94 足踏みの代償
雪原となってしまったレーロイド北方へ出て三日。
ある意味では予想通りに、ある意味では予想外に、遅々として歩みが進まない。
ノアは最初の野営が最後の休息と考えていたが、想像以上の魔物の数に毎晩の陣地構築が必要となったのだ。
やはり人数が増えるほどに身動きを取るのに時間が掛かるという事だろう。
また、一度作った陣地を中継地点として街とのやり取りを行えるようにしておくという手配が行われたのもノアは想定していなかった。
これは騎士団と合流できた場合も考慮した補給路のためでもある。
普段であればここまでする必要はないくらいの距離なのだが、荷車を通そうとすると道筋を除雪する必要がある。
物を運ぶにしても、運搬人が休息する場所も必要だし、一時的に積み置く場所もまた必要だ。
この辺の考え方はどうにも商業組合のカデラがいくつかの思惑をもっていそうだが、糾弾するほどでもない。
「・・・よくよく考えれば、負傷者が出た時に後方へ送るための経路を確保しなければいけないのだから良い事なのだけれど」
冒険者の中ではあまり負傷者が出る事が無い。
戦闘義体なんていう特性や治療が可能な術理を十分に用意しているからだ。
特にイリスという強力な癒し手が居ることもあって、部位欠損レベルの傷ですら治療が可能というのが大きい。
一撃で命を断たれるような事態に陥らなければ最大でも数時間もすれば何事も無かったかのように復帰することが出来る。
しかし、それは冒険者であればこそ。
否。冒険者であっても生身の時に傷を負えば、治療は簡単というわけではない。
術理が全く効果が無いということはなく、一般的な薬品よりも強い効果を得ることができるがそれだけだ。
腕が千切れれば生やすことは難しいし、失血を取り戻すこともできず、首が断たれれば命はない。
どこまでの治癒が可能なのかを実験する事は出来ていないが、聞き及んだ情報からノア達はそのように判断していた。
それですら正確とは言えないので、過信するのは禁物だが。
また、そうである以上は騎士や兵士が傷を負っていたとして助けられるかどうかわからないという事でもある。
戦場でイリスの負担を増やすのも困るので、死傷者は後方へ送り出してしまうのが対処としては無難というのが結論だ。
「まぁ、それはいいのだけど」
「す、すみません・・・」
魔物狩りの途中で野営陣地に呼び戻されたノアは不機嫌な様子で頭を下げるエルジェニド侯爵家の娘、メリエラを見据えた。
その隣では商業組合の妖鬼の老婆が不敵な表情を浮かべている。
「いいじゃないかい。あたしは騎士団に恩を売りたいんでねぇ」
「そう」
興味すら無さそうに呟き、ノアは踵を返した。
「え? そ、それだけですか!?」
「なんだい、あたしらには挨拶すら必要ないってのかい?」
「・・・無い。後はご自由に」
素っ気無いというよりは明確な拒絶。
その態度にカデラやメリエラだけでなく、彼女たちが連れてきた人足たちすらも疑問を覚えた。
反応を示さなかったのは本日のノア当番ともいうか、護衛の様に傍に控えていたアルナだけである。
「―――よろしいのですか」
それでも、小さく問いかけるくらいには彼女も思うところがあった。
対しノアは小さな嘆息を漏らして、再び陣地の外へと向かう。
「死にたいのなら自由にさせておけばいい」
「なるほど」
小さな呟きにアルナは頷きをひとつ。
ノアは一般的な街民を護ることには協力的だが、例外というのもある。
それこそ自分の意志で戦場に出て来た彼女たちなどがその例外に当て嵌まるのだ。
この場所は安全を確保しているわけではないし、保証する理由など欠片もない。
むしろ、ここは危険地帯。
どんなに駆除したところで魔物はどこからともなく出現する。
夜襲にあった事も一度や二度ではなく、一晩に三度という日もあった。
彼女たちがこの場に来るまでに道程に魔物が出なかったのは運が良かっただけでしかない。
要するに足手纏いなのだ。
そして、ノアには彼女たちはもちろん、それに付き従って訪れた作業員たちも守るつもりはなかった。
元々、戦闘員以外を―――レネアたちですら―――連れていくことに反対していた立場だし、護衛の依頼を引き受けたわけでもない。
何の思惑があるにせよ、戦場に出て来た以上は自衛してもらう、というのがノアの主張である。
警護が必要なくらいなら出てくるな、という話だ。
これは本来なら輜重隊を必要としない冒険者としての思考であり、非戦闘員を抱えない者たちの考えでしかない。
軍隊になれば話が違うのはノアも承知していたが、必要が無いのに命のやり取りの場に出て来た彼女たちには不満がある。
それが利権や面子、商売のためというのだから関わる気にもなれない。
「もう、いっそ別れて行動しようかな」
「それもひとつの手段ではあると思います」
正直、人数に見合わない労力が増えすぎた。
これはカデラやメリエラの件に限らず、アザミやレネアたちの疲労が目に見えて影響してきていることもある。
すでに夜警はノアたちに依存しているし、狩りの効率も随分と落ちて、解体作業すら間に合っていない。
今ですら二人行動なのは、他の者たちが疲労困憊でまともに付いて来ることができないからだ。
「もうそろそろ、最後に確認した騎士団の野営陣地だし身軽な方が良さそうだ」
「そうですね・・・マスターの言う通りだと思います」
アルナは判断を丸投げすることなく、自分なりに状況を判断した上で頷きを返した。
従者という立場だからか、思考放棄に近い返答をしがちなイリスやフィルと比較すれば彼女は視野が広く思慮も深い。
そんな彼女にしても現状で集団行動を維持する利点というのが見当たらなかった。
主たるノアが一団の面々に対して命を預かる事を重荷に感じているのだからなおの事に。
「手早く終わらせて、皆にも相談した方が良いでしょう」
「そうだね。アコルさんたちは反対するかもしれないし」
軽く言葉を交わしながら雪原を駆けて、近場の林へ突入する。
周辺の魔物を殲滅すると言っても、街から離れ道を逸れれば林もあれば奥に進めば木々の密度が上がって森もあるのだ。
さすがにそこまでの範囲を徹底して掃討するのは不可能なので探索するのは『林』まで、と取り決めている。
境界は曖昧なので適度に敵を倒し、回収しながら索敵を続けていたらあっという間に日暮れ時。
暗視も出来るので夜中だろうが戦うことはできるが、相談事があるため陽が沈みきる前にノアたちは撤収する事にした。
「―――そうよね。その方が良いと思うわ」
「アコルさんはあっさりとそう言うとは思っていませんでした」
「私だって、ここまで一緒に旅をしてきたのですもの。それに水の街であの夜を経験したのだもの」
仮拠点で合流したアコルは苦笑を浮かべた。
思い起こされるのは海から訪れる不気味な大軍と、結果として多くの冒険者が命を失った大規模戦闘。
あの時とは違い、今ならばアコルとしてもノアが周囲の人々との連携よりも信頼できる少数での行動に拘ったのか理解できる。
自分達に倍する敵が周囲に居る時に、実力差がある味方はよっぽど上手く協力が出来なければ邪魔でしかないということに。
「聞いているでしょう? カザジマちゃんだって後ろから撃たれたのよ?」
「乱戦の中で遠距離攻撃主体ならそういう事もあるだろうとは思っていましたけど」
「そうね・・・だからこそ、貴女も後ろに置く娘たちには徹底して手を出させないのでしょう?」
「それはそうだけど」
ノアが肩を並べて戦うのを認めているのはアザミなどの一部の人間だけだ。
道程が進み、魔物の密集率が増えてからは援護のつもりの誤射が怖いので連れ歩く者たちには自衛のみを求めた。
結局、それでも戦闘や何時襲われるともわからない野営で二日ともたず疲労により同行すら断る事になったが。
「今日も思ったけれど、やっぱり魔物の数も強さも上がっているのは感じている。正直、私やカザジマちゃんは二人組は厳しいと思うわ」
「それもありますね。一度や二度の戦闘ならともかく、不意打ちとか想定外が起きた時に対処できないですし」
「ええ。余力を残す大切さも身に染みたから・・・」
余裕が無くなって危機に陥った古代遺跡での事を思い出し、アコルは険しい表情を浮かべた。
ギリギリの状況で幾度となく殺し合いを繰り広げる事は今となっては危険な兆候だと理解できる。
いや、言葉としては最初からわかっていたはずなのに、実感できていなかったというべきか。
なまじゲームと同じ能力を扱える世界だからこそ、戦い冒険することに高揚感を抱き限界まで進むことにも心のどこかで楽しんですらいたのだ。
水の街での戦いですら、どこかお遊び気分が抜けず本気になっていたとは言い難い。
「引率のような真似をして、貴女が苛つくのも理解できたわ。後ろを常に警戒して戦うのは辛いもの」
「わかってくれたようで何より。じゃあ、明日からは全員で行動しましょう」
「私としては助かるわ」
胸を撫で下ろすアコルに嘘はない。
誤射な上に大きな被害もなかったとはいえカザジマが味方からの攻撃を受けてからは彼女もピリピリしている。
さらには安全を確保するのが難しい範囲が広がってきているので危険度が上がり心の余裕もずいぶんと少なくなってしまった。
同道している一団が獲物の解体作業どころか野営準備すらもまともにできない程に疲弊しているとなれば共に進むのはリスクしかない。
「それじゃあ、意見の一致ということで」
「ええ」
実質的にパーティの長と副長の決定である。
口を出さずに控えていたアルナやイリスも特に不満がある訳でもない。
というか、想像以上に不甲斐なかった同道した者どもに内心では怒りすら覚えている。
(アザミさんだけなら話は楽なのだけど)
グループである以上は実力の上下差は存在する。
敵勢力に囲まれた中で昼夜を過ごし、ゆっくりと横になる事すらできずに戦い続ける。
ノアの眼から見てそれが可能だと判断しているのは、パーティ外だとアザミとゼリオの二人くらいだ。
ただし、この二人は野営の経験が乏しく夜警も必要な常に警戒を強いられる状況での活動には最初から不安があった。
結果的にもアザミ以外の者たちが疲弊し、それをフォローしようとアザミに負担が掛かっている。
「―――と、いうわけで、ここからは別行動。異論は認めない」
遅れて戻って来たカザジマやフィル、アザミやレネアといった主要な面々を集めて早々に言い放つ。
夕食前ということもあるので調理作業している面々も耳を向けているかもしれないが、それすら無視である。
「ま、待ってください、お姉さま! そんな、急に―――」
「異論は認めない、と言ったよ? まぁ、もとから一つの組織というわけじゃないのだし」
「それは・・・でも!」
「どっちにしても足手纏いは必要ない。子守はもう終わりだ」
軽く視線を向ければ暇そうにしていたフィルが小さく頷き、アルナ達が席を立つ。
アコルに促されて戸惑い気味のカザジマも消沈した表情のまま二人の後を追った。
「ノア。わたくしたちも邪魔だというのかしら?」
「じゃなきゃ、こんな風には切り出さない」
「・・・」
「少し休息したらすぐに出るから、アザミさん達は撤退した方が良いよ」
ふわりと纏わりつく妖精の抱擁を受け入れながらノアも席を立つ。
一度、アザミと視線が交わるが、お互いに言葉など無くすぐに逸らされる。
その拳がきつく握りしめられている事には気が付いたが、それにもノアは言及しなかった。
(言わせてしまいましらわね・・・)
アザミとて戦闘能力という意味ではノア達に劣っているとは思っていない。
しかし、思った以上に野営、それも襲撃の危険に怯えながらのここまでの道筋は過酷にすぎた。
仲間たちの現状を理解しているのだから、むしろアザミ自身が先に言い出すべきであったのだ。
(不甲斐ないですわ・・・!)
歯噛みしてもどうしようもならない。
思わず机を叩きたくなる衝動に駆られるが、それよりも先ずどうするのかを決めなければならない。
良くも悪くも、この場に居るのは組織ではなく、だからこそ個人の独断が許されてしまう。
そしてパーティの行動方針に口を出せるほどアザミは能力も権限も強くない。
「あ、アザミさん・・・どう、するんですか・・・?」
「・・・そう、ですわね」
まだ完全に夜の帳は降りていないが、かといって食事の準備を始めてしまった以上、すぐに動けない。
さらには貴族や商業組合からも人足が来ていて大所帯になり過ぎていることも動きが鈍重になる要因だった。
問われたアザミは―――
「ひとまず・・・朝になってから考えますわ」
―――思考放棄気味に結論を先延ばしにする。
その決断を即座に出来なかった事がどのような影響を与えるのか、この時には誰にもわからなかった。




