05 閉ざされた世界はされど広く
「う~ん。想像はしていたけど、想像以上」
燦々と照り付ける太陽。
広々とした青い空。
喧噪行き交うその場所は確かに『街』だった。
レンガ造りの建造物や舗装された路地。
ノアの貧困な知識量では、中世ヨーロッパ風かなぁ、くらいの感想しか出てこないが。
彼女たちが現在居る五番目の街・リッシュバルの元となったのはアドリア海の女王ヴェネツィア。
デザインの元にはなっているが本物とは似ても似つかない。
都市中に水路が巡らされ、噴水や人口の滝など水のアートが至るところに散見される。
ゲーム画面越しでも美しい街として表現されていたが、現実として目の前にするとその感動は比ではない。
現実離れしたアーチや往来を闊歩する多種多様で彩り豊かな人々の存在の影響も大きい。
「お姉ちゃん」
煌びやかな景色に目を奪われていると、ふわりと後ろから妖精がノアに抱き着いた。
細い腕を首へ回して、幸せそうに頬と頬を擦り合わせる。
「フィル。くすぐったいよ」
「えへへ」
髪が肌を撫でる感触に耐えつつ、甘えてくる少女の頭を撫でる。
身長差的にフィルの足が宙に浮いているが、決してノアの首を絞めることはない。
その理由は彼女の背に幻の様に浮かぶ淡い輝きの翅。
「本当にフィルって、妖精なんだよね」
「むぅ。どういう意味?」
「他意はないのだけれど」
口を尖らせる少女の頬を指先で突いて苦笑を浮かべた。
SSOはファンタジー作品らしく多様な種族が存在しる。
プレイヤー分身体やパートナーNPCに設定できたのは
『人間』『獣人』『森妖』『妖鬼』『竜人』『妖精』『天翼』
の七種族。
今後のアップデートで追加されていくと宣言されていたこともあって現状ではそれ以上の種族が居るのかもしれない。
それに獣人に関して言えば獣の種類に依らず狼男だろうが猫人だろうが兎人だろうが纏めて獣人なので細かい種族はかなりの数になる。
ゲーム上の種族差は見た目以外には、誤差の範囲と言っていい程度のステータスくらいで特殊能力のような物は設定されていない。
しかし、現在はフィルがある程度なら『空を飛べる』ようになったりと変化が生じているようである。
ちなみにアルナは人間、イリスは竜人である。
「むぅ。お姉ちゃんだって天翼らしくない」
「いや、フィルは妖精らしく可愛いのだけど」
「!」
頭を撫でていると、にへらとフィルの表情が崩れた。
逆にノアは小さく嘆息吐いて空へ視線を向ける。
彼女の設定種族は天翼。
太古の戦争終結の後に地上に残った天使の血を引く種族という設定の翼の生えた種族である。
キャラクリエイト時に鳥のような翼を付けることが出来るのだが、ノアの見た目は完全に人間だ。
ゲーム内で普通の人間やるのも・・・、と思ってしまったが故の種族設定だが翼は画面の占有率が高くプレイ時には邪魔だった。
そんなわけで透明化―――というよりは最初から生えていないように造ったわけだが、種族の特徴がまるで無くなってしまったのは事実である。
(翼があったら飛べたのだろうか)
空を自由に飛び回るのは夢ではあるけれど。
そんなことを少し考えてから、往来へと視線を落とす。
種族もだが衣装も和洋中、コスプレ関連まで含めて様々な服装が行き交うそこを。
「・・・カオスだ」
思わずつぶやいたのだけれど、かくいうノア自身もコスプレみたいなものだ。
ファンタジーというよりSFチックな黒いボディスーツにジャケット、白い外套。
流石にスカートは精神的に辛かったのでズボンタイプではあるが、体のラインは出ているし胸元や太ももなども露出している。
傍から見れば割と扇情的なのではないだろうか、と他人事のように思うのは色々と諦めたからだろうか。
すでに三姉妹にこれ以上ないくらいに恥をかいた彼女の精神は多少の露出で動揺するモノではなくなったようだ。
フィルの方はフリルがふんだんにあつらわれた、なんちゃって和服であり、今日はサイドテールに髪を纏めている。
実は三姉妹で最もお洒落を楽しんでいるのが彼女であり、日によって髪型を変えたりしているようだ。
後衛役として育てたためかローブなどのゆったりした服を好むが、最近は和服に興味があるということらしい。
「まぁ、衣装に関してはガチャなんかで多種多様に導入されていたし、文化も何もないのだろうけど」
「うん?」
「考えても仕方がないってこと」
そもそもSSOでは防具のデザインを0から造ることも可能だ。
どうやってデータの互換性や読み込み、データ処理を共有させていたのかは業界内の大きな謎だったらしいが。
それはともかく、その文化圏独特の生活に由来した衣装というのは存在していないに違いないと思わせるだけの多様性がノアの目の前には広がっている。
「平和、に見えるね」
「・・・ん」
平坦にも聞こえる声音の呟きに、フィルも同意するように頷く。
すでにこの世界で目を覚ましてから二週間。
ようやく私室から外に出る最低限の準備ができたノアは本日になって初めての外出である。
最低限と言っても戦闘能力的にはまだまだ心許無い。
修行の成果が思うように出ていないことと、ゲームの時の技能がほとんど使えていないことが要因だ。
上手くいっていないからこそ、気分転換も兼ねて外に出ることにしたのだけれども。
それ以外にもアルナとフィルが持ち帰った情報によって外に出ることを促されたのは間違いない。
「やっぱり、色々と違うのだろうね」
「わたしには、わからない」
「あんまり考え込むことではないと思うよ。どうせ答えは出ない」
怯えるように腕に力を込めるフィルの手に手を重ねながら引き攣ってはいるが笑みを浮かべる。
彼女が不安がるのも無理もない。
最も大きかった事件は、二週間前。
天下の往来で数十人規模で発狂者が出た。
意味不明な言葉を発し、街中で武器を振り回した彼ら、彼女らの大半はすでに処断されている。
というか、ほぼ殺すことでしか止めることが出来なかったというのが実情らしい。
共通点は冒険者であること。
数人ではあるが生き残りが憲兵隊に捉えられて投獄されたそうだが、面会することは不可能だろう。
同様の事件は、ほぼ同時に他の街でも確認されており原因は明白だった。
この世界に来てしまったこと、だ。
ノア自身も混乱したのだが私室という場所で目が覚めたこととアルナたち三人が居たことである程度は落ち着いていられた。
あの時の状態で往来に投げ出されていたら、と考えると傍から見れば発狂したと思われても仕方がない。
もうひとつ判明したのは、発狂者を止めたのもまた冒険者だということ。
彼らは往時と同じように技術を使って暴れ回る発狂者を倒していったらしい。
最初は当身や打撃で意識を奪おうとしたらしいが、結果的にはそれで済まなかったということだ。
(そう考えると冒険者の『適応率』とでもいうべきモノには個人差があるのだろう)
目覚めた直後で技術を使えた冒険者との差にノアは苦笑した。
二週間も経って、未だまともに戦闘できる気がしないのだから差は歴然である。
その事件の衝撃は様々な意味で大きかったようだが、その三日後にさらに事件は起こった。
しかし、それは発狂者事件と比較すれば前向きな話題である。
冒険者の一部が今までゲームでは実装されていなかった六番目の都市を目指して旅立った、というものだ。
街に出回った新たな『地図』―――アルナたちによってすでにノアも目にしてソレには、確かに記憶にない都市の存在が記されていた。
噂では先に進めば帰ることが出来るという趣旨の会話をしていたらしいが、どこまで根拠があるのかは不明だ。
しかし、何らかの回答を求めて先に進もうとする考え自体は共感できるもの。
ノアとしても選択肢の一つではあるのだが、現状では先に向かった人々の健闘を祈るばかりである。
そしてもうひとつの事件。
今からおよそ一週間前の事。
再度、大量の発狂者が出た。
それまでの期間も日に数人単位で発狂するものが出ていたらしいのだが、その日は様相が違った。
発狂したのが冒険者ではなく、NPC、大半がパートナーNPCだったからだ。
彼らは無思慮に動物の様に暴れ回った冒険者とは違い、明確な悪意と殺意を以て行動したらしい。
その影響は現在も残り、少し街を歩けば破壊の痕跡がまだ残っているのを確認できた。
打ち取られたのは一部だが、半数以上は街の外へ逃走したようで恐怖の対象になっているらしい。
もっとも、やはりメニューは使えないらしく、またステータス表示も無いのだ。
画面越しの時は見ればキャラ名を含めてすぐに様々な情報がわかったものだけれど、今はそんな能力はない。
なので一部のギルドマーク付きや冒険者特製と一目でわかる装備を身につけていればともかくNPCがどういう状態で誰に所属しているのかを確かめる手段が無いと言ってもいい。
(問題は全てを『発狂』で片づけた事と、街中で戦闘が起こったことだけど)
ノアからすれば冒険者かパートナーNPCかどうかは考慮の必要が無い。
アルナたちと接していれば嫌でも彼女たちが意志あるひとつの生命だと理解させられる。
それに街の様子を見ればゲーム画面の時とは何もかもが違うことは一目瞭然なのだから。
一言で表すのなら広い。ともかく広い。
ゲームというのが如何に簡略された描写をされていたのか良くわかる。
存在しなかった路地や建造物はいくらでもあるし、大通りの歩行者数は現実で言えば都心の往来と変わらないほどだ。
これをゲームで表現していたら容量や処理能力がいくらあっても足りなかっただろう。
(ここに生活する人が何故急に『発狂』したのか、という原因を考えないのは逆に怖いくらいなのだけど)
調べたが公にされなかったのかもしれないのだが。
何らかの理由で隠蔽されていたのなら、藪を突く真似をする方が危険ではあるが。
フィルを背中にひっつかせたまま、とりあえず散策することにする。
「ゲームの時は、こんな露店もなかったしね~」
「?」
串焼きをもぐもぐしながら呟くと同じように食感を味わうフィルが小首を傾げた。
食べながらも離れないのだから色々な意味で徹底していると言わざるを得ない。
(何の肉かはわからないけど、特殊効果のない食事なんてゲームにはなかったし)
SSOには空腹度システムが無かったので食事というのは重要視される要素ではない。
多少のブーストがある料理は存在していたが『錬金術』で作成する類のアイテムだ。
何で店で売ってねぇんだよ!というプレイヤーの声が公式掲示板に乗っていたのを思い出してノアは苦笑した。
買い食いする今の気分は完全に観光である。
「何か調べないの?」
「休日まで働くようなものじゃないよ。しいて言うなら街の様子を体感しておきたかったくらい?」
世間では様々な事件が起きたようだが、それはそれなのだ。
ゲーム上での簡略化された街しか知らないので、街の構造は多少調べておこうとは考えているが。
ただの串焼き屋台なんてゲーム的には完全に無意味なので存在していなかった。
もちろん、味や香りを堪能することなど不可能だったのでそういった面でも楽しむのは悪くない。
「せっかくフィルとデートなんだし、色々と見て回ろうか」
「デート・・・!」
フィルの瞳が輝きを増した。
幸せそうに頬を緩めて子猫の様に顔を摺り寄せる。
ギュッと押し付けてくるので背中に幸せな感触が広がっているからかノアの笑みもどこか柔らかい。
「とりあえず、色々と見て回ろうか。改装工事中のアルナやイリスには内緒で」
「ん。内緒!」
現在、アルナとイリスは彼女たちの自室を模様替えしている。
というのも、簡素なベッドが置いてあるだけの本当に眠るためだけの生活感の欠片もない部屋が三人の自室であることが判明したからだ。
いくらゲームで描かれなかったからといってさすがにあんまりである。
プレイヤーキャラには無駄に私服や下着が大量に用意されていたのに。
ちなみに、部屋の模様替えには錬金術のレベルと模様替え用の消費アイテムが必要になる。
フィルは最後に作られたキャラであって生産能力である錬金術のレベルが低いので部屋の変更をほとんどすることができない。
そんなわけで消費アイテムを使う許可を出しての模様替えは姉二人にお任せというスタンスを取っているのがフィルなのだ。
外に出るにも護衛は必須!というのは彼女たちの共通認識だったのでちょうど良かったのもあるが。
(まぁ、本当に秘密にするのは困難だと思うけど。一緒に居るのは知っているし、所持金も把握しているだろうから)
妻に財布を握られて、掃除の邪魔だからと娘と街に追い出された夫みたいな立場である。
それを理解してなお異国情緒溢れる水の街は魅力に満ちているのだ。
見たこともない芸を披露する大道芸人、七色の輝きを放つ装飾品を売る露天商、靴磨きや似顔絵屋なんてのも見受けられる。
適当に購入した棒キャンディのようなものは、何故かチョコの味がしてノアには甘すぎる代物だったりもした。
裏路地方面では煽情的で露出の多い衣装を纏った娼婦の女性たちが怪しげな笑みを浮かべている。
意味深な流し目から視線を逸らしつつノアは『現実となったゲームの世界』という気分で観光を楽しんだ。
(想像以上に、差が大きい。街の構造自体も、商品や物資の種類も、本当に何もかもが)
異世界というにはゲームに寄り過ぎていて、ゲームというには現実感がありすぎる。
中途半端な別世界、というのが数時間の探索を経たノアの抱いた印象だった。
「みんなは、何を思ったのかな」
変わってしまった常識に。身体に。世界に。日常に。
同じようにこの世界へ来訪した『同郷の者たち』への呟きは風の中へと溶けて消えた。