89 粉砕者の歩み
不快なほどに甲高い鐘の音が響き渡る。
複数の鐘が不規則に打たれるせいで耳に届くのは不協和音。
その狭間に溢れかえる爆音、轟音、破砕音。
野次馬根性か、逃げ遅れただけか、職務や矜持によるものか、その場に居た多くの人々が街の『北門』が粉砕される瞬間を目撃した。
この世界の『街』以上の規模の人の都市は必ず『壁』がある。逆に壁が無ければ都市とは認められないと言っても良い。
壁、街壁、防壁、堅壁、あるいは街そのものを護るべきシンボル―――城に見立てて城壁などと、呼ばれ方は様々だ。
村などでも石壁があることはあるのだが、『街』の壁は耐久力を高め、怪物の攻勢にも耐えるべく術理が刻まれた高価で特別な物。
当たり前の話だが、人々の出入りを関する最重要の弱点でもある『門』も堅牢に作成されており、巨大な三重の金属製格子門はそう簡単に破壊できるものではない。
そんな『人』の安全圏を保障する強固な防壁が門を中心に罅割れ、次の瞬間には爆砕したのだ。
「うっ、うわぁっ!?」
「な、なんだ!? 何が―――」
「きゃぁぁぁああっ!!!」
壁の崩壊と共に吹き付けるは極寒の冷風。
悲鳴と共に雪片が舞い、叩きつける様な吹雪となって荒れ狂う。
さらには白氷に紛れて殺意の塊が潜み、人々へと襲い掛かる。
「うぎゃぁっ!?」
「ひっ!」
「あああぁっ!?」
視界を塗りつぶすような白に混じる朱。
叫び声に混じる苦痛と恐怖に呻く響きが混じる。
「ま、魔獣だ! 魔獣が入って来たぞっ!」
「逃げろ! 逃げろぉっ!」
「騎士団は何してんだっ!? くそ!?」
怒号じみた絶叫が聞こえてきたのは、それより少し遅れた。
状況が把握できる程度に冷静になるまで時間が掛かったのだから仕方が無い。
また、騎士団が一日以上は掛かるほど遠い位置に防衛線を築いて街の護りを固めていたのだ。
冒険者との不仲が噂されようと、街民を護るのはやはり騎士たちであり、大きく言葉にしないけれど信頼していた。
彼らならきっと自分たちを護ってくれる、と―――。
「いやっ! いやぁっ!!!」
雪化粧の上を駆ける僅かに青みがかった銀の魔獣。
ここ最近になって生息域の変化が確認されていた巨狼の怪物が駆け抜け、目近な転倒した少女へと飛び掛かる。
シルバーファングの凶爪が白雪の烈風の中に煌めき―――
「―――させませんわっ!」
轟っ!と盛大に空気を抉り取るような勢いの重量物が宙を突き抜ける。
次いで響き渡ったのは怪物の絶叫だった。
「ギャォォオオオ・・・!」
「しぶといですわね」
積もる雪を踏み固め、ジャラジャラと音を立てる鉄鎖を引き寄せ、うさ耳金髪縦ロールのスパンコールドレスの女性が吐き捨てるように漏らす。
肩も素足も見せつける様な薄着、女性の細腕には似合わない、人の頭の三倍以上の大きさの巨大な鉄球を片手で掴むアンバランスで、けれど堂に入った立ち姿は紛れもなく冒険者の姿だった。
そんな女性―――アザミを睨み据え、牙を見せつけるように威嚇するシルバーファングが唸っている。
「毛並みが青みがかっていますわね。強化種とでも?」
舌打ちでも漏らしそうな低い声音で呟きながら、唸りを上げる魔狼を見据え、転んでしまった少女との間に割って入る。
「立てますわね?」
「ひゃぁ、ぇ、ぁ・・・」
「立ちなさいっ!」
「ひぐぅっ!?」
怯え、身を竦める少女は動こうとしない。
内心で盛大に舌打ちしつつ、けれど眼前の蒼銀狼から視線を離すことが出来なかった。
(普段なら、一撃粉砕の筈なのですけど)
火力には自信がある。
それこそ白銀の山道に入っても大半の相手は一撃で息の根を止められるくらいに。
事実、普通のシルバーファングであれば相手の身体の半分を粉砕して仕留めることが出来ていた。
むしろ攻撃の命中精度に難があったのだが―――。
「っ!?」
視線を外したつもりは無かったが、ハッとした時には口を開いた狼が至近に居た。
咄嗟に右腕を盾に身構え、その牙が腕を貫く。
「ぐっ・・・!」
「きゃぁぁぁあああ・・・っ!」
焼けつくような鮮烈な痛みが走り、僅かに涙を瞳に浮かべつつ歯を食いしばる。
傷を受けたのは腕の筈なのに激しい頭痛のように、脳を内側から叩くかのような不快な感覚がはじけた。
後ろでは少女が涙を流しながら悲鳴を上げたが、そんな暇があるなら逃げろと言いたいくらいだ。
「ぁ、っ・・・のぉっ!」
吐き気すら催すほどの痛みを堪えながら左手に力を込める。
生理現象として涙が出てしまったが、その瞳には闘志が宿り全身に活力となって駆け抜けた。
「女の細腕すら喰い千切れぬ犬っころ風情に・・・負けませんわっ!」
「ギャ―――」
発された覇気に慌てて離れようとした狼の頭蓋に鉄球が振り下ろされる。
巨大な鉄塊はその質量を十全に発揮し自らの腕ごと押し潰すかの勢いで打ち据えた。
衝撃で牙が腕から抜け、ドゴンっ!と豪快な音を響かせて地面へと叩きつける。
石畳を陥没させ粉塵と雪を舞い散らせながら、二発、三発と鉄球で殴りつけた。
「・・・はぁっ・・・はぁっ・・・!」
並の相手なら原型すら留めないはずの重量を生かした打撃は、それでも頭蓋の形状が歪む程度で終わる。
仕留められはしたが、明らかにこの街に居るような人間には強すぎる相手。
たまたま動きを止められたから重量武器による火力で押し切れたが―――。
「お、おねえさぁん・・・」
「いいから、逃げなさ―――っ!?」
『ワォォォオオオ・・・!』
人の耳には理解できない、狼の遠吠えの輪唱。
それに警戒をする以前に、視界に映るのは四匹の蒼銀狼。
思わず目を見開くが、直後に浮かぶのは好戦的な笑み。
「はっ、豪勢ですわね・・・!」
貫かれた腕から青白い燐光が漏れ、痛みに目は血走っているがそれで心が折れることは無い。
仮にも戦闘力によって街の最大勢力にも数えられる集団を率いている彼女が多少強い相手を目の前にしたからといって戦意を衰えさせはしなかった。
乱れた呼吸を整えながら、胸を張り鉄球を構えて敵を睥睨する。
手傷による衰えすら見られないからか、追い詰められた鼠みたいな扱いなのか、狼たちは唸り警戒しながら様子を覗う。
「ふぅ・・・」
一種の膠着状態。
しかし、北門は冒険者互助組織に近く、数分もあれば増援が期待できる。
問題は一匹仕留めた今の段階で一分、ともすれば数十秒と時間が経過していないという現実だった。
戦闘時における興奮で濃厚な時間は長く感じられるが、頭の中の冷静な部分が絶望的な時間経過の遅さを教えてくれる。
(独りで倒せる、と確信はできませんし、場所が悪すぎますわ)
自分を警戒して動かないなら好都合、とアザミは笑う。
周囲には戦闘力の無い民間人ばかり、負傷者すら出ている。
被害を無視して戦闘に集中できるほど非情ではないのを自覚しているからこその冷静な判断。
睨み合いで十秒でも二十秒でも稼げれば―――
「―――うぉぁぁぁあああ!!?」
「きゃぁっ!!!」
「!」
更なる悲鳴。
背後の少女も声を上げ、視界の端に蒼銀の影。
「ち・・・っ!」
(先ほどの遠吠え! 足止めされたのはわたくしの方・・・!)
元々、狼というのは頭のいい生き物だ。
集団での狩りをする彼らは、時に人間と同等か、それ以上の戦術すら用いて立ち回る。
強敵を足止めして弱い相手から襲い数を減らしていく、なんて単純な作戦くらいは当たり前のように。
伏兵の行動にアザミは思わず視線を走らせる。が、それこそ思う壺。
「っ!? しま―――」
思考の端にはあったはずなのに、それでも気を取られてしまった。
そんな明確な隙は見逃されるはずも無く、二匹が同時に飛びかかって来る。
もう二体はそれぞれ左右へ散開し、さらに周囲を散らそうというのか視界の外に出ようとしていた。
また破壊音や何かが千切れるような音、獣の唸りや叫び声が死角から聞こえてきて思考を裂きそうになる。
「くっ、の! やってくれますわねっ!」
苛立たし気な声音と共に鉄球を投げつける。
しかし、気が散って狙いをまともに定められない一撃は誰に当たるでもなく、咄嗟に鎖を操って横合いから狼を狙ってみても跳躍にて回避される。
風切り音すら響かせる速度のアザミの攻撃は多少ぶれたところで避け切れるような速度ではないというのに。
けれど、それも想定の範囲内。鉄鎖を足で踏み腕を掲げる事で張りつめさせ、狙われなかった事で障害も無く飛び掛かる狼の白牙に噛ませて簡易の盾とする。
自身の体格の数倍にもなる巨大な狼の勢いを何とか受け止めるが足は滑り、右腕の傷のせいもあって衝撃で全身に激痛が走り、苦痛に顔が歪む。
「う、ぁ・・・が・・・負け、ませんわぁっ!!」
「キャゥンっ!?」
負傷した腕で犬っころの鼻面を殴り飛ばし、回避のために間が空いたもう一体が飛び込んでくる獣へ引き戻しを利用して鉄球に背後から襲わせる。
音か、空気の揺れか、それとも殺気に反応したのか、後ろから迫る鉄球は軽い跳躍で回避され―――
「ぜっ、せい・・・ッ!」
空中なら避けられないでしょう!とでも言うように跳ぶ動きに合わせてスカートが捲れるのも気にせずに高々と足を上げる。
停滞したような刹那の錯覚を挟み、敵の脳天に踵を振り下ろした。
「ギャウンッ!?」
「おまけ、ですわっ!」
踵落としで地面がさらに陥没し、追撃で隕石のような鉄球での一撃が骨を砕き折るボキボキとした不吉な音を響かせる。
逆に言えば、その程度しかダメージが入っていない。致命傷を与えられたとは思うが、ほとんど全力の一撃でようやく一匹。
避けようの無い状況に追い込んでやっと当てられる攻撃であって、正面から攻めて打倒すことは不可能だ。
「きゃぁぁあああっ!」
「この・・・っ!」
アザミから見て左側へ大きく離れた一匹が背後の少女へ突っ込もうと走り込み、殴り飛ばした一匹が再度襲い掛かってくる。
もう一匹は視覚に入るかどうかという位置を走り回って意識を散らしてくる動きを見せていた。
さらにそれらよりも離れた位置では青銀狼が三匹ほどで街民へと襲い掛かり、別の所では建造物へ突撃して壁を崩している様子も映る。
(対処、しきれない・・・ですわ!)
即座に結論。
全てを護るなんてことが出来るのなら、そもそも嫌がる冒険者に水商売を強要させたままにしていない。
できない事を出来ないと認める事を冒険者特有の瞬間的な高速思考で行動を決定。
普段は力任せに圧倒する戦い方をするのでやらないが、手首のスナップで鉄球付きの鎖を『鞭』として操る。
鉄球付きの鎖はモーニングスター ―――本来はトゲ付き鉄球を棒の先端に付けた鈍器―――呼ばれる物に近いが、巨大な鉄球に長い鎖が付いた、暗器ではないが錘のようなこの武器はSSOというゲームの分類においては『鞭』である。
蛇腹剣と同じように空想武器の一種であり、ゲームとしての特徴としては術理を操る隔霊操型の引きであるにも拘らず物理特化の性能の中距離攻撃武器。
しかし、補正こそ低いものの術理を操ることが出来ないなどということは無い。
意識して『力』を使えば片手で自由自在に操ることも、術技を使えば物理法則を超越して一時的に鎖の長さを変化させることすらも可能だ。
「きゃぁっ!?」
「黙って口を閉じていなさい!」
鉄球、というより鉄鎖を操って蒼銀狼の進攻を牽制しつつ、背後で動かなかった少女を抱え上げる。
腰が抜けたのか、恐怖に竦んだのかも知ったことではないが、小柄な身体を抱き上げて後退。
全員を助ける事が出来ないのなら、最も近い位置に居る少女だけでも庇いながら、可能な範囲で時間を稼ぐ。
日頃の癖で、独りで飛び出してしまったが故の、つまりは自業自得の結果が今の状況だ。
「ガァァッ!!!」
鉄球が跳ね、鉄鎖が縦横無尽に舞わせて狼を踏み込ませないようにさせたが、けれどそれは一面に対してのみ。
剣や槍よりは範囲が広いけれど、囮を活用して背後に回ろうとする全てを抑えきれるほどではないのだ。
ましてや数十メートルの距離を一瞬で詰めてくるような魔狼を防ぎきる事はできていなかった。
少女を抱え上げるためとはいえホンの少し視線を切ってしまったせいで、自身を狙う相手を視界から外してしまった事も大きい。
「この・・・っ!」
気が付いた時には大きく咢を開いた蒼銀狼が間近に迫っていた。
焦りの声を漏らし、それでもアザミは護ると決めて抱えた少女を庇うように胸元へ引き寄せる。
防御の余裕が無く地面を転がって回避を試みるも―――
「づ、ぁ゛あ゛あ゛あ゛・・・っ!」
―――アザミの右腕が喰い千切られた。
避けそこなっただけ、とも言えるが赤熱する激痛が失った腕から一瞬で全身に駆け巡り意図せずに口から声が漏れる。
ねじ切れた腕が地面へ落ちて青白い燐光となって消えていくのと同時に、肩口から勢いよく同色の輝きが噴き出す。
「きゃぁぁぁぁあああ!!!」
地面を転がる衝撃、呻く様なアザミの声音に、パニックに陥った腕の中の少女が悲鳴を上げる。
そんな声に惹かれるかのように狼たちが転倒したままの二人に向かって飛び掛かった。
「―――どぉぉぉおおおりゃぁあっ!!!」
気合一閃。
駆け込むと同時に振り抜かれたのは―――鶴嘴。
岩壁を砕き、鉱石を削り取り、破砕の先に目的を果たすそれが蒼銀狼の脇腹に叩きつけられた。
「キャウン・・・っ!?」
「硬ってぇ・・・!」
意外に可愛らしい悲鳴を上げた狼が空中で別の狼を巻き添えにしつつ吹き飛ばされる。
しかし、衝撃を一点に集中する一撃であったはずなのに魔狼は低く威嚇の唸りを返すだけで怪我をした様子もない。
そんな様子を睨みつけていると、赤と緑の輝きが宙を駆け抜けていく。
遅れて爆炎が撒き散らされ轟音が響き渡る。
「アザミさん!」
「ゼリオっ!」
少女を庇って倒れ伏したアザミ。
そして二人を護るために飛び込んだゼリオへと声を掛けながら仲間たちが雪崩れ込むように参戦してくる。
アザミが戦い始めてから、状況を把握した冒険者たちが駆け付けるまでにかかった時間は僅か二分半。
たったそれしか時間が経過していないという事実は、倒れ伏す彼女しか知らない事ではあるが。
「おい! 大丈夫か!? アザミ―――」
「・・・て・・・れ・・・ね・・・」
「―――さ、ん・・・?」
ザワリと震える気配にゼリオは思わず顔を引き攣らせる。
「アザミさん! 大丈夫ですか!?」
駆け寄って来た娘たちが俯いたままのアザミへと声を掛ける。
しかし、彼女は大きな反応を見せることは無く、片手で腕の中の少女の首根っこを掴み仲間へと手渡す。
恐怖で腰を抜かし、怯えて萎縮し、言葉も出ない少女は為されるがまま、心配そうな表情を浮かべる冒険者が受け取った。
そして、彼女はゆっくりと手を伸ばし、地面に転がっている鎖へと手を伸ばす。
「・・・て・・・」
「ひぃっ!?」
ゆらりと立ち上る怒気と闘気。
まるで煽られるように髪が揺れ、痛みのせいか血走った瞳が見開かれる。
人形じみた美貌の彼女の壮絶な表情に、ゼリオは小さく悲鳴を上げた。
「よくも、やってくれましたわねぇ・・・っ!」
血風とも見紛う赤い旋風が渦巻き、鉄鎖が這いずる。
左手から浸蝕するかの如く赤が鎖を伝い鉄球に至るまでを包み込んだ。
「ふん・・・ッ!」
「うひぃっ!?」
アザミが軽く手を振るうと、それに合わせて鉄球が蠢いた。
物理法則を無視して操られた赤く染まる鉄塊が空を駆ける。
不意に襲い掛かった大質量にシルバーファングが飛び退いて回避し―――
「ぬぁっ!」
「ギャウっ!?」
―――ようとした先に鎖が回り込み、その体を絡め捕る。
ギリギリと金属音を立てながら蒼銀狼を締め上げ、さらに踏み込むと共に捕らえた獲物ごと別の狼へと叩きつけた。
肉のひしゃげる生々しい音が響いたと思えば、地面が大きく陥没する。
「う、うっへ・・・こっわ」
原型を留めていない生き物だったモノの姿を眺めて思わずゼリオが零す。
そんな青年を無視して片手で鉄球付き鎖をブンブンと振り回して、彼女は仁王立ち。
そして、言葉が通じるはずもない事を理解しつつもアザミは声を張り上げた。
「片っ端から、叩き潰して差し上げますわ・・・ッ!」




