63 薄闇より飛び出す影
暗闇の中、僅かな光が煌めく。
「うわっ、うわぁ~っ! じゃ、邪魔———どいて、どいてくれぇっ!」
混乱と焦燥の滲み声音。
人がすれ違うのも難しい通路の奥から木霊する少年の叫びと、揺らめく松明を眺めてノアは小さく肩を竦めた。
「行くよ、アルナ」
「はい!」
言うが早いか、二人はほぼ同時に踏み出し、壁を蹴って天井まで跳び上がる。
松明の炎を避けて天井を足場に薄暗闇の中を猛禽の如く急降下していく姿を何人が視認できたことか。
それでも腰から下げた火を使わない魔法の角灯の輝きの軌跡を見ればどのように移動したのかは何となく理解できる。
「うぇっ!? な、上!?」
「うわぁっ!?」
「松明を振り回さないで。仲間に当たるよ?」
やや呆れた、緊張感の欠片も無い言葉が暗闇に落ちる。
それは落ち着いた、と表現するのは躊躇うようなモノだったが、後ろに着いてきている仲間たちの事を思い起こさせるだけの効果はあった。
「きゃぁぁぁあああっ!」
「レネアっ!?」
後ろを確認しようと振り向いた少年の耳に届く甲高い悲鳴。
仲間の中の紅一点である少女の声であるというのを認識し―――ズドンっ! と腹の底に響く様な重い音が響く。
「クリスタルスパイクが4です」
「そのくらいなら押し切ろうか」
「了解です」
ランタンの光に照らされて浮かぶ銃を手にした女性のシルエット。
しかし、少年が先に注視したのはその傍らに佇む少女を抱えた美女の姿。
光の加減もあってレネアという少女を腕の中に収める黒髪の彼女は口元を布覆いで隠しているのに息を呑むほどの美貌に見えた。
「大丈夫?」
「・・・は、はい・・・」
レネアは暗がりの中でもはっきりとわかるほどに顔を紅潮させながら、蚊の鳴く様な小さな声で返す。
そもそもが人が二人並んで歩くこともできないくらいの狭い通路であり、二人の顔はとても近い場所にある。
敵に襲われて身体を突き刺す衝撃と痛みに声を上げてしまったと思えば至近距離で爆音が弾け、気がつけば同性であっても見惚れるほどの相手の腕の中に居たのだ。
何が起こったのかを正確には理解できずとも、至近距離から美人に見つめられて微笑みかけられれば動揺してしまうのも仕方が無かった。
「・・・骨折は無いかな。刺し傷が5か所・・・以外はかすり傷か」
「あ、あのっ! だ、大丈夫ですから・・・!」
「腕はともかく、お腹はちょっと傷が深いし危ないから治療しちゃうね」
少女の言葉を聞いているのかいないのか、手早く怪我の具合を確認したと思えばノアの掌に青と緑の輝きが逆巻く。
それを見た少年たちが驚愕に目を見開くのを無視して患部を撫でる様にそっと手を動かす。
「ふ、んぁっ・・・あっ・・・んんぅ・・・」
術理の光が傷口に吸い込まれていくように輝き、入り込む冷たい様で熱い感覚に少女の口から声が漏れる。
顔の紅潮具合と身悶える少女から零れ落ちる吐息は血の香りを忘れさせるほどに艶めかしい。少なくとも少年たちにとっては。
急速な傷の治癒はノア自身も経験があるが体力と精神力を消耗するし、神経を直接触られるかのような異様な感覚に襲われる。
それ自体は快楽も痛みも発生しないようだが、流れ込む力に熱を感じ寒気を覚えるような錯覚が生じるという不可思議な体験で声を我慢するのは難しい。
小さな傷であれば感じる量も少ないが、身体を貫通するかどうかといった傷であれば必要となる力も大きくなり、感覚もそれに比例する。
「はぁっ・・・はぁっ・・・んっ・・・はぁ・・・」
結果、少女は身体を満たす未知の感覚に肢体を震わせ、息も荒くぐったりと身を預けるくらいしか出来ない。
熱の余韻に瞳が潤み、薄っすらと汗ばむ肌が揺らめく光の中に浮かび上がり、力の抜け落ち、けれどどこか安堵しているような嬉し気な表情は連れの少年たちが普段見知っている少女のモノとは違いどことなく艶めかしい。
しかし、ノアから見れば治療が終わって気が抜けただけの少女に過ぎない。気力体力が尽きたのか腰が抜けたのか立っているのにも苦労しそうだが。
「少し、ここで休んでいて。クリスタルスパイクくらいならすぐに終わるから」
「・・・はい。お姉さま・・・」
「え? あ、うん」
壁に背を預ける形で座らせた少女はうっとりした様子で頷きを返す。
いやに素直な反応だというのと、言葉の不穏さに思うところはあったのだが、こちらにばかり気を取られるわけにもいかない。
少年たちは何故か押し黙って何の反応を示さない。それを不審に思いつつもノアは先行するアルナの背に視線を向けた。
金属同士のぶつかり合う音の狭間に響く重い炸裂音が届いているが、彼女は一歩も引かずに後ろへ敵を通すことは無い。
「エアリアルステップ」
小さく呟いたのはアルナにこれから何をするのかを伝えるためだ。
というか、すでにノアと三姉妹の間では術理や術技といったゲームに存在する技の名前を口にするのは仲間に注意を促したり、効果を伝えることで連携をスムーズにするためでしかない。
詠唱というのもアルナやイリス、フィルならやればできる。できるのだが、だからといって威力や精度があがるわけでもないので基本的に無詠唱のまま扱う方が良かった。一秒以下の隙が命取りになる戦闘の最中で長い詠唱など使い勝手が悪いだけなので有り難い限りではある。一言程度、味方との意思疎通のために時間を捻出するくらいは考えるのだが。
「アルナ! 残りを叩き潰すよ!」
「はい!」
翡翠色の風がノアを中心に広がる。
駆け抜けざまに軽くアルナの背に触れれば、彼女にも纏わりつくように緑の風が包み込んだ。
その結果を見届けることなく、壁を蹴って弾むようにアルナよりも前へと飛び出した。
「キュキャ!?」
クリスタルスパイク―――水晶のような透き通る輝きの幾本もの針を背負うハリネズミは頭上の存在に気が付いて声を上げる。
が、その隙を見て取ったアルナが眼前の一体の顔面を蹴り上げて宙へ浮かせ、その胴体を銃剣の刃で切り裂いた。
仲間の断末魔の悲鳴に気を取られた相手に、ノアはまるで一人手に解けたかのように舞う羽衣を自身の手のように投げる。
戦布に分類されるこの武器は透けて見えるほどに薄い見た目ではあるが、この世界特有の金属糸を織り込んでおり先端にある金属飾りが錘の役割を果たす。
面積がある分、鞭とは扱いが違うが意外に速くトリッキーな攻撃が可能であり、最大の違いは―――
「キュアッ!」
―――背中の針を突き刺そうと丸まって突進してくるクリスタルスパイクを重ねた羽衣で受け止める。
術理そのものというわけではないが、それに近い力を注ぎ込んだ羽衣はノアの遺志により自在に動き、その防御力は鉄の盾を貫く水晶の針の一撃よりもなお硬い。
特殊な力を纏わせない状態でも鋼鉄製の鎧よりなお硬度であるが重さは普通の布とさほど変わらないというこの羽衣は攻防を両立させることが出来る武装だ。そんな薄布で作られた強固な防御に火花を散らしながら突破しようとする様子を見据えノアは腰を落とす。
「ふっ!」
正拳突き、ではなく掌底での一撃。
それは薄布越しに―――特殊な力を纏わせた羽衣を通したことで浸透勁にも似た効果を発揮し、金属が引き裂かれる様な甲高い音を立ててクリスタルスパイクを打ちのめす。
その動きの流れを止めることなく踏み込みから身を捻り腕を振るう勢いで羽衣を鞭のようにしならせ、ハリネズミを捉えたと思えば宙へと浮かす。
ズドン・・・ッ!
その隙を見逃すことなく放たれるのは術技である散弾。
射程を犠牲に複数の弾丸を放つことで瞬間的な火力を向上させるこの技はほぼ全ての銃器で使用できる。
その中でも銃剣は近接斬撃と銃撃を両立させる武装という意味で相性が良い術技だった。
狭い通路であっても仲間に当てることなく正確に敵の頭を吹き飛ばす射撃精度があればこそ、ではあるが。
「とっ!」
射撃が一体仕留める間に突き出される戦布。
その鋭さは槍にも似て鋭く重く速い。クリスタルスパイクの背中を打ち据え、けれど硬質なために貫かれず怯んだところにノアは距離を詰める。
軽いステップから放たれるのは強烈な踵落とし。羽衣を挟んだ攻撃は威力を減衰するどころか倍加させて相手を粉砕し重い音を響かせた。
「・・・うん。追加無し」
「やはり、この程度では問題になりませんね」
手持無沙汰、とでも言うかのようにクルクルと新体操やチアリーディングのバトンのように銃を弄ぶ。
銃剣はSSOのゲーム的な都合によりアサルトライフルなどの連射可能な銃ではなく、ボルトアクション式の単発銃だ。
性能もこれまたゲーム的な都合で現実とは異なり、術技を使えば三点バーストは可能だが、逆に言えば連射性能はその程度でしかなく、スナイパーライフルのようにスコープが付いているわけでも、射程に優れるわけでもない。
先端に備え付けられているナイフを含めても武器の長さは腰に佩ける程度―――槍にも劣り、けれど斬撃を織り交ぜないと火力を出しづらい。SSOには扱い辛い武器がいくつか存在していたが、銃剣は真っ先に名前が上がるような武器種だった。
しかし、アルナにはそんなものは関係なく、手に馴染む相棒かのように腕や肩を使ってクルクルと取り廻している。
(あんなの普通は暴発が怖くてできないんだけどなぁ)
思わず苦笑が浮かぶ。
銃器を扱う上で気を付けるべきことは無数にあるが、その一つが暴発。
この世界において銃身が歪んでいたり弾詰まりや整備不良で爆発することはほぼ無いが、誤ってトリガーを引いてしまう可能性はそれなりにある。
銃に―――正確には見た目的な問題に―――依るのだが、安全装置が搭載されていない銃の方が多いのだから仕方のない事ではあるのだが。
この辺りは純粋な火薬を利用した発射機構ではなく、ファンタジー的で特殊な構造をしている物が多いせいと言ってもいい。
安全装置があったところで、アルナのように気にせず振り回すのは気が進まないのだけれども。
「では、どういたしますか?」
「どうって―――ああ、死体か」
ある程度満足したのか、銃剣を腰のホルダーに納めての問いかけ。
クリスタルスパイクの素材は装飾品に使ったり中間素材として優秀ではあるが、強度の関係上、武器や防具にはあまり使用されない。
それでも黄昏坑道に出現する敵の中では群を抜いて高い金額を入手できる相手なのは確かだった。
「そうだね。そこが八門目の広間みたいだし、そこで処理しちゃおうか。解体部屋に放り込むのも手間だし」
「わかりました」
ノアの私室には自身とアルナたち三姉妹しか入室することが出来ない。
これはゲームとして最後のログイン時に訪問者制限をしてしまったが故に、その設定が解除されないまま残っているのだと考えている。
大きな問題ではないのだが、部屋にモノを運び込む際に外部の手を借りることが出来ないという面で微妙に不便であった。特に今はアルナの能力で扉を作って死体を運び込もうとすると、ノアだけで作業しなければならず面倒だ。
そんなわけで背中に重い剣山を背負うせいで割と重量のある死体をアルナが一匹担ぎ上げ―――
「―――ま、待てよっ!」
松明を持った少年が死体を引き摺ろうとしていたノアに声を掛けた。
先ほどはさして観察することも無かったから気が付かなかったが、特徴的な巻角、背には緑色の鱗の生える翼に、腰の辺りから鱗を纏う尻尾が生えている。
竜人の少年は元からなのだろうが釣り上がった目でノアを見据えて口を開く。
「それは―――」
「―――お姉さま! お手伝いいたしますっ!」
少年を押し退けるように飛び出してきたのは純白の翼を背にする天翼の少女。
レネアと呼ばれた栗色の髪の彼女は嬉しそうな笑顔を浮かべてパタパタと駆け寄ってくる。
「え? 結構傷が深かったし、死体の処理をしている間くらいは休んでいた方が良いと思うけど・・・通路が塞がっていると逃げるのもままならないから」
水晶の剣山を背負うクリスタルスパイクの死体はそれだけで棘罠となってしまうため、出来る限り素早く処理した方が良い。
現在居る場所のような狭い通路であれば、人が通過するのにも難儀するのだが黄昏坑道には蝙蝠などの空を移動する、あるいはトカゲのように壁を伝う敵も居るため一方的に不利になる可能性も高い。
ダンジョンという性質のためか、敵有無確認をいくらしても後ろから敵が襲ってくる可能性があるので一方が塞がっているというのはそれだけで危険だった。
ただ、処分をするにも燃やし尽くすとか消滅させるといった方法では素材の価値が高くもったいない。
「大丈夫です! 私もメイン癒遠傀型ですから、このくらいの傷へっちゃらです!」
「そ、そう・・・まぁ、運ぶのも大変だから手伝ってくれるなら有り難いけど」
自分で治療したのであろう、傷はすでに消えているのが妙に元気な少女の勢いに圧されるかのように頷きを返す。
実際、抱えられる程度の大きさの死体とはいえ通路が狭い為に一匹ずつ運び出すしかないので手助けは時間節約の面で有り難い。
冒険者は痛覚に強く、身体能力は超人的で戦闘義体の影響もあって致命傷に近いダメージからも短時間での回復は比較的容易だ。暗がりであるが変に庇うような動きもしていないのでレネアを無理に引き止めることもあるまい。
「お、おい! それは俺たちが引き付けて―――」
「止めなさいよ! 助けてもらったのに、みっともない」
「けっ、けどよ・・・っ!」
何を言おうとしたのか察したレネアが軽蔑の視線を投げた。
そんな視線に怯みつつも、少年は納得できないとでも言うように険しい表情を浮かべている。
不満を隠そうともしない彼にさらに言い募ろうとして―――
―――ぐぅぅぅううう・・・。
何かを訴えかけるように響き渡る切ない音に少年と少女は同時に発生源へと視線を向ける。
そこには暗がりであるにも関わらずハッキリわかるくらいに顔を真っ赤にしてお腹を押さえた犬耳を生やした獣人の少年。
「あ、いや、ごめ・・・最近、ちゃんと食べられなかったから―――」
―――ぐるるる・・・。
追撃をしてくる唸り声のような腹の音。
思わず仲間の二人の視線が険しさを増して突き刺さる中、くすくすと鈴の音を転がすような笑いが落ちる。
「ふふ・・・ごめん、ごめん。それにしてもお金に困っている子たちだったか。全部ってわけじゃないけど、死体を譲るのは構わないよ?」
「えっ!? い、いいんですか、お姉さま?」
「お姉さまって・・・いや、うん。ともかく、こっちは大丈夫だから。錬金術用の素材は集めているから全てを渡すのはちょっとあれだけど」
フィルに『お姉ちゃん』と呼ばれていることもあって心の底から拒否したいというわけではないが、見ず知らずの少女にお姉さま呼ばわりは戸惑うところがあった。クリスタルスパイクの素材は装飾品―――直近で必要になると考えているのは耐寒装備―――の作成にも使用するのでそれなりの分量を確保しておきたいと考えていたがそれだけだ。
今後も何かにつけて必要となってくるかもしれないと考えればいくらあっても足りないのだが、代用品もあれば、すでに何匹分かを手に入れていたり、先は未だあったりと急ぐ理由はない。もちろん、今後も剥ぎ取りまで行う余裕があるとは限らず、自分達で倒したのに報酬が欠片も無いというのは納得できるものではないが。
「とりあえず、運んじゃおうか。そろそろ後ろも来るだろうし」
「「「後ろ?」」」
「―――お~い!」
三人組が疑問を顔に浮かべた次の瞬間には人の声が聞こえてきた。
それが目の前の人物の仲間だというのは理解できたので無警戒に振り向き―――
「「―――うをぁぁぁあああ・・・っ!!!?」」
暗がりの中から現れた毒々しい色の巨大キノコ怪人の姿に彼らは心の底から絶叫を上げたのだった。