78 朝食の後に嵐の予感
「まったく、頭の悪い方というのはどこにでもいるものですわね」
レタスたっぷりのサンドイッチを口にしながら、アザミは小さく零した。
別に中身が貴族出身というわけでも無い筈なのだが、所作に高貴さを感じさせるくらいのロールプレイである。
「むしろ、帰郷の件だけであんなに怪しい詐欺みたいな話に人が集まっていることの方が信じられないのだけれど」
「ノアのいう事もわかりますが、何の説明もなく原因も不明のまま、この世界へ放り出された身としては希望の情報ともなり得ますもの。仕方がありませんわ」
「具体性の欠片も無ければ、根回しやアポイントもなく喚き散らすだけの相手の言葉を信じるほど?」
そんな会話が漏れ聞こえる周囲のテーブルでは苦虫を噛み潰すような表情や羞恥で顔を背ける者などが散見された。
言われてみれば当然の話だが、公共施設のど真ん中で声高に意味ありげな内容を話し始める人物の信用度がどれほどあるのかと言われれば疑問でしかない。
言ってしまえば、駅前で陰謀論を通行人に訴えかける若者と彼らには大差ないというのがノアの判断なのだ。
そういう見方を共有してしまえば、彼らの言葉に耳を傾けるのが一般的どころか非常識だと思われても仕方が無い。
ノアが「話にならない」と一蹴したのも当然の話でしかないのは、落ち着いてきた周囲の人間たちにも理解できた。
それでもなお人が集まっていたのは『帰ることが出来るかもしれない』という捨て切れない願望の為だ。
「ノアの肩入れした人々にとっては、胡散臭い上に利益に群がってくるハエのような相手ではあるのですわ。それでも、情報くらいは聞いておきたいというのが人情というモノではなくて?」
「信用の無い情報なんて有害なだけだよ」
「そう言い切れるのはノアがノアだからですわ。流石に」
正確には、ノアには傍に控える三人の頼もしい従者が居るからこそ、だ。
いつまでこんな生活が続くんだ?という不安や不満が限りなく低いのだから、一歩引いて判断できるのは当たり前の話ではある。
だからといって苛烈とも言える態度を取る必要があったのか、と言われれば疑問ではあるが。
「はぁ・・・今後も『帰還』を餌に踊らされている相手は出てくるんだろうな・・・」
「確定した未来なのは確かですわね。嫌々に現状を過ごしている方ほどその傾向は強くなるでしょう」
「レーロイドでの事は特に不安視してない」
ため息交じりにノアが零すとアザミは小首を傾げた。
「どう考えても始まりの街や王都の方が、帰りたがっている人間の数が多いだろう。こういう世界を楽しめる、あるいは、比較的平穏に過ごすにはある程度の『レベル』が必要なのだし」
「なるほどですわ! レベル帯を考えれば初心者の数が増えるほど余裕がなくなり、この手の話に飛びつきやすくなるというわけですわね!」
「もちろん、高レベルプレイヤーに帰郷への想いが無いとは言わないけど、低レベルプレイヤーの方が不便さや理不尽、命の危機に晒される率も高い筈だからね・・・」
あくまで比較の問題だろうが、より危険度の高い人間ほど『こんな場所から逃げ出したい』という思いも強くなるはずだ。
そして、危機に瀕して余裕を失うほどに冷静さを欠き、安易に甘言に踊らされるようになりやすい。
中身の年齢や周囲の人間関係も判断には影響を与えるのだろうが、そこまで考えればキリが無い。
個人の事情などについてはすでに考慮の外である。察する事もできなければ、把握する必要性も無いので考えるだけ無駄だ。
「対人交渉は得意じゃないし、むしろ武力で解決できる状況なら楽なのだけど」
膝の上の可愛らしい妖精を撫でながら、ちらりと視線を向ければアルナは自信ありげにひとつ頷き、イリスは苦笑を浮かべた。
身軽な心情の四人としては殺害に対する心理的抵抗を考慮しなければ、解決策は単純であればあるほど良い。
最高レベルかつ同等以上の技量を持つ冒険者を相手取ることを思考の内に入れなければ、ではあるが。
「ノアが交渉を苦手とするという話には同意しかねますわ」
「事実だよ。さほど頭の回転が速いわけでもないし、利益優先で感情を殺せるほど冷静でもない。ポーカーフェイスも上手くないし」
呆れたようなアザミの言葉に、ノアは苦笑を返す。
ノアの言は間違いでは決してなかったが、それでもこの街では交渉と商談で最も成果を出した人間なのだ。
失敗者でもあるレネアやてぃわバルーンといった周囲の人々は嘆息吐いたり、苦笑を浮かべたりと様々だった。
「ま、向こうがああいう行動に出た以上は、こっちも相応の対処をするけれど」
「排除いたしますか?」
「攻撃的になる必要はないよ。殺し合いで負ける気は無いけど・・・」
過敏な反応を示す戦乙女に苦笑と共に頭を振って否定を返す。
アルナたちが返り血に濡れる様は見たくない。
実際には戦闘義体とかいう存在のせいで流血は無いだろうが、それでも未だに拒否感が消えないのは心が弱いと評するべきか。
「でも、どうするんですか? お姉さま?」
「引き籠る。今日の一件を含めて書面にしたためて、干渉されるのが嫌だということで面談の予定をすべてキャンセルする」
「それだけ、ですか?」
レネアは小首を傾げるが、アザミを含め何人かは頬を引き攣らせた。
なにせ「あいつ等があんなことしでかしたせいで外に出るのもままならない」と各方面に通達するに等しい。
しかも、顔を合わせる予定の相手は街でも商業方面を中心に有数の権力者。悪感情を煽ればさほど面白くない展開が予想される。
彼らにとっては、だが。
「一歩間違えば、ノアが非難される方法ですわね」
「そうであっても構わないよ。直接手を出さなければいけないような事はもう無いし、面倒なら街を出ていけばそれでいいし」
「ノアだからこその割り切り方ですわね。この程度で取引を中断される方々も災難な事ですわ」
「取引自体はレネア達に委譲し終わっているから、面談があるって言ってもお茶会くらいのものだよ。それに、最近忙しすぎたし」
幾つかの道具の開発や術理の研究、それに雪山を見据えての装備や食料関係。
考えればやることはいくつもあり、現状で時間を割けていないこともあり、ある意味でちょうどいい機会でもある。
(特殊な魔法金属とも言うべき素材の金属糸を使用したアレコレを身に着けて凍傷にならないのかも確認しておかないと。甘く見て皮膚が壊死するとかは嫌だし)
そんな事を考えれば、確認しておかなければいけない事はあまりにも多い。
氷点下にも達する極寒環境で使えるのかどうかの確認は生活道具以外にも武器防具も必要だ。
下手に金属の武器防具を身に着けて肌に張り付くというような事態が引き起こされると、それだけで致命傷になりかねない。
「・・・意外とやること多いし、ちょうど良かったな」
「出汁にされる方はたまったものではないと思いますわね!」
「知った事じゃないね」
ちなみに、ノアが外出を控える場合に最も被害を受けるのは冒険者互助組織である。
採掘、採取、狩猟、討伐など全ての面で現状における最高ランクの戦力であるノア一行はこの短い期間でもひと月の三割以上の貢献度を誇る。
間接的な影響も考えれば五割以上というのだから圧倒的であり、その中心人物がいきなり仕事をし無くなれば様々なところで頭を抱える者が出てくるのだ。
もちろん、ノアへ非難が集まるが間接的に恩のある人間は多く、不満がどちらへ向かうのかは想像するのも難しくない。
何より交友もある冒険者互助組織レーロイド支部の長がどちらに対して悪感情を募らせるのかは明白だ。
少なくとも、現状では大きな波乱が起こるであろう予感はその場の全員に感じ取れた。
「ん? あれ? そうなると、みんなで食べている食事はどうするんです?」
「引き籠るんだから出てくるわけがないでしょう」
『っ!?』
何人かが息を呑んだ。
最近は忙しいので特定の時間ではないのだが、朝、昼、夜のどれか一食は、ノアが食事のできる共有スペースに顔を出す。
その際に持ち込まれるノアやアルナ達が処理した食材は、半ば素人の他の面子が入手してきた物よりも断然美味である。
特に、四人の中で調理技能が比較的上なノアか最上のイリスが用意した場合には、付加価値も含めて料理が苦手な面々からすると最高級の一品とすらなり得るのだ。
もちろん、アルナやフィルの用意するモノが至高という人も居ないわけではなかったが。
「そ、それって、お姉さまの手料理は当分食べられないということですか!?」
ノア至上主義とでも言うべきレネアが噛みつかん勢いで立ち上がりながら声を荒げる。
そんな様子を見て崇拝の対象となってしまった彼女は嘆息吐いて肩を竦めた。
「当たり前でしょ。まぁ、大半のレシピは公開しているし、食材の流通も増えてきているから自分達で作れると思うし」
そういう問題じゃない!と叫びそうになるのを、翼の生えた少女はぐっと呑み込んだ。
彼女だけではなく、付加価値の方に重きを置く何人かが何かを食いしばる様に堪えるが、そういう機微にはノアは気が付かない。
しかし、彼女たちの絶望と怒りが原因たる人物たちへ向かうのは時間の問題だった。
それが事実として幾人かの深い憤怒を抱く事になるのは数日後には証明されたのだが、この時点では推測でしかない。
「さて、手早く書状を準備しないとね」
「えっ!? の、ノアちゃん様!?」
「それじゃ、君たちも詐欺のような話には耳を貸さない方が良いよ。碌なことにならないだろうし」
確証も無いのに下手なことに首を突っ込むのは止めた方が良い。
それは真っ当な忠告でもあったが、別な解釈をも生む言葉であった。
要は「あんな馬鹿な話に踊らされるようなら、容赦なく敵対する」という最終通告のように。
その効果は劇的であり、顔を真っ青にして具合の悪そうな表情を浮かべるほどだ。
「色々と進めないとなぁ。それじゃ、失礼するよ」
「え!? お、お姉さま、ちょっと―――」
引き留める間もなくノアが席を立つ。
背中に張り付いた妖精、護衛のように付き従う戦乙女、優しく微笑む姫君の様な竜人の女性。
主人の行動も素早ければ追従する三人はまるで先読みしたのかのように一切の停滞なく供をする動きはあまりにも滑らか過ぎた。
まるでそよ風のように一瞬の停滞すら感じさせずにその場を去っていく。あまりに手早い。
「・・・まったく。あれで本人は政治をしているつもりが無いのですから、困ったものですわ」
器の温め方から、空気の混ぜ方まで計算されつくしたかのような美味の紅茶を口に運びながらも呆れの吐息が漏れる。
現状、茶葉から作成しているからか、技量の差なのかイリスが淹れる紅茶、緑茶、コーヒーにココアまで、飲料は格の違いは如実だ。
一口舌を湿らせただけで思わず比較してしまい、もう一度味わいたいとすら考えてしまう。
胃袋を掴まれる、という感覚はこういうものかと思わされる。
(紅茶一杯でこれですわ。日常的に『食事』や『おやつ』を頂いている方々がどう思うか、容易な想像でしょうに・・・)
美食だけではない。
今の『ノア』が影響を与える相手は数限りなく多く、その中でも顔を出さないことで問題があるのは『騎士団』だろう。
商業組合や冒険者互助組織の重鎮、花街の女王も問題はあるが、それらは悪感情以上の利益を与えられれば黙らせることも可能だ。
しかし、元々様々な問題から悪感情を募らせていた騎士団が、治安維持でも理由にして悪感情から身柄を抑えるような行動に出る事もあり得る。
そのくらいには『騎士団』がノアに対して敬意と好意を抱いているのは間違いが無い。
何せ、ノアの知人と理解されるだけで見回りの兵士が笑顔になるくらいの影響力なのだから、あまりにもわかりやすい。
(兵士、というのは専業軍人とは違い素人だとは聞いていますが・・・一体、どんな話を持ち込んだらああなるのか、教えて欲しいくらいですわ)
などとアザミは思うのだが、ノアが特別な行動をしているわけではない。
あくまで自然にこの世界でも最上位に当たる美食を差し入れし、武器や防具に必要となる鉱石を聞き出して優先的に採掘するように依頼を回すように働きかけ、商談として任務環境の改善に貢献しただけである。
ただし、国民とも認められない冒険者、しかも極上の美人が、となると男性中心で構築される騎士団や部下たる兵士たちがどう思うかというと・・・。
ノアが意図したわけでは全くないのだが噂が噂を呼び、尾ひれがついた話はあまりにも早く、ある意味で閉鎖社会の騎士や兵士たちの間に広がっていったのだ。
曰く「ノアという美女が街を護る者たちに献身と愛情を尽くしている」などという半ば与太話だが結果だけはきっちり出ているという厄介な何かが完成していた。
ちなみに、愛情はもちろんだが献身という意識すらノアの側には欠片も存在していないというのが真実である。全ては商談の一環でしかない。
「あ、あの、アザミ・・・さん、は・・・どうするんですか?」
不安と恐怖に怯えながらレネアは問いかけた。
二人にはそもそも接点が少なく、戦闘力は一方的で、あくまで『幸運』で今の―――この街でも有数の同好派閥の長という立場に居るレネアの側に苦手意識があるからだ。
独り立ちし、自身のカリスマで取り巻きすらも生じているアザミに多少の隔意を抱いてしまうのは仕方のない事なのかもしれない。
「どうもしませんわ」
そんな彼女に対し微笑を湛えてアザミは柔らかに返す。
アザミからすると街の各所への情報網や顔繫ぎがまるで足りていないために誰がどう動くのか想像もつかない。
消極的ではあるが、下手な行動で有力な相手の不興を買うよりは様子見という選択肢になるのは当然とも言える。
余裕をもって泰然としている雰囲気に周囲が「さすが・・・」という空気を作り出すが、本人の内心ではこれから訪れる嵐に泣きたくなるほどの恐怖を抱いていたのだった。