためにギルドに入ったんだろう。どこのギルドに入るだの、入りたいだのはたくさん聞くけれど、何のために入るって話はいま一つ覚えがない。
俺がそんな事を言って、物憂げな顔になったからだろうか。ワドワーレもため息と共に殺気を消し去り、呆れたように続けた。
「毒気が抜かれちまったよ」
そしてゆっくりと立ち上がると、窓を開ける。そしてそのまま歩みより、後ろから俺の肩を掴んだ。
「だから外に奴ら任せることにするよ」
「え?」
どういう事、と尋ねる口が開く前に、俺の身体は宙を舞った。明るい部屋の景色が途端に月夜の中庭へと変わる。そこでワドワーレに投げ飛ばされたと気が付いた。
「ぐっ」
自分で自分を褒めてやりたいほどギリギリで受け身を取る。
すぐさまワドワーレの姿がないまま、声だけが俺の下に届く。
「オレ達の狙いがお前自身だからって殺されることはないと思ってんだろ?」
そして中には俺を取り囲むようにゾンビ、スケルトン、グールの群れが現れた。どれもこれも、黒の魔法を得意とする『ワドルドーベ家』のギルド魔術師が使役する低級魔族だ。
どのギルドだって俺のウィアードに対しての知識が最大の目当てのはず。だから命を狙われることはしないとは確かに高を括っていた。だがそれ以上に問題な事がある。それはこの場所そのものだ。
「おい、ここは『中立の家』だぞ。分かってんのか?」
「不戦の契約はあくまでもギルド同士のもんだろ? ヲルカはどこかのギルドに入っていたっけか?
え? そうなの?
十あるギルドが不戦の契約を結んだ中立の家のルールにそんな抜け道が…?
呆気に取られる俺を他所に再び姿なく冷酷な命令が響く。
「殺さないなら手足くらいならもいでもいいぞ。あとでくっつけりゃいい」
途端に不気味な軍勢が俺を目掛けて押し寄せてくる。冗談じゃねーぞ。
錆びた剣の大振りをかわすと、俺は近くにあった樹の枝を一本折り、裏の林を抜けて玄関側の広場を目指した。どこに誰が隠れているか分からない林の中は危険すぎる。
そうして広い空間へと出た俺は、へし折った枝に緑の魔法を施して巨大化させながら横一文字に薙いだ。
こんな巨大な棒を振り回すことはできないが、振り回しながら巨大化させらるから結果は同じだ。しかし、どいつもこいつも痛みで怯むようなまともな神経を持ち合わせてはいない上に、数が多すぎる。
次第に追い詰められて一斉に襲い掛かられてしまう。
どうせ相手は生きているモノじゃない。そう過ぎった時、俺はすぐさま魔力を集中させ、千疋狼に両腕を貸与させた。まさに千匹近くの狼が俺を中心に円形の波濤となって、集まってきていた魔族を悉く蹴散らして行った。
あまりにも容易く状況を打破してしまったせいか、俺は油断してしまった。一体のスケルトンがタイミングよく飛び上がり、上から切りかかってくるのに気付くのが遅れてしまった。反射的に腕は動いて身体を庇ったものの、生身で剣を受け止められるはずがない。俺は数秒後に自分を襲うであろう激痛を頭に思い描きながら腹を括った。
読んで頂きありがとうございます
感想、レビュー、評価、ブックマークなどしてもらえると嬉しいです!




