72 組み上げる先を
手早く、簡単に設置ができる。
近代的なテントの考え方を汲むような天幕の設置手順は身に着けるのも容易だった。
(それでも、結構かかったなぁ)
陽がだいぶ落ち始めたのを確認し、ノアは内心で呟く。
もう1時間もすれば完全に太陽の輝きが消え去り、夜の帳が浸蝕してくるだろう。
そんな風に考えながらも、振るわれた騎士の刃を弾き飛ばす。
「―――次」
首元に剣を突き付けたことで手を上げて降参を示した騎士から視線を背け、次の相手を誘う。
何をしているかといえば、暇をしている、というのが正しいのだろうか。
一通りの指導を終えた後、上手く出来なかった何人かをアルナ達が再指導することになると手持無沙汰になってしまった。
仕方が無いので差し入れ品として持参したサンドイッチとクレープを配ってはみたものの、それ以上にやる事が無くなってしまう。
そうして暇を持て余していると一人の騎士に絡まれたのだ。
曰く、そんなに暇そうにしているなら剣を教えてやるよ、と。
「よろしくお願いします・・・っ!」
「よろしく」
緊張した面持ちで対峙する騎士に、ノアは半身で軽く構える。
どちらも刃引きされた模擬剣であるが、騎士の方は半分制服でもある軽鎧を纏っているが、ノアは特に防具らしい防具も身に着けておらず私服だ。
最初の5人くらいまではそれを侮りだとか、負けた時の言い訳作りだとか、打ち込みを牽制するためのポーズだ、などと言われたりもしたのだが―――。
「やぁっ!」
「・・・」
油断など一切なく正眼の構えから流れるように放たれる突きを斜め前方へ踏み込んで回避する。
そもそもアルナと比較すると速度も技量も数段劣る相手に、苦戦することも無い。
回避されることを予想していたのか掠りもしない刃の行く末を見届けることもなく、騎士は飛び退いて距離を取り、剣を構え直す。
「はぁぁぁあああっ!」
「・・・」
大上段からの振り下ろしに対して踏み込みから突進斬りで相手の刃を跳ね上げる。
ノアの良く使う刀術とは違い押し込むような斬撃は、身体のバネを利用して打ち込む剣撃は瞬間的な爆発力が違う。
そういった体の使い方は48人抜きした現在でも続いている模擬戦の中で相手の動きから見取り学習したものだが、割と形になって来た。
それを証明するかの如く、刃引きした剣を籠手の上に叩きつけ相手が剣を落としたところに首筋を刃で撫でる。
「さて、次―――と、思ったけど終わりかな?」
籠手、肩当て、足鎧といったものの上からとは言え、割と容赦なく打ち込んだので騎士たちは死屍累々といった様子で地面に転がっている。
逆にノアは完全に無傷。最初の数人はともかく、ほとんどはかなり本気で斬りかかって来たのだが、結局一撃たりとも触れさせなかった。
未だ数人とは戦っていないが、それは天幕の方を監督しているので最初から参加していない。
「いやー、強いな! さすがだ!」
大きな笑い声を上げて肩を叩いてくるゼルジス副団長の様子に嘆息吐く。
騎士や兵士が身に着ける戦闘技法は、槍衾を構築したりする集団戦や騎馬で扱う槍。乱戦や近接戦闘の時に抜く剣、奇襲や籠城戦、援護など広い場面で活躍する弓、武器を失った時や不意を打たれた際に身を守るための体術の四種類がこの国では一般的だ。
その中で最も重要視されがちなのが槍術であり、騎士たちが剣で戦うという場面はあまり多くない。間合いの関係もあるが、主に対峙するのが人ではなく魔物や怪物だというのが大きいのだろう。
要するに騎士の大半は剣よりも槍を得意としている。最初から剣の間合いで始まる上に、武器が固定されている模擬戦で勝った所で、本気で勝てたと己惚れることはできない。
「お前らも、良いところを見せられなくて残念だったなっ!」
「冒険者相手に何を言っているんだか」
何故だか、何人かがバツが悪そうに視線を逸らす。
誰に対して活躍を見せたかったのかは知らないが、冒険者と一般的な騎士の間にはそれなりに戦力の差がある。
五十人近く相手にしてノアが汗ひとつかかなかった事を考えれば身体能力の差がわかるというものだろう。
もっとも、この場に居る騎士たちは最高戦力というわけではないし、団長や副団長は格が違う。
1対1ならそれなりに勝負にもなるが、だからといって勝てると考える事はできない。
(いや、勝てる方が問題あるのだけれど)
騎士は軍であると同時に治安維持を担う警察の役目も担っている。
そんな戦力を個人で打倒できるとなると様々な問題が浮上してくるだろう。
外部へ向けての戦力と治安対策を一つの組織で行うのもどうかと思うが、現状で機能しているのだから深く考える必要もあるまい。ちなみに兵士というのは半分一般人で、騎士一人に対して十数人の割合で部下として働くという形になるらしい。
十人長以上の役割持ちが職業軍人というのは、普通なのかどうかは別にして、騎士たちは指揮も含めて座学も学んでいるので能力があるのは確かだ。
少なくとも読み書きもできない兵士たちの全員の名前を書いて、必要物資などの書類を提出できる程度には。
「ははは、嬢ちゃんには物足りなかったか」
「いや。苦手な剣の技を練習できたのは良かったけど」
一瞬、驚愕に目を見開いたものの、すぐに豪快な笑い声を上げてバシバシと背中を叩いてくる。
頑丈な肉体なのでさして痛みは無いが、衝撃にはやや不快な思いを抱く。慣れてきたとはいえ、胸の錘が存在を主張するせいで。
無駄に注目を集めるのも、恨めしそうに見据えられるのも、不自然に思う程に勢いよく顔を背けられるのも、正直なところあまり面白くない。
「・・・で、そろそろ終わった?」
「痛って、痛てぇって! やめ、勘弁してくれ!」
背中を叩いてくる腕を軽く掴んで捻り上げ片手で関節を極めると情けない悲鳴が上がるが完全に無視。
自分よりもだいぶ身長も体格も上の相手を片手で制すが顔色一つ変えない姿は、思わず見ていた人々の頬を引き攣らせる。
副団長がかなりの猛者であるのは騎士団に所属する人間であれば知っている事ではあるが、彼が頭の上がらない異性はエリサくらいのモノだ。
今それが覆された。
物理的に。
「わ、悪かったって! すま、すまねぇ! だ、誰か、助け・・・!」
「自業自得です、コーディル副団長。たまにはセクハラを反省したらいかがですか?」
肩、肘、手首、さらには腰まで極められて地面に組み伏せられた巨漢の男にエリサが冷めた視線を向ける。
背中のボディタッチ程度をセクハラ認定する気はノアには無いのだが、エリサの態度を見れば普段から色々とあるのだろう。
(まぁ、場所や相手によって肩を叩くだけでもそういう扱いになる場合があるって聞いたことがあるし)
ある程度は男女で区別しない騎士団という組織ではあるが、やはりある程度でしかないのだ。
しかし、そういった問題に割って入る気は無いのだから、単に背中を叩いてきた報復だけで十分。
―――めきっ!
「折れ・・・折れるから! もう、許してくれぇっ!」
「仕方が無いな」
「仕方がありませんね」
ノアが副団長を開放すると、彼は転がる様に距離を取り怯えた瞳で並び立つ二人の美女を見上げた。
片方は冷笑を浮かべて軽くメガネの位置を整え、もう片方は無表情にも近い冷めた視線で見据えている。
傍から見る分には、乱暴された乙女の様な有様の屈強な副団長だが、むしろそれは当然の結果だと見ている人に思わせるには十分の迫力を持った二人だった。
「それで、もう終わったかな?」
「ええ。貴女の立ち合いを肴に談笑に耽る人たちばかりになるくらいに」
「ギャラリーが増えて来たとは思ったけどね」
キッとエリサの視線が周囲を薙げば、兵士たちが沈黙と共に顔を背ける。
顔を赤らめるほどに興奮し、完全に見世物にして愉しんでいたようだが、特にアルコールが入っているわけではない・・・はずだ。
とはいえ、見ただけで訓練になるほどに意味がある訓練だとは思えなかったが。
「あまり見る価値のあるものではなかったけどね」
「そうかしら?」
「動きが雑。技が未熟。刃に力が伝わりきっていないし、挙動の合間合間の隙も大きい。とてもじゃないけど、誰かの参考になるような動きじゃなかったよ」
その言葉に呆れと驚愕でざわめきが零れ、騎士たちが表情を引き攣らせる。
自分達を圧倒した相手は慢心どころか満足してすらいないと知って。
その気持ちが分かったのか、エリサも小さく溜息を漏らす。
「何人抜きしたと思っているのよ。いえ、おそらく見ていたのは剣の技ではないのでしょうけれど」
「誰にどれだけ勝ったって訓練は訓練だよ。一度の実戦で死ぬ時は死ぬ」
「・・・そう」
これが、冒険者なのか。
エリサは、騎士たちは、あるいは兵士たちすらも、思わず感じ入るものがあった。
冒険者とはわずか数人で死地に赴き、危険の中を生きる者たち。それは騎士や兵士よりも死に近い場所を生きている。
そして、個の力が生死を分けるその場所に、NPCは立つことすら許されていない。許されていないことすらも理解していない。
だが、だからこそ。騎士を何人倒そうとも意味は無いと言い切った姿には思うところがあった。
けれど―――
(復活の条件がわからない以上は、残基なしの心持ちでいないと大失敗しそうだし)
―――ノアはプレイヤーとしての思考ゆえだった。
そもそもアクションありきのゲームにおいては死を前提にした攻略は割と良くあること。
SSOは一部の高難易度ダンジョンなどのやり込みコンテンツはあからさまだが、他の場所も死に覚えや運が絡む場所は複数存在する。
以前に抜けてきた古代遺跡などはその最たるもので、敵への対策や内部の罠の配置による難易度の変化は容易にプレイヤーを死に追い込む。
さらにはゲームとしては起きなかった変化の数々を、自分達の能力で乗り越えていかなければならない。
「技術も能力も、いくらあっても足りない。もう何度か死にかけているし」
夜の港での一件はともかく、エルアドラスとの戦闘はもっと簡単に勝利できてもおかしくなかった。
ゲーム時には勝率が低かったとはいえ倒す事の出来た相手に苦戦したどころか、死の縁に追いやられた経験は訓練や能力開発へ意識を傾けるのに十分な出来事だ。同時に、各方面へ知人を作り情報収集の幅を大きく広げたことも、世界の変化や新しく入手できる力に対するアンテナを広げるという思惑もある。
総じて『力』を高めるということに貪欲になってきていると言っても過言ではない。
「その探求心が冒険者の強さであるのなら、見習うべきだな」
「人によるとは思うけどね」
リベリオ騎士団長の言葉にノアは肩を竦めた。
レーロイドという街の中に、少なくとも2つの冒険者グループは全く別の行動方針を掲げて活動している。
事を構えたわけではないので実際の戦闘力がどれほどなのかは把握していないが、この街に居る冒険者としては最上級の戦力を有する集団だ。
どちらも同好派閥ではなく、あくまで現在の状況下で関係を維持している集団なのだが大量にお金を街に落としていることで影響力も大きい。
それを稼ぎ出すだけの力を持っていると考えれば、やはり能力の高い面々が揃っているのだろう。
「まっ、訓練や修練の効率なんて個人差もあれば向き不向きもあるのだから、自分の最善を選べばいいと思うけどね」
空へ向かって剣を投げ放つ。
宙に弧を描く刃は吸い込まれるように剣立へと入り、ストンと音を立てた。
目算七百メートルといったところだが、投擲武器の練度を思えればもう少し距離があっても百発百中だが訓練を怠って良いことは無い。
周囲の人々は驚愕を顔に浮かべている。が、刃の傾き具合が悪く、当たっても相手を切り裂くことが出来ないであろうと考えると技量が足りない。
「届いたし30点」
「速度も悪くありませんでしたので45点は差し上げます。マスター」
最近、アルナの方が自己評価より高くなりつつある。
ノアが卑屈になっているというわけではないのだが―――
「――― 団長! 団長―っ!」
ノアとアルナが今後の訓練について相談を始めようとしたところに兵士が駆け込んでくる。
訓練場の外に居たということは別の何かの仕事をしていたのだろうが、焦っているせいか足元が危うい。
(あ。転んだ)
物理的に転がり込んできた兵士に、リベリオとエリサが駆け寄っていく。
けれど、彼が何故この場へやって来たのかに先に気が付いてしまった。
「アルナ、フィル。手出しは無用だよ」
「・・・はい」「・・・」
アルナが不服そうに、フィルは背中に張り付きながら腕に力を込める。
イリスですら表情に険が宿るのだから、その相手に対して抱いている感情がどんなものか想像に難くない。
だが、ノアとしては態度を決めかねている相手。
「!」
ノアたちの視線に気が付いたからか、気配で把握したのか。
ハッとした様子でリベリオが顔を上げた先にあるのは、緑地に金色の麦の刺繍の法衣。
周囲の人々は色合いこそ似ているが、白地だったり刺繍が黄色だったり、若干質が落ちているのは地位を表しているのだろうか。
(服装の色や装飾で身分を示すっていうのは良くある。冠位十二階とか・・・まぁ、あんまり興味は無いけれど)
その衣装の情報は様々な場所で耳にした。
今までに遭遇していなかった事の方がおかしいくらいに。
「フベルタ教の・・・」
兵士を助け起こしたエリサの声がだいぶ硬い。
各所で問題を起こしていると噂のフベルタ教に対して良く思っていないのは確かなようだ。
彼女の呟きが聞こえたのか、服装で気が付いたのかはわからないが騎士や兵士の空気も重くなっていく。
「――― このような場所に居たのか、サーキス団長」
「ヴァラル神官殿」
柔らかな笑みを浮かべる、おそらくもっとも位の高いと思われる神官と表情の消えた騎士団長が視線を交わす。
どちらも眼は笑っていないので、妙な緊張感が周囲を包んでいく。
「何か、用が?」
「当然でしょう。幾度となく要請している件です。そろそろ良い返答を貰いたいのですがね」
「その件はお断りしたはずだ」
決然とリベリオが告げるが、ヴァラルという神官は口元に笑みを作ったまま小さく頭を振る。
「それは許されないと、申し上げたはずですが? 貴方が断ったが故に、この街が無くなっても良いとでも?」
「ヴァラル神官。貴殿が何を言おうと、戯言に過ぎない」
「ほう・・・?」
このやり取り自体はすでに何度も行われているのだろう。
内容については把握できていないが、両者の言葉には思考による停滞が欠片も存在しない。
売り言葉に買い言葉、と思いはしたものの、微妙なところだ。
(脅しというか、ハッタリというか・・・国教でもないのにこの国に5つしか存在しない『街』の1つを滅ぼす、ねぇ)
何をやらかす気なのか、と呆れ交じりに思っていればエリサの表情は深刻そうである。
それだけの切り札を持っているのなら、割とどんな事も自由にできそうなものだが。
「騎士団の皆様は、我々が何をしても構わないと?」
「この街に害を成すと判断すれば、相手になろう」
真正面から睨み合う二人に、何故だか違和感がある。
(何だろう? 強気な理由がわからないから? いや、話の内容も大して理解していないんだけど)
思考を回してはみたものの、裏を読み切れるほど頭がいいわけでもない。
もっとも、裏など存在しないだけという可能性も大いにあるのだけれど。
「――― このような場所に冒険者が居るというのも珍しい」
不意に、目が合った。
同時に精神へ浸蝕する気色の悪い感覚を受けて、溜息ひとつで解除する。
(フィルと比べると随分と弱いな。魅了ではなさそうだけど)
毎朝毎晩、甘えん坊の誘惑妖精から『魔眼』による精神攻撃を受けているのは伊達ではない。
元々、単独では状態異常が命取りになるのでキャラクターとして耐性をかなり上げているのもある。
回復役が居るとはいえ、ゲームの時はNPCが状態回復を使ってくれるかどうかは6割くらいの確率でしかないというのが大きいが。
体力回復は使ってくれるのにNPCのAIでは状態異常を回復させてくれるのが、なぜ十割でなかったのだろうか。
「・・・何か?」
「っ!? い、いえ、少々珍しかったので・・・」
クスッ。と小さな笑みが浮かぶ。
フィルの十分の一も能力が育っていないというのに、動揺を露わにするとは随分と甘く見ているものだ。
その程度の能力ではカザジマですら満足に動きを止めることもできまい。
「お偉い方々は忙しいようですので、冒険者は退散する事にしますね」
「・・・お待ちを。貴方の名前を聞いておきましょう」
歩き出そうとしたところに声を掛けられて動きを止める。
周囲の注目が集まっているのを感じながら、ノアは小首を傾げた。
「え? 名乗る名前なんてないですけど」
「な・・・!?」
「せめて、名前を憶えて欲しくなるくらいの存在になってから出直してくださいね。神官さん」
ヒラヒラと手を振って離れていく。
相手の立場など知ったことではない、と無視できるのも冒険者という立場の強さだ。
(魔眼を使うなんて敵対行動を取ったのだから、後で後悔させてやろう。うん)
出来得る限り致命的な方法になる様に情報を集めよう、と心に決める。
明確な害意に対しての返礼は十分に行う。個人だからと口を噤む気は欠片も無かった。
とはいえ、無茶をするつもりもないので、最終的には放置する事にもなり得るが。
「きっ、貴様―――っ!?」
取り巻きの一人が手を伸ばしてくるが、感情的な分、動きが雑で大振り。
大して鍛えてもいないであろうと思える相手を触れることなく投げ飛ばす事など難しくなかった。
空気投げは実力差があり、自分から距離を詰めてくる相手なら比較的簡単に可能だ。思考加速にも近い能力を持っているプレイヤーならば。
何故かアルナやイリスも一切触れさせることなく、尻餅をつかせていたけれど。
「断りもなく触れようなんて、随分と失礼なんですね。フベルタ教の方々というのは」
「っ!」
冷笑を投げてその場を去る。
背後で心底楽しそうに笑う副団長の声が聞こえた後、盛大に殴る音が耳に届いたが気にしないことにした。
ノアたちを引き留める声も耳には入ったが無視を決め込む。
残った人々がどれだけ大変な目に合うのかも考えないことにしておこう。
(とりあえず、魔眼持ちっていうのは拡散しようか。あと、うちの子たちに乱暴を働こうとした変態集団だって噂を広めようかな)
行動方針にわずかな変更を加えて、ノアたちは騎士団砦を後にするのであった。