第十二話
俺は弁当を片手にその部屋の戸をノックする。来客があるとは思っていなかったのだろう、その部屋の主は少し間を開けてから恐る恐るドアを開けてきた。
「はい?」
「や」
「ヲ、ヲルカ!?」
驚いたヤーリンは、目を丸くして蛇の半身を強張らせた。尻尾の先がピンっと張り詰めている。
「ごめんね、急に」
「どうしたの?」
「ヤーリン、お昼ってもう食べた?」
「ううん。丁度これからって思ってたところ」
「良かった。一人だと味気ないからさ、一緒にどうかなって思って」
俺のその提案を理解したヤーリンは、弾けんばかりの笑顔になった。可愛い。
そして、あれこれと考える仕草を見せてから、自分の部屋で食べることを思いついたのか、こちらを伺うように聞いてきた。
「もちろん! なら、ワタシの部屋でいい?」
「ヤーリンがいいなら」
「入って入って。お茶入れるから」
そう言って部屋の中に戻って行くヤーリンの後ろ姿に、俺は少々見惚れてしまった。思わず声が漏れる様な笑い声が出てしまう。
するとヤーリンは、困ったような何とも言えない表情を浮かべた。
「え、何? どうしたの」
「いや、ようやく俺の知ってるヤーリンだと思ってさ、その足。って、もう足じゃないか」
本当に何の含みも持たさずに、俺は素直な感想を言ったつもりだった。けれどもヤーリンにはそう単純には届かなかったようで、何やら意味深な態度で尋ねてくる。
「・・・ヲルカはワタシの蛇の身体、どう思う?」
そして、そのしおらしい姿が妙に愛くるしく、俺は足の感想なのかヤーリンの感想なのか、自分でもよく分からない感想を言ってしまった。
「え…可愛いんじゃない?」
「そ、そうかな」
「うん。ヤーリンらしいと思う」
「そっか。ありがと」
「どういたしまして」
俺を部屋に案内してくれたヤーリンは、照れ隠しのつもりかそそくさとお茶を用意しにいなくなってしまった。残された部屋で、俺はきょろきょろと視線を動かしている。ヤーリンの実家の部屋とは勿論造りが違うのだが、住んでいる人は同じなので小物や家具の置き方がどころなくそれに似ている。
その思い出に引っ張られるかのように、俺は自分の実家が懐かしくなってしまった。
何とか時間を見つけて、家に帰りたいな。こんなことになったと両親に報告もしておきたいところだ。
なんてことを考えていると、お茶を持ったヤーリンが戻ってきた。
「はい」
「ありがとう」
ヤーリンは言った通り、弁当の蓋すら開けていなかった。弁当に手を付ける前に、二人で黙ったままお茶を一口啜った。俺は学校時代にヤーリンの部屋に上がり込んで、勉強を教えてもらったり、魔法を教わったりしていた事を思い出す。それはヤーリンも同じだったようだ。その証拠に、息ぴったりに二人の声が重なったのだ。
「「なんか、懐かしい」」
俺達は顔を見合わせた。
声が重なったことと、相手のきょとんした顔が互いに可笑しくて、俺たちはまた一緒に笑い合った。
そして笑い声が自然におさまった頃、俺はヤーリンに聞いた。
「今更だけどさ…」
「え?」
「元気だった?」
「うん。元気だった。ヲルカは?」
「忙しかった、かな」
「そうだよね。ヱデンキアで起こったウィアードに関する事件は全部ヲルカが解決してたって聞いてたよ。ホントにすごいなあ」
と、ヤーリンは手に持ったお茶のカップを握りしめて、しみじみとそんな事を言ってきた。すごいと褒められるのは素直に嬉しいけれど、凄いと思っているのは俺だって同じことだ。
「ヤーリンだって。『ヤウェンチカ大学校』の高等部を飛び級したんでしょ? しかも去年のミス・ヤウェンチカに選ばれてるし」
「し、知ってたの?」
「本で読んだ」
「そっか…手紙出そうとは思ってたんだけど、忙しくて」
「俺も」
「うん。あの事務所の中見たらすぐに分かった。凄い散らかってたから」
俺は笑った。今度は愛想笑いだ。
「ホントに凄いと思う。たった一人でウィアードをやっつけて」
「だから、ヤーリンだって凄いじゃん」
「ううん。ワタシはまだヱデンキアの為に動いたことはないもん」
「え?」
急にヤーリンの声のトーンと雰囲気が沈んだ。その眼は悲しげで、悔しそうで、それでいて何か熱いモノを秘めているような、そんな眼差しだった。
「ヲルカだけじゃない。この中立の家にいる他のギルドの人達はみんなヱデンキアの為に動いてる。私はまだ、自分の勉強の為にしか動けてないの。いつか、将来のために今勉強しているって事は分かってるけど、ちょっと悔しい」
「・・・ねえ、ヤーリン。一つ聞いていい?」
「うん」
俺は一つだけ抱え込んでいる大きな疑念があった。それはヤーリンだけでなく、他のメンバー全員にも言える、引いては各ギルドの真意に関わる疑念だった。
喉まで出かかったのだが、俺はそれを諫めた。土壇場で今聞いては行けない様な心持になってしまったのだ。
「ごめん。やっぱり止めとく」
「えー、何で? 気になるよ」
「今質問する事じゃないなと思ってさ、けど近いうちに聞くから」
「むー」
ヤーリンはわざとらしくふくれっ面を見せてきた。それでもやっぱり言えない。
「ごめんね」
「そ、それなら『ヤウェンチカ大学校』について話そうか?」
「ううん。それもあの紙の通りでいいや」
「…そう」
と、再びしょぼくれてしまった。何とも庇護欲を誘う顔だ。
「そんな顔しないでよ。理由があるんだ、だからヤーリンには一番最後に話が聞きたい」
「理由?」
「うん。それもまだ言えないんだけどさ」
「…わかった。待ってる」
「ありがとう」
そこで話は終わった。いい加減、俺も空腹だったので、それからは二人でアルルの用意してくれた弁当を有難く頂戴した。何気ない会話の応酬をしながらの食事は、本当に数カ月ぶりに誰かと共にした食事になったのだった。
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