第二十五話
狼たちは決して走ってくることはなく、こちらの焦りを助長させるかのようにじりじりとにじり寄ってくる。それに伴って周りはさらに暗くなるので、次第に黒い毛並みの狼たちは姿を捕らえるのが難しくなってしまう。もしかしたら明るいうちは本領を発揮できないのかも知れない
逃げるか…。
束の間、そんな考えが浮かんだがすぐにそれを打ち消す。
「駄目だ、全員が万全じゃない上にもう囲まれている…!」
状況証拠しか揃っていないが、三人の不調と周囲を夜に変化させるのは『千疋狼』の影響と見てまず間違いない。
伝承でも身重の女は、不意に体調を崩し休んでいるところを狼に襲われている。その上、俺が『千疋狼』の伝承を読んでいるうちに感じた疑問の答えも浮かび上がる。それはあの伝承に出てくる妊婦と飛脚が何故、夜中に山道を通っていたのかという疑問だ。
山道は昼間に通ったとしても相当な労力を要する。飛脚といえども夜に一人で提灯を持って走りはしない。身重の女ともなれば尚更だ。常識的な考えから浮かぶ一つの結論は、『千疋狼』に襲われる人間は昼間に山道を歩いており、妖怪の力によって周囲を夜に変えられたのだ。
長年の疑問の回答が得られたのはいいにしても、それはこの場を切り抜ける要素にはなりそうもない。それならば伝承通りに助かる方法を試みるしかない。
「みんな、俺にしっかりと掴まれ」
俺は三人の腕を取り、何とか全員を抱きしめようとする。けれどもどう頑張っても二人を抱えるのが精一杯だ。その時、ヤーリンが機転を利かせてくれた。力を振り絞って蛇の体を俺達全員に巻き付けて支えてくれた。これなら大丈夫だ。
すぐに緑の魔法を集中させ、一粒の木の実に成長呪文をかける。実からはたちどころに芽が生え、立派な樹木へと変貌していく。アレだ、トトロのワンシーンみたいだ。などと、こんな状況なのにのんきな事を思ってしまった。
上へと伸びる木の途中の枝に足をかける。成長にあわせて、自分たちをなるたけ高い所へ押し上げた。こうすれば木登りをしたのと結果は同じことだ。
ふと下を見ると案の定、狼たちが幾重にもなって狼梯子を作っている。やがて俺達に向かって飛び掛かれるほどの高さに達した狼たちは、鋭い牙と爪を光らせては飛び掛かってくる。
俺は左手で木に魔力を供給しながらついでに体勢を支え、右腕を鎌鼬の鎌に貸与してそれを迎え撃つ。次々と襲い来る狼たちをばったばったと切り伏せていく。方法は違えど、ここまでは伝承に即した行動ができている。
だが、大きな懸念もある。
今俺達を支えてくれているこの木は魔力を供給し続けなければならない。そうしなけば木は元の実に戻ってしまう。そうなればひとたまりもない。だが現状、左手は緑魔法を使い、右手は貸与術という魔法を使いわける高度なテクニックを使っている。驚くくらいの速さで自分の中から魔力がなくなっていくのが分かる。そう長いこと持ちそうにない…!
十数匹の狼を退けると、にわかに下の狼の群れに反応があった。ぼそぼそと人の言葉の様な、そうでない様なささやきが聞こえる。
ここで鍛冶が嬶のお出ましか…。
やがて狼の群れを割り、大きな布きれを被った何かの獣がやってきた。正体不明の獣は例によって狼梯子をよじ登り、こちらへと迫ってくる。
ところが、それよりも先に俺の魔力に限界が訪れた。成長の魔法を失った木はすぐにその上背を縮めていく。何とか力を振り絞り、上から転落する事態だけは避けられたが危機的状況はかわらない。いや、むしろ悪化したと言っていい。高所の利を失ったばかりか、俺を含めた全員が疲労困憊の状態だ。
二日酔いに似た頭痛と倦怠感が襲う。四方が囲まれていて意味がないと分かっていながらも、俺はせめて布を被った獣から三人を庇うようにして立った。
天命尽きたか、と諦めの念が過ぎった瞬間。黒い狼の山を飛び越え、颯爽と俺達の前に現れる白い狼の姿があった。
「アルル!」
アルルは牙を覗かせて唸り声を出した。取り巻きの狼たちが若干の怯みを見せると、それに追い打ちをかけるように巨体に相応しい咆哮で牽制した。布を被った獣が支配していた狼たちはアルルに気圧されて目に見えて距離を置いた。
するとそれに憤りを覚えた獣が負けじと威嚇の声を出す。しかし、それは狼のそれとはまるで違う。むしろ…猫か?
布を被った獣は、一度身を低くしたかと思ったのも束の間、爪をむき出しにしてこちらに飛び掛かってきた。その勢いで被っていた布が外れて姿が現れる。やはり俺が思った通り、それは巨大な老猫であった。
襲い掛かられたアルルは負けじと応酬する。しかし、やはりというか素のフィジカルにて応戦はできているモノの、ウィアードに対して決定的なダメージになってはない。
やがて二匹の巨大な狼と猫は爪と牙とで組みあうような形になってしまった。だが形勢は五分ではない。ダメージを受ける分、誰の目に見てもアルルが不利だった。
ただ、力が拮抗しているのは幸いだった。アルルの牙は相手に傷こそ負わせられていないが、動きを止めてくれている。俺は何とか踏ん張り右腕を鎌鼬の鎌に貸与する。そしてその鎌を老猫に向かって振り下ろした。
その刹那、森中にこの世の物ではない叫びがこだました。老猫は飛び退いては、狼たちを蹴散らして我先にとやってきた方へと逃げ去っていく。すると残された狼たちは砂が崩れるようにして一匹、また一匹と消えていった。
やがて最後の一匹が消え去ると、日の光に包まれた森の中に、例のウィアードを退治した時に生まれる光る玉が浮かんでいた。千疋狼の魂という事になるのだろうか? これに身体を貸与したらどうなってしまうのか疑問に思ったが、まさか放っておくわけにはいかない。俺は手を伸ばすと、それはいつものように俺の中に溶け込んでいった。
千疋狼を取り込んだことで何かが触発でもされたのか、魔力切れで起こしていた眩暈や吐き気は収まって魔力が復活していた。ふと同じく疲弊していた三人に目をやる。決して本調子とは言えないモノの、三人とも顔色はかなり良くなっていた。
「ありがとう、アルル。助かった」
「ウチの台詞だよ。やっぱりヲルカ君がいないとウィアードにはなんも出来なかった」
俺はその場に落ちていた猫が被っていた布きれを拾った。
そうして俺は自分の見当違いを自覚する。『鍛冶が嬶』ではなくて『小池婆』があのウィアードの正体だったんだ。
「ヲルカ君、それって…あのお店の?」
「…ああ」
暗い声音の会話だった。俺はその布の模様から、アルルはどうやらそれに染みついてた匂いから、あの喫茶店で使われていたテーブルクロスだと気が付いたようだ。
アルルだけは千疋狼の詳細を教えている。あの老猫が去って行った方向から鑑みるに、あれは喫茶店の誰かに化けていると見てまず間違いない。
それはつまり…。
あの店の誰かが既にウィアードの手に掛かっていることを意味していた。
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