69 黒百合の彩華
「いや~☆ さすがノアちゃん様☆」
カデラという老婆が食事に満足して、商談には不満を抱きつつ帰っていくのを見送れば場には安堵の空気が広がった。
商業組合の長という立場の彼女が放つ独特の威圧感はそれなりに大きいモノだったのだろう。
その中でもまともに対面していたノアの疲労を労わる様にてぃわバルーンが声を掛けるが、返って来たのは小さく頭を振るという行為だった。
「直接、話をしに来てくれている間は問題ないよ。変に絡め手を混ぜて来られると太刀打ちできないかもしれないし」
「お姉さまが負けるんですか?」
「別に交渉のプロってわけでもなければ、歴戦の商人ってわけでもないからね」
レネアの言葉に軽く肩を竦めて答える。
今は自分の出した条件を強気に護るだけなので駆け引きに持ち込まれていないが、将来的には戦いにすらならないだろう。
相手が様子見の段階で止まっているからこその均衡なのだから、一度崩れれば一気に傾くのは目に見えている。
だからこそ、現状で妥協的な提案を呑むというのをしていないのだが。
「とはいえ、そんなに気にする必要も無いと思うけどね。ぼったくろうって話じゃないし」
「そんなものかしら?」
「商売のタネになる相手にあんまり不快な思いをさせて切られるってのは、向こうとしても望むところじゃないってことだよ」
小首を傾げるアコルへノアは苦笑を返す。
取引先がひとつしかないのなら話は違うのだが、そうならないようにほぼ同時に複数の相手に話を持ち掛けた。
どれほどの効果があったのかは微妙なところではあるけれど、現状では機能していると考えている。
「う~、やっぱりノアがリーダーの方が良さそうなんだけど・・・」
「まさか。向いていないし、いずれ去る身なんだから同好派閥マスターなんてやってられないよ」
「だけど、ノアが居れば―――」
言い募る女性に対して頭を振って否定を返す。
今はたまたま中心的な立ち位置に居るのだが、それは偶然という面が大きい。
何より、今の―――チャット機能や拠点転移がない―――状況で新しく作られる同好派閥の長など引き受けてしまえば身動きが取れなくなるのが目に見えていた。
何にも置いて、という程ではないが始まりの街を目指すノアにとってその選択肢を選ぶことはできない。
「基盤造りには協力するけど、それ以上は面倒見切れないよ。そこまで責任感も強くなければ、養っていく覚悟も無いし」
「それはわかっているけど・・・」
直接的に命の危機からノアに救われた少女の何人かは不安げな表情を浮かべる。
外見と精神年齢がほぼ一致している彼女たちは中・高校生程度ということもあり、頼れる相手に依存しやすい一面があるのだろう。
もちろん、その年齢の人の中には自分をしっかりと持ち冷静に活動できる人も少なくないのだろうけれど、そういう人物は迷宮で窮地に陥って死にかけるような事は少ない。また、ノアに反感を持っていたり、関わり合いを避けるような人間は共に食事を取るわけでもないためこの場には居ないというのもある。
「まぁ、現実世界の知識が残っているのだから、商品に関してはどうとでもできるでしょ。中世くらいの生活レベルだってSSOでは明言されていたんだし」
軽く言うノアに、一時とは言え色町で働いていた女性たちが頷きを返す。
色町の女傑ヒサナ・オーセニアとの取引に用いたのが現代的な下着や寝着といった物品だと知っているからだろう。
使い捨て―――手元から離れて一定時間で消滅―――しない布を錬金術で作り出すには毛皮や植物、特定の虫の糸などが必要だが、デザインはかなり自由だ。肌触りの関係もあって素材が何でも良いというわけでもないが、金属ワイヤーを仕込んだ形を整えるモノやシースルー衣装などはわりと簡単に作れる。
それこそ、ある程度の絵心がある少女がデザイン画を上げれば、アコルやレネアのエインヘリヤルですら作成できるくらいに。
「アイディア自体はいくらでも出てきそうよね」
「けど、何も考えずに色々とやったら問題になりません? お姉さま?」
アコルが苦笑気味に言えば、レネアが不安げに問いかける。
近代的な知識もだが、四則演算や科学知識など多くの知識を手にしているというのは優位な能力だ。
例えば調理の技能に絞って考えても、レシピはもちろん、ソースなどの調味料の作成やちょっとした工夫など。何よりも味を知っているということが再現するという過程においてかなりの強みになる。
この場に居る九割が外見同様に中身も女性だということもあって、料理に関してはノアよりも詳しい人間も多い。
やはり料理を、身に着けるべき技能として考えている人間が多いのは女性の比率の方が高い。その方が婚活に有利というのは迷信の類ではなく統計学に基づく事実なのだし。
あくまで有利というだけであって、相手や状況によって変わってくるのがままならないところである、と誰かが言っていたのだが。
「現行の既得権益に繋がるような商品に喰い込ませたら問題にはなるかもしれないけど、手を広げすぎなければ大丈夫だと思うよ。だから、カデラとかに話を通したんだし」
「そういう特別な品って何があるの?」
「一番大きいのはアルコール。お酒だね」
酒類に関して特別扱いされるのは珍しい話ではない。
この世界では元々がSSOという全年齢対象のゲームだったからか、タバコの類が無い事も影響して嗜好品というと主に酒が挙がる。
酒場などはゲームの頃から存在していたので自然と受け入れている人も多いのだが、飲酒の描写が一切無かった事を考えれば大きな変化かも知れない。
もっとも、アルコールは調味料としても使えば消毒にも利用するし、場合によっては燃料にも使用するという汎用性の高い素材だ。
特例を設けているのは様々な理由を加味してのことだとは思うが、当然の話でもある。
「ここでもお酒を造るのは違法だったりするんだ?」
「売買しなければ大丈夫みたいだけど、わざわざ作る必要があるかと問われると・・・」
「自分たちで楽しむ分には許されるなら作ってみようかな~」
そんな風に言った人物が中学生のような、下手すれば小学生にも見える見た目だったために何人かが驚愕の視線を向けた。
錬金術なんて使わなくとも、噛み酒やらブドウ踏みによって作るなどの方法も存在するので、可能不可能を問うのであれば可能だろう。
発酵のための条件は色々と複雑な話になるだろうが、錬金術同様に私室の施設も常識を完全に無視するような設備を設置できるのだから。
それを最大限に生かして時間経過がほぼ無い保管庫で海産物を大量に保管しているのがノアであったりするのだが、それは別の話である。
「どっちにしろ、商売をするなら街を歩き回ってある程度は市場調査をした方が良い。初めの内は多少とは言え問題が無いように取引を用意しておくから」
特に気負いなく、簡単そうに言うノアではあるが、そこにある苦労をまるで理解していない人間はここには居ない。
本格的に理解していないなら独自に行動しているし、単に長い物に巻かれるタイプならもっと別の勢力がある。
何より、ほぼ全員が何らかの交渉の際に同行した経験から、簡単な話ではなかったと思うのだ。
「お姉さま。今のところの取引相手ってどうなっているんですか?」
「ヒサナのところに下着と寝着にいくつかの薬。カデラの方に普段着とアクセサリー、騎士団の方に折り畳み天幕と野営用寝具。冒険者互助組織に―――」
「―――解体用ナイフと携帯コンロに食料品だな」
軽く商品とするものを振り返っていると、割って入ってきた野太い声に女性陣の視線が一瞬険しくなる。
が、あくまで乙女の語らいとも言うべき一時への闖入者へ対するもので、一瞬であって相手が誰かを理解すれば視線を和らげざるを得ない。
もっとも感じた圧力に僅かに怯んだ様子をみせたものの、熊男は苦笑を浮かべ軽く手を上げる。
「おう。今日もやってやがんな」
「ゴルツ? 何か用?」
「何かじゃねぇよ。例の同好派閥の件、書類持ってきてやったぞ」
「支部長自ら? 意外と暇なんだね」
ほんの少し不機嫌そうな表情を浮かべながらも、冒険者互助組織レーロイド支部を預かる男はつい先ほどまで老婆が座っていたノアの正面に腰を下ろす。
投げ出す様に差し出された書類を受け取り、同好派閥マスターの欄を含めてメンバー表やギルド名などの部分が空白になっている以外に不備が無い事を確認して小さく頷く。
複数枚に及ぶ特殊な書類ではあるが、捺印もゴルツのサインも入っているので未記入部分を埋めればすぐに使えるのだろう。
もっとも、手続きはゲームの時とは大きく異なっているために正常に機能するかどうかは現状ではわからないのだが。
「にゃっほ~っ! ノアちゃん様っ! ワレ、参りましたじょろ~!」
「ノアさ~ん。疲れたぁ~」
書類に目を通し終わったのとほぼ同時に、怪人が奇声を上げ、上裸の壮年男が甘えるような言葉を吐く。
女性陣が彼らに向ける視線は哀れみか、呆れか。
もしかしたら自分たちが同じような目に遭ったかもしれないと思えば、強い拒絶を示すのも難しい。
それでもカイミン茶の独特のキャラ作りは道化師ほどに受け入れられてはいないのだが。
彼らに続いて、苦笑を浮かべるワラタケやミャッツ、さらに何人かの男性陣がゾロゾロと休憩スペースへと入ってくる。
「遅かったね、カザジマ。カイミン茶たちも・・・何かあった?」
「何かって言うか、解体に時間かかっちゃって。みんなが頑張るんだもん」
「それはお疲れ様」
軽く労いつつイリスと視線で会話し、彼女に給仕を任せる。
日々の食事の大半を用意しているのがイリスなので当然ではあるが、皆に渡すものもイリスが管理している。
一食二食ならともかく毎回となるとノアやアルナ、フィルも別の作業をしていたりして完成した料理を霊倉の腰鞄へ納めていくのも手間だ。なので、出来た傍から蓋つきの大き目の容器に移しイリスが持ち歩くというのがここのところの小さな役割分担になっていた。
「・・・俺も貰っていいか?」
「それが目的でこの時間に自分で来たのか」
呆れの視線を向けられるとゴルツがサッと視線を逸らす。
「まぁ、いいか。ちなみにカデラは七千出したんだけど・・・」
「そんなに払えるわけねぇだろ。もう少し手加減してくれ」
「二千で勘弁してあげよう」
ちなみに、他の面子は五百エッダで済ませている。
日によって昼食時はノアが居ない場合もあるので、この場の面々も朝夕だけは一緒に食べて昼は他の食事で済ませることも多い。
しかし、物価の高騰による影響か、はたまたこの街の立地や農耕、栽培の関係か、あるいは調理技術か。ともかく、まともな料理を食べようとすると千エッダ近く金額が掛かる。
イリスの用意する食事は味も量も十分以上に満足できるモノであり、五百で食べている面々は当然だが、二千という金額は破格であるのは間違いなかった。
それでも、他の面々よりも多く支払うと考えると熊男の顔に不満が表出するのだが、渋々といった雰囲気を出しつつ大人しく支払う。七千を大きく引いてもらったと考えれば致し方なし。
「にしても、お前も変なこと考えるな。冒険者互助組織内に同好派閥で店を出すなんざ」
並べられていく料理の数々に目を輝かせながらもノアへ話しかける。
わざわざ新しい同好派閥を立ち上げて、専用の店舗を確保するのなら街の中にいくらでも場所があるのだ。
だが、そうせずに冒険者互助組織という施設の中―――冒険者くらいしか足を運ばないような場所に店を構えるというのは、あまり理解ができない、と。
「ここなら大きな問題になり辛いっていうのもあるけど、冒険者支援の一環かな」
「支援だぁ?」
「お金に困っている人が予想より多いみたいだし、安く食べられる場所があれば多少の手助けになるでしょ。何なら、ここで学んで外に店を出すとかでもいいし」
結局はそういうことなのだ。
今回、色々な場所に話を広げたのは黄昏坑道で助けたレネアが今後生きていくために多少なり楽になる様にと考えた対策の一つ。
そして、似たような状況の人が想定を大きく上回る人数が居て、そういう人たちと出会ってしまったが故に話を大きくせざるを得なかった。
一人二人に目をかけて、何らかの形で保護するという方法を取るにはノアの能力が足りなかったというのもある。
また、その裏には場所代や保全問題に関する対策という面もあるので善意のみというわけではないのだけれども。
「お前さんに何の得もねぇ様な気がするが・・・」
「恩を売っておくのは大事だよ。どのくらい返してくれるのかはわからないけどね」
おどけるように言う。
もちろん、完全に無報酬というわけではなく、優先するべき様々な素材を入手する合間に動いているだけである。
そして、ある程度の物資が流通するようになればそれ自体がノアにとって大きな力になるであろうことは間違いない。
元手がほとんど掛かっていないことを考えれば十分利益を回収できる目算があった。
同郷の人間を完全に見捨てるという事ができなかったという側面がないわけではなかったが。
「さっすがノアちゃん様☆」
「素敵です! お姉さま!」
「ノア様ぁ~、女神様ぁ~!」
「素敵よ、ノア~! 抱いて~!」
「姉御! 一生ついて行きやすぜ!」
「お勤めご苦労様です! 姐さん!」
からかい交じりの言葉の数々を視線ひとつで黙らせる。
もっとも、先に居た女性陣も、狩りに出ていて遅れてきた男性陣も、この場に居るのは少なからずノアへ感謝している面々だ。
自分達でどうしようもなかったところに解決策を提示してもらったのだから、ある意味では当然で、反発した者はすでに去っている。
だから、おふざけの様な言葉の中にも温かい思いが混じって、お互いに照れくさいと思ってしまう。
「お~、お~。人気だねぇ」
「ゴルツのおかげかな? 支部長様と面識があって直接取引を持ち掛けられたのは割と大きい」
「はっ! それこそお前らの実力だろうが」
僅かに頬を朱に染めて顔を背けつつ、ゴルツは料理に箸を伸ばす。
ゴルツからしてみれば異変があった後にリッシュバルから来た実力者だから話を聞いたのであって、それはノアたちの力があればこその話だ。
決して、決して以前に食べた焼肉の味が忘れられなくて思わず話を聞くために応接室に通してしまったのではないのである。
そして、その知己を得ていたからこそ、勇者関連で連携していた騎士団や冒険者が多数働きに出ている色町に顔を繋いでもらうことが出来、商業組合にまで話を持っていくことが出来た。
要するに運が良かったのであって、ノア自身は自分では何もしていないくらいだと感じている。実際に何かしたのは美味しい料理を作ったイリスやアルナ達なのだから。
「一度でも前例が作れれば真似する人は楽だろうし、取引を持ち掛けてくる人も楽になるだろうから上手くいくといいんだけどね」
「それはあるかもしれねぇな。こっちは今回の事で冒険者の評判が上がってくれれば言うことはねぇんだが」
「評判が上がるかは微妙だと思うよ。どうあっても、同業他社には疎まれるわけだし」
「商品や取引先を小分けにしてんのは、そういう理由か・・・」
「品物を大量に用意するのが難しいっていうのもあるけどね」
多角経営はどこかの取引が失敗しても別の場所で取り返す、あるいは手を貸してもらえるようにしておくのが理想だ。
それこそ手段を選ばなければほとんどの種類の物に関して流通している商品より数段上のモノを用意する事は可能だが、そうして商人の恨みを買うのは美味しくない。現行商品とそこまで被らないか、購入客層に差があるか、あるいは元々の市場が小さい場所と限定して商談を持ち掛けたので今は未だ大きな問題になっていないが、本格的に取引が始まればそうもいかないだろう。
その上、レーロイド周辺で入手できる素材だけで作成可能な品という制限もある。現状では他の街と往復して商売をするのが難しいので、それも仕方のない事だった。
「案外、考えてんじゃねぇか」
「それなりにね。とはいえ、カデラが問題なしとしているけど、アクセサリー関連は彫金師なんかと揉めそうなんだよね」
「この街に限っちゃ、大丈夫だろ。専門の彫金師ってのはほとんど居なくて鍛冶の片手間って奴ばかりだからな」
その辺りの事情には詳しいのかゴルツが麻婆豆腐を蓮華で口に運びながら言う。
他の品物に関してもある程度は街の事情を把握した上で決めているが、難癖というのはいくらでも出てくるものである。
商売人としても職人としても未熟な門外漢が仕切っているとなれば口を出してくるのは容易に想像がつく。
「まぁ、儲けはそこまで大きく取るつもりが無いし、欲をかき過ぎなければ大きく破綻することも無いと思うけどね」
「採算度外視ってか?」
「まさか。安定して黒字を維持できるくらいの想定にはなっているよ」
元手がほぼ無しというのが大きい。
これが労力に見合っているかというと微妙なところではあるのだが、それを不満に思う余裕が無いのも事実。
冒険者の肩書のせいで雇用が極端だというのもあるが、商売基盤がようやく生まれようとしている今は他の可能性に目を向ける余力が足りないのだ。
今後、色々と幅が広がっていけば自分で店を持つ冒険者が出てきても不思議はないが、少なくともレーロイドでは未だ早い。
「じゃあ、そんなわけでレネア。同好派閥の名前考えて」
「えぇっ!? 私ですか!?」
別に誰でも良かったが、面倒な話になってきたので話題転換も兼ねて適当に話を投げる。
少女は周囲の面々に視線を回し、けれど期待の視線が突き刺さり、耐え切れなくなって顔を真っ赤にしながら俯く。
「・・・え、っと・・・じゃあ・・・『黒百合の絆』で」