67 風鳴る鈴の音に怒りが乗って
殆ど反射的な行動だった。
意識せずとも右手の内に光が凝り、長細い形を完全に現わすよりも早く踏み込む。
ステップから全身のバネを駆使するようなフォームから繰り出される槍投げ。
手を離した瞬間に金色の輝きを纏い、流星のように輝く尾を引いて暗闇の中を駆ける。
――― ちり~ん。
アルナの眼前に突き刺さった『それ』は予想外なほどに涼やかな音を奏でた。
直後、音の波と共に広がる様に膨れ上がった黄金の輝きが壁となり、振り下ろされた巨人の鉄拳を弾き返す。
「ゴガッ!?」
「ぶべっ!?」
拳を弾き返された衝撃でよろめいたトワイ・ヨトゥルの声と、もう一人分の声が交じり合う。
と、言うのも光の槍を追いかけて駆け寄ったノアが、アルナに抱き着いている少年を蹴り飛ばしたからだ。
「うちの子にセクハラなんて許しません」
「せくはら・・・?」
勢いよく床を転がり、罅を入れる勢いで壁面に叩きつけられた犬耳の少年だが、ゲホゲホと咽る程度で深い傷を負ったわけではなさそうだ。
しかし、ノアからすれば巨人などよりも余程許せない存在なのか、怒気も露わに彼を睨みつける。
もっとも当のアルナ本人が意味合いをよく理解できていなかったようだが。
「グガァァアアアッ!」
無視されたことに苛立ったのか巨人が咆哮を放つ。
それでもノアはそちらへ視線を向けず、地面に突き刺さった『それ』を片手で引き抜く。
響く涼やかな鈴の音。蒼い長柄のその武器は一見すると槍にも見える。
「マスター、それは・・・」
アルナが戸惑いの言葉を零す間に、再度鉄拳が降り注ぐ。
それを石突で薙ぎ払えばあっさりと腕が吹き飛び、巨人は勢いを殺し切れずに蹈鞴を踏む。
けれど、そんな事は今のノアにとって完全に些事だった。
「咄嗟だったから使っちゃったけど、使えてよかったよ。それより、アルナ。気持ち悪かったりしなかった?」
「え? あ・・・戦闘中でしたし、気にしていなかったといいますか、気にする価値もなかったと言いますか」
ノアがタオルを取り出し腹部を拭こうと手を伸ばしたので、何を意味しているのかアルナにも理解できた。
戦闘での傷を心配していないのは信頼の証でもあるので、くすぐったく思って苦笑が浮かぶ。
拭き取って貰わずとも一度装備を解除して再度展開すれば綺麗になるのだが、アルナは為されるままにノアの手を受け入れる。
「ググガ、グガァァアアッ!!」
「五月蠅い!」
怒り狂うかの如く蹴り飛ばそうと迫る足。
そこに対して振り向き様に放った石突での突きはカウンターとして蹴りの勢いごと撃ち返し脛に刺さった。
金属が弾け砕ける音が響き渡り、巨人が絶叫を上げて倒れ込んでいく。
その轟音と痛みに暴れまわる衝撃の中に別の人間の悲鳴が混じったように感じたが気にする価値もない。
「それで、マスター。その武器は、一体・・・?」
「あー、実験用にイリスに作ってもらったんだけど、案外使えそうだね」
くるりと長柄武器を弄ぶ様は奇しくも、あるいは必然的にアルナが銃剣を手元で廻すのに似ている。
もっとも振るうたびに涼やかな鈴の音が響くため、何かを演奏しているようにも見えて、アルナは妹であるイリスの姿を思い浮かべた。
「奏杖、ですか?」
「ん~、名付けるなら風鳴りの長刀、とか?」
苦笑を浮かべつつ構える武器は『杖』というわけではない。
蒼い長柄の先に付いているのは『刀』であり、刃の付け根にはガラスの笠が『風鈴』のように広がっている。
もちろん、ただのガラスというわけではなく、振るうと共に涼やかな音が鳴る特殊なモノで強化ガラスよりも随分と高い強度を誇っているので透き通る見た目ほど脆くない。また奏杖というのは打撃武器に分類される装備なのだが、刃が付いているとなれば武器種自体が異なってくるはずであった。
故に、最も適した武器種として分類するのならば、これは刀を刃にした長柄武器—――『薙刀』である。
「とりあえず、アルナは大丈夫なんだね?」
「はい。改めて考えれば不快感は多少ありますが・・・問題はありません」
ノアからタオルを受け取ってきちんと汚れを拭き取り、使い捨て用のそれを捨てながらしっかりと頷きを返す。
実際、負傷は無いので不快な思いを抱いたくらいで、それすらノアに気を遣ってもらったことで相殺されている。
むしろ気力が充実したことで身体が軽いほどだ。
「なら―――巨人を倒しちゃおうと思ったけど・・・」
周囲を見回してノアは一瞬眉を顰め、深々と溜息を吐いた。
「悪いけど、アルナ。あの途中で遭った女の子を探してきてくれる?」
「レネアという女性ですね? 構いませんが―――」
マスターの傍を離れるのには抵抗がある。と表情に浮かぶ。
ノアも表情としては険しいものを浮かべ、けれど小さく頭を振った。
「一緒に居たはずの男の子がここに居るのに、彼女は居ない。ってことは、時間的にどこかで一人取り残されている可能性が高い」
「!」
「単独で坑道の中を行けるのはアルナだけだよ。だから、お願い」
単独で行動が可能なのはノアも同じではあったが、奇人変人たちを置いて行けるかというとそういうわけにはいかない。
アルナを残していくのは戦力的には問題が無いのだろうが、特にカイミン茶などは会話するのも大変なことになるだろう。
それに―――
「出口か、ここか。近い方へ」
―――少女を連れて戻って来るのではなく脱出するという選択を取る場合もある。
もしもノアがレネアを迎えに行って戻ってこないという判断をした時に、アルナが順当な選択ができるのかというのは疑問だった。
彼女だけなら最善を選ぶと思っているのだが、コミュニケーションに難のあるカイミン茶たちと行動が乖離する可能性がある。
というのも、ノアや他の二人と共に居ない時のアルナが選び取るのは絶対に彼女にとっての最善だからだ。
合流を優先して単独行動に移行するかもしれないと思えばアルナを残して、というのは難しい。
「戻って来る必要はありませんか?」
「あの子の安全優先。こっちが近ければ合流してもいいけど、出てしまった方が安全なのは間違いないから」
「わかりました」
きちんと意図を説明されれば、アルナとしても納得して行動に移せる。
大きく頷きを返し、手元の銃剣を一旦納めて元来た道へ視線を向けた。
「アレの解体が終わって、こっちに合流していなかったら左ルートを遡る形で戻るから、外に出たのなら入り口で待っていて」
「了解です」
幸いというべきか、トワイ・ヨトゥルはすでに右腕と左足を砕かれ、仕留めるのは容易だ。
だからこそアルナはさして心配する素振りもなく暗がりの中を駆け抜けていく。
その背を見送って独特の音を響かせる薙刀を構える。
「さて。せっかくだし、性能実験といこうか」
「ガァァァアアアッ!!!」
片膝を立てた状態で怒声を上げ睨みつけてくる巨人に対し、ノアは薄く微笑んで見せた。
しかし、それを少し離れた位置から見ていたてぃわバルーン達からしてみれば、怒りを押し殺して堪えている般若のような印象を受ける。
何に対して怒っているのか、を特定するのはやや難しいところではあったが。
ちり~ん。
怒りと怒りがぶつかり合う逼迫した空気感に似合わない軽やかな鈴の音が響く。
風鈴の音の穏やかさとは裏腹に、薙刀の石突を打ち付けられた地面は蜘蛛の巣状の罅が走り細かな破片が宙を舞う。
ふわりとした優し気な風が渦を巻き頬を撫でていき羽衣が翻るが、その風の中に混じる殺気によって見ている人々の背筋が凍える。
何より、風向きとは関係なく荒れ狂うように迸る赤の輝きが彼女の怒気を表しているようで―――
「グガ、ゲ・・・?」
―――トワイ・ヨトゥルは気圧された様に僅かに身を引いた。
カツン、カツンと広がる小さな足音は、本来の音量よりもよほど大きく耳に届く。
空気は重く、重く満ちていき知らずの内に息を呑む。
だが、それはある程度の視野の広さがあればこその反応だ。
「な、何だ? へ、へへ、俺にビビってんのか!?」
運が良い事に。本当に運が良い事に、巨人が痛みで転げ回ったというのに踏みつぶされなかった竜人の少年は動きを止めた巨体へ刃を向ける。
彼に周囲の様子を確認する余裕も経験も存在しないというのは、良かったことなのかもしれない。物理的な圧力すら感じる怒気を無視で来たという意味で。
彼の持つ二本の剣の片方が折れているというのはノアにとっても重要な情報ではあるのだが、彼女もトワイ・ヨトゥルもそちらに注意を向けることは無い。
片方は気負いなどまるでない軽やかな足取りで淡々と距離を詰め、片方はそんな様子を身動ぎ一つせずにジっと見据える。
「はっ! そっちがビビってるなら―――のわっ!?」
恐怖に耐えきれなくなったのか、近場の囀りがうるさかったのか。
巨人が少年を掴み取り、そのまま振りかぶる。
「放せっ! 放せよっ! このっ! くそっ!」
やたらめったらに剣を振るっても鋼鉄の腕には傷の一つもつかない。
兜割に代表されるように刀剣で金属製の防具を切り裂くには武器の性能はもちろん、技術と能力が必要となってくる。
掴まれているせいで体勢を変えることもできず、剣技と呼べるようなものを身に着けていない少年にどうにかできるはずもなかった。
「ガグォォォオオオ・・・ッ!!!」
意を決した、とでもいうような咆哮と共に放たれる一球―――という名の少年。
全身に感じる風と圧力に悲鳴も上げることが出来ず、隕石の如くノアへ向かって一直線に降り注ぎ―――
―――パァンッ!!!
横薙ぎの一閃にて、その一球はライナー気味に吹き飛び、壁際で咳き込んでいた犬の少年を巻き込んで壁面へめり込んだ。
幸いだったのが、刃による一撃ではなく、石突側で払っただけだったので、プレイヤーとしての防御力もあって致命傷にはならなかった事だろう。
それでも剛速球の速度を肉体で味わった方も、巻き添えを受けた方も意識を失ってしまったようだが。
もっとも、その結果には見向きもせずにノアと巨人は鋭い視線を向け合って相対する。
「グググゥゥゥウウウ!!!」
「・・・」
長柄武器の基本的な構えというのは刀剣などとは異なる。
例えば剣道におけるもっとも定番の型に正眼という構えがあるが、槍などを同じように構えるというのはあり得ない。
柄の長さが特色の武器なのだから当然ではあるが、切っ先を上に向けると自分の身体が武器の挙動を邪魔してしまう。
なので、多くの場合は半身になりつつ腰溜めに、突きか薙ぎに移りやすいように構えるのが一般的だろう。
ノアの場合は左足を前に右手を引いて、体の右側に武器を構えている。
肩幅ほどに開いた両足は重心が真っ直ぐに正中線を通り、余計な力が入っていないからか刃は水平ではなく地面へ僅かに傾いている。
この構えにしたところで自己流であり、決して隙が無いというわけではないのだが、巨人は彼女の放つ威圧感に簡単には動けない。
さらに言えば、ノアは攻防の手段を薙刀だけに頼っているわけではない。
「・・・ふっ!」
動きが無い。睨み合いに飽きたとでも言うように放たれるのは戦布による突き。
緊張を持って相手の動きを注視していたということもあり、輝く布の一閃を腕で振り払い―――
「隙あり」
―――小さな呟きと共に放たれる三日月のような軌跡を残す斬撃。
右肩口から腕を斬り落とし、その勢いを殺さずに金属の塊のような腕を弾き飛ばす。
絶叫を上げつつ、ハエでも叩き落そうかという張り手が飛ぶが、手首に羽衣が叩きつけられれば軌道が逸れて空を薙ぐ。
腕を振るう勢いが強すぎたからか、そのまま体勢を崩した巨人の身体を足場に再度跳躍。
一瞬、視線が交錯する。
その際に互いが何を考えていたのか、それは決してわからない。
けれど、浮かび上がった感情を切り裂くようにノアは宙でくるりと横に回転し、遠心力も利用して緑の輝きを宿す刃が横一線に放たれる。
大木にも似たかなりの太さを持つ巨人の首を一刀の下に切り捨て、重さを感じさせない様子でふわりと着地する。
一拍遅れて崩れ落ちる巨躯。そして、重い音を立てる頭蓋が地面を転がる音。
(出血の類は無し、か。巨人というより、土人形とかに近いのかな?)
半ば八つ当たりに近い感覚で刃を振るっただけあって怒気が冷めるのも早い。
そうなると気になってくるのがトワイ・ヨトゥルの生態というか、身体構造というか。
斬断した傷口を見ても血はおろか、液体の類は一切なく、それでも空洞があるのは見て取れる。
ただ、それが血管や骨なのかと言われると疑問が残るが。
(どっちかというと、ちょっと古いタイプのプラスチック製プラモデルの類に似ているかも。骨じゃなくて外皮の強度で身体を維持している感じ)
背骨はあるのだが、四肢を支えているのは金属質の体そのもの。
その体は半液体金属というか、筋肉を金属で表現したかのような伸縮する物体らしい。
ただし、それは生きている内だけで仕留めた後は肉体が硬質化していき、物言わぬ金属の塊となる。
何らかの条件で収縮する金属というのは便利なようにも思えたが、倒せば性質が変わってしまうとなれば確保するのは難しそうだ。
また、全体の体積と比すれば少量ではあるのだが、ゲームでは入手できなかった『骨』も何かに使える可能性は高い。
「ノアちゃん様~☆ もう大丈夫~☆」
「うん。終わったよ」
そういう意味ではなかったのだけど、とは口に出さず曖昧な笑みが浮かぶ。
「じゃあ、解体を始め―――」
「―――お姉さまっ!!」
気を取り直して作業に掛かろうとしたところに、荷物の如くアルナの小脇に抱えられた少女の嬉しそうな声が響いた。




