71 戦者たちの砦
気合の乗った掛け声と共に振るわれた剣が風切り音を奏でる。
これが素振りであったなら鋭い剣筋と褒めるところかもしれないが、模擬戦の最中とならば話が変わってしまう。
「っ! やぁぁぁあああっ!!」
無理に引き戻さず空を切った勢いを利用して、切り返しを図る。
が、刃を振るうよりも早く、喉元に切っ先を突き付けられては動きを止めざるを得ない。
「・・・参り、ました」
「うむ。次」
「次じゃありません!」
きんっと響く怒鳴り声が至近で上がって頬が引き攣る。
耳を押さえる間が無かったために、ほんの少し耳鳴りが残ってしまい半眼でエリサへ視線を向けるが彼女は気が付く様子が無い。
それどころか、訓練場に待機していた騎士や兵士が思わずビクリと身を震わせた事にすら興味を持っていない。
だが、その気持ちはノアにも多少は理解できるものではあった。
「む? いや、しかし訓練場で待機というのも味気ないだろう」
「そういう問題じゃありません!」
「だが」
「だが、じゃありません! だが、じゃあ!」
怒ると表情が死んでいくタイプなのか、エリサは無表情にも近い怜悧な相貌で詰め寄っていく。
対し、先ほど勝利を収めた長剣を手にした男性は困惑とも懇願ともつかない表情をノアへと向けてくる。
ノアよりも頭一つ分ほどの長身、やや癖のある赤みがかった茶髪で年齢は二十代前半。背には赤い翅が輝き身体は人間と大差ないが種族的にはフィルと同じ妖精だというのがわかる。
若いというのもあるが、線が細く、それでいて精悍な顔つきは今まで出会ったプレイヤー以外の男性の中では最も顔立ちが整っているという印象を受ける。
軽鎧姿ではあるが、鎧の上からもわかる細身なのに鍛え抜かれた肉体の発する雰囲気は威圧感さえあるのだから、流石はレーロイド騎士団、騎士団長リベリオ・サーキスと言った所か。
「まぁ、自分で時間を指定しておいて、訓練していました、っていうのは外聞が悪いよね」
「む・・・」
耳が良いのか、読唇術か。リベリオが僅かに顔を顰めると、状況が分かったからか部下たちからも非難の視線が殺到する。
約束しておいて放り出したようなものなのだから、場合によっては大きな問題となることもあり得る。
これがまだノア――― 一介の冒険者、個人との約束だから笑い話にもなろうが、取引相手への対応としては問題があるし、もっと地位がある相手であれば大きな問題を引き起こすような状況だ。とはいえ、リベリオ団長に悪気は無さそうなのでノアとしては呆れるだけで済ませる。
そういう思いを抱えながら、背中からフィルを降ろしてエリサを追い訓練場へと足を踏み入れた。
「エリサ、そのくらいで。品物が届くまで暇だったのは確かだろうから」
「そういうわけにはいかないわ。騎士団の風評にも関わる内容だもの」
声を掛けてみたは良いものの、そう言われてしまえば反論も難しい。
呼び出した相手を不当に放置した、などと噂が立てば問題が起こるというのはノアにも理解できる。
しかめっ面で助けを求めるように見てくる団長様なのだが、下手に部外者が口を挟むべきなのか迷うところだ。
(部外者が止める方が良い場合もあるのだけれど)
多少は仲がいいとはいえ、仕事の話に口を出すのは躊躇われる、と行動を決めかねていると待機している騎士たちの中から一人が面倒そうに進み出る。
金属の鎧の下にも筋肉の鎧を着ているような体格の良い、三十前後の年齢に見える男性で、印象としては獅子と言った所か。
以前目にした時は勇猛果敢や質実剛健といった言葉が似合いそうな人物であったが、今はバツが悪そうに頭を掻いているせいで、妻に頭の上がらない夫のような印象を受ける。
彼はレーロイド騎士団の副団長、ゼルジス・コーディル。
若輩と言っていい団長を支える歴戦の強者という奴らしい。今はそう見えないが。
「あー。その辺にしておかないか? エルサ副官」
「コーディル副団長。あなたも同罪ですよ? 客人を招待しておいて対応もせずに訓練を始めるなんて・・・」
「いや、俺は嬢ちゃんが来るって聞いてなかったし」
それを聞いてギロリと団長へエリサの視線が向けられる。
連絡不備は起こり得ることだが、団長と副団長の間にそれがあっては大いに問題があるだろう。
余計なことを口にしてしまった、とゼルジス副団長は額に手を当てて、縋るような視線を投げてくる。
「はぁ。エリサ、そういうのは後にして。客人って扱いなら、目の前で諍いをしているところを見せるのも問題でしょう?」
「・・・そうね。今回はノアの顔を立てて、保留にしましょう」
見逃すんじゃないんだ、とは思ったがこの場で指摘することはしない。
後々に追及するのだろうが、胸を撫で下ろす団長と副団長に今は絶望感を与える必要もないだろう。
エリサがこうして監督しているのを見ると組織構造としてどうかとは思うが、それもあくまで部外者だからこそだ。
大体の肩書は聞いているが詳しい組織図を把握しているわけでもないので、団長補佐とでも言うべきエリサが指揮権を持っていないことにも意味があるのかどうかもわからない。
そんな事を考えている間に、団長が号令を掛けて騎士と兵士に別れ整列する。
「それで、試作品は持ってきたけどどうすればいい?」
余計な問答を重ねるのが面倒だと感じて霊倉の腰鞄から細長い袋を引っ張り出す。
縦横の大きさが手のひらほど、長さはノアの身長程度といったサイズの灰色の袋で、重量はそこそこあるのだが身体能力が無駄に高い為に軽々持ち上げることが出来る。
「それが?」
「ご所望の十人天幕。一応、使用感を聞いて調整しないとだけど」
「その大きさで、十人は入れる天幕だと?」
リベリオ団長が興味深そうな視線を向けてくるので袋を手渡すと、予想より重量があったのか僅かに身体が揺らぐ。
しかし、倒れるほどの重さというわけでもなく、想定外だったから少しふらついただけで持ち上げられないわけではないようだ。
そんな様子に驚愕と興味が集まるのを感じつつ、さらに9組の袋を取り出して地面へ並べていく。
「これが本当に天幕なのか?」
「今の状況で自信満々に取り出して嘘を吐く自身は無いよ」
「詐欺師も同じような事を口にすると思うけれど?」
副団長の疑問に苦笑交じりに答えれば、エリサですら疑惑の視線を向けてくる。
この世界で十人が寝ることができる天幕といえば、荷車ひとつに―――普通は部品ごとに分けて乗せるが―――3組乗せられればいいところなのだから気持ちは理解できなくもない。特に重いのが支柱や骨組みとなる木材。嵩張るのが壁の代わりになる布の類だ。
これらを纏めても一組を一人で持ち運べるサイズにはどうしてもならない。
「組み立ててみればわかる事だから別にいいけど。で、ここに建ててみればいい?」
「いや、端の方へ頼む。作り方も教えてもらっていいだろうか?」
「問題ないよ」
微笑かけると、リベリオ団長と目が合い、ほんの少しの間を置いて頷きが返ってくる。
どことなく反応が不自然だと思いつつも、袋を一つ手に取りつつアルナ達を呼んで訓練場の隅の方へ。
現在、訓練場には騎士が五十余名。兵士が百を超える程度の人数が整列しているので注目が妙にくすぐったい。
ただ、騎士なとど呼ばれていても貴族出身の者がほとんどいないので口調に気を遣う必要が無いのはやや気楽か。
そもそも、この世界―――というか、この国に貴族という立場の人間が多くないというのもある。
現実よりも随分と簡略化されているが、ここでは大まかに言えば『貴族=政治家』『騎士=軍人』と言ったような役割だ。
貴族の跡取り以外の人間が騎士になるのは良く聞く話だが、この国においては農民の三男や四男といった継ぐべき農地を持たない人間も騎士に成ることが多い。
と、言うのも農業的な労働力よりも魔物や怪物といった存在と戦い街や村落を護るための戦力の方が必要とされるからだ。
開墾するにも領地や農地を広げるにしても戦力が必要だが、護り維持していくにはさらに戦力と資源を注ぎ込むことになる。
街や村が脅威に襲撃された時に求められるのは、やはり農民ではなく騎士であり兵士であるため、農民出身の騎士も比率が割と高い。
逆に貴族出身の人間は基礎教養の差か商人になる比率が高いのだが、街に店舗を構える事は少ないのだとか。
もちろん、中には騎士になったり農地を与えられて農民になったり、別の道を模索することもするようだが。
「アルナ、イリス、フィル。手伝って」
真っ先に飛びついて胸に顔を埋める妖精の頭を軽く撫でつつ、片手で天幕の入った袋の封を解く。
中から飛び出すのはいくつものパイプなのだが、分かりやすいように色分けされているため、どれをどのように組み立てるのかは簡単に把握できる。
それでも初見の団長以下騎士団の方々に理解し易い様に、パイプとパイプを繋げていき、柱を作り、骨組みを作っていく。
形状としてはゲル―――モンゴルで使われる移動式住居―――を参考にしたものだが、当然のように各所が異なる。
中に四本の背の高い支柱を、外側に六本の背が低めの支柱を建て、補助脚を設置し、しなりのある補助棒で内側と外側の二つの円を作るように組み合わせる。
その上に灰白色の布を被せて各所を止め紐で結び、固定用ロープを地面へと打ち込んだペグで繋げばほぼ完成。
シングルウォールではあるが、三層構造式の特殊な布地で外気の影響を抑え、強度と耐熱性を維持して高い耐久度を実現している。
虫対策に目の細かい網が二重で張られた空気穴も完備しており、内部で火を使うことも可能だ。
あくまで天幕であり長期間の住居とするわけでないので支柱の数は少なくゲルと比すれば柵が無い分横からの衝撃に弱くも見えるが、現在騎士団で使っているものと比較した場合にはこちらの方が強固である。
「・・・ま、こんな感じかな」
「早い、な」
副団長が思わずと言った雰囲気で零す。
百を超える人間が真剣な眼差しを向けている中での組み立てなので丁寧に作業したが全体で二十分も使っていない。
木材式だと、どうしても地面に突き刺す必要があったり、重量のために人数が必要となったりするのだが、時間も人数もかなり少ない。
「こんなもので強度は大丈夫なのか?」
「試してみてもいいよ。それなりではあるから」
言いながらも、ノアは拾った小石を投げつける。
風切り音を鳴らす結構な勢いの礫は、けれど一枚の布に遮られて軽く揺らしただけで地面へと落ちた。
そんな様子を見てエリサが大きく目を見開き、兵たちにもざわめきが広がる。
「凄いわね」
「フィル、風を」
瞬間、突風が駆け抜けた。
エリサの感想を呑み込むほどの風が吹き荒れ、木の葉や小石が宙を舞う。
その勢いは強く、顔を庇う人も多かったが天幕は軽く壁を揺らすだけで崩れる様子を見せない。
十数秒間荒れ狂っていた風が止んでも、建てた直後と同様に風を意に介した様子もなくそこに佇んでいる。
「これは、凄いな」
「矢と火矢にも多少は耐えられるけど、あくまで布製の天幕。限界があるっていうのは理解しておいて」
小さく驚嘆を口にするリベリオ団長の横で、手のひら大の火球を撃ち出すが、その炎は燃え広がることなく天幕の表面で散る。
威力が低かったこともあるが、それでも焦げ目のひとつも付かなかったことに周囲で再度ざわめきが起こった。
「ずいぶんと硬いようだが、中での過ごし易さはどうだ?」
「少なくとも一般的な雨風は防げるよ。竜巻くらいになるとさすがに無理だけど、中で火を使う事は考慮して作っているから、焚き火をすれば寒さには強いかな」
「天幕の中で火を? 本気か?」
「見ていて分かったと思うけど、木材は使っていないし、あの布はそれなりに火に強い。空気穴もあるから酸欠にはならないし、直接壁布を燃やしたりしなければ問題は無いよ」
入り口部分を広げて内装を見せると、中央部分に四つの支柱に囲まれた部分が目につく。
待機している全員が見えたわけではないのだろうが、わざわざ隔離するように作られたその空間の意図が理解できた何人かは納得したように頷いた。
「各柱の耐荷重量はそこまで大きくないけど、調理用の鍋を吊るすくらいはできる。暖を取るのと共に水を沸かしたり、調理も可能だよ」
「柱は長時間熱に晒されても問題ないのね?」
「焚き火程度なら数日は問題ないよ。と、いっても実際に試したわけじゃないから、確かめてみないとだけど」
「それは仕方が無いわね。作成を依頼して3日も経っていないもの。それに、使い方によって多少左右される物でしょうからね」
天幕は消耗品だ。支柱が折れる事は日常茶飯事だし、管理を誤って壁布が破れたり、虫に食われたりといったこともよくある。
また、今回ノアが持ちこんだ物は見たところ出来は良いが、あくまで試作品であり実戦で使用した経験のないものだけにどんな問題点があるのかはまだわからない面も多い。
他にも敷き布の類が無く床部分は地面がむき出しになっているので実際に使用する場合は床布を追加で持ち込む必要もあるだろう。
「では、組み立ての指南を頼む。本日より何日かかけて、実際に使えるかどうかを試してみるとしよう」
「それは問題ないけど・・・訓練場を占拠して大丈夫なの?」
「む・・・」
団長様の言葉に問いを返せば、難しい顔が浮かぶ。
人が二十人以上は寝転ぶことが可能なスペースを確保する天幕だ。
荷物や装備を含めて十人用としているが、それでも広さは結構ある。
十棟も建てれば広い訓練場とはいえ、半分以上の空間を占有することになってしまう。
「問題ありませんよ。組み立ての練習もですが、解体収納の訓練もしなければなりませんので。2、3を残して残りは仕舞っておけばいいでしょう」
「なるほど。確かに必要かも」
テントは作るのに苦戦する人も居るが、綺麗に収納するというのに苦労する人も少なくない。
寝袋にしても収納用の袋に入らないといったことも稀にあるため、撤収の練習も必要はあるのだろう。
「じゃあ、始めようか」
その一言に頷き、リベリオ団長が手早く組み分けの指示を飛ばし始めた。