81 久方ぶりに見た顔と思えば
その日、普段よりも僅かに騒がしい冒険者互助組織のロビーで一際大きなざわめきが起こった。
一週間以上―――正確には八日と十三時間と三十七分になる―――ぶりに黒髪美女ご一行が姿を現したからである。
決して。決して、彼女たちが衣装を一新したり、髪型を変えた事で雰囲気が変わっていたからではないのだ。
もっとも、ノアと三姉妹については割と頻繁に衣装が変わるので秋物に衣替えしたくらいの感覚でしかない。
それでもなおノアへと視線が集まるのは見た目以上に様々な意味で存在感が出てきているせいだろう。
「・・・っ・・・」
誰かが、息を呑んだ。
その原因は主にたった一人の女性である。
そんな彼女の衣装はベージュ色のノースリーブセーターは何故か谷間を強調するように胸元が開き、脚の付け根が見えそうなほどの紺のタイトスカートは赤い下着の紐を見せびらかすかのようにスリットが入っている。
妖艶な笑みを浮かべ、しなやかに肢体を揺らし、色気を周囲へと振りまく。
ひとつひとつの挙動が明らかに見られることに―――異性に魅せつける事に慣れた者のソレだった。
「フフ・・・」
ルージュを引いた口元が弧を描けば、怪しげに揺れる青い瞳の蠱惑的な眼差しにゾクリと身震いを誘う。
女性ですらその有様で、その場にいた九割の男性諸氏に至っては耳や首筋まで顔を赤らめ、俯き気味になりながら過剰反応した身体の一部を抑えたりしている。
そんな様子を満足げに眺めて頷き一つ。
「男の子って、可愛いわねぇ」
「中身、中高生も多いのだから程々にしておいてください」
わざと胸や太もものきわどいラインをチラチラと見せるような仕草をするカリフラワー・アコルへノアは呆れの視線を投げた。
スリングショット水着よりも露出はだいぶ抑えているはずなのだが、物珍しい恰好のせいか、それとも隠されているからこその色気を敏感に感じ取っているのか熱視線も量が多い。少なくとも鼻息が荒くなった男性諸氏の数は普段よりもかなり増えている。
また、何のこだわりなのかわざわざスカートの臀部の辺りに穴を開けて悪魔の尻尾を通しているせいで下着どころか桃の筋すら僅かに見えそうとなっており、下卑た眼差しを集めるのに一役買っていた。
魔女の様なとんがり帽子を被っているのは何か意味があるのか、無いのか。
「いいじゃない、こういうのも楽しいモノよ?」
「襲われても知りませんよ。自業自得の時は助けませんから」
「あら、冷たい」
「面倒事は十分に抱えてしまっているので」
正直な話、ノアとしては人との繋がりをこれほどまで広げるつもりは無かったのだ。
商売についてはもっと酷いもので、半ば以上が幸運としか言いようのない程にトントン拍子で事が進み過ぎてしまった。
冒険者が『冒険者』から外れる道筋のひとつでも用意できればいい、くらいの気持ちで複数の道筋を考慮したら全て当たってしまった、というのが今の状況である。
その行動にしたところで、同じ境遇の人間が減り過ぎない―――要は情報収集や拠点防衛の戦力確保などの利益を享受するという下心の―――ために多少の恩義をバラ撒いておきたいと考えたため。
打算が無ければこの街でも最低限の人付き合いに抑えていただろうことは本人が一番理解している。
「―――ノア!」
割と辟易した気分を抱いていると、聞き覚えのある女性の声が喧騒を切り裂くように耳に届いた。
「え? エリサ?」
「良かった、早めに会えて・・・」
怜悧にも見える整った顔のレーロイド騎士団団長の副官は、あからさまにホッとした様子でその綺麗な顔を緩めた。
騎士団の裏の支配者とも噂される彼女だがスマートグラスの奥の、普段は鋭い瞳も心なしか不安げに揺れているような気もする。
そもそも、未だに多くの冒険者と折り合いの悪い騎士団の重鎮と言ってもいい彼女が制服姿のまま冒険者互助組織に居ること自体が違和感を生んでいるのだが。
「・・・何か、あったの?」
もはや、そうだとしか考えていなかったが、念のために確認の言葉を口にする。
ゆっくりと、慎重にも思う様子で首肯するエリサの姿に、内容すら聞いていないというのに溜息が漏れそうになった。
ノアを探していたということは逃れられない面倒事だ、という事実を理解させられたからかもしれない。
「さすがに、ここでは話せないのだけれど・・・」
「それはそうか」
ロビー付近のホールにはそれなりの人の数が集まっている。
時間帯によっては増減するとはいえ、ここ最近の依頼内容の改定などで人が訪れる頻度が上がっている影響もあり、朝のこの時間は特に人数が多い。
「ちょっと長めの休暇を終えたと思ったら、即異常事態・・・」
「(騒動に)愛されているわねぇ、ノアちゃん?」
「ある意味、自業自得なので多少は許容する事にします」
騎士団側と接触を持ったこと自体が間違いだったという感すらある。
しかし、それこそ自業自得。それも必要だと判断した内容なのだから、騎士団方面から厄介な話が入り込むことも致し方なし。
ニヤニヤ笑いのアコルに軽く恨めしい視線を投げながら、エリサを伴ってロビー受付で応接室を借り受ける手続きを行う。
好奇、猜疑、好色、不安、様々な意図の込められた視線をうっとおしく思いながら、商談などでも何度か利用した応接室へ団長の副官を伴って足早に移動する。
声を掛けたそうにしている何人かはノアの視界にも入ったのだが、後回しにするべき理由の方が大きすぎた。
(ただでさえ一週間ぶりだし、アコルさんたちの衣替えで人目を惹く上に、滅多に人前に出てこない騎士団の重要人物の一人なんて引き連れてここでのんびりする選択肢は無い)
色気に惑わされた馬鹿が出てくるだけなら三姉妹が黙らせて終わりだが、エリサに絡むような人物が出てくると色々な意味で問題が出てくる。
そうなるとノアだけで治めるのが難しい事態になりかねない。最悪、冒険者互助組織と騎士団の確執を決定的な物にしてしまうかもしれない。
面倒なだけで終わるならまだしも、深い確執が刻み込まれてしまったら個人でできることなど完全になくなる上に、確実に厄介な案件が増える。
だからこそ、見えている『石』くらいは早々に遠ざけておく方が良い。
「―――はぁぁぁあああ・・・面倒くさい」
そう。
どれだけ理屈で必要だと考えていても、そう口を突いて深々と嘆息漏れるのは致し方の無いことなのだった。
「・・・ごめんなさい、ノア。でも、緊急だったのよ」
「だろうね。でなければ呼び出した方が周囲との軋轢も厄介な噂話が数を増して飛び交うということも無いだろうし、エリサが理解していないはずもない」
「・・・そうね。少々、早計だったわ・・・」
気が逸っていたのか、動転していたのかエリサは応接室のソファーに腰を下ろし軽く深呼吸をしながらスマートグラスの位置を整え直したりしている。
それほど自体が大きいのか、案外彼女が動揺しやすいのか、それは現状のノアには把握できなかった。
「それで、一体何があったのかしら?」
「・・・」
にんまりと笑みを浮かべ、エリサの向かいで妖艶に足を組む美女。
というか、カリフラワー・アコルなる冒険者だった。実に楽しそうだ。
そんな彼女に一度視線を向けて、うっかり着いて来てしまったカザジマが部屋の端で苦笑を浮かべているのを確認し、三姉妹がいつも通りに控えているのを眺め、最後にエリサへと視線を落とす。
「・・・まぁ、いいや。それで?」
「ノアがいいのなら、まぁ・・・」
それでいいのか、とは思ったが話が進まなくて困るのはノア自身なので、無言のまま腰を下ろす。
何故かその他の人員は立ったまま―――妖精がノアの膝の上に陣取ったのは例外として―――エリサは重苦しく口を開いた。
「4日前の事よ。件の『勇者御一行』が、エルジェニド侯爵の屋敷に入り込んだのは」
「・・・すでに色々と突っ込みたいけど、それで?」
一々口を挟むと遅々として進まなそうなことを察してアコル達にも視線で黙っているように釘を刺す。
しかし、エリサの口から漏れる言葉は、はっきり言って正気を疑う様な出来事でしかなかった。
それでも、それでもどうにかこうにか呑み込んでいけば、それでもなお信じきれないという想いが込み上げてくる。
「―――要するに、勇者たちが機密書類を持ち出して、それを盾に囚人たちを解放。彼らを率いて『白銀の山道』へ向かった、と」
「確かに、要約するとそうなるけれど、大事件なのよ?」
「わかっているよ。貴族の家に一介の冒険者が侵入したことも、機密書類を奪ったことも、その杜撰な管理も、脅しの様な方法で囚虜に干渉したことも、それを許してしまった事も、どれ一つとっても大問題だ」
「・・・」
ただし、これらは言ってしまえば政治的、道徳的な問題であってノアが干渉するべき『大問題』ではない。
これは勇者と、その後ろ盾たるどこぞの宗教団体と、この街や国が交渉なり武力的な解決なりするべきことだ。
情報としては詳細を知りたいと思う所ではあるが、首を突っ込んでは余計な災厄が降りかかる事はわかりきっているのでノアは一旦無視する事にする。
なので目下の問題は白銀の山道―――順路迷宮へ百人単位の人間が同時に足を踏み入れた事、だ。
(いや、他にも同行している人間の顔触れや装備なんかも問題ではあるんだけど・・・)
ここで言う『囚人』というのは冒険者、それも『発狂者』などと呼ばれた者たちに当たる。
水の街で行ったように、このレーロイドでも解放のための手順と交渉はノアも進めていた。
しかし、現在の街の状況などを考え、保留していたのだ。
(いきなり牢にぶち込まれて、いきなり釈放されたと思えば、出来る仕事は命を賭けるか、身体を売るか、のほぼ二択。この状況で解放しても・・・と思っていたけど)
囚虜の扱いを向上させ、解放された際に何らかの職を斡旋できるような方向で話を通している最中だった。
囚人の生活の質の向上はさほど苦労もなく交渉が成立した。というか、冒険者互助組織レーロイドの支部長ゴルツに丸投げした。
冒険者互助組織からの援助という形で食事や生活用品の質を上げるように促しただけで収まったのはそれ以上が難しかったから。
職業やら生活の糧は未だに冒険者、ひいては街全体の問題なので進展のさせようもない。
「タイミングも悪かったわ。ノアの事前交渉が無かったら、これほど早く話が動くことも無かったと思う」
「こっちに責任を向けられても困るのだけど」
「そっ、そういうつもりじゃないわよ! ただ、不運にも状況を作るのに手を貸してしまう形になっただけで・・・それに、あなたと折り合いが悪い方々も動いてしまったのもあるのよ」
エリサが困ったように眉根を寄せるが、ノアとしては多少気になるところではある。
多めに見積もってレーロイドという街の六割は友好的な関係を築けているわけではあるが、逆に言えば四割とはあまり友好的とは言えない関係値だ。
殆どは中立の―――つまり良くも悪くもない―――関係だが、中には険悪な相手というのも確かに存在する。
例えば、薬師組合などが主にその相手。
彼らは設定的にブレベルナ―――フベルタ教のお膝元を中心にしたコミュニティを形成している上に、冒険者からは軽視されがちだ。
回復薬などに分類される医薬品は彼らも造っているが、プレイヤーからしてみれば『錬金術』で作成できるモノの劣化品しか作成されることはない。
アイテムの作成が解禁されるまではともかく、レーロイドに至る冒険者なら自分たちで作った物を使用する。
そもそも回復薬の類はシステム的に重要視されないため、軽視されがちでノアも交渉相手の優先度を低くしていた。『薬』より『術』の方が圧倒的に効果強いし。
それ以外にも、薬品に関する前提知識すら欠けているために手を出しづらいなどの理由から、ノアは干渉を控えていた。
結果として一気に活性化した他の市場や活気とは裏腹に低迷したままになってしまっており、フベルタ教の風評と相まって肩身の狭い思いをしているらしい。
他にも一部の食品関係や薬草栽培などの関係者からは嫉妬や逆恨みも含めてノアとは折り合いが悪い相手というのも相応に存在している。
そういった相手が何らかの思惑でノアに対して不利なように動く、というのは致し方ない事でしかない。
(不運―――というか、彼らにとっての幸運と考えると・・・『運』で片づけたくないけど、気に入らない状況なのは確か、か)
考え込むことでもないのかもしれないが、胸の内に淀んだ気持ちが溜まるのは仕方のないことだった。
それはそれとして、終わった事と一旦保留へと分類して思考を切り替える。
「どっちかというと、行き先と人数の方が実害が大きそうかな」
「やっぱり順路迷宮に大勢で入るのは良くないの?」
「・・・少なくともゲームの時よりも現実的な問題がいくつか出てくるのがわかっているね」
問いかけてくるカザジマにノアはできる限り感情を乗せないように言葉を返した。
現在、レーロイド近郊で冒険者が踏み入ることのできる迷宮は無数に存在するが、半ば公式の暗黙の規律がある。
それが12人以上での探索を禁ずる、というもの。
「確か、魔物たちが活性化する、という話でしたわね?」
「数の増加に攻撃性の増幅、さらには能力向上というところまでは確定情報と思っていい。ゼリオくんたちが手に負えなくなるくらいには、ね」
「色欲塗れの宝石売り、一応はこの街でも有数の実力者だったと思うのだけど?」
「そうだね。そんな彼らが『数』を頼りに宝石や鉱石を掘ろうとするのは自然の流れでしょう?」
「・・・その結果、というわけね~」
アコルも納得したように頷きながらも苦笑を浮かべる。
調子のいい彼らが炭鉱夫として大勢で洞穴ともいうような迷宮へ踏み込んでいく姿が脳裏に浮かんだようだ。
もっとも、その結果が常には無い魔物の大量発生に凶悪化という結果だったのだから相当に悲惨な状態になったのは間違いない。
ノアが聞いた限りでも十人以上の死者と、心が折られた冒険者が数十など結構な被害が出たようだ。
被害者が極端なのは冒険者だから、としか言いようがない。
「貴女たちが知らないのも無理はないのかもしれないけれど、国でも当然、過去に大規模な部隊をそういった特殊な場所へ送り込んだことがあるわ」
「それはそうか」
仮にも国土の中の話なのだから調査団くらい派遣しているのが筋だ。
ゲーム内で語られていたのかどうかは、ノアの記憶には無かったが。
「現状、主要街道から外されている事を考えれば予想していたかもしれないけれど・・・」
「その遠征で問題が起きた、ってくらいは想像に難くないけど」
「ええ。あまり口外されているわけではないけれど、何十回と調査を繰り返し、そういった『危険域』を定めて行ったの。多くの犠牲を伴いながら、ね」
「そもそも迷宮が特別な場所、か」
ゲームなら不思議にも思わない話なのは確かだが、今はそれで済ませていいのかどうか。
郷に入れば郷に従え、と言うが、その世界の規則も出来得る限り学ぶべきと考えるのなら詳しく知りたいところではある。
が、そういった欲求や情報収集に関する考えは一旦置いておく事として―――
「それで、主に何が起こるの?」
「大氾濫よ」
―――エリサがそう口にした瞬間、防音の壁を突き抜けるような勢いの甲高い鐘の音が焦燥を掻き立てるかのように鳴り響いた。