82 警鐘に促され
「ごめんなさい、すぐに行かないと! ノアも準備が出来たら来て!」
「え? あ、ちょっと・・・!?」
止める間もなく、エリサが慌てて応接室を飛び出して行くのを、ノアは半ば呆然としながら見送った。
案外、彼女もまた緊急事態における冷静さを保つ胆力というものが欠けているのかもしれない。
(他人の事を揶揄できるほど達観しているわけじゃないけど)
自嘲気味の思考を浮かべつつ、嘆息ひとつ。
「・・・それで、どうするのかしら?」
「聞きそびれた事が多すぎますね。そもそも『勇者』たちが何時山に入ったのかも聞けなかったですし」
「実際に何が起こるかも、教えてくれなかったものねぇ~」
「このタイミングで呼び出された理由もですよ」
それについては何となく想像がついているからか、ノアはもう一度嘆息吐き、アコルは気遣うように微笑みを浮かべた。
「それで、どう致しますか?」
「・・・どちらにせよ、現状把握からかな。アルナとフィルには『山』の方の様子を見に行ってもらって・・・ていうか、他の人に任せられないし」
「足の速さと安全を担保した上で信頼できる相手は限られますから」
問いかけてきたアルナと膝の上のフィルが首肯を返して来たのに合わせて、イリスもまた深い決意を瞳に宿して微笑む。
何らかの緊急事態の際にノアの傍に最低でも一人が護衛に着くのは彼女たちにとっては当然の話で、今回の場合は必然的に彼女がそれに当たる。
役割的にこの配置が最も多いのは言うまでもないが、イリスの中で古代遺跡での出来事が澱のように残っているのは確かだ。
足を引っ張ってしまう―――自分の行動のために『主』が危機に瀕する―――それは三姉妹にとって最も避けたい事態だった。
すでに起こっている出来事だからこそ、なおの事に。
「アコルさんとカザジマは『黒百合』の子たちと合流してください。できればヒサナさんとかカデラ婆にも連絡をつけておきたいところだけど・・・」
「あら? アザミちゃんやゼリオ君ではないのね?」
「情報共有については向こうから接触してくるでしょう。騎士団の使者と会っていたことは伝わっているだろうし」
もっと言えば、彼ら彼女らとは友好関係はあっても基本的に相互不干渉。
緊急事態だからといって―――否。そういう事態だからこそ下手な頼み事もできない程に一線を置いて接する方が無難だ。
命令なんてできるはずも無し、そもそも統率なんて取れる器でもない。
「どうするにしても、彼らは自分たちの好きにするだろうし、そうするべきですよ。レネアたちもだけど」
「けど、レネアちゃん達とは合流するんだ?」
「本当に『大氾濫』なんて言われる様な―――通常よりも強力な魔獣や魔物なんてのが溢れてくるなら、レネア達は戦場には出て来ないで欲しいし」
カザジマの質問に返答しながら、漏れそうになる溜息を押し殺す。
レネア達は元々、戦闘技能に難があったからこの街での生活に苦心していたのだ。
それこそ『狩り』は多少上手くなったとはいえ、狂暴化している普段とは違う相手との戦闘に引っ張り出すには不安が大きすぎる。
(支部長のゴルツにも根回ししておかないと。変に戦力として当てにされれば余計な被害が広がりかねない)
ゲームの頃と違い、本気の命のやり取りは重い。
狩りや解体とも異なる殺し合いの中でまともに動けるのかどうか、というと少なくともレネア達には荷が重い。
「勇者―――というかフベルタ教の思惑も気になるところだけど、考えても仕方ないか」
「それはそうだけど、本当にレネアちゃんたちは戦わせないの?」
「状況によるとは思うけど、止めておくのが無難。騎士団との共闘って話になるなら余計に」
「うん? 共闘の時の方が安全じゃないの?」
「それは無い」
共闘と言えば聞こえはいいが、全く別の組織体系、戦闘技法の者たちが同じ場所で暴れるとなると話が違う。
すでに騎士団が動いているということもあり、乱戦もあり得る中で視野狭窄に陥れば容易に味方を殺す。
混乱の中で結果的に・・・、と言うのならまだいいが、誤射で命を奪った場合、双方にとって悪い事しか残らない。
それは軋轢や絶望的な亀裂かもしれないし、深刻な心の傷かもしれないし、それ以外の何かかもしれないが。
「そもそも冒険者同士ですら連携は怪しい。装備も能力もバラバラのプレイヤーが上手く連携するのが難しいのだから」
「私たちもずいぶん苦労したけれど、それでも完璧とは言い難いモノねぇ」
「たった6人でそれですよ? 十人以上なんて、それこそ銃器のような中・遠距離攻撃武器で統一してタイミング合わせるくらいしないと出来ないと思っていいです」
もっと言えば6人での連携すら、未だに怪しい。
これはアコルやカザジマのせいというよりはノアの能力の成長が著しいためだ。
遊撃という割と自由な立ち位置の役目に自身を置いて戦術を組んでいるから機能しているが、彼女の動きは場合によって変化し過ぎる。
前衛に寄っているが、術理の習熟も凄まじく鞭や投擲武器も十全に扱うために中距離での攻撃手段も多い。
元々が単独で動くこと前提のような面のあるノアとしては普通だが、これに合わせる方はたまったものではない。
今もなお別の戦闘技術を模索し続けているとなればなおの事である。
実はアルナやフィルですら苦心しているという事を本人たち以外が知らないというのもあったりする。
それでも完全に崩壊していないのが、彼女たちのスペックの高さを物語っているが。
「集団戦闘なんて、冒険者には荷が重い。それこそ突出した指揮官でも居ない限り」
「ノアさんなら―――」
「絶対に無理だから。致命的に向いてないし」
端的に言えば英雄的魅力が足りない。
あまりも多種多様な能力を持つ冒険者を纏め、組織的に運用することが出来るほどの才覚を持つ人間が世界にどれだけ居るのかは不明だ。
能力面だけを見てもダメ、性格や考え方だけを見てもダメ、両者を鑑みて本来以上の戦果を挙げるための効率化を図る必要があるとなれば。
何より、ノア自身がそういう形で使われる事に嫌悪感と忌避感を抱いているのだから、少なくともノア自身には『不可能』と言っていい。
「ともかく、動こうか。情報収集優先、出来るだけ戦闘は避ける方針で」
「了解しました」「ん」
後ろに控えていたアルナと膝の上からふわりと浮かぶフィルが頷いて部屋を後にするのを見送ってから、ノア自身もやや気だるげに立ち上がる。
「私たちは何を優先するべきかしら?」
「短慮と勇み足を止める事、かな? 正直、今は行動すればするほど裏目になる予感しかしない」
「それが『勇者』の特性だから、かしら?」
「まさか。あの小物の特異性にそんな強い効果は無いって確信しているよ」
もしも彼らの強制力とも言えるほどの運命の加護があるのだとしたら、話はもっと単純だったはずだ。
けれど現実には彼らにとってプラスの要素ばかりというわけではなく、場当たり的な対処しかしていない。
そうであるのならば下手に意識して何らかのリアクションを取るよりも徹底して無視に終始するのが正解だ。
そもそも、ノアにとって彼らが何をしようと気にする意味が無い。そう考える程度には彼らの目的や行動指針に価値を見出していなかった。
「戦闘力も魅力も、圧倒的な権力も持っていない彼らを意識する必要はないよ。明確に敵対したなら、その限りでもないけど」
「ノアちゃんにとって『勇者』なんて路傍の石も同じ、という事かしらねぇ」
「興味が無いという意味ではそうですね」
あっさりと言うノアに、アコルはわずかに頬を引き攣らせる。
大層な肩書に一宗教団体を後ろ盾にする彼らを、興味が無いという一言で切って捨てる、というのは難しい。
けれど、思い返してみれば彼女が明確に行動したのは自らが危害を加えられそうになったという事実に対してのみ。
しかも本人は極端に敵対の意志を見せるでもなく、結局は情報を周囲にバラ撒いた上で、とはいえ様子見しかしていない。
それこそ彼らの目的や行動に対してそれほど興味が無い、という態度で―――
「―――そういえば、最初からノアちゃんは『障害』として見ていなかったわね・・・」
「? 立ち塞がっているわけでもないのに、なんで壁みたいな扱いにする必要があるのですか? 手を出されそうになった分は利子をつけて叩き返すつもりはありますけど」
本格的に不思議そうにするノアに、アコルは乾いた笑みを返す。
不快にさせた分の代償を支払わせる、程度には記憶に残っていたのが良い事か悪い事か。
(その程度で徹底的に叩き潰す様に周りを動かしたのよね―――意図して誘導したわけではない、とはいっても過激な制裁を加えていることになるのよねぇ・・・)
忖度のようなものではあるが、ノアの行動は干渉を避ける方向のものだったというのに、周囲の反応は極度に攻撃的なものだった。
そして生まれた状況がフベルタ教に属する彼らを追い込んだであろうことはアコルにしても想像する事は容易い。
ノアも理解はしているのだろうが、それでもなお『興味が無い』と言い切っているのだ。これが本気の報復となるとどれほどの行動を起こすのやら。
そうなっていないのは彼女が自己主義的というべきか、太々しさというべきか、彼らの方の存在感がノアにとって薄すぎるというべきか。
どちらにしても『敵』とすら認識されていないということは明白だった。
せいぜい、世の中にはトラブルメーカーも居るものだ、くらいの感想だろう。
(これを知ったら、相手はたまらないでしょうねぇ・・・ノアちゃんのせいで、随分と動き辛くなったようだもの)
そんな感想を抱くアコルではあるのだが、そもそも前提が間違っている事には気が付いていない。
ノアは三人の従者が傍に居るだけで生活が完結している。
ハッキリ言えば、他者との繋がりを必要としていない。
そのせいで周囲の状況と常に一線を引いて物事を考えている。
極論、レーロイドという街が消滅したところで彼女たちは困らないのだから。
「まぁ、面倒な事態を起こしてくれやがった、とは思っているし、機会があれば報復もしたいところだけどね」
「ふふ、もう十分すぎるほどとも思うのだけれどねぇ」
「囚人扱いになっているとはいえ、百人単位の冒険者を危険な場所に連れ出しておいて?」
「・・・」
一瞬、アコルが軽く目を見開いた。
忘れていたアコル自身もどうかと思うが、彼女は自分を『外』に置いているくせに偶にこういった優しさのようなものを見せる。
何らかの打算の結果なのかもしれないが、何だかんだで他者―――中立以上の関係値があることが大前提にはなるだろうが―――を見捨てる事が出来ていない。
レネア達『黒百合の絆』の面々が彼女を慕っているのは、与えてくれる恩恵や恩義だけでなく、そういうノアの面倒臭さに理解があるからなのだろう。
「さて。面倒ではあるけど、騎士団の方に出向くとしようか」
「水の街での時みたいに大事にならなければいいのだけれど・・・」
ノアは軽く考えるように虚空に視線を彷徨わせ、それから力なく頭を振る。
あの夜の一件は想定外の奇襲であったからこそ被害が大きかったという側面があるが戦力としてはさほど強大ではなかった。
巨体のゴーレムという例外的な戦力を除いて、ではあるものの、アレが城壁越しの防衛戦なら結果はまるで違ったであろう。
術理が編み込まれた城壁は単純な質量攻撃では突破するのが困難だと聞いている。
訓練場で扱う石壁や防壁も物理・術攻撃で粉砕できた試しがない。やろうとした回数もほとんどないが。
「街を囲む城壁がある分、外の戦力には強いけど・・・レーロイドの性質上、籠城戦は分が悪い。『大氾濫』というモノの規模にもよるけど、大事になるのは避けられないだろうね」
「食料、ね。確かに、狩りや採集にも出られないとなると備蓄だけでは厳しいものねぇ」
「もともと食糧事情が豊かな環境というわけでもないですから。冒険者的には打って出る方が楽だとは思うけど、数に依るし」
「やっぱり騎士団次第ということになるのかしら」
「さて、どうでしょうね」
大氾濫、という言葉から察するに魔物や魔獣が溢れる事を意味しているとは思う。
けれど、本当にそれだけで済むのかどうか、という事も考えれば対応の方法どうこうではないかもしれない。
魔法のような力が随所に存在するのだから、地形や天候、環境すらも牙を剥く可能性も大いにあり得る。
「ともかく、早まった行動はしない方が賢明。レネア達にも忠告はしておいて」
首肯が返ってくるのを確認しつつ、イリスを伴って足早に部屋を後にする。
本当ならロビーに行って朝食がてら情報収集をしつつ、一息つけたいところだが、そういうわけにもいかない。
「正面から出ると面倒そうだから、近道するよ」
「はい」
廊下の突き当りで縦へスライド式の木枠のガラス窓を開け放ち、躊躇することなくそこから飛び出す。
一瞬、気泡のない板ガラスの製造技術に疑惑の様な思考が飛びそうになったが、内心で頭を振って意識を戻した。
応接室は二階にあったが、その程度の高さは冒険者やその従者にとって何ら問題にもならない。
二人は音もなく建物の裏手、人気の薄い裏路地へと並んで降り立ち、慌ただしい鐘の音が鳴り響く中で騎士団砦へ向けて足早に歩き始めた。