75 夜街に微笑む
夜の帳が落ちた街。
けれど、眠らない一角というのは存在する。
もっとも、この世界における灯りのコストはさほど重くない。
百万ドルの夜景を再現するには都市の規模と高層建設の数が足らないだろうけれど。
「あん!」
「やぁん」
女性が媚びた声を漏らす。
いや、わざとじゃなければ胸を鷲掴みにされてあんな声は出ないと思うが。
ミラーボールが照らす色とりどりの光がぼんやりと周囲を浮かび上がらす。
こういう照明を使う店が現実に今も存在しているのかは縁が無いので知らない。
「にしても、もったいねぇなぁ。『ノア』くらい出来の良い肢体ならNo.1も十分目指せるだろ。何なら俺が抱いてやろうか?」
「あ、ああっ、あなたねっ!!」
何故かついてきたレネアが顔を真っ赤にして叫ぶ。
注目はそれほど集まらない。というか、店の内容的に見た目美女と美少女の集団で来店したので、すでに手遅れなだけである。
一応、防音の結界は張られているが、一挙手一投足に注目されているので急に立ち上がるような姿はバッチリ確認された。
「あ゛ぁ゛? いちいち、突っかかってんじゃねぇよ! それとも俺と殺ろうって―――」
「ぜひに。今すぐにでも。早くやりましょう」
「―――すいやせんでしたぁっ!」
転身。即座の変わり身も、それは致し方のないことだろう。
合計で67本の宙に浮かぶ剣を突き付けられれば、極一部の例外くらいはあるかもしれないが誰だって恐怖を覚える。
「”色欲塗れの宝石売り”に恥じない言葉だとは思うけど、アルナにその手の冗談は通じないから、相手は選んだ方が良いよ」
「わかった! わかったから止めてくれよ! ノアさん!」
「さっきの言葉は割と不快だったし、一本ぐらい刺してもらう?」
「針治療の針じゃねぇんだぞ!」
冷汗の止まらない男であったが、両手に抱えていた美女たちはソッと身体を離して苦笑を浮かべるに留めている。
その様はプロとして賞賛に値するのかもしれないが、怯えの色を完全に隠すことができないのは一般人NPCなので仕方が無い。
「はぁ・・・店員まで威圧するのはこっちとしても不本意だから・・・アルナ、抑えて」
「しかし! この男はマスターを獣欲に歪んだ眼で視姦し、あまつさえ妄想の中であられもない姿にひん剥き、欲望の限りを―――」
「そこまでは考えてねぇよっ!」
そこまでとか言っちゃったので周囲の視線が冷たい。
体を触らせるのも仕事の内のプロの接客員である二人も、自分達を腕の中に抱えながら別の女性に意識を向けているのは面白くないのだろう。
もっとも、一番怖いのは凍える満面の笑みを浮かべているイリスなのだが。
「・・・あー・・・大体、ノアさんに手ぇ出せるわけねぇだろ」
「ほんの数日前には絡んできたけどね」
苦笑しながら視線を向ければ、アルナとレネアが渋々と腰を下ろす。
そして、不満そうにしながらも実体を持つ『幻影』による剣が空気の中に溶けるように消えていく。
ついでに危ないのでフィルの眼を閉じさせつつ、膝の上に乗せて拘束し頭を撫でた。
「いや、こんな場所に美人が歩いてたら声を掛けるのが礼儀ってもんだろ?」
「店の外でキャストとかに声を掛けるのはマナー違反だと思うけど」
視線を向ければ、聞き役というか給仕に徹している女性へ視線を向けると小さく、けれど、しっかりと頷きが返ってくる。
基本的に彼女たちとの関係は店の中だけで、外でも同じだと考えて手を出すのはNG行為。同伴でもない限り迷惑でしかないので、下手すると通報される。
半ばストーカーのような真似なので話は分かるが、それで捕まった人数がすでに3桁に及ぶというのは後に知って頭が痛くなる事実だった。
ついでに苦い顔でそっぽを向いている目の前の男にも、ノアは呆れてため息が漏れる。
「ゼリオくん。お客様の範囲を逸脱するのは問題あると思うよ? 中にはお金を出せば何でもしてくれるって人も居るとは思うけど」
「ぐっ! そりゃそうかもしれないけど! あそこまでやらせてくれて、それだけの関係なんて!」
「アイドルに本気で恋するファン・・・というと、ちょっと違うけど。てか、やらせてくれた、って・・・」
きっと馬鹿なのだろう。
そして、彼には一切の悪意はない。
ゼリオくんを筆頭とする通称・色欲塗れの宝石売り、という集団は似たような人々が集まっている。
要するに、鉱石迷宮に日々入り浸り、鉱石や宝石、貴金属を売り捌いて生活している人々だ。
一日に得ている収益はレーロイドに存在する集団で最高だが同時に、浪費と消費の割合も最も高い。
主な資金の使い道が色町で遊び倒すためというのだから、謳歌しているというか、堪能しているというか。
本気で「宵越しの金は持たねぇ!」を実践するような金遣いの荒さで美食、美酒、美女につぎ込むのだから良いお客様ではあるのだろう。
「お、俺はちゃんと金だけの関係じゃねぇぞ! 昨日だって、ちゃんと満足させたし!」
大声で宣言する事ではない。
レネアなど顔を真っ赤にしてそっぽを向き、別のお姉さんに宥められている。
初々しい反応に、お姉さんたちの母性や嗜虐心が浮かんでいるが、放置しても問題ないだろう。
それより―――
「―――満足させたって言うのは嘘だね。ゼリオくん、ド下手くそで有名だし。媚薬使って半人前って言われるくらいに」
「なぁっ!? お、俺はそんな言われるほど下手なはず・・・」
「ヒサナさんの笑い話に出て来たくらいだし、他にも何人かから聞いたから事実だと思うよ」
「のわぁ~っ!!!」
テーブルに突っ伏す姿は哀れみすら感じる。
しかし、その噂をは知っていたのか両隣の女性二人も困ったように微笑むだけだった。
ちなみに、この世界には媚薬の類はノアが把握しているだけでもいくつか存在している。
依存性や中毒性がある物は今のところ存在していないのだが、効果は高いらしく普通に使えば満足感は高いらしい。
「アレ使っても半人前って、だいぶヤバいと思うけど」
「ぐぅっ! ・・・てか、使ったことあるような口ぶりだけど?」
「うちの子たちは頼りになるし心優しいけど、出来心っていうのもある。未だに偶に盛られるし」
白ワインで舌を湿らせながら、半眼を向ければイリスはにっこりと微笑んで小首を傾げた。
如何にも「何のことですか?」と言いたげだが、状態異常感知と危険物感知の能力があれば発見は容易い。
水の街で野良ネコに与えたらとんでもない事になった薬品であったのだが、ノアは状態異常耐性が高すぎるのかほとんど効果が無いので別にいいと諦念している。むしろ、風呂上がりのように身体がポカポカしてぐっすり眠れるというところに違和感を覚えるくらいである。睡眠導入剤の代わりにするのはどうかと思うが。
「主人に薬盛るパートナーって、どうよ?」
「今のところ実害ないから別に。毒物の耐性の高さが異常なのは理解できたからプラスと考えてもいい」
「そういうもんか? てか、普通に怖くね?」
「信頼しているから大丈夫。最悪、この三人になら何をされても受け入れるよ」
諦めていると言ってもいい。
見捨てられれば生きていけないし、本気で何かしようというのなら抵抗は無意味だ。
身体能力では五分かもしれないが3対1では勝ち目はないのだから、素直に受け入れるしかない。
「ま、マスター? ほ、本当に? え、よ、良いのですか?」
「あの、アルナ? そんな鼻息荒く迫られると怖いんだけど」
「・・・お姉ちゃん」
「フィルは毎晩のように魅了の魔眼まで使って甘えているでしょう」
「あの、ノア様。その・・・」
「いや、イリスは一番自重していないでしょう」
貞操に関しては諦めが入っているが、今のところ未だ無事の筈である。
しかし、3人とも暴走気味な雰囲気があるので近いうちに危うい事になるのだろう。たぶん。
疲れた様に微笑みながらも、ノアは三姉妹を受け入れて頭を撫でたりしている。
耳まで真っ赤にしたレネアがチラチラと、お姉さんたちが興味深そうに、あるいは感心したように眺めてきていたが。
「くっそぉぉぉおおお~! 見せつけやがって! ノアさんだから仕方ねぇとは思うけど!」
「パートナーNPCについてはともかく、確かに最近ちょっと思うところはあるね」
「金持ちで、美人で、強くて、人助けしていて、欲に塗れてないってだけで十分すぎる!」
「欲はあるけどね。人助けは・・・まぁ・・・」
結果的にそうなっているだけ、と自覚しながらも事実ではあるので否定はしない。
この世界で人生全てとは言わずとも、最低限、帰る方法が見つかるまでは生活していくわけで。
そうなると冒険者が脱落し過ぎるのはノアとしても困る。
情報源というのもあるが、変化への対応力や戦力、そして単純に労働力としても冒険者の存在は重要だ。
エインヘリヤルを介する必要があるが、逆にエインヘリヤルだけでは使えない―――コストとなるAP譲渡や私室の関係―――『錬金術』は便利であると共に最大の武器でもある。
場合によっては設計図と製造方針を共有して製造技能さえクリアすれば航空機などの大型の文明の利器を作り出せる可能性すらあるのだから。
「・・・現代工学に詳しい人が必要か。いや、図面というか詳細な設計図を書けるレベルじゃないと・・・」
「ノアさ~ん。怖い事言ってんぞ~」
「大規模破壊兵器のひとつやふたつ、切り札に欲しくない?」
「いらねぇよ! 何と戦う気だ、何とっ!?」
ゼリオくんは勢いよく叫ぶが、夜の港で戦った相手を思えば爆弾の類は持っていても損は無い。
雪山には氷龍も居るのだし、攻撃手段は複数用意しておいてもいいだろう。
投石が効かなかった事もあるので、どこまで効果があるのかは疑問だが。
「はぁ・・・ほんと、ノアさんって何考えてるのかわかんねぇな」
「そう? 思考自体は真っ当だと思うけど」
「どんな思考かは知らねぇけど、まともにやって街の裏の支配者にはならねぇだろ。普通」
「支配者なんてやってないけど。めんどくさそうだし、いらない」
呆れたようなジト目が飛んでくるが、ノアとしては疑問でしかない。
街の有力者の8割とはすでに顔見知りであるが、だからといって行動に口を挟めるのかというと、そういうわけではない。
商品の取引にしても同じで、レーロイドの生命線とも言えるような商品は扱っておらず、影響力は最低限だ。
冒険者が商売の中心に居るという事が初めてなので注目を浴びているが、直接的な影響力はそこまで強くない。
「ヒサナさんにだって意見できる立場の癖に、何言ってんだか」
「ただの茶飲み友達だよ。それに、意見できるっていうかコスプレ衣装と観賞用の類の需要のある下着の導入を勧めただけだし」
「お姉さま、そんなことしていたんですか・・・」
「取引商品もソレ用だよ? ゼリオくんのところは皆すいぶんと楽しんだらしいけど、どうだった?」
「言えるわけねぇだろっ!? ここ、俺以外に男いねぇし!」
「ハーレムだね。よかったねぇ」
全く嬉しくなさそうにゼリオは不満げに顔を歪めるが、彼は接客要員であるお姉さんたちの胸を鷲掴みしていたりした。
娼館通いでもあるため、正直その言葉には説得力が無く、レネアが白い目で見ている。
もっとも、ちっぽけなプライドに理解のあるお姉さんたちは苦笑しているだけだが。
「くっそう。勝てる気がしねぇ」
「何に対して勝とうとしているのか知らないけど」
「ナニって、お姉さま! こんな男と床勝負を!?」
「いや、しないけど。興味もないし」
「ちっくしょぉ~っ!」
ど下手で有名な男は咽び泣いた。
敵としての彼には欠片も興味が無い―――どんな勝負でも負ける気がしない―――ので、どうでもいいことだが。
レーロイド全体で見ればゼリオくんの戦闘能力はプレイヤーだけなら五指に入ると思うが、如何せん規格外のアルナ達が居る。
直々に訓練を受けているノア自身も当然の如く実力が高まっているので、半分以上が炭鉱夫の彼に負ける事はない。
「どうでもいい話はここまでとして」
「いや、どうでも良くは・・・いや、うん。で、何かあんのか?」
色々と諦めた様子のゼリオくんは投げやり気味に問いかけてきた。
特に長引かせる話でもないので、例のフベルタ教に関する彼是を話し始めると、徐々に表情が沈んでいく。
隠す事でもなかったので退席は促さなかったが、お姉さんたちの表情も驚きから苦い表情へと変わっていった。
「洗脳して、好き放題やってるってことか?」
「さぁ? 精神に干渉する能力ではあると確信しているけど、何でも自由にできているようには見えないし」
不信の種はいくらでもあるのだが、決定的な情報はひとつもない。
もともと探っていたわけではないのだから、当然の話ではあるのだが。
「で? ノアさんはどうするつもりなんだ?」
「とりあえず、警戒と注意を促すくらいはするけど・・・放置かなぁ・・・」
「あ? 力尽くでぶっ飛ばすんじゃねぇのか?」
「そんな脳筋な事はしないよ。どこまで手が伸びているのかわからないし」
現状では嫌がらせで十分だと考えているのもあって、ノアは積極的に行動するつもりはない。
精神干渉にしても、どれほどの範囲に、どんな効果を及ぼしているのか、が、わからないので対応というのも難しい。
場合によってはレーロイドという街の全てを敵に回す事すら考慮に入れているが、相手の狙いがわからないので規模の想定も不確定。
もっとも、明確な敵対者というわけでもないのだから、武力で排除など愚策でしかないのは確かではあるのだけれども。
「なんか考えがあるんだろうけど・・・むかつく奴らだな。洗脳して女をいい様にするなんて」
「いや、女性をどうこうって感じではないでしょ。それに、君だってお金で女の子を良い様にしているのだけど」
「俺は本気で嫌がる奴には手を出さねぇ! 紳士でいたいからな!」
「・・・あ、そう」
彼の中ではそういう事らしい。
実は嫌々彼の相手をしている娘が数人居るとノアは知っているが、黙っておくことにした。
逆にゼリオの側からするとノアに対しての恩義は大きい。
様々なダンジョンの地図が公開されたので採掘の効率や分量が上がったのもある。
が、彼にとって最も大きいのは自分の意志ではなく、身を捧げるしかなかった女性たちに新しい選択肢を与えてくれたことだ。
彼なりのルールではあるが、娼婦を仕方なくやっている女性というのはあまり面白いものではない。
その理由の大きな部分に、同じ同好派閥のリアルでも知り合いであった友人が娼婦に身を堕とした事が影響していた。
彼女はまだ生きているが、その知人は自ら命を絶ち、復活もしなかったとなれば思うところはある。
彼の友人は『黒百合の絆』などという名前になったという同好派閥に所属を変える申請をして、今は意外と楽しそうにしていた。
ゼリオは「お前は俺が買ってやる」などと過去に口にしたせいで、未だに揶揄われるので会いにくい相手なのだが、彼女を救ってくれたノアには感謝している。
そういう、ノアの行動に救われた女性や、場合によっては男性のプレイヤーは割と多い。レーロイドの3割、ゼリオたちのように間接的な相手を含めれば6割以上にも及ぶくらいに。
「まぁ、ノアさんが何もしねぇっていうなら、こっちも様子見するけどよ」
相手がそこそこに規模のある宗教組織だということも鑑みて、ゼリオはノアの考えを支持する。
恩義もあり能力も高いと感じてはいても、結論を丸投げにせず自分の中の基準に従って行動を決める辺りが、彼がひとつの集団の中心人物である理由なのだろう。
「そうしてくれると助かるよ。下手に武力抗争になって、内乱みたいな話になると面倒だし」
「面倒で済ませる話じゃねぇだろ、それ・・・」
「ただ、注意はしておいて。精神系の能力は怖いし、プレイヤーはともかくNPCがどんな影響を受けるのかはわからないから」
「まぁ、俺らは色々と接する機会もあるし、注意してみるわ」
夜に様々な場所で酒を浴びるように飲むのもあるが、炭鉱での採掘にはNPCの炭鉱夫と共同作業を行う機会も多い。
買い物も普通にするので、住人と接触する機会という意味では彼らはレーロイドに居るプレイヤーではかなり上位だ。
「それもあるけど、色事の最中とか終わった後には気を付けた方が良いよ? 暗殺するタイミングとかでは一般的だし、知能も下がるらしいから洗脳もしやすいだろうし」
「一般的じゃねぇよ! じゃ、ねぇ・・・よな?」
不安を浮かべる彼に、ノアはニッコリと微笑を返した。