54 凍える風の気配を感じて
新年、あけていますね、おめでたく存じます。
読んで下さっている方々、今年もよろしくお願いします。
未熟な身の上に更新頻度も高くはありませんが、楽しんでいただければ幸いです。
この世界は、確実に|セブンスターオンライン《SSO》というゲームと深い関係がある。
そうでなければ、見知った黒髪美人の姿で武器を持って戦うなんて到底できないし、ノアとしても我ながら上手く造形できたと満足している美女・美少女3人から溢れんばかりの好意を向けられるはずもない。
しかし、そうであっても完全に一致しているわけではなく、ノアが見上げる先にある威容もまた、その一つなのだろう。
「・・・空飛ぶ城、か・・・」
そのシルエットは、西洋の城に似ている。
かなりの巨大さなのだろうが、現在の位置からでは手のひらサイズにしか見えず、結構な高度に浮いているらしい事がわかる。
もっとも、アレは本当の『城』ではなく順路迷宮『古代遺跡』の一部だ。
地震かと思ったほどの迷宮全体を襲った激しい揺れはアレが飛び立った衝撃だったようで、抉られた地面があった部分が丸ごと引っこ抜かれたと推察している。
そんな考察をして暇を潰すくらいには、歩き回れるようになる程にノアが回復するのに時間が掛かってしまったというのもあった。
ある程度はまともに戦闘できないと街に着くまでの短い道のりでも危険が大きいという理由もあって数日の休日は反対意見が出ることはなかったが。
もっとも、ノアも含めて全員が早く街という安全圏で敵の襲撃に気を張ることなく休みたいとは思っていたので、知らず知らずの内に足取りが先を急いでいるところは多少ある。
(なんて言うか、巣穴付近の雑草を抜かれた時の蟻みたいな状況だったのかな・・・?)
そんな心境を落ち着かせるためにも、ノアは誰にも共感できないであろう感想を取り留めもなく思い浮かべつつ、原因について考察をしようとした。
けれど、情報が足りなさ過ぎて意味が無いことというのは最初からわかり切っていたので、すぐに思考を止めて小さく嘆息を吐く。
「お姉ちゃん、どうかした?」
「何でもないよ。世の中にはわからないことが多いなって思っただけ」
耳元で擽る様に囁かれた言葉にノアは軽い調子で返す。
掛かる吐息がくすぐったくて、思わず笑みが零れ小さく体が震えた。
意識していなかったけれど、耳が弱点なのかもしれないと、どうでもいい事が脳裏を過る。
「あの『城』は、一体何なのかしらねぇ?」
暇だったのか、前を歩くカリフラワー・アコルという名前の変態痴女も会話に乗って来た。
頭には魔女のような三角帽に、スリングショット水着姿で、臀部から伸びる悪魔の尻尾のような何かが歩く度にお尻と一緒に小気味良く揺れる。
女性らしい肉感を強調するかのような所作は、こうなる以前であれば欲望の混じった視線を向けていたかもしれないが、今は呆れの感情が強い。
中身はまとも―――にも振舞える―――のだから、普通の恰好をすればいいのに、と。
「どうやって浮いているかも不明だし、このタイミングで飛んだ理由もわからないし・・・何かが起こっているのは確かだけど」
「やっぱり、調べた方がいいのかな?」
最後尾を歩く上裸のカザジマが渋い声ではあるのに軽い調子で口を挟んでくる。
未だに強烈な違和感を覚えてしまうので自身の適応能力に疑問を感じながら、ノアは肩を竦めた。
「目的はそれぞれの街に着くことだし、変に厄介事に首を突っ込みたくはないかな」
「もっともです。マスターは何かと無茶をしますので、大人しくしていてください」
「そうです。ノア様は少し自重してください」
そういう状況になりたくて陥っているのではない、という反論は口に出せなかった。
背中にぴったりとくっ付いているフィルが淡い輝きの翅をパタパタと動かしながら首元に回す腕が不安げに揺れて、左手を豊満な胸で挟み込むようにがっちりと握るイリスは『絶対に離さない』という意志を感じさせるほどに繋いだ手を握りしめる。
右側、やや前方を歩くアルナは金色の髪を揺らして、振り返る表情は心配を物語っていた。
これも親愛の賜物と思えば、多少の気恥ずかしさはあっても否定的な言葉を放つことなどできない。
(・・・たったひと月ちょっとで何回も死にかけてれば、そういう反応にもなるか)
それぞれの反応を示す彼女たちに、ノアは苦笑いを返す事しかできない。
安全マージンをそれなりに取って行動しているつもりだったが、結果として危ない場面ばかりなのだから今後が無いとは言えなかった。
想定が甘いのはもちろんだが、想定外と敵に襲われる危険は旅をするのなら常に付き纏う。
安全な日常での公共機関を使った旅くらいしかしたことが無いノアには完璧に安全な旅路を用意する能力が足りない。
さらに言うとすれば、ゲーム的な考えでもこの結果はむしろ運が良いくらいだ、というのもあった。
SSOにおいて『適正レベル』というのは成功率十割と言う意味ではなく、良くて七割。
装備を適正な領域にするのは大前提で、複数回挑戦して最適解を見つけ、その上でプレイヤースキルを磨いて攻略するのが普通だった。
それを考えれば多少、基準を超える強さを持っていると仮定しても結果的に全員が五体満足で装備や物資の消費も想定内で突破できたのだから十分と考えてもいい。
だが、満足できるかというとそうでもなく、先を考えれば別の不安が首をもたげるというもの。
(今までは“無い”って言って良かったけど、4番目の街からは冒険者の数も増えるし、対人もあり得る)
基本的に冒険者の倫理観はかなり高いと思っている。
少なくともこうなってから後に、最初から犯罪に走る冒険者は多くないだろう。
そもそもゲームをプレイするにはそれなりの生活環境が必要で、義務教育を受けている人間が大半だ。
全員が全員とは言わないが、食うに困って犯罪に走るような状況だった人間がこの世界に来ているとは考えていない。
シリアルキラーのような問題ある人間がわざわざゲームの特殊な仕様であるTTSでのプレイまで行うことは考慮から外していいくらいに極めて稀だろう。
それでも問題行動を起こす人間は居るだろうし、パニックも想定される―――というか、水の街では『発狂者』として普通に騎士団に捕らえられた人も多い―――ので警戒しないというわけにもいかない。
(ある程度は冒険者同士っていう仲間意識があるだろうけど、変化や環境を考えればプレイヤーキルみたいな事をしているのはあり得る)
ゲーム的にはPKは大した利点が無いのでほとんど廃れていたし、それでも繰り返す人物はアカウントの永久凍結などの対処が成されていた。
しかし、現在は状況があまりにも異なるし、装備や所持品を奪おうと襲い掛かってくることはあるだろう。ゲームでは盗れなかったので本当に奪えるかは不明だが。
盗れない場合はもっと凄惨な―――拷問やらで心を折って物品を巻き上げるという手段が考えられるが、そこまでやれる程に割り切っている人間は一般的な大衆向けゲームなんてやっていないだろう。
少なくとも、未だそこまで追い詰められているような冒険者はほとんど居ないはず。
(いや、所持金も装備も揃えられていない初心者が多い始まりの街や王都付近の方が生きる術を失っている人は多いかも―――とか思ったが、今考えても仕方が無いな)
元が一般人と考えれば倫理観の差異はそれほど大きくない、とノアは考えている。
もちろん、元々の所属する国家の違いから価値観などに差はあるにしても、だ。
「この林を抜けた先が、四番目の街『レーロイト』か」
「私たち冒険者的にはかなりお世話になった場所ねぇ」
話題を変えるための呟きを、意図に気が付きながらアコルが拾う。
現在、ノアを中心に完全防御陣形で進む木立ちの狭間の細い道の先がゲーム的には4つ目の街レーロイト。
二つの鉱山に挟まれるように山間に存在する鉱石の街で、装備の強化には必須の能力や材料を手に入れるために訪れるプレイヤーの数は多い。
とは言え、鉱石を使っての装備強化が必要なほどの進行度に至っているプレイヤーの数は全体では3割程度。
レーロイトは『採掘用ダンジョン』が目玉ではあるが、逆に言えば他に目立つ施設は無いと言っていい。
要するに、拠点として活動しているプレイヤーは多くないということだ。
(問題は、こっちと同じように同好派閥メンバーと合流できなかったりして取り残されている人がどのくらい居るのか)
そして、そういう人間の方が犯罪に走りやすい。
パーティー単位でないと活動しにくい水の街では単独が少なかったが、レーロイトは素材のための周回ダンジョンが多いので、逆に独りのプレイヤーも多い。
それがどのような影響を与えるのかは断言できないところではあるのだが。
「レーロイトですか。私たちの装備も新調しましょうか?」
「そうだね・・・ちょっと試したい物もあるし、雪山用に必要な物も多いから多少は鉱石掘りに行かないとかも」
テントなどは強度の問題からも金属製の部品の類は必要になってくるだろう。
スリップ対策のスパイクなどはゲーム的には存在しなかったが、用意しておく方が良い。
防寒対策には毛皮になるのだろうか。燃料懐炉は構造に詳しくないが、試行錯誤してみるのもいいかもしれない。
(ていうか、雪山が鉱山でもあるのって普通なのかな? ファンタジーなんだし、何でもアリではあると思うけど)
地形や環境に関しては深く考えるだけ無駄かもしない。
レーロイト近辺には燃料となる木材が取れる森も多くないが、それは術理で補っている様子であることからも、この世界なりの法則はあるのだろうけれど。
「どっちにしても、しばらくは準備と休息が必要だ。流石に疲れたよ」
「そうですね」
左腕をがっしり捕まえている竜人の女性は、疲れた笑みで深々と同意を示す。
「私たちも、流石に考えなきゃいけないから少し待ってもらえるのはありがたいわねぇ」
「・・・確かに、アコルさんやカザジマはそのままってわけにもいかないでしょうからね」
水着と上裸の二人はあまりにも露出度が違う。
ゲーム的にはどんな服装であっても大きな差は生じないが、傍から見る限り寒そうでしかない。
すでに現在の位置でも頬を撫でる風は肌寒さを感じるほどになっている事を考えれば地域で気温差が大きい可能性も高いだろう。
露出過多な二人はさほど寒がっているようには見えないが、街は現在位置よりも標高の高い位置にある上に、雪山にも分け入っていくことを考えれば防寒は必須となることは想像に難くない。
布面積の多さがどれほど効果があるのかは詳しく検証していないのでわからないのだけれども。
「私たちのパートナーNPCに用意できるのか、というのも不安なのよね・・・」
「とはいえ、対話や装備作成なんかの作業を任せていかないと成長もしないだろうし、今後を考えれば必要だと思いますよ」
ノアの従者たる三人のように戦闘に出すことは難しいにしても、様々なサポートをしてくれるパートナーNPCの存在は『この世界』で生きていくなら重要になってくるだろう。
現に、日々の食事から雑用、日用品の入手に・・・と、戦闘以外の面でもすでに十分すぎるほど恩恵を受けているのだからアコルも苦笑を浮かべつつ頷きを返す。
現状でも木製の食器やタオルくらいなら各自で用意できているとはいえ、野営装備の大半をノアたちが提供している現状を考えると、別れて行動するようになった後に大きな不安が残る。
十全を要求するのは厳しいとは思うが、先を見据えるのならある程度の準備と練習はしておくことに越したことは無いだろう。
何より、家族ともいえるパートナーたちを放置してアルナ達を頼るのは、心情的にしこりを残す事にもなりかねない。
「あの子たちも、アルナさん達のように育ってくれると嬉しいのだけれど」
「戦闘以外なら期待はできると思いますけど」
アルナたち三姉妹はゲーム時代から積極的に戦闘へ参加させていることもあり、育成には時間やアイテムを相応に注ぎ込んでいる。
同じことを今の状況で行うのは、不可能と言い切ってもいいだろう。
「うぅ~。あたしは自分のことで精いっぱいで・・・」
カザジマが弱々しい口調で零すのを、苦笑で受け流す。
余裕が無いのはノアとて同じ。もう少し精神的にもゆとりがあれば他者と積極的に関わっても良いのかもしれない。
しかし、自分の能力から現状の立場、生活や目標―――考え始めれば問題はキリが無く、その多くは自分たちで解決するべきことだ。
他人の事情に巻き込まれたり、面倒事を抱え込んだり、ましてや命懸けで人助けなんてしている場合ではない。
「まぁ、一言に『育成』なんて言っても”前”のようにはいかないからね」
「そうだよね・・・あたしだって、こんなに当たらなくなるとは思ってなかったもん」
「それはね。射程内に入ってボタン一つで勝手に当たってくれるというわけにはいかないから」
今更の話ではあるが、自らの身体を使っての殺し合いと、画面越しにキャラクターを操っての戦いではあまりにも大きな差がある。
身体がある程度覚えているので半分くらいは恐怖や忌避といった心の問題だが、武芸のセンスや技術もそれなりに必要だ。
そういったモノを心得の無い相手に教え育てるというのは、自ら身に着けるのとはさらに別の能力も必要になってくる。
ステータスを確認することもできないということも考えればパワーレベリングなども現状でどれほどの効果が上がるのか。
「うぅぅ。でも、もっと修業しないとだよね」
「えぇ。今回のように足手纏いはゴメンだもの・・・」
カザジマの言葉にやや硬い面持ちでアコルが頷きを返す。
二人の雰囲気が重い事には気が付いたが、ノアは下手に口を出すことはせずに内心で嘆息吐く程度に留める。
「—――ちょぉぉぉおおおおりゃぁぁぁあああ~~~~っ!!!」
そんな風にゆっくりと歩いていたノアたちの耳に、どこからともなく林の中に木霊する奇声が届いた。