80 緩やかに穏やかに
眼前を白刃が駆ける。
(『旋華』、『鬼鶴』、『連月』・・・か)
何とも言えない気持ちを抱きつつ、横薙ぎに振るわれる短刀の一撃を見切って紙一重で避けた。
本来であれば余裕のある状態で薄皮一枚斬らせるような避け方をするべきではない。
この世界には術理が存在し、刹那の内に間合いをさらに詰めることも、斬撃の射程を拡張することも可能なのだから、見切ってギリギリで回避するのはリスクしかないのだ。
しかし、何十・・・下手をすれば百にも届こうというほど目にしてきた動きを寸分の狂いもなく繰り出されれば試してみたくもなる。
「ふっ!」
「っ!?」
間断なく繰り出される連撃の狭間、足刀に裏拳を合わせて連携を中断させた。
体勢を崩すが立て直すでもなくコロリと倒れ、すぐに―――というには遅い程度の、二呼吸ほどの間を置いて起き上がる。
「・・・さすがに、これじゃあ厳しいかな」
「申し訳ありません」
ぺこりと頭を下げる少女を見据え、ノアは苦笑を浮かべた。
印象としては市松人形というのが違いだろうか。
艶やかな黒髪のおかっぱに、変化が薄く感情の読めない無表情、幼く小柄な肢体。
それなりに激しく動いたというのに、あずき色の和装はすでに乱れの一つもない。
フィルよりも幼い容姿であるが、彼女よりも余程超然としていると感じるのは『人形』の印象が強いからだろう。
「ん~、ダメ?」
「フィルたちとはもちろん、盗賊なんかと比べても劣っていると思うよ」
見物していたフィルが暇そうに問いかけてくるのに対して肩を竦めて答える。
対峙していた幼女―――ヒミカがその回答に対して何を思ったのかを感じ取ることはノアにはできなかった。
ただ、彼女の正確すぎる技の数々は躊躇いすら感じさせる敵の方が動きを予測しづらい。
敵として存在する人々の方が『人間』らしいというのは複雑な心境にならざるを得なかった。
「ヒミちゃんも頑張る」
「はい」
ふわりと舞った妖精が少女の頭を優しく撫でる。
無表情、無反応なせいでお人形遊びにも見えてしまうが、フィルとしては妹分の面倒を見ているつもりらしい。
エインヘリヤルに年齢の概念が存在するかも不明ではあるのだけれども、見た目年齢で言えばフィルが十二、三歳に対してヒミカは十前後。
共に整った顔立ちの美幼女なので見様によっては姉妹に見えなくもない。白銀と漆黒の髪と正反対の髪色や瞳の色も違うのだが。
「・・・うぅ~。ヒミカちゃんでもノアさんには手足も出ないかぁ」
「というか、画面越しとはいえ、何百回も見てきたままの動きだから普通の相手より行動を読み易いくらい」
僅かに失望を滲ませたカザジマの言葉にノアは苦笑を返した。
|セブンスターオンライン《SSO》というゲームの双刃疾型、双剣装備の基本連携の数々。
自分でも使っていたこともあって目に焼き付いた動きと剣戟のタイミングは知り尽くしている。
それと寸分の違いなく同じ動きをされれば普段よりもギリギリの動きをしてみたくなるくらいには刺激された。
「そっか・・・速くて正確なだけじゃあダメなんだねぇ」
「そうだね」
機械的な動きだけなら隙を突くのは難しくない、というのは今目の前で証明した通り。
しかし、それとは別に体技で事が済んでしまったので、肝心の新しい武器を試していないことに気が付いた。
思わず嘆息が漏れて、何とはなしにブンッ!と風切り音を響かせながら大剣を軽く振るう。
刃だけで身長程もあり、刀身には幾何学的な紋様が描かれた分厚い両刃の武器は相応の重量があるが、多少意識して身体能力を上げれば片手でも振り回せる。
残念なことに、巨大すぎて鞘に納めたら抜くのが厳しく下手に紐で括っても切れ味が割とあるので断ち切ってしまうので、鎖で背中に括り付けるくらいでしか持ち運べないのだが。
「・・・まぁ、良かったかも。防御に失敗したら真っ二つにしちゃいそうだし」
「その方がよろしいかと。私でも『ソレ』を受け流すのは難しいかもしれません」
「アルナの場合は正面から当てられる気がしないけどね」
切れ味、重量、耐久度、特殊性能など、ノア手にある大剣は様々な面で自信作ではあるが、欠点も相応に存在する。
その大半が長大な重量武器としてのモノなのだが、だからこそ単調になりがちな剣筋や切り返しの遅さなどは致命的でありながらも解消しきれない。
もっとも、その弱点を承知の上でも試す価値があると思ったからこそ手にしているのだけれども。
「対氷龍用の武器、ねぇ・・・そこまで考えておく必要があるのかしら?」
「アルギュリオン用というか、巨体の相手用ですよ。氷巨人とか大雪熊とか氷狼の主とか・・・先に進めばもっと色々いるし」
「それは―――そうね」
一般的な剣、刀などでは刃渡りが足らないということも考えられる。
ゲームの時にはまるで問題にしなかった難点ではあるが、考慮しないわけにもいかない。
体躯の差を埋めるための方策として、武器の長大化というのはある意味では普通の思考だ。
もっとも、一番に挙がるのは弓や銃といった遠距離武器の威力増強なのだが、いくつかの試作からそちらは保留している。
結果、ノアたちが目を向けたのが薙刀のような長柄武器、そして今手にしている長大な重量武器。
「・・・ま、結局は実戦で試してみないとわからないものだし別にいいか。そっちはどう? 使えそうなのはあるかな?」
「より取り見取りよ。といっても、武器の類はどこまで使いこなせるのかはわからないけど・・・」
苦笑交じりにアコルは円月輪。
さらには藺草香る畳の上に敷物を広げ、その上には様々な物品がフリーマーケットかのように広げられている。
武器の類各種から調理器具のアレコレに角灯やら懐炉、ウッドストーブに、ピッケル、カラビナなどなど。
日用品もあるのだが主にはこの引き籠り一週間で作成した雪山登山を意識した物資の数々である。
「武器はてきとーでいいよ。行動の選択肢を増やせる程度には持っていた方が良いと思うけど―――」
「以前ほどの性能があることを保証はできません。あくまでも予備武装とした方がよろしいかと」
イリスが困ったように微笑みつつ先を告げた。
製作者である彼女には申し訳ないが、武器ステータスを数値で確認できないので仕方が無い。
体感の話で言えばむしろ性能は上がっているのだが、それを証明する手段が無いので如何ともしがたい。
「防寒着の類も大丈夫そうです?」
「ええ。普段の防具とも競合しなさそうよ」
「防具っていうか―――いえ、いいです」
にっこりと微笑むアコルに嘆息を持って答えた。
スリングショット水着オンリーの彼女の戦闘着を『防具』と言うには抵抗がある。
それとは別にゲームとの差異として防具の重ね着が可能だという事は最近になってようやく実感できた。
それこそ数値で確認できないので意味があるのかすら怪しかったが、戦闘装備の下に耐寒用のアレコレを身に着けておくことの意味は体感することが出来たのだ。
ストッキングと腹巻の話ではあるが。
「さすがにマフラーみたいな物は無いのね?」
「一度試したんですけど、引っかかる上に首が絞まりそうになったので。腕に自信があるなら使ってみるのも良いと思いますけど」
「遠慮しておくわ」
普段の戦闘における間合いの違いからノアよりはマシかもしれないが、今のアコルにはそれこそ首を絞める要因は許容できなかった。
とはいえ、こんな事で呑気に相談していられる現状というのは彼女としても心地の良いものだ。
これが次の難所へ挑むための下準備だということはわかっていても心が躍るのは仕方が無いことなのかもしれない。
(未だに『挑戦』へのドキドキ感が消せないのは、ゲーマーとしての性が抜けていないからなのかしらね・・・)
アコルとて現状と画面越しの世界を同一視しているつもりはなかったが、十分な準備をして新しい事に挑戦することには気持ちが高揚してしまう。
しかし、命懸けの内容な上に装備から何から全てノアたちへ任せきりなので心苦しく思う所も多々あるのだが。
「けど、本当に一杯道具があるね! こんなに一杯だとどれを持っていくのが良いのか難しい・・・」
「武器や防具以外はある程度、種類ごとで袋に小分けして一式として纏めておくと複数のモノを『ひとつ』として入れておけるから」
「あ、そっか!」
「気を付けるのは霊倉の腰鞄の口に入る程度の大きさに纏める事。こっちでも必要になりそうな一式は考えているから―――」
優しく微笑みながら壮年の男性にノアが仕方が無いとでも言いたげな態度で、真剣に説明を聞くカザジマに中身の少女を幻視した。
そうやって和むのも程々にアコルもまた黒髪の美女の説明に耳を傾ける。
並べられた道具の数々は殆どが現代の登山装備に準じた―――というか、登山経験から再現した―――物の数々は簡単な説明だけでも大体の使い方は理解できた。
クランポンやアイスアックスといった雪上用装備はアコルとしても初めて目にする類のモノではあったので意識して詳細を聞くようにしておく。
「トレッキングポールやアイスアックスは、戦闘も考えるとあまり使えないかもしれないけど・・・」
「そうねぇ・・・滑り止めようと思うのだけれど、爪のあるクランポンとチェーンスパイクの二種類が用意されているのは何故かしら?」
「足元の硬さによって使い分けるように、かな。氷や雪なら鋭い爪付きの物だけで十分だけど、岩場や洞窟だと金属製スパイクって滑ったり音が酷い事もあるから」
良く見れば黒い鎖状の靴の上から身に着ける滑り止めはゴムのような素材らしい。
何気にランタンを改良したと思われる小型のヘッドランプやら、曇るどころか雪や氷すら付かないサングラスやらもある。
どうやらノアは本格的に今の野営装備に満足してはいないらしい。
「吹雪の中でテントの設営はやりたくないけど・・・エマージェンシーシートなんかは忘れずに」
「寝袋はないのね?」
「新しいのを用意してもいいのだけど正直、横になって休める気がしないから後回し」
纏ったまま動けるシュラフというのは存在するが、どうしても動きを阻害するくらいには厚みが出るからこその選択だ。
だが、そもそも僅かに熱を持つ特製マットとブランケット、それに防寒衣にもなっている装備の数々があれば十分に保温はできる。
運良く休憩できるような場所を発見できたのなら横になって休むことも十分に可能だという判断であった。
「休める・・・かしら?」
「状況次第としか。前よりは楽だと信じたいところだけど」
古代遺跡では少なくとも三日、休息らしい休息を取ることが出来なかった。
ただし、向こうは自然の脅威というものが皆無。それであれほどだったのである。
極寒と吹雪、そこに魔物やらの襲撃が加わるとなると、まともに不時泊すらできないかもしれない。
「ですが、一晩ならともかく二日以上は厳しいのでは? 環境の影響というのはそれほどに大きいと思われますが」
「アルナの言う通りだけど、それこそ踏み入れてみないと。より注意を払うようにはするけど・・・」
「睡眠不足からの判断ミスは全員の課題ですから、わたくしたちも心を砕いていくつもりではありますけれど」
治療に気を取られて撤退が遅れたせいで落下に巻き込まれたと考えているイリスが困ったように微笑む。
ノアも十分すぎるほどに身に染みる経験をしてきたこともあって神妙に頷きを返した。
彼女としても遺跡の中での判断ミスやその他諸々は繰り返すべきではない失態として刻まれているのだから対策くらいは考慮する。
実践できるのかは疑問だったのだけれども。
「最悪、マスターだけでも私室で休むことも視野に入れてください」
「それは―――」
難色を示すノアだったがカザジマが「その方が良いかも」と言えば「そうよね~」とアコルが同意を示す。
正直に言えば不安というか、気が進まないところではあるが、かといって寝不足を理由に三姉妹へ危険な指示を出していい理由にはならない。
しかし、それで一時的に離脱している間に彼女たちが危機に陥る可能性を捨てきれず―――結局は状況次第と結論付ける。
強制的にでも睡眠を必要とする場面というのは確かにあるのだ。
「その場合はここを借りた方がいいかもね。全員が入れるわけだし」
「え? でも、ノアさんのところでも―――」
「誰がどれくらいに消耗するかはわからないのだから、全員に可能性がある。といっても、この方法はアルナだけは使えないし、『迷宮』扱いなら『鍵』も使えない可能性があるけど」
「あぁ、そういえばそうだったわねぇ・・・」
遺跡迷宮の中で試した際には私室へ入るための『魔法の鍵』が機能しなかった。
雪山は広大であり道筋も多数ある可能性があるので使える場所もあるかもしれないが、確実というには不安の方が大きい。
使えないものと決めつける事もまた危険ではある、というのも理解して、結局はある程度踏み込んでみないと結論は出ないのだ。
「それはそれとして、カザジマの私室に入れるようになったのは色々な意味で収穫だったね」
ノアの苦笑にアコルも深々と頷く。
気が付いたのは本当に偶然だった。否。妖精少女の唐突な行動がきっかけだった。
カザジマが開けた自室へ続く扉の中にフィルがスルリと潜り込んだことが。
殆ど反射的にノアが後を追えば、元々は『フレンド限定』の設定が成されたその室内に足を踏み入れていた。
「フレンドリストが更新された・・・というのとは違いそうなのよねぇ」
「確認できないので、なんとも。アコルさんの部屋には入れていませんし」
条件で言えば、ノアとカザジマ、アコルの間では同じはずだ。
ノア自身の部屋は他者お断り状態だが、アコルの私室も『フレンド限定』なのだから同じ時間を過ごしてきた以上、同時に入室できるようになっていてもおかしくない。
しかし、実際には全員が入室できるのはこの和風なカザジマの領域だけだった。
色々と試してみたものの、メニュー画面を確認できないので結局は理由も原因も不明のままとなっている。
自分達の根幹的なアドバンテージに関わるものなので詳細を把握したいところではあるのだが。
「・・・知らないところで、こういう変化があると怖いなぁ」
「ついていけなくなりそう」
「そうねぇ~」
嘆息交じりのノアの言葉に、カザジマがゲンナリと、アコルが困ったように微笑む。
こんな会話が穏やかに出来ている時点で三人は余裕がある方だということを三人共に自覚していない。
フレンドリストに関係する事実が明るみになれば、レーロイドの街もまた新たな騒動が起こるだろう。
例えば、他人の私室へ盗みに入る手段の模索などが挙げられるだろうか。
他にも多々考えられるが、ある意味で聖域とも言える場所に関する内容の情報は重要度も高い。
「ま、ともかく装備を一通り確認し直そうか」
適度に雑談を切って、ノアが立ち上がればカザジマたちもそれに続く。
その後、丸一日を掛けて武器防具からサバイバル用品一式、水薬や携帯食、持ち運ぶ食材に至るまで相談しながら三人は装備の全てを見直すのだった。