76 思考は机上の空論ですらなく
色々な根回し、工作、商談が纏まり、しばらくの時間が流れた。
要求量に対して作り手や素材の数が足りなかったこともあり、忙殺されたと言い換えてもいい。
とはいえ、やりすぎて希少価値を落としすぎても問題があるので程々に抑えてはいる。
特にノアの場合、レーロイドという街は通過点にすぎず、あまり手を貸し過ぎて依存されても困るという面もあった。
「ん~・・・そういえば最近、アルナさんやカザジマを見てないけど」
寝起きの体を解すように伸びをしつつ、ノアはフと思い出した事実を口に出した。
今の肉体にはだいぶ馴染んできたものの、身体のせいか生活のせいか以前とはまるで違う部位に張りや疲労を感じる事が増えている。
就寝前や朝一番でのストレッチの重要性に気が付かされたのは良かったのか、悪かったのか。
それはそれとして、彼女の問いかけにイリスが薄く微笑む。
「あのお二人ならば『修行』だそうですよ?」
「修行? カザジマはともかく、アコルさんは短期的な修行なんてあまり意味ないと思うけど」
「彼女たちは洞窟などの閉所での立ち回りに不満があるようで」
「・・・武器の特性上、仕方のないことでは?」
鞭と剣の特性を併せ持つ蛇腹剣も、長柄の重量武器である戦槌も十全に生かそうとするなら一定以上のスペースが必要だ。
洞窟や遺跡の通路などの空間に制限が掛かる場所では本来の能力を発揮できないのは当然と言えば当然の話。
「それをノア様が口にしますか?」
「そう言われてもね・・・」
遺跡で主体としていた『居合』という戦技は、抜刀という動きが必須のため相応に空間が必要だ。
技量が足りなければ前方と左右に腕の3倍ほど、上手くなればなるほどにある程度までは範囲を狭める事が可能になる。
最近使っている薙刀も長柄武器らしく、通路や狭い場所では取り廻しの難易度が上がっていく。
岩や壁を抉るならばまだしも、弾かれて型が崩れたり、木々にめり込んで動きが阻害されれば致命的な隙にもなるだろう。
そういった不備に煩わせられない程度の技量を持つノアを見ていれば、アコルやカザジマも懸念を抱くのは仕方が無い。
「アルナとイリスの薫陶の賜物なのだけれどね」
「そう言っていただけるのはありがたいことではありますが、全てはノア様の才でしかありません」
「才能、ね・・・」
思い浮かぶのは、夢の中で出会った『ノア』のこと。
武術の才能など持ち合わせていなかったはずの自分が、他者よりも技量に優れるというのなら原因は『肉体』の方だろう。
あの『ノア』が身に着け、高めてきた技術と能力―――その百分の一でも扱えているのなら、中身がただの一般人よりは余程強者になり得る。
(けど、それならアコルさんだって立場はほぼ同じはず。格差が開いた原因はなんだ? 何の条件を満たせば力量が伸びる?)
ゲームの時のキャラクターのレベルはノアとアコルではほとんど変わらない。
それなのに技量に差が出来てきているとなれば、他にも何か理由があるのだろう。
日々の研鑽、と言い切れればいいのだが、大きな差が付くほどの日数が経過しているとは思えない。
どちらかと言えば―――
(―――死にかけた回数? 死線を潜ると成長できるという話もあるし、あり得なくはないかな?)
常人ならば死んでいてもおかしくない怪我の数ならノアとアコルでは確実に差がある。
腕や足が吹き飛ばされて、どうして強くなるのか、という疑問もあるので結論は保留ではあるが。
「どちらにせよ、順路迷宮白銀の山道を超えるなら、強さは必要か」
「厳しい環境はもちろん、視界や足場が悪くなることも想定されますから・・・」
「そうだね。そっちの対策も進めていかないと」
雪山を抜ける『白銀の山道』という迷宮はゲーム的にも視界制限と時間と共に体力減少、そして対策していなければ一定時間で『氷結』のバットステータスを強制してくる。
が、あくまでもそれはゲーム的な設定であって、実際に通ろうと思えばより多くの問題が発生することは想像に難くない。
防寒対策で厚着をすれば動きも阻害されるだろうし、吹雪の中で敵も襲ってくるとなれば食事や睡眠が十分に取れるとは思えないからだ。
雪に足を取られる、スリップして体勢を崩す、滑落して分断される、などは最有力な事態だろう。
(急ぎたい気持ちもあるけれど、勇み足は自分の首を絞めるだけ、と・・・)
焦らない理由は複数ある。
安否を確認したい相手が多くない事。最期の会話を思い出すに、ここには居ないであろう事。
そして、ノア自身が特に帰りたいとは思っていないという事。
それはノアの『中身』の―――前世とも言えるような『彼』の問題ではあるのだが。
もちろん、今の、三姉妹たちと過ごす生活に充足感を覚えているからというのもある。
「・・・どっちにしろ、慎重さを欠くような真似はするべきじゃないな」
「どうかされましたか?」
「いいや。出来る限り平穏な旅路になる様に準備したいと思って」
「それは―――」
難しいなのか、無理なのか。
人よりも強力な怪物が跳梁跋扈するこの世界では移動するだけでも確実な保証は欠片もできない。
(そういえば、この世界の本当の主要街道を知らないんだよね。渡りの騎士団とかいうのにも会ったことが無いし)
SSOにおいては人の拠点となる『街』は5つしか登場していない。
しかし、実際には大小含めて五十以上の町村が存在するのだと、いくつかの地図を目にする機会を得て知った。
ゲーム内での簡略化、あるいは描写の省略によって描かれなかっただけなのかもしれないがソレによって新しいモノも見えてきた。
それこそが本来の主要街道の存在である。というか、ソレが無ければ国としての体裁すら保つことができない。
(まぁ、ひとつの街と街を行き来するのに片道半年以上かかるとなると、冒険者としては遠慮願いたいところかもしれないけど)
主要街道は危険度が低い代わりに、冒険者なら脅威とすら認識しない小規模な危険区域も迂回しているため曲がりくねり遠大なモノとなっている。
そうしてなお、護衛の騎士団に率いられてようやく町や村を行き来することが出来るというのだから、一般人にとってどれだけ過酷な道のりなのかは推測できるところだ。
その町や村を巡回する騎士たちが通称・渡りの騎士団。
彼らの役割は多岐に渡り、見回り巡回を基本として行商人や出稼ぎの人々の護衛、そして2年毎に入れ代わる『兵士』たちの引率あたりが大きな仕事だろうか。
その辺りはレーロイド騎士団で多少なりとも聞けたので正確な情報だろう。
「・・・ルートを選定しなおせばもう少し安全に速く―――いや、無理だな」
冒険者というのは正確にはこの国の国民というわけではない。
扱いとしては旅人であり、一時滞在者のため、各所に設置されている関所を抜ける許可を得る事が難しいのだ。
これは犯罪者への対策でもあると共に魔物やら怪物やらに対する防波堤―――砦の役目もあるので誰でも通過できるというモノでもない。
結局、もっとも安全に通過するためには『渡りの騎士団』に同行するのが一番なのだが―――。
(半ば一般人の兵士や行商人を引き連れた千人単位の集団での移動。ただでさえ迂回路なのにそれじゃあ、どれほどに時間が掛かるのやら)
そもそもノアは集団行動は割と苦手なので、出来れば避けたいと考えている面がある。
少数ならばともかく、見ず知らずの他人と旅路を共にする上に他者が主導権を握っている状況というのが歓迎できない。
身体を要求されるなどの下種な話になるのも問題だが、便利屋の如く扱われるのも願い下げというのが正直なところだ。
ゲームに実装されていなかった、というのは、前例がない、と考えられるので尻込みする部分もある。
どちらにせよ、冒険者としての正規ルートから外れるのだから対価は必要なのだろう。
最終手段としては考慮に入れているが。
「一応、情報だけでも集めておかないと・・・ん~、地味にやることが増えていくなぁ」
「ご自分で増やしているような気もいたしますが」
「必要に迫られて、と言う感じかな。あまり雑にはできないし、他人に任せきりというわけにもいかないから」
それは軽い人間不信と言っていいのかもしれない。
三姉妹の事は信頼しているが、大本となっている知識の面で差異があるので情報関連は完全に委任することはできない。
アコルやカザジマを筆頭に交友を結んだ人々は居るのだが、どうしても任せるという事に抵抗感がある。
あるいは、それなりに能力が高いからこそのワンマン思考なのかもしれないが。
「とはいえ、あまり時間を掛けすぎても問題あるか」
「焦るのは厳禁ですが、環境の変化やしがらみで動き辛くなるのも困りますから」
情と責任で足を止めざるを得なくなるのは避けたいところ。
などと考えはしたものの、それほど依存されている感覚は無く、居なくなる前提で話を進めてきた。
すでに値段交渉や商売上のやり取りはノアの手を離れ、雑用を手伝う程度しか行っていないことを考えれば大きな問題は無いだろう。
「やっぱり、問題は他の部分か。旅の準備に、装備に、力量に、と・・・」
「未だ足りませんか?」
「足らない、か、どうかはわからないけど・・・白銀の山道には主である白銀の竜アルギュリオンが居る。遭遇して力比べ、なんて事になれば危ないだろうね」
戦闘技術は高まりつつあるとは感じている。
けれど、絶対の自信が持てるほどというわけでは決してない。
(フベルタ教とかいう奴らの動きもあるし、たぶん・・・今のままじゃダメだ)
アルナが対人技能に弱かったことを考えれば、イリスやフィルも同様だろう。
それと同時に理解したのはゲームの技能だけでは危険だという事。
あるいは、まるで別の、新しい―――
「―――いや、すぐにどうこう出来る問題じゃないか」
風鳴りの長刀のようにゲーム内とは違った発想の武器の量産には大いに手間取っている。
武器だけではなく、術理にしても水の鞭以外ではゲームの時の効果、という枠を大幅に逸脱したモノは使えていない。
できるのは効果の増減、範囲の拡張や集束、形状変化といった元の能力の変形くらいだ。
(最初の頃はかなり自由度が上がったと思っていたけど、詳しく調べれば調べるほどに制限があるのがわかってくる)
確かに自由度は上がったのだ。
炎の矢を飛ばすだけの術理も、今では複数同時に放ったり、扇状に飛ばしたり、何本かを束ねて炎の鳥のように操ったりと工夫して様々な使い方ができる。
多くの術理は効果範囲を広げれば威力が落ち、収束すると威力の上昇が確認できたので、その辺りも考慮すれば応用はある程度できるだろう。
しかし、それ以上となると話が別だ。
(例えば、2色融合術。2種だろうと、3色だろうと同時に扱うことは可能だが、完全な融合術理には成功していない。やっぱり、何らかのシステムか制限があるのだろうか)
そのルールは未だに把握できていない。
しかし、何らかのきっかけさえあれば―――おそらく、その箍は外れる。
それが良い事なのかどうかは今のノアには判断することが出来ないのだが。
(・・・何だか、あまりいい予感がしないな。もしかすると地雷かも・・・強すぎる力は災いを呼ぶって言うし)
嫌な想像も脳裏を過るが、足踏みするつもりも無かった
この世界には庇護者が居ない。騎士たちが守るのは国民であって『冒険者』は含まれないのだ。
身を守るためにも、危険な道程を移動するためにも武力が必要となるのだから、研究・開発も鍛錬も手を抜く事はできない。
将来的に火種となる可能性を孕んでいると理解してはいても。
「全てが上手くいく、なんてことはあり得ないのだろうね」
「何かご懸念でも?」
「いや・・・そろそろ動きがあるだろうと思ってね」
誤魔化す様に微笑む。
考えていたこととは別だが、実際、そろそろフベルタ教やら商売関連での商人や住民たちの反応など目に見える動きが現れてもおかしくない。
「波乱の予感、ということですか?」
「平穏に、というわけにはいかないだろうね。次の街の事もあるし、厄介な話になるのは間違いないけど」
フベルタ教は三番目の街『ブレベルナ』を中心とした地方宗教だという話だ。
これから先の旅路で訪れる予定の街の宗教組織と事を構えるのは得策ではないが、相手の動きが不穏に過ぎる。
正直、喧嘩を売っているとしか思えないことに引っかかるものは覚えているが。
「まぁ、いいや。とりあえず朝食に行こうか」
「そうですね」
ここで考えるだけでは何も解決しない、とノアはイリスを伴って私室を後にする。
本日はアルナとフィルが先に行って準備をしているはずだ。
単なる当番制で、ノア自身が担当する事もある。
そして、何故だかその日は集まる人数が倍くらいに増える。
「ん・・・?」
しかし、その日は平時の5倍近くの人がロビーの辺りに集まっていた。
その上、空気が重々しく、二つの集団に分かれて睨み合っているようだ。
「―――あ! ノアちゃん様っ!!」
重苦しい雰囲気を引き裂くようなてぃわバルーンの声に、勘弁してくれ、と思いつつノアは頬を引き攣らせた。




