08 血の通わない形
『腕』が宙を舞う。
本人は突き飛ばそうとしたようだが、抱きつくように腕の中に飛び込んできた妖精の二の腕から先が断ち切られた。
彼女の腕がくるくると舞うのを視界の端で捉えつつ、ノアは様々なことが脳裏に過り硬直したままフィルと共に地面へと倒れ込んだ。
「・・・ぁ、フィルっ!?」
「大、丈夫・・・」
ノアはパニックを起こしそうになったが、僅かに顔を顰めただけのフィルの姿を見て小さく頭を振って気を取り直す。
内心での混乱と焦燥は残っていたが辛うじて理性が戻ってきた、と言うべきだったかもしれない。
それでも気丈に立ち上がるフィルの姿を見れば、へたり込んでいる場合ではないと奮い立つくらいの気力はあった。
「水に落としたくらいじゃ、ダメだったか」
「油断した」
フィルが僅かに苦々しく不機嫌な表情を浮かべる。
それを観察して気が付いたが、彼女の腕―――切断された二の腕からは血が出ていない。
当然だが、地面に転がっている方の腕も血に塗れておらず、それどころか青白い燐光となって溶けるように消えていった。
この世界では、出血というのが存在しないのだろうか。
「先輩っ! 設定っす! SSOの戦闘設定をよく思い出してくださいっす!」
「・・・ああ、まだ居たのか。君の存在を忘れていた」
「酷いっす!?」
本気で意識の外に置いていたせいでびしょ濡れでまだ立ち上がってもいない二つのお団子頭のチャイナ服少女に声を掛けられて若干ノアは驚いていた。
そうこうしている間に、水の中から飛び出してきた大剣を振るう男は獣のような咆哮を放ちつつフィルに向かって切り掛かる。
フィルは詠唱を必要としない水の弾丸で牽制しつつ、ひらりひらりと紫の輝きを纏う斬撃を回避していく。
しかし、障壁装甲が水弾を防いでしまうため、あまり意味をなしてはいない。
そもそもフィル自身が相手を仕留めることを躊躇っているようだ。
ノアがそう望んだから。
「っ! フィル・・・!」
「大丈夫」
落ち着いた声音で、僅かにではあるが笑みを浮かべながら返すフィルの様子にノアは息を呑んで踏み止まる。
感情のままに飛び掛かっても彼女の邪魔をするだけだし、相手に痛痒を与える手段もない。
開き直ってフィルに指示を出せばそれで終わる―――という決断を、ノアは口に出すことが出来なかった。
(我ながら、本当に甘い・・・!)
殺人を忌避する心はあるが、自分でやるならこれほど悩まなかっただろう。
妹のような、娘のような存在であるフィルだからこそ、血に汚れて欲しくないと思ってしまう。
この世界において、共に過ごして家族の様に触れ合って情を通わせてしまったことも理由のひとつだ。
ゲーム画面越しならば気にもしなかったことを、今更になってここまで思い悩むことに意味はないのかもしれない。
データ上では『ノア』もフィルを含めた三姉妹も盗賊などの『人』を殺したことは一度や二度じゃない。
FFがあるゲームらしく、味方の攻撃で死を迎えたり殺してしまったりも多々あった。
それでも、目の前で起こるであろう出来事を割り切ることが出来ない自分に、ノアは歯噛みする。
「あ、あたしが援護するっすよっ! とぉぅっ!!!!」
本人的には気合が入った掛け声でチャイナ服の少女が大剣を振り回す男へ殴り掛かった。
少女の両腕に身に着けている金色の腕輪から薄ぼんやりと緑色の輝きが彼女の身体を包み込む。
(あの子は仙気鳳型か。確かに、仙人っぽいスタイルではあるけど)
仙気鳳型は近接物理攻撃と補助の術理を扱うことができる戦技特型だ。
中華系の武術や伝承を元に作ったらしく、武術に術理を乗せることで仙術みたいなものを再現することができる。
気功みたいな技で身体を硬くしたり、体重を軽くしたりといった技や簡易治癒などもできる近接万能型というのがゲーム上の評価だった。
もっとも、実装されている能力では器用貧乏になりがちで装備できる武装の射程も総じて短く玄人向けのスタイルだという評価がなされていた。
しかしながらスリットの大きく開いたなんちゃってチャイナ服の見た目には合っていると言える。
見た目だけは、だが。
「ちょあっ! ほぁっ!? てぇ―――ひゃぁっ!?」
殴り掛かってはスッ転び、大振りの大剣を無様に転がって避け、へなちょこパンチが空を切る。
鬼教官アルナはもちろん、フィルと比較するとあんまりにも酷い戦いっぷりにノアは思わず言葉を失った。
フィルなどは迷惑そうにしているが、積極的に手を出す気も無いのか距離を取って様子を見ている。
腕は―――やはり回復もしていないけれど出血もしていない。
(そういえば、設定をって言っていたっけ・・・設定?)
フィルの様子を見るに、今すぐに命の危機と言うほどのダメージを受けたわけではなさそうだ。
それもまた何らかの設定による効果なのだろうか。
しかしながら、ノアはゲームの設定を細かく覚えているかと言うとそういうタイプではない。
ゲームを遊ぶのに必須でない情報まで網羅するのはそれはそれで大変だ。複数のゲームをプレイするゲーマーならなおの事。
ひとつのゲーム世界に没頭するタイプなら別なのだろうが・・・。
(設定。カメラ操作とかボタン配置とか・・・いや、オプションボタンで開くタイプのじゃないよな)
思考が変な方向に行ったことを自覚してノアは小さく頭を振った。
けれども、記憶にないモノをどれだけ思い出そうとしても導き出すのは難しい。
「お姉ちゃん」
ふわりと空を舞ってフィルが隣に降り立つ。
痛みを感じていない様子だが、出血していないとはいえ切れた腕は痛々しい。
「わたしたちは、お姉ちゃんが造った身体を使っている」
「それは、そうだけど」
フィルたちパートナーNPCは初期設定やひな形設定もあるがプレイヤーが容姿を決定する。
三姉妹はノアが細かく容姿を設定したこともあり、自分で生み出したという感覚が強い。
だからこそフィルの言葉は納得ができるが、だから何なのかと言われると疑問が浮かぶ。
「だから、お姉ちゃんが居れば大丈夫。大丈夫、なんだよ・・・?」
「大丈夫って―――」
(―――いや。そもそもキャラクリエイトって『この世界』ではどういう扱いなのだろう?)
それに『復活』についても、だ。
SSOはゲームであり、プレイヤーキャラクターが死亡した場合はマイルームで復活する。
死亡時の罰則は所持金の半分、装備以外の所持品の消失、3時間のステータス弱体化。
死亡直後から30秒以内に蘇生アイテムを使用すればペナルティ無しでその場で戦闘に復帰できる。
自分で試す気にはならないにしても、死亡後の肉体がどうなるのかは疑問だ。
それは冒険者に限った話ではなく、フィルたちエインヘリヤルについても同じ。
現にフィルの腕は現実ではありえない消失の仕方をしている。
(フィルの言う『大丈夫』というのは、どこまでの事を言っている?)
痛みに耐えられるから。
腕は何らかの方法で回復させることが出来るから。
あるいは―――肉体的な死亡が『消失』ではないと理解しているから。
ノアの背筋にゾッと冷たい感覚が襲い掛かった。
それは身近な少女たちとの生死感の違いからかもしれないし、途方もない世界の一端に触れたからかもしれない。
少なくともフィルは自分が傷つくことも、死ぬことも恐れている様子が無い。
ノアさえ生き残れば。ノアの命令さえ遂行できれば。
そんな想いが透けて見えるほどの忠誠が見て取れた。
(いや。まてまて、待て。フィルが何を考えているのかは、今は後回しだ)
先に考えるべきはフィルの肉体の事。
正確に言えば腕が消失したことをについて。
明らかに血肉ではなかったアレだが、過去に触れた時には違和感を覚えなかった。
「・・・お姉ちゃん?」
「わかった」
顔を覗き込まれて、ノアは小さく笑みを浮かべる。
思い出したのはフィルたちエインヘリヤルの『設定』だ。
召喚の際にプレイヤーの力を込めることで肉体と特殊な能力を与えるという設定。
つまり、フィルの肉体はノアの『力』で形作られている。
逆算してプレイヤーにはそういう『能力』が存在するということ。
「なら、自分の肉体も―――」
―――かちり。
何かが嵌ったような感覚がして、ノアの身体が閃光に包まれる。
確かにSSOにはプレイヤーに関する設定があった。
それは対象年齢を広くするために出血表現を押さえるために設けられたモノ。
戦闘に入ると肉体を戦闘義体へと変換することで実体のダメージを肩代わりさせられるというものだ。
一定以上のダメージを負うと最後に訪れた拠点に実体が飛ばされる他、パーティーリーダーの義体が破損しても同様に飛ばされてしまう。
実体はアストラル界に保存されているとの設定だが現在のところ詳細は不明である。
これはゲームの表現にある程度の説得力を持たせるためのモノで、実はエインヘリヤルの設定とは何ら関係が無い。
つまりはノアの深読みなのだが、結果として正解に限りなく近い内容であった。
淡い光が薄れるに従って、衣装の変わったノアの姿が露わになる。
「・・・くっ」
(わかっていた。わかってはいたんだけれど・・・っ!)
彼女の肢体を包むのは軽鎧だ。
コンセプトは鬼教官にして三姉妹の長女たるアルナと同様の『戦乙女』。
ただし、見栄え重視の煽情的なモノだが。
胸元は大きく開いて豊満な母性の象徴を強調するようなデザインであり、鎧も身体のラインを強調するような形をしている。
腰布はロングスカートのように伸びているが右足は隠すつもりが無いかのように大きなスリットが入っている。
瑞々しく艶めかしい生足が覗く様は美しくも煽情的で、傍から見ると目を奪われる光景だったりするのだが。
正直、戦衣装というよりは華美な見た目衣装と言う方がしっくりくる見た目。
自分で造ったとはいえ、スカートよりも煽情的な衣装はノアの精神に少なからずダメージを与えた。
単純な露出はともかく女性らしさを強調する見た目には色々と思うところがあるのだ。
「お姉、ちゃん・・・!」
「フィル。援護をお願い」
「うん!」
自分の見た目には一旦、目を瞑ってノアは右手に剣を、左手に円形盾を構える。
戦技特型は攻盾戦型。
盾と武器を装備する前線を張る物理攻撃型のスタイルである。
このスタイルは育て方によって戦闘技法が大きく二つのタイプに分かれる。
ひとつは敵の注意を惹きつつ足を止めて相手の攻撃を受け止める壁役と呼ばれる重装甲兵タイプ。
もうひとつは盾と言う最低限の防御手段を用意することでより積極的に相手との距離を詰める至近戦闘タイプ。
ノアは教官役のアルナがそうであるように、後者の戦闘スタイルである。
もともとSSOでは戦場の移動が頻繁に行われるので足を止める戦術を好まなかったというのも大きい。
(本当はフィルの治療を優先するべきなのかもしれないけど、メインもサブも回復できる戦技特型じゃない。アイテムも取り出せないし)
ゲームの時はショートカットキーひとつで簡単に使えた回復アイテムだが、今は使用方法もわからない。
品物としてはマイルームに保管されているが、飲み薬なのかどうかも不明。
その上、嵩張るので常に持ち運んでいるということもなかった。
回復を望むなら支援中心に育てたイリスに頼むのが最善だろう。
そう考えれば優先順位はすぐに決まった。
「行くよ」
小さく零してノアは裾を翻して一歩を踏み込んだ。