77 声高々に
小さな騒めきと共に視線が集まるのがわかる。
険悪な様子の二つの集団の間に立っている状態に、内心で溜息を吐く。
「一体、何―――」
「―――あぁぁぁ~~~!!!」
片方の集団の中の一人、金髪の少女がノアへ指を突き付けて叫ぶ。
とりあえず、他人を指でさすのは行儀が悪いとされているので、止めて欲しいところである。
マナーの問題以前に、知り合いでも―――
「あなたは・・・」
「? イリス、知り合い?」
隣のイリスが妙な反応をしたのだが、ノアには覚えが無い。
無駄に声の大きい、苦手なタイプそうだとは思うのだが。
本気で疑問を抱いていると、イリスからも眼を見開いて驚愕の視線を向けられた。
「あの、古代遺跡で出会った・・・」
「遺跡。最近、忙しかったから記憶が薄れているなぁ」
数日間の強行軍。
繰り返される戦闘。戦闘。戦闘。
爆炎と崩落。地下探索からのボスであった機工戦士との攻防―――
「―――こんな人、居たっけ?」
「なっ!? 本気で忘れたって言うの!? あんたに殺されたって言うのに!」
「殺した? ん~・・・やっぱり記憶にないな」
ノアが直接手に掛けた『人』はゲームでも敵として登場していた盗賊や山賊くらいである。
何らかの行動で間接的な死者が出ていたとしても、そこまで把握していないし、するつもりもなかった。
もっと言えば、直に手を下すならともかく、赤の他人を切り捨てるくらいの覚悟はとうに出来ているので割り切っている。
誰かが得をすれば、誰かが割を食い、嫉妬や羨望から悪意を向けられることがあるのも重々に承知していた。
「で。そんなどうでもいい事は放っておくとして」
「どうでも良くなんかないわよ! 私たち、死んでるのよっ!?」
「じゃあ、こんなところを出歩いていないで墓の下にでも入っていればいい。死んでいるのでしょう?」
しっしっ!と犬でも追い払うかの如く軽く手を振る。
まともに相手をする気も無い。と、明らかだったため、イリスも納得したように小さく頷いた。
そういう扱いにするために忘れたふりをしていたのではなく、完全に忘却の彼方へ追放していただけなのだが。
「この―――」
「で、アルナ。これは一体、何の騒ぎなの?」
「―――話を聞けーっ!」
壁際で冷めた視線を二つの集団に向けているアルナへ歩み寄る。
正直、当事者たちに話を聞くより、傍観者ポジションを崩していない様子の彼女の方が冷静に話が出来そうだという判断だ。
ちなみに、フィルは少し離れたところでチョコクロワッサンを小動物のように齧っていて、かわいい有様。
撫でて可愛がって癒されたいと、ノアはすでに思ってしまっているのだが。
「手を貸せ、という話らしいです。正直、要領を得ないのですが」
「ふ~ん? ま、じゃあ、お断りということで。朝食にしようか」
「そうですね。時間を無駄にしても良い事はありませんので」
「あ、今朝はちゃんと焼けましたよ! マスター!」
「フィルが食べているのは見えているから。味にも期待している」
「はいっ!」
ノアや『黒百合の絆』なる同好派閥への協力願いというのはかなり多い。
その大半は詐欺まがいの行為で利益だけ吸い取ろうというハイエナみたいな連中だ。
中には本当に手を貸して欲しいと思っている相手も居るのだろうが、ノアは基本的に誰であろうと断っている。
いや、断らざるを得ない状況なのだ。始めてしまった色々を処理するのに忙しすぎて。
レネアやてぃわバルーンとの狩りですら手伝いに行くのにスケジュール管理が必要なほどだ。
(ちょっと同時進行しすぎかなぁ・・・まぁ、必要に迫られての結果だから仕方が無いのだけれど)
二つの集団の対立に興味を失ったように踵を返すノアの背にふわりと妖精が張り付く。
あまりにも自然に、あまりにも優しく、あまりにも軽やかに。
そして、周囲の空気も視線も完全に無視して耳元で囁く。
「意外と、美味しかったよ?」
「意外、はよけいでしょ。いや、料理はイリスの方が得意なのは確かだけど」
「半分くらい、黒焦げだよ?」
「それはちょっともったいないな」
竈でパンを焼くのは意外に難しい。
火力調整は術理である程度可能だが、現代のオーブンなどと比較するとやはり精度には差がある。
特に長時間一定の温度に保つというのが難しい様で、焼きすぎてしまう傾向の強いアルナが中身を焦がすのは今回が初めてというわけではなかった。
いっそ普通に薪でやった方が楽なのかもしれないが、最も家事が得意な人物が煤や灰の問題を含めて拘っているのでそれも難しいところ。
イースト菌やらの材料をどこでどうやって入手してきたのかは不明だが、余裕はあるので早めに調理に慣れることが出来るように、回数を熟せるのはありがたい限りである。
「って、ノアちゃん様!? 話聞かないの~?」
やや焦ったような女道化師の声にノアは軽く肩を竦める。
何となく予想できる項目は複数存在するが、そのどれであっても別段口を挟むつもりはない。
例えば金銭的な援助や技術支援の話であれば、すでに『黒百合の絆』へ委託がほぼ終わっているのでそちらへ投げるだけ。
他に依頼と呼べるようなモノだったとしても、立場的に『冒険者』を維持するつもりなので冒険者互助組織を通さないモノは無視で良い。
現状以上に人の輪を広げるつもりもなく、人付き合いを面倒と考えていることもあって拒絶してしまうのが手っ取り早い対処なのだ。
「これでも忙しい。何の話かは知らないけど、やりたい人たちだけで勝手にやって」
「え? えっと、お姉さま・・・?」
片方の集団の中からレネアも顔を出す。
よく見るとメンバーは顔見知りがほとんどで、もう片方は特に見覚えのない人々。
その顔触れを見ただけで面倒にしか感じないのだが、レネアが引き留めたのだから何か問題があるのだろう。
想像はできたが、最も酷い推測であったとしてもノアは興味を惹かれない。
「待ってくれ! 元の世界に戻るためにも一人でも多くの仲間が必要なんだ!」
声を上げた少年に軽く視線を向けたが、だからと言って興味が出て来たわけではなかった。
むしろ、心の中は冷え切り、嘲笑すら浮かびそうになる程に失望を覚え、拒絶の感情を新たにする。
だからこそ、ノアは一見すると華の咲く様な綺麗な笑みを浮かべた。
「お断り」
「なっ!? か、帰るために必要な事なんだぞ!?」
「その言葉にも君たちという人物や集団、組織にも信頼性が皆無。要するに信用できない」
侮蔑、嘲笑、疑念。
様々な負の感情が詰まった双眸に周囲のほぼ全ての人間が息を呑んだ。
あからさまに見下している様子ではあるが、それ以上に強い拒絶と抱いている嫌悪感の大きさに言葉が出ない。
「馬鹿に付き合うほど暇じゃない」
吐き捨てる様な一言が本心であることは明確だった。
オブラートに包むこともしていないのだから当然ではある。
ノアとて簡易にではあるが街の大物と商取引を対等に熟したのだから、腹芸のひとつやふたつ行うくらいはできるのに、だ。
その意味に気が付いたレネアやてぃわバルーンたちは出遅れた面々よりも先んじて二つの集団から距離を取る様に離脱していく。
そうして櫛の歯が欠けるように片方の人数が減っていく様子を見れば、彼女の影響力がどれほどのモノか察するのは簡単だろう。
「まっ、待ってください! わたしたちは、本当に帰る手段を―――」
「話にならない」
一刀両断。
ここまで強硬な態度を取ることにレネアたちにしても疑念を抱くが、あくまでノアは組織や立場を持たない個人である。
誰かに配慮する必要を感じていないノアにしてみれば、最悪の場合はどちらに対しても交友を断絶するくらいの備えがあった。
あまりにも行動に支障が出るのなら街を出てしまえばいいし、指名手配されるようなら人里を離れても活動はできる。
そのくらいには、この世界の未開拓領域が広い事を十分に理解していたし、潜入や潜伏の手段も用意があった。
「待っ―――」
「ノアの言う通りですわね。一考の余地すらありませんわ!」
いつから見ていたのか、少し離れた位置の柱の陰から顔を覗かせたアザミに何人かが目を見開く。
元からノアに対して友好的な態度を取っていたのは確かだが、スタンスの違いからアザミが全面的に意見を支持することは珍しい。
特に料理と衣装、そしてそれらに関する素材の収集という点で互いの妥協点が少なく、話し合いこそすることはあっても基本的には不干渉の方針だ。
と、いうのも手加減が苦手なアザミが獲物の大半を粉砕し、得られた資金はドレスや装飾品、そして美食に惜しみなく投入してしまうからだ。
新規の調理法を模索するなどの研究や堅実に資金運用して生活基盤を整える方向性で事を進めているノア達とは心情的には別にしても歩み方がまるで異なる。
もう一方のグループもそうだが、だからこそ互いのやり方にはノータッチという暗黙の協定が出来上がっていた。
「ノア。わたくしも朝食をご一緒してもよろしいでしょうか?」
「別にいいけど、さほど豪華なものは用意してないよ?」
「かまいませんわ!」
満面の笑みを浮かべて告げるアザミに嘆息交じりの頷きが返る。
相互不干渉というのはある意味で大人の対応だ。
子供じみた思想から、相手を下したい、自分のやっている事の方が正しいと認めさせたい、などの思惑が絡むことも多い。
それをお互いの独自路線を尊重し合って接触を最低限にしようとしていたのだから、この二人が比較的大人な対応をしていると判断する事は難しくないだろう。
もっとも、それはあくまで一元的な物であり、本当に上位の対応となるともっと別の手段があったのは事実でしかないのだが。
しかし、そんな前提を覆すようなアザミの行動は周囲を驚愕させるには十分だったようだ。
『・・・』
そんな二人が揃って「相手にする価値もない」という判断を下した。
眼前の光景が与える影響は大きく、すぐに両方の集団からポロポロと距離を取る人間が増える。
この集団の会話内容すら把握していないような二人の行動によって、というのを思えば現状の『街』の中心人物が誰であるかなど疑いようもない。
てぃわバルーンなどに至ってはすでにご相伴に預かるべくホールから姿を消しているほどだ。
色々な意味で空気が冷え切ったことで、冷静になったのか、街に住む仲間たちからの放逐を恐れたのか、ともかく次々と人が減っていく。
結果、その場に残っていたのはわずか二十名程度。対峙していた片方の集団は完全に居なくなっている。
「ど、どうしてよっ!? なんで・・・っ!?」
少女が取り乱すが、それは当然かもしれない。
ノアもアザミも、やり方や考え方の差異はあれど『この世界』に迷い込んだ『プレイヤー』を導いている。
つまり、実力と行動で生きてゆく術を教え、伝え、共に考えながら歩んできたという下地があるのだ。
本人たちがどれほど意識しているかは別として、そこには確かに信頼や尊敬の念が生じるのは必然の結果でしかない。
同時に、多少の嫉妬や嫌悪よりも二人の判断が重なった―――判断力に優れると考えられている二人がそう決断するだけの何かがある以上は下手に関わりたくない、という警戒心を抱かせるに十分すぎる理由にもなった。
「ど、どうすんだよ・・・?」
怯えた様に少年が問いかける。
彼がほんの少し前までレネアと共に迷宮へと足を運び、大した成果もなく日々を過ごしていた少年だ。
黄昏坑道での一件の後、レネアと和解できず今も依然と似たような生活を続けている。ノアに至っては彼の存在など完全に記憶から抹消してしまっている。
そんなわけで、ノアがもたらした様々な恩恵にほとんど与れなかった間と要領の悪い彼と、その彼に付き合うもう一人の少年は不安げに表情を曇らせた。
この場に残った少数の境遇は似たり寄ったり―――要するに、今の生活に不満しか持っていないような人々だ。
それもそのはずで、絶対に故郷へと帰る、と誓いを立てるような人々は、すでに行動を開始しており、基本的にレーロイドに留まってはいない。
帰郷への念があっても多少の目端が利く人間はノア達の行動に追従するか、自分達の考え故にこの場に残るようなことをしていない。
多少の優柔不断や、『帰る手段を持っている』ような言葉に興味を抱いた人間ですらこの場に留まることを考えなかったのは呼びかけた彼らの態度のせいかもしれないが。
極論すれば人望の差、なのだろう。
しかし、そもそもノアは『自分は協力しない』と言って取り合わなかっただけでレネアやてぃわバルーンに同意を強制も強要もしていない。
それでもアルナたち三姉妹だけでなく、ましてや日頃から付き合いのあるわけではない面々からも追従を引き出してしまったのはノアにとっても少々想定外ではあったのだけれど。
彼女の心からの本心としては「そんな胡散臭い話、信じたい人たちだけで勝手にやっていれば?」である。
自分で協力するなんてことはあり得ないが、信じたい人たちが他人に迷惑をかけない範囲で何らかの行動を起こすことには基本的に干渉しない方針だからだ。
もちろん、どうしようもなく自分の障害になると判断すれば排除の方向に思考を向けるが、身軽すぎる心情の為か「面倒になるくらいなら関係を断って街を離れる」と断言するのがノアである。
それは水の街を離れた時の事を考えればアルナ達やアコル、カザジマとしても納得する回答だと言えた。
他者を簡単に切って捨てるような行動ではあるが、それ故に逡巡を少なく、果断に行動を決めていけるという利点も存在する。
「・・・けど、姫を助けるためにも色々な人の協力が必要なんだ・・・!」
そんな他人からの過干渉を嫌うノアのスタンスを全く知らない『勇者』ことエリクくんは決然とした表情で呟いた。