85 裏道を統べる大華
戦闘というのは決して戦地にのみに影響するというわけではない。
特に今回はほとんど街と隣接する一帯が戦場となっているため、多くの民間人に直接的な影響が出ている。
主要街道方面とは異なっているので街の出入りが完全に封鎖されているというわけではない、
しかし、それでも街の外で得られる糧の入手が困難となっているのは事実である。
ゴルツとほとんど入れ替わりでノアの下を訪れた愁いを帯びる女性の求める物もまた、入手が厳しい状況らしい。
「・・・薬草、ねぇ」
「ええ。足りていないの」
ふぅ~、と気怠げな吐息と共に紫煙が吐き出された。
独特の甘い香りが鼻腔を擽ると共にノアが顔を顰めると、周辺から凄まじい勢いで鋭い視線が飛んだ。
煙管を使う刻み煙草には詳しくないが、不快に感じる者も居るのは知っているのか眼前に座る女性は座り心地を整えるような仕草で煙の流れる先を調整する。
もっとも、ノアが苦い顔をしたのは煙草が苦手というわけではなく、彼女の口にした内容の方が問題だった。
「大切な物よ」
「それはわかるけどね」
ゆるりとした、どこか気品すら感じる所作で煌びやかな和服の美女、レーロイドの色町の長たる森妖ヒサナ・オーセニアは小さく頭を振る。
翠緑色の髪に、目鼻立ちがすっきりとした北欧系と思う顔立ちの釣り目気味の美人が和装を纏っていることには近年のサブカルチャーに触れてきた身としてはあまり違和感を覚えていない。
しかし、胸元を大きく晒す様に着崩し脚も半ば露出するような姿は、高位の娼婦というよりは大規模なイベントで写真を取られている女性たちの過激なコスプレにも思える。
大きく肌を露出して『女』を武器に異性から名声や金銭を集めようとする行為は、ノアにしてみれば両者に大きな差を感じさせるものではなかった。
ただ、ヒサナのような高位の娼婦は微妙に古風な一面があり、単純に一夜の相手をするだけの春を売る人物ではない。
江戸時代などの芸妓―――それも枕芸妓などと呼ばれる人々の如く演舞で魅せ、盤上遊戯などで共に競い合い、音楽を奏でて心を癒し、夜も更ければ身体を重ねて心と体を慰める。
要するに多芸で頭が良く、適度に男を立てて相手が満足するくらいに商売的に尽くす有能な女性ということだ。
それ故に、ただの商売女なんて侮るとこの街では生きていけないくらいに追い込まれる。そのくらいの政治能力と知恵、地盤がヒサナにはある。
でなければ街の一角を統括している女傑と認識されるはずもないのだが。
「薬草。薬草ねぇ・・・ゴルツには?」
「聞いてないわ」
「いや、それも困るんだけど」
冒険者に依頼をする場合は基本的に冒険者互助組織を経由する。
これは法律の為、というよりは『冒険者』を護るための措置であり制度だ。
個人間で交わされる契約で無軌道に依頼が飛び交えば、報酬の未払いや暗殺などの後ろ暗い仕事、でっち上げによる糾弾などのプロパガンダ等々、軽く考えるだけで発生する問題は多岐に渡る。
そんな厄介事を生じさせないための管理運営をしているのが冒険者互助組織であり、これを軽視すると国民に認められない『冒険者』たちは排斥すらされかねない。
だからこそ、商売の土俵に乗るには冒険者互助組織の連携が必要となり、どこまでが黙認されるのかを見極める政治的な立ち回りも必要になる。
ノアの場合は先に権力者たちと渡りをつけて、彼らを後ろ盾として巻き込んだことで公的なモノではないにしろ排他されない仕組みを作り上げることが出来た。
それを知るからこそ―――幸運に恵まれたという側面を加味しても―――ゴルツやヒサナといった重鎮はノアを高く評価しているし、無碍に扱う気もさらさらない。
おそらく彼女が作り出した冒険者による商売や他組織との付き合い方は、大きな一例として今後も多大な利益を生み出しつつ最終的には公的な商会にでもなっていくのだろう。
そんな『金を生む鶏』をたった一人で形成した人物、となれば、敵対したくないと思うのは割と普通だろう。
嫉妬などに狂えば排除の方向に傾くこともあろうが、物理的に取り除くのは難しい相手だということもあって手が出しづらいという面があるのも事実だが。
それはそれとして。
ヒサナが必要とする薬草というのは、今も戦場で命を賭ける人々の命を繋ぐもの―――などではない。
遊女や娼婦が必要とする避妊や体調不良、性病などの予防や治療に必要なモノから、手荒れなどを防ぐものやら肌の張りを保つためなどの美容に関するモノといった女性特有の医薬品類のためのモノだ。
こういった、ある意味で生活医療品は、血を流す兵士たちが多数出ている戦場が隣にある以上はどうしたって後回しにされる物でしかない。
しかし、ヒサナ達にしてみれば美貌を保つのも憂慮無く女を晒せる身体も立派な商売道具であり武器である。
手入れのための薬類は万全にしておかなければ、大事な時にその武器を振るうことが出来ない、ということだ。
「ヒサナさんたちが必要なのはわかるけど、冒険者互助組織を通さない依頼は受けられないよ。特に今は、ね」
「理解はしているわ。けれど、回せる人員は居るでしょう?」
「それこそゴルツ経由で話を通してください」
ふぅ、と色っぽく吐いた溜息にノアは肩を竦めて返す。
現状、レネア達『黒百合の絆』は戦力不十分として戦闘には参加させていない。
この判断はノアが言い出した事ではあるが本人たちも理解している事であり反発無く受け入れられたが、だからこそ今は手が空いている。
アコルやカザジマも行動を共にしているので、暇と言えば暇な状況であり、この辺りの戦力は頼めば動いてくれる人材でもあった。
それをヒサナも承知しているからこその話であったのだろう。
「私の所には、貴女と同郷の者も多いのだけれど?」
「だとしても、回答は変わらない。友人なら無理を押し通しても良いという話にはならないよ」
「・・・」
不満げな視線を向けられるが、今は曲げるわけにはいかない。
戦場への救援要請も断っているのに、ヒサナのために通常のルールを無視して依頼を直接受けるのはリスクしかないからだ。
しかし、冒険者互助組織に依頼するというのは、その制度上どうしても実際に動くまでに時間が掛かる。
危険度調査に内容の不備改め、任務地周辺の事前調査や報酬の適正度検査などと面倒極まりない手続きと正当性を証明した上で冒険者の前に依頼として掲示される。
冒険者側が半分法律の外に居る存在であるからこそ、それを管理する役目のある冒険者互助組織の方は厳正かつ詳細に様々な状況を鑑みて依頼を成立させなければいけない。
「・・・どこぞの勇者君たちみたいに好き勝手やれば、いずれ排斥されるのは『冒険者』だよ。それくらいは考えられる」
「貴女が無思慮だなどと思う愚かな女ではないわよ?」
「ヒサナさんくらいの頭の良さがあれば、騎士団との関係ももう少し穏便に済ませたのだけれどね」
その言葉にヒサナは僅かに眼を眇め、真意を探るような面持ちでノアを見据える。
しかし、実際の所ノアには深い意図など無く、そもそも割と思慮を巡らせずに行動しているので苦笑いを浮かべるしかない。
最低限に通すべき社会ルールを把握して世渡りしているくらいのもので、幸運と偶然の産物で今の立場を形成している。
さすがに他の冒険者の不利益になるような動きをしている『勇者くん』たちよりは慎重に動いているつもりではあるが。
だが、ヒサナの側からすればノアは深謀遠慮に長ける有能で常識外れの冒険者であり騎士団との不仲すらも何らかの意図があるように思えてならない。
「・・・早急に欲しいの。事情は推察できるでしょう?」
「そう言われてもね。これくらいしか出せないよ?」
取り出したるは緊急の依頼申請書。
これは特殊な伝手か行政組織でも上位の人間が支部長かそれに準ずる権力を持つ幹部に直接要請しないと出てこないような代物である。
当然だが一介の冒険者が手元に持っていて良いものではないし、事前の準備が無ければ―――
「―――最初から、わかっていたわね?」
「もちろん。日用品や美容品、生理用品が不足する事なんてちょっと考えればすぐに分かる」
ふぅ~、とどこか疲れた様子で深々と嘆息が零れる。
ノア自身は軽視していたが、避難民などの環境を考えるに薬品やら食料、燃料となる木材などが足らなくなる可能性は十分に見えていた。
その為に追加で材料を入手する手段として署名すれば次の日には効力を発する緊急依頼申請書を事前に用意するくらいはしている。
もっとも、避妊薬や堕胎のための薬草などのために使う事になるとは思ってもいなかったが。
「薬師組合には頼めないから、傷薬や痛み止めなんかは追加で用意しなければならないかと思っていたけど」
「生きていれば色々と必要になるのよ。追加で欲しいモノは色々とあるわ」
「シャンプーやらボディーソープやらは融通しないよ。緊急依頼書の内容はあくまで薬草採取に関するモノだけだし」
軽く拗ねたような表情を浮かべるが、事前に用意された依頼書の内容を変更する事は不可能だ。
ただし、冗長性を持たせて臨機応変に対処できるように薬草採取という実に曖昧な依頼内容となっている。
そんな一枚の紙にヒサナが署名すれば立派な契約書の出来上がり。
後は受付に提出すれば次の日の朝には冒険者が受けることが可能となる。
ちなみに石鹸や洗剤の類に関して、ノアは現代の物と遜色のないレベルの品を『錬金術』によって入手している。
汚れの落ち易さなどの面にしても、半ば原始的な自然由来の作成物よりも優秀だが、それ以上に香りやら保湿やらといった面で優れている。
特に清潔感のある香りは男性からの受けが良く、レネアたち経由で入手した一部の娘たちが人気を得る一助になっていたり。
そして、これもまた『薬』として取り扱うドラックストアみたいな薬師組合との軋轢を生む要因だったりもするのだが、そこまではノアも面倒を見切れない。
「もう・・・避難している人たちに供するくらいなのだから、少しくらいは回してくれても良いでしょう?」
「薬師組合と完全に縁を切るつもりならそれでもいいけどね。そっちはそれだと困るでしょう?」
「貴女たちが供給してくれるなら、それも視野に入れるわよ?」
「安定性に欠けるからやめた方が無難かな。レネア達も今の規模でわりと精一杯だし」
生産力に余裕がない上に需要が大きすぎる。
借りた宿に避難している人々に使わせているのは不衛生からの病気で厄介事が増えても困るからだ。
そもそも一般市民の中には湯浴みをする余裕のない者も多く、公共浴場も無いので体臭やら垢やらも諍いの元になったりもする。
事前にそういった小さな争いの種を摘むために入浴を含めた衛生管理の徹底と十分な食事の用意をさせる事は必要な事だった。
ついでに気温の低下が危ぶまれたので早い段階で薪と毛布や防寒着を大量に確保しておいた事で避難民は凍えることなく過ごせている。
逆に避難の必要のなかった一般人やら、寒冷対策を事前に出来なかった人々は結構に辛い状況らしく、たった三日でも結構な被害が出ていたり。
その中には貴族と言われる上位階級の者たちも居るが、緊急事態の継続中であるせいで金に物を言わせることも中々にままならない。
これは貴族階級が極端に力を持っているというわけではないという証左でもあるので、ノアとしては健全にも感じている。
もっとも、さすがに多少の寒い思いはしても凍死するようなのはさすがに平民でも下級層なので格差が全くないという事にはならないのだが。
「で、交換条件というわけではないのだけれど」
「・・・何?」
ヒサナは嫌そうな表情を浮かべるが、半ば演技である。
正規ルートを通さない依頼は高くつくものだ。関係の悪化を気にすることなく相手から毟り取ろうとか考えない限りは。
ノアに直接話を持って来た時から金銭以外の追加報酬を要求されるくらいは想定していた。
「悪いけど、人が足りなくてね。元・冒険者の人たちを回して欲しいんだ」
「・・・どの程度?」
「出来る限り」
その言葉を聞き僅かに目を見開き、まじまじとノアの顔を見据える。
現在、特殊な状況の緊急事態であり、そのせいで色町は半ば開店休業状態。
もちろん、それでもなお極度のストレスに晒される元は一般人の兵士たちなどの慰労のために多少なりとも仕事は回している。
街が近いからこその運用ではあるが、交代で一時の休息を提供するのはヒサナ達の役目というわけだ。
とはいえ、一晩丸々戦場から離れるわけにもいかないので夕時の数時間、食事や酒勢と共に癒しを提供するのみ。
そんなわけで、手が余っており、動かそうと思えば数百人単位―――それこそ彼女が声を掛けられる店の従業員ならほぼ全員が動かせる。
それを理解しているノアが「出来る限り」と言うのだから、それほど大規模に人員が必要な事態だと見ているというわけだ。
「戦場に出す、というのではないでしょうね?」
「そんなわけないでしょ。そこまで使える兵力だったらすでに出しているだろうし」
色町は荒事も多いため自衛のための戦力なども確保しているが、あくまで街中での諍いに対する備えだ。
街の外に生息する怪物たちを相手にするのは勝手が違うし、腕力や暴力に親しんでいるだけの人員で対処可能なら苦労はしない。
そして、売り上げが大きく下がる緊急の事態を解消可能なら、ヒサナは出し惜しみするようなことはしないとノアは確信している。
「なら、何に使うつもり?」
和装美人の訝し気な視線に苦笑を返す。
統括を任される身だけあって下働きであろうと不用意に危険に従事させるつもりはないらしい。
何だかんだと下を気遣う姿勢が見えるからこそノアとしてもヒサナを単なる商売相手と見れずにいる。
結果論ではあるが、この街において彼女こそが冒険者を最も助けている人物でもあるのだから。
「木材―――薪の確保と、防寒衣の作成に人が欲しい」
「かなりの数を確保していると聞いているけど?」
「戦況を確認している限り、もうしばらくは続きそうだからね。まるで足りなくなると思うよ」
トントン、と指先が促す机上戦棋の様相を呈す地図に視線を落としてみる。
専門家ではないがヒサナから見ても戦況は膠着状態で、むしろ場合によっては崩されそうにすら思えた。
即時解決の手段があるのなら、危険度にもよるが提案くらいは出ている筈だが、そんな動きもない。
ならば、しばらく続くという推測を否定する要素は今のところない。
「そうかもしれないわね」
「今ですら貴族―――裕福層ですら寒くて眠れない夜を過ごしているんだよ? 燃料や耐寒のための用意はいくらあっても損はない」
「それを準備するための人員を、私の方から出せ、と?」
「わかっているでしょう? 十分に返礼が出る計算だよ」
ふむ、とわざとらしく考え込むフリをする。
色町における燃料の消費量は鍛冶屋街に次いで二番目。
照明はともかく、薄着の女性たちにとって暖房は必須だ。
凍えたままでは接客などできないし、体調を崩したりすれば単純な赤字以上に多くの問題が発生する。
人員を提供するのだから、無料とまではいかないでもかなり融通してくれるであろう。
また、防寒のための装備は通常は商業組合の管轄だが自分たちで用意するのなら経費はかなり抑えられる。
作成のためのノウハウが無い為、反感を買うリスクも込みで普段なら手を出すこともしないが―――。
「実は、カデラには人員の供出を断られていてね。向こうが手を出せないなら、仕方が無いよね?」
「・・・そういうこと」
商業組合の代表の名が出たという事は、つまり根回しは済んでいるということだ。
事実として、毛糸のマフラーや手袋程度ならともかく本格的な防寒の様々な衣装や物資の作成は商業組合の許容量を上回る。
そして、金銭的な報酬が得られなかったとしても、ここで得られるものは多い。
それこそ今も暖房用の物を削減してでも炉の燃料不足に怯える鍛冶屋街や、そちらまで手が回らない貴族の方々、それに支えられている騎士団にまで恩を売ることが出来る。
商業組合には恩こそ売れないが、ここで繋がりを持っておけば後々に良い影響があるかもしれない。
何より、自分達もまた恩恵にあずかることが出来る。
「いいわ。受けてあげる」
「よかった」
ホッとした笑みを浮かべるノアに、ヒサナは表には全く出さず内心で畏怖を覚える。
最初から必要な人員を確保するために会話を誘導されていたかのかと錯覚してしまったからだ。
元々、頼む立場なのだから会話の流れを操作され易いのはあるが、そもそもこの場に出向いたことすら誘われたのではないかと疑念が過る。
そのような疑心を胸に抱いたせいか、目の前で優し気な微笑みを浮かべる黒髪の美女が得体のしれないナニカに思え―――けれど、内心で小さく頭を振って否定した。
彼女は他者を貶める類の策謀を弄するタイプではないし、権力や金銭への欲で他人を踏みにじることも無い。
「それじゃあ、よろしく頼むわね」
「直接作業するのは別の人たちになるだろうけど、了解」
依頼として回される以上は冒険者なら誰でも引き受けることが出来るようになるという意味でもある。
ノア自身が騎士団からの要請を断るためにもそれなりに忙しくしていることは把握しているので、ヒサナとしても異論はない。
結果さえ伴っていれば。
「あ、お酒は早めに、多めに確保しておいた方が良いよ」
「酒?」
メインとしている職業柄、余裕をもって在庫の管理はしている。
しかし、ノアの言葉にはどこか確信めいたものが含まれており、僅かに逡巡を抱くもヒサナは小さく了承の言葉を返して席を後にした。