83 吹き抜ける間断の風
街中に響く鐘の音は止まることを知らないかのように未だに鳴り響き続けている。
それでも手動ではなく、何らかの手法での自動操作に切り替わったのか音色は切羽詰まった雰囲気はあるものの、パターン化された音になっていた。
そのせいもあるのだろうが、やはり騒々しく物々しい雰囲気が充満し、怒声にも近い大きな声や慌ただしい喧騒があちこちで上がっている。
「無駄に危機感だけ煽っているようにしか思えないなぁ」
「そういうものでしょうか?」
「具体的な状況のひとつも開示していないのに『緊急』とだけ伝えてもね・・・」
急げ!とだけ口にして『何をするのか』の指示が無いのでは混乱を招くだけだろう。
言葉にしなくても通じ合える間柄ではなく、不特定多数に対して、というところも問題がある。
もっとも、組織的な集団で直属の部下に対して同じことをするというのもどうかとは思うが。
そんな会話をしつつも、色々な狂騒の最中だということなのか、裏路地のような狭い道を抜けていけば騎士団砦までほとんど人と出会うことなく辿り着くことが出来た。
「来たけど、きてどうするんだとしか思えない・・・」
「何とはなく理解できますけれど」
「・・・まぁ、行こうか」
正直なところ、ノアとしては騎士団と連携する意味が薄い。
壊滅されても困るが連携については絶望的、行動方針についても噛み合わない部分の方が多い
アザミやゼリオくらい手勢というか『仲間』が居るのなら組織的な意味で動き方を考える場面ではあるのだが―――。
("今後"を考えれば色々としておいた方が良いのだけど、今更ねぇ・・・)
もうレーロイドを離れよう、という段階まで来ているノアにとって騎士団との繋がりはそれほど重要でもない。
あえて壊す必要はないのだが、厄介な案件を抱えてまで維持しておく必要があるかというと疑問だ。
ハッキリ言ってリスクとリターンの天秤が不利な方へ傾いているのに肩入れの必要を感じていない。
それくらいには得られる恩恵に意味を見出せないでいた。
(情けは人の為ならず、とは言うけど・・・危険度と面倒さが輪をかけて酷い状況にしか思えないんだよね)
無暗に見返りを求めるものではないが、騎士団と共闘の流れになるだけでノアにとっては危惧の方が大きい。
入り口で「お待ちしておりました!」などという言葉を掛けられてはなおの事その想いが強くなる。
案内役に付いてくれた騎士に従いながら、普段以上に騒がしく忙しない様子の騎士団砦の中をすれ違う人々を一々廊下の端で足を止めて避けながら進んでいく。
(想定以上の事態なのか、慣れていないのか・・・どうも緊急事態への対応は訓練不足な印象を受けるなぁ。それに―――)
エリサの慌てようからも不安があったが、騎士団砦、ひいては街全体が浮足立っているように感じられる。同時に、ノアは体感ではあったが奇妙な肌寒さを覚えていた。
それが異常だと感じた理由は主に『勘』ではあったが、自然現象ではない何かを感じているのは周囲の空気の流れすら操る術士の存在を知るが故か。
(フィルの術理と似た気配・・・天候操作系の何か? いや、断定はできないけど・・・何らかの力が作用している可能性はあり、と)
それが事実だとして、どれほどの脅威になるのかは今のノアには判然としない。
悪天候による不利を明確に実感したことが無いというのもあるが、身近にも似たようなことが出来る存在が居るせいで感覚が麻痺している。
大雨の中での戦闘くらいは経験しているが、実力的にも能力的にもその程度では何ら不都合が生じなかったというのもある。
(フィルと同じくらいの『力』がある相手、かぁ・・・最悪を考えると、逃げるしかないかもしれないな)
たとえ騎士団や街の人々を見捨てる事になっても。
最優先するべきは三姉妹―――彼女たちが真っ先に護ろうとするのでノア自身も―――の身の安全。
優先順位を間違うわけにはいかない、と内心で冷静に、冷徹に想定を固めていく。
そうやって悪い方向の覚悟を事前に決めておかなければ、いざという時に躊躇うと理解しているから。
「こちらです」
「?」
案内の騎士に連れて来られてのは、以前にも訪れた事のある練兵場。
要するに訓練のために設けられた踏み固められた広場であり、普段は設置されているであろう木人などの的は撤去されているようだ。
そんな割と広いが殺伐とした空間には数百人規模の人間が整列していた。
正確な人数は面倒なので数えていないが、使い込まれてはいる様だが重そうな板金鎧や身の丈よりも長い槍などで武装した人間が五百人ほども居れば結構な威圧感がある。
ただ、中世的な装備一式で魔物とまともに渡り合えるのかとはノアは様々な自身の装備と比較して疑問に思ってしまったが。
「・・・来たか」
小さく呟いたつもりなのだろうが、割と優れている聴覚は口元など読まずともその言葉を聴き取ることが出来た。
だからこそ、顔に浮かぶ渋面を隠すこともせずにレーロイドにおける騎士団団長であるリベリオへ苦々しい視線を投げる。
けれども、当然というべきなのか他人の機微に疎いと秘書官が愚痴られる彼はその視線の意味を理解することは無い。
さらに言えば、その秘書官やガタイの良い副団長すらも歓迎の面差しなのだから期待するだけ無駄というモノか。
「ノア、こっちへ」
「・・・」
エリザに誘われて足を踏み出す際に深々と吐き出しそうになった嘆息を呑み込む。
そして、思うのだ。
(・・・ああ・・・やっぱりこの世界は普通じゃない)
と。
騎士が束ねる兵たちの一団。
国有戦力である彼らの中に、なぜ個人でしかない自分を並び立たせようとしているのか。
現代で言えば自衛隊の整列している中に私服姿の裏家業者が混じるような場違いさだというのに、それを良しとする。
(組織体系や規律、政治や法律・・・普通に考えたらあり得ないくらいの緩さ加減と冒険者への恩恵はSSOというゲームの影響か?)
プレイする全ての人を『主人公』とする"ゲーム"としての特性は、時として世間一般常識を覆してトントン拍子に事を運ぶ。
これが独りで楽しむコンシューマーゲームの展開であるなら、そういうこともあるか、で済ませるのだが。
苦々しい表情に気が付いたのは、残念ながら副団長のみだったようで、彼は僅かに困惑したように目を細めただけだった。
「―――皆っ!」
ノアと従者であるイリスが整列する面々よりも僅かに離れ、いわゆる貴賓席のような位置に立つのを確認して騎士団長様は声を張った。
張り上げる鼓舞の声は幾度か顔を合わせていたが聴いたことの無いモノで、彼が闘気と戦意を宿した言葉を重ねるほどに周囲の熱気は温度を上げていく。
騎士たちが瞳に爛々とした熱を宿し、兵士たちすらも高揚した意気に頬を熱くして握る武装の手に力が籠る様子が見て取れる。
高まっていく戦いの気配に、逆にノアの心境は氷点下の如く冷え切っていく。
(で、これを見せつけられてどうしろと?)
鼓舞により士気を高め、連帯感と仲間意識を強くし、戦に備えるには大切な一幕だろう。
しかし、それは騎士や兵士にとってであり、少なくともノアにとっては必要なモノではない。
というか、やるにしても身内で小ぢんまりとやる方が性に合っている。
これが祭囃子であるなら何も考えずに乗ってやるのも一興だが、行きつく先は僅かな油断で命を落とす戦場だ。
ましてや、自分の命だけでなく大切な、大切な三人の娘たちや腐れ縁気味の仲間やら付き合いのあるギルドの面々の物を背負いかねないと来れば、なおの事。
(末端の兵隊であれば乗るしかない熱気なんだろうけれど、視線が違えばこうも空々しく感じるとはね)
映画やアニメの中でなら心躍る一幕かもしれないが、現在の心境としては反吐が出る思いである。
そも、戦前の戦意高揚から突撃へのカウントダウンは傍から見れば大迫力だが、間近でやられてはたまったものではない。
巻き込まれようとしているという認識しか生まれないのだから。
「―――これより、出撃となる! 皆も知る有能なる冒険者、ノアが冒険者たちを率い援軍として―――」
「いや、無理だから」
思わず―――ではなく、明確な意思と呆れを伴う嘆息を添えてノアは吐き捨てた。
その声は熱意と団長の言葉を切り裂き、気温以上に寒々とした風が駆け抜けていく。
「そんな馬鹿げていて不可能な話を聞かせるために呼んだだけ?」
この場で態々士気を下げなくても、という気持ちも多少はあったが、不可能な話に勝手に名前を出したのは相手だ、という二つの想いが同時に沸き上がり後者が勝った。
要するに、ノアは失望を隠すことなく表情に浮かべ、冷え切った視線で団長を、副団長や団長補佐を一瞥する。
馬鹿な話に無理やり巻き込むかのように名前を出されてしまったのなら、こちらとしても相応の対応をするのは覚悟していた。
ノアは―――この世界で目を覚ましたその時から―――たった一人で立っているわけではないのだから。
「お、おい、嬢ちゃん・・・んなこと―――」
「馬鹿にするのもいい加減にしてくれる? 君たちの見栄や安全のために無理難題を被るつもりはない」
肩口に延ばされた手を叩き落として冷淡な口調で突き放す。
この一件には『冒険者とて騎士団に協力する立場である』と印象付けるための劇が含まれているのかもしれない。
無理やりにでも依頼でない公の要請を冒険者に呑ませたという前例は大きな意味を持つ。
もちろん、それ以外にも多くの意味があるのだが、意図していないという方がノアとしては厄介である。
どちらにせよ、勝手に名前を出されていい気分はしていないし、強行してでも断る必要があるのがノアの立場だ。
「ノア!」
「エリザ。そんなのだから騎士団は政治の事が何もわかっていない、と言われるんだよ? その意見には同意するけどね」
すでに踵を返し、僅かに振り向いたノアの顔には友好の欠片も浮かんでいない。
軽蔑と侮蔑を露わにして心の壁が物理的にも発生しているかのように彼女を拒む。
「一介の冒険者として、支部長すら介さず、本人の了承も無しに旗頭として死地へ連れ出そうとする君たちには失望を禁じ得ない。今後の付き合いは考え直させていただく」
「ちょ、ちょっと待っ―――」
言葉と共に立ち去るノアの背に縋る様にエリザが手を伸ばしたが、その視線すら遮るかのように冷たい表情のイリスが立ち塞がる。
彼女は舌打ちも不平も零さないが、態度と行動で明確な拒絶と主を―――身も心も―――護るという絶対の意志は明確に感じられた。
それ故に言葉が詰まった面々の一瞬の隙を見逃すことなく嘆息でも吐きそうな様子で踵を返し、小走りで主を追う段階に至っても誰も声を掛ける事すらできなかった。
「・・・っ」
空気が凍り付いた中、小さく歯噛みして団長たるリベリオは小さく歯噛みし拳をきつく握りしめる。
拒絶されたことに想像以上の心理的な打撃が入ったことを自分でも認めないとするかのように全身に気合を入れ直す。
エリザとしても絶句に値する事態だ。
そもそも彼女は深く考えず最も信頼できる冒険者だからノアを連れてきただけであり、政治的に利用するつもりは欠片も無かった。
あまりにも信頼し過ぎて勝手に冒険者の筆頭のように感じていた上に、無理やりに引っ張って来てしまったし、さらには『彼女なら』という幻想すら抱いていたのは事実だ。
最初に声を掛けたのは、あくまでも冒険者としての視点での戦術的な意見が欲しかったからで、それ以上の深い要素を考えていなかった。
しかし、普通に考えれば当たり前の反応なのだ。
騎士団に例えるのなら、団長を差し置いて一般兵士に全軍率いて援軍に来てくれる、と断言したようなリベリオ団長の言を聞けば怒るに決まっている。
いくらノアが傍から見て優秀な冒険者だからといって、彼女が組織内で大きな権限を持っているわけではないし、そもそも冒険者というのが騎士団の様な規格的な組織ではない。
小規模な集団の寄り合い所帯という特性があることなどエリザのみならず一般的な街民ですら知っている事だというのに。
「・・・ノア・・・」
(だからといって―――)
出陣を控える騎士団に所属一同の狭間を、冷え冷えとした風が吹き抜けていき、エリザは自身の失態と先行きの不安に顔を顰めた。